その2/ジンギスカン
■その2/ジンギスカン
ご存じ、あのドーム型鉄板で羊の肉を焼くアレだ。以前、琴似のスーパーに入ったら、牛肉より大きなスペースで羊肉売り場があり、さすがと思った。東京のスーパーでは、精肉売り場の隅っこの方に一列あれば良い方だというのに。
ジンギスカンを初めて食べたのは、札幌に初めて行ったときだ。「名物を食べなければ」というおのぼり心からで、それまではジンギスカンどころか、羊肉自体食べた記憶がない。
初めて食べた感想は
「こんなうまい物があったのか」
それ以来、札幌に行ったときには最低1食はジンギスカンにしている。どちらかというと、私は焼いた肉をタレに漬けて食べるよりも、タレに漬け込んだ肉の方が好きである。このつけ込みタイプでは松尾ジンギスカンが有名だろう。
ただ、ジンギスカンの高い店はやはりおいしいが不満もある。
まず、焼き方がわからない。
焼く鉄板の形が変わっているだけで普通に焼けば良いのかと思えばそうではないらしい。それでいて、ネットで調べると焼き方がバラバラである。
あるページでは、野菜をあの鉄板の上に敷き詰めるように焼き、その上に肉をのせて焼く。つまり野菜の水分を使っての蒸し焼きだ。
別のページでは、野菜をあの鍋の縁を囲むように並べ、中央の空いた部分で肉を焼くとある。
かと思えば、上二つの合わせ技で、野菜をまず縁に並べて肉を中央で焼き、その肉の上に野菜をかぶせるというのもある。蒸し焼きの徹底化だろうか。
と思えば、ジンギスカン鍋と網を乗せた普通の七輪とを出して「この肉はジンギスカン鍋で、こちらの肉は網焼きでどうぞ」と肉ごとに焼き方を変えるよう指示する店もある。
訳がわからない。
何でもジンギスカンは歴史の浅い食べ方で、実は未だに「これだ」という焼き方がないらしい。だからこそ、各店で「うちの店ではこの焼き方が一番美味しく食べられる」というのをアピールするのだ。
だから店ごとに焼き方が違う。店ごとというか、肉ごとというか。
羊肉自体はとてもおいしい。私個人は1番美味しい肉だと思っている。だから食べたいし、だから迷っている。
そんな迷いだらけの中、私が一番に謎に思っていることがある。
それは「なんで自分で肉を焼かなければならないのか?」である。
何言ってんだこいつと思われそうな不満だが、私にとって重要な問題である。
ハッキリ言おう。私は焼き方が下手だ!
特に野菜。何回やっても頃合いがつかめず、半生の状態か、半分炭になった野菜を口にすることになる。店によっては肉から出た脂が鍋の縁にたまり、それと野菜の水分が絡んで半分煮たようになるなどと書いてあるが、そんな現象が起こったことなど一度もない! かろうじて、つけ込み肉を基本とする松尾ジンギスカンでそれに近いことが起こるが、それでも水分やタレで煮たという状態ではない。
肉は脂身が少なく、流れ落ちなどしないし、水分など溢れる前に蒸発して後に残るのは黒焦げの元野菜ばかりである。
そもそもおかしくないか。
専門店ほど、肉のうまさ、質の良さをアピールしている。うちの肉は美味しいですよと笑顔で語る。
そんなうまい、自慢の肉をどうして素人に焼かせる!?
良い肉だからこそ、プロが焼いて、最高の焼き加減にしてお客に提供すべきではないか。
実際、専門店以外では焼いた肉や野菜を皿(鉄板)に盛ったものをジンギスカン定食やジンギスカンセットとして提供する店が結構ある。上記の松尾ジンギスカンなど、新千歳空港のフードコートではすでに焼いてある状態で提供する。実際は各席で肉を焼かれてはたまらないという事情によるものだろうが。そういうものでも充分うまい。それに、これならば上記のような焼き方の謎も解決する。
こんな不満を語ると、
「ジンギスカンにとって、自分で焼くことも大事な要素なんだ。人に焼かせ、食べるだけならそれはジンギスカンではない。ただの羊の焼肉定食だ」
と何度も返された。さらに
「ジンギスカンはみんなでわいわい騒ぎ、楽しみながらするコミュニケーションツールみたいなものだ。バーベキューみたいなものだ。そもそもおひとりジンギスカンなんてものがおかしい」
と言われたこともある。ただ、さすがにこちらは専門店でもおひとり用カウンターを設置する店が多くなったこともあり、最近聞かなくなったが。
そんな人達に私は言おう。私は羊の焼肉定食が好きだ。それに、コミュニケーションツールと言っても、バーベキューだって実際に焼くのは1人か2人で、ほとんどの人は食べるだけである。
だからジンギスカン専門店にはお願いしたい。
メニューに「焼きまかせ/当店の料理人が最高の焼き加減で提供いたします。お客様自身が焼く必要はありません」というのを加えて欲しい。少しぐらいなら別料金として請求してもかまわない。
いや、本当にお願いします。