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透明人間  作者: 天野美伽
1/4

1 透明人間という女性


「私は、透明人間なんです」



 女は椅子に座るなり、言葉を発した。


「はっ?」


 思わず聞き返す。しかし、女はそれには反応せずに、ぼんやりと床を見つめたまま語りだした。



「幼少から、思い当たる節はありました。遊んでいる時に、友人から「今楽しい?」って聞かれるんです。勿論、楽しいって答えます。実際に私は楽しいと思ってましたし。でも、ふと考えてみるんですよね、あれ、私、今楽しいのかなって。そうすると分からない。自分が何を感じてるのか、何を思っているのか分からなくなったんです。自分を見失うってやつですね。何を考えているのか分からないとか、本音を話さないとかも言われてきました。そりゃあ、聞かれたら答えますよ。ただ、本当にそう思っているかと尋ねられたら、そんなこと、私にも分かりません。いや、分からなくなって当然だったんです。友人と行動する時、家族と話す時、そこに私は居なかったから。私は空っぽなんです」



 身なりはちゃんとしていた。

 髪は1つに束ねており、ブルーのストライプのシャツに、黒いズボン、黒い靴。よく見るオフィススタイルである。薄化粧だが、ちゃんとしているように見えた。ただ、駅で待ち合わせてからこの部屋へ来るまで、僕が話しかけるばかりで、女はほとんどはいとか、そうなんですか等としか言葉を発しなかった。人見知りではない、独特な雰囲気を持った方だと思った。




「雨って」


 ズボンの裾が濡れているようで、水を絞るように手でぎゅっと握る。


「すごく嫌いです。私、雨女なんですよね。良いことがあっても雨は気持ちを台無しにする。憂鬱になります、これ、私だけですかね」


「い、いや、僕も雨は憂鬱な気分になりますよ。外、大雨で濡れましたか。多分タオルがあったと思います」



 そう言って立ち上がり、狭い事務所の隅にあるロッカーを開けた。上段に、開いていないタオルを見つける。赤い金魚のキャラクターが印刷されたタオルだった。随分昔に銀行で契約か何かをして貰ったものだろう。


「いいのを発見しましたよ。これ、ちょっと懐かしいですが」


 袋から取り出して手渡す。


「ありがとうございます。ああ、何か見たことありますよこのキャラクター」


 女は顔を上げて礼を言った。一応、会話は出来るようだ。真正面からじっと目を見られ、気まずさを感じる。

 女は濡れた足首を拭いた。


「ちょっと一息ついてから取材をと思っていたんですが……。そうだ、お茶でも淹れましょう」


「そうですね」



 キッチンへと向かい、女のきちんとした名前を聞いていないことに気がついた。ニックネームは透明人間だが、そもそも透明人間は固有名詞が入っていないので呼びにくい。透明人間のなになにさんなら分かるが。

 やかんを火にかけ、急須にお茶っ葉のパックを入れると女の前に戻った。


「あの、透明人間さん、お名前は何というのですか。僕は何とお呼びすれば良いでしょう」


 そう尋ねると、女は首を傾げた。


「匿名で良いという話ではなかったですか。透明人間に名前など必要ですか」


「えぇ、まあ、匿名で良いんですが。僕が呼びにくくて」


「じゃあ、私はヒラノです。好きな小説に出てくる登場人物の名前です」


 透明人間のヒラノさんは笑った。


「ヒラノさんですね」


 ポケットから名刺を出して、ヒラノさんに渡す。


「渡すのが遅くなりましたが、ライターの岡徹と申します。本日はよろしくお願いします」


「よろしくお願いします」



 まあまあ、お茶が入るまでどうぞゆっくりしてくださいなんて言いながら、僕は妙な女にインタビューをすることになった経緯を思い返した。



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