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10.きみが最後にくれたもの。

 帰れるくらい落ち着いたときには、校舎前はだいぶ静かになっていた。むしろほっとした。さすがに、泣きはらした顔を見られたくはない。

 塗装の剥げてきた自転車に乗って、校門を出る。道の両脇に、ふくらみかけた桜のつぼみ。咲く前でよかった。風に吹かれて散るところを見てしまったら、きっとあの人に重ねてしまうから。

 結局、彼女に行ってほしくなくて。前なんて向けそうにない。

 ――ああ、いやになる!

 立ち漕ぎに変えて、ペダルを思いっきり踏み込んだ。冷たい風が顔に当たった。



 ☆



 家に誰もいないのは知っていた。お母さんは今頃ママ友さんと喫茶店で、お父さんは仕事。

 何度も留守番をして、家事を覚えた今だって、家にひとりきりは嫌いだ。――でも、今だけは。誰もいなくてよかった。泣いてるところを見られなくて済むから。

 ――うううっ。ぐすっ。

 外でこらえていた涙が、止まらない。かなしい。かなしいさびしいどうして。玄関のたたきが少し濡れた。ハンカチ――は使い物にならない。いいや、もう。着替えて寝る。どんなときでも、寝てる間だけは安らげるから。

 階段を駆け上がって突き当たり、自分の部屋に入る。制服のボタンを外す。外す外す外す。ブラウスも同じ。上から3つ目が、引っかかってうまくできない。うぐっとなる。外す。

 制服とブラウスをまとめて脱いで、勉強机の上に放り投げた。ものは大切にって、わたしの中の母さんが言う。いつもはそんなことしてないでしょ、って。当然わかってる。けど。


 ――あっ、ポケットにハンカチ入れたままだ。洗濯出さないと。

 机に駆け寄る。制服の左ポケットに入れた手が――ハンカチじゃない、なにかに触れた。

 これは――折りたたまれた、手紙?

 開いてみると、コスモス柄のきれいな便せん。差出人は彼女だった。桜の柄じゃ、ないんだ。

 丸っこいけど丁寧な字。吸い込まれるみたいに、視線が1行目に向かう。



 ☆



 牧ちゃんへ


 久しぶりに、人にお手紙を書きます。うまくまとまってなかったり、字が汚かったりするかもしれません。ごめんね。

 なんでこんなものを、ってきっと思うよね。答えは簡単。牧ちゃんと向かい合ったときに、言いたいことを素直に言える気がしないからです。あたしはね、牧ちゃんが思ってるよりきっと、ずっと見栄っ張りなんだよ。ええカッコしいなんだよ。会話じゃ本音の1割も言えるか謎だから、残りの9割を埋めようと思いました。直接話すときと同じこと書いてる部分あるかもだけど、許してね。

 何から書くか迷ったけど、シンプルに行きます。この3年間、牧ちゃんと一緒に陸上ができてとっても楽しかったし、たくさん刺激を受けました。本当にありがとう。目標に向かってストイックに突っ走ろうとするところ、尊敬してるよ。きみの目標になれたこと、とっても誇りにしてます。

 嘘っぽいって思ったかな。仕方ないんだけど。「いつもにこにこ柔らかいから逆に不安になる」って最近言われたの。そうかもって思った。

 でも、この気持ちは本当だよ。

 あたしは、なんだって楽しくやれたらそれが一番だと思ってる。陸上もそうやって続けてきたつもりだった。でも、『楽しくやる』がいつのまにか『苦しくならない程度にやる』になってたのかも。

 望んで苦しくなりたくはないけど、真剣にやってたらそういうときもあるよね~。あたしは、苦しんだり傷ついたりを無意識に怖がってたんだろうなあ。フォームだって、最初は本当にくせだったけど、まあまあ走れてたから別にいいやってなって、それで固定されちゃった。いろんな人から指摘されたけどね。考えてみたら明らか非効率だし、本気で改造しようとすればできたんだと思う。でもやらなかったのは、まあ、甘えだよね。

 インターハイで牧ちゃんに初めて負けてやっと、こんなんじゃいけないって気づけたの。

 抜かれた瞬間、正直ね、びっくりした。牧ちゃんを下に見てきたつもりはなかったんだけど、びっくりしたってことは、そういうことなんだよ。思い返したら、牧ちゃんが今年の春くらいからどんどんタイム詰めてきてたのに、えらいね~すごいね~って言ってたんだもん。危機感ないにもほどがあるよね。

 やっと自覚したよ。あたしは、きみを舐めてました。牧ちゃんはすごいよ。このまま、末永く活躍できるよう、祈ってるからね。

 きっと大丈夫だよ。でも、根は詰めすぎないようにね。あたしはどうもおせっかいらしいので、心配しちゃいます。迷惑だったらごめんね。

 でも、牧ちゃんがひどい肉離れやる直前、自分を追い込みすぎなんじゃないかって内心心配してたのに声かけられなかったの、まだ気にしてるんだ。会話を回すのはできても、本当に大事なことは言えないんだなって。責任持つの怖がっちゃうなって。反省した。先生目指そうと思ったの、それもあるんだけど。

 だから、一度お別れをする前に、言いたいことを言わせてください。


 牧ちゃん。ゆっくりでいいので、陸上を好きになってほしいです。あたしじゃなくて。さっきも書いたけど、わたしを目標に選んで、追いかけてくれたの。とってもうれしかったよ。でも、あたしはもう、陸上選手をやめるわけです。きみの目標はいなくなります。

 前に「陸上は好き?」って聞いたとき、答えに詰まってたよね。そんな牧ちゃんは、あたしがいなくなったら、どうするんだろう。せっかく気持ちよさそうな走りになってきてるのに。傲慢な自覚あるけど、ちょっと心配になります。陸上を楽しめさえすれば、つらいことがあっても立ち直れると思うんだ。

 なにか他に目標を見つけたり、陸上やってて楽しかったことを思い出してみたり。そうやって、陸上自体を楽しめるなら、牧ちゃんは最強ガールになれるよ。きっと。

 陸上以外の趣味を持つのもよさそう。もうあるかもだけど。

 とにかく、あたしがいなくても、前を向いて健やかでいてほしいです。ほんと上からな言い方になっちゃったけど……。

 だいじょうぶだよ。あたしはたしかに、自分でも予想外な進路をとる覚悟をしたけど。一度、高校までのみんなと離れることを決めたけど。牧ちゃんのことは、ずっと応援してるからね! それに、陸上に関わるつもりなのは、お互い一緒だよ。立場は違っても。だから、いつかまた会えるよ! 


 牧ちゃんのアスリート生活が、素敵なものになりますように。あたしも、先生として、陸上の指導者として、子どもたちが明るく豊かに育つお手伝いをがんばります。まずは大学でお勉強だなあ。


 それじゃ、締めといきましょー。牧ちゃん、大好きだよ! じゃあね!


 きみの友達でライバル 丸森さくらより



 ☆



 無理やり封筒に詰め込んだのがわかる、便せんの数。それで、たくさんの想いを浴びる覚悟はしてたけど。こんな大切にされてるなんて正直、思ってもなかった。さくらさんは人当たりがいいから、こっちが一方的に気にしてても迷惑がらないでくれてるだけ。話しかけてくるのも彼女が社交的だからで、わたしだけに特別そうしてるわけじゃない。嫌われてはなさそうだけど、意識もされてない。別にそれでいい。そう、思ってた。

 実際はいろいろ気にされてたなんて。ケガのことも、言われてみれば謝られたなあってくらいで。別に、どうも思ってないのに。

 彼女がええカッコしいを自称したのも、たぶん謙遜じゃなくて。きっとわたしたち、遠慮とか見栄張ったりしてないで本音でぶつかれば、もっといいライバルになれたんじゃ。いまさら、そう思う。


 わからない。なんて言えばいいんだ。うれしい。悔しい。さみしい。感謝したい。どれも合ってるようでなにか違う。全部正解かもしれないけど、まだ受け止められそうになくて。

 ――それでもわかるのは。わたしは前を向かなきゃいけない、ということ。進路が決まっているんだ。アスリートになるんだ。まずは実業団で目の前のことをがんばろう。その中で、陸上を好きになれたらいいな。


 胸がぎゅっとつかまれるみたいに痛い。やっぱり、悲しいしさみしい。だけど、


 ――さくらさん、ありがとう。お互い頑張ろうね。


 それも本心だった。


 封筒ごと、手紙を机の引き出しにしまう。お守りみたいにしたら、引かれるかな。


 あっ。上半身、肌着のままだ。3月になったばかりで肌寒いのに、全然気づかなかった。

 それくらい手紙に心奪われていたのが、こっぱずかしくなる。けど、いやじゃない。

 風邪は引きたくないから、服を着ないと。どれにしよう。なんだか、パステルカラーの気分だ。明るくてやわらかい、彼女みたいな、色。

 服を着たら、アドバイス通り趣味でも調べてみようかな。楽しくて、気軽に始められて、自分に合いそうなのを。

 いつのまにか日が差して、昼寝日和になっていた。もう、ふて寝はしないけど。眠たくなりそうなぽかぽか陽気。

 春がもう、そばへ来ていた。

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