第82話 婚前式
王都フォーガンの王城の北側地区。
かつて貧民街があり、テロ事件の際の戦闘の余波により焼き野原となったこの場所は、この2年の間でかなり整備が進められていた。
だが元々が貧民街という事もあり、その印象が拭えないせいか、未だ建物は多く無く、この王都の中でも開けている場所が多い。
そんな北側地区の北端には荘厳とは言えないものの、決して小さくは無い教会が存在する。
神を崇めるという風習が無く、殆どが無神教のこの世界において、唯一と言って良い宗教であるサイヴァラス聖教の教会である。
テロの犠牲者への追悼の意味も込めて、最も被害の大きかったこの北側地区で最も早くに建造されたのだ。
教会の主目的は布教にあるが、対立宗教が無い為にそこまで勧誘に熱心では無い。
故に教会は人々の利用しやすい場所として認知され、他の目的で使用される事が多い。
子供達の学び舎の場として。
年寄り達の集会の場として。
そして冠婚葬祭の場として。
その教会の一室でシアニーは純白のドレスに身を包んでいた。
「とてもよくお似合いですよ、シアニー様」
着付けを行った妙齢の女神官が笑顔を向けながら彼女を姿見の前に立たせる。
ドレスはオフショルダーのワンピースタイプでスカートの裾は膝丈辺りから細かい刺繍が施されたシースルーになっている。
彼女の実りを迎えた小麦の穂のような金色の長い髪は後ろで結い上げられ、宝石の散りばめられた豪華な髪飾りで彩られている。
その顔にやや濃いめの化粧が施されたシアニーの全身が姿見に映し出されている。
彼女のこれまでの人生で、これより華美なドレスを着た事もあるし、当然、化粧などもした事がある。
だがトレードマークとも言える変則ツインテールを解き、結い上げただけで、まるで別人のような自分がそこには居た。
だが、それで良いのだ。
(そう。今までの私は今日ここで消えるの。今日の式はこれまでの自分とは別の、全く新しい自分に生ま変わる為の儀式)
この婚前式が終われば、シアニーはアレスと夫婦となる。
結婚式そのものは学園の卒業後に執り行われるので2年以上も先の話だが、王族同士の結婚式ともなれば、各国首脳を招いたり、パレードを行ったりと大々的に行わなければならない為、長い準備期間が必要となる。
結婚式自体は国民や諸外国に知らせ、認知させる為の儀式にしか過ぎず、それ故に親族や身近な関係者だけを招いたこの婚前式こそが、実質的に永遠の愛の誓いを立て、夫婦となる場と言えるのであった。
(これで皆が幸せになれるんだから……これが最良の方法なんだから………)
そう自分に言い聞かせ、嵌めている仮面に何重にも鍵を掛け、更に強固なものにしていく。
「そろそろお時間です。アレス様がお待ちかねですよ」
「ええ。では参りましょうか」
その表情は既に明朗快活な少女のものではなくなっていた。
凛々しくも美しく、そして高貴にして威厳のある王族としての表情。
それは第一王女、そして将来の王妃となる鋼の仮面が、シアニーの本当の顔と心を完全に覆い隠した瞬間だった。
同じ頃、別の控室にいるアレスは笑いを止める事が出来ずにいた。
「ようやくだ。ようやくこれで安心が出来る」
ずっと懸念していたシアニーの手綱を遂に握る事が出来た。
アメイトの家と友人という人質が居る限り、彼女はもう彼から逃れる事は適わない。
完全に操り人形と同じだ。
本当ならば2年前にミルフォードが死亡した時にこの結末になるはずだった。
だからこそ2年前に計画を実行に移したのだ。
だが彼の思惑通りにはいかず、描いていたシナリオは修正せざるをえなかった。
計画を練り直し、綿密且つ入念に、そして慎重に事を進めた。
おかげでこの2年の間に彼の計画が他に漏れる事は無く、更なる確実性を増す事も出来た。
そしてシアニーとアメイト家を手に入れる事で、完全に彼を阻む障害は無くなる。
今日の婚前式。
その最中に執り行われる家同士を結ぶ剣結びの儀式さえ済んでしまえば、後は一気に計画を進め、覇道を進むだけだ。
「そうだ。ここまでくれば、もう恐れるものは何も無い!」
アレスが愉悦に浸っていると、彼の居る控室をノックする音が聞こえてくる。
「失礼致します、アレス様。今ほど花嫁の準備が整ったとの連絡がありました。ご準備はよろしいですか?」
側近のキザーヲが恭しく頭を垂れながら、控室の扉を開く。
「ふん。女は準備に時間が掛かって煩わしい……が、それもまた一興か」
後1時間もすれば婚前式も終り、彼の描いていたシナリオは再び動き出す。
ここまで2年間も待たされたのだから、この程度の待ち時間も楽しみの1つに過ぎなく感じられるようになっていた。
それはもう邪魔が入らない事を確信した余裕から生まれたもの。
「式の最中、くれぐれも邪魔が入らぬよう、警備を怠るなよ」
「はっ、心得ております」
少人数の関係者しか居ないとはいえ、ここに集った顔ぶれの殆どは王侯貴族や有力者だ。
2年前のテロの事もあり、キザーヲ率いる王国騎士団が、教会内部はもちろん、教会を中心とした半径100m以内には誰も立ち入る事が出来ないよう万全の警備を敷いている。
裏手には布を被せて覆い隠してあるが、騎士団所有の魔動機兵“シェイティア”も待機しており、即座に対応出来るようになっていた。
だがそれは建前に過ぎない。
彼が気にしているのは、もっと別の存在だ。
(だが例えあやつでも許可が無くば、ここまでは来れまい)
この厳重な警備の中、許可も無く素通り出来るとしたら父王だけだろう。
(それに足止めも有効に働いたようだしな)
信頼のおける部下からの報告に間違いが無ければ、まだ王都にも辿り着いていないはずだ。
もし辿り着けたとしても、婚前式が終わるかどうかというタイミングのはずである。
「では行くぞ」
キザーヲを従え、アレスは控室を出る。
厳重体制の中、アレスとシアニーの婚前式は、今正に始まりを迎えようとしていた。
* * * * * * * * * *
「なんか、場違いな気がしてならないんだが……」
レリアは落ち着かない様子で周囲に視線を向けながら、当てがわれた席に座っていた。
右を見れば豪奢なドレスで着飾った貴婦人が羽毛で作った扇のようなもので口元を隠して優雅に座っているし、左を見れば両手にこれでもかという程数多くの指輪を嵌めた、いかにも貴族といった出で立ちの太めな中年男性が居る。
奥を見れば一段高い場所に真っ赤な絨毯が敷かれ、他より豪華な玉座の様な椅子がある。
国王はこの婚前式に出席はしないらしいので、あの席には王妃が座る事になるのだろう。
そんな中にあって学生服姿の自分の姿は酷く浮いているように感じられ、尚更挙動不審に陥る。
「全く。キョロキョロするな。僕達は学園長の護衛兼学園生の代表としてここに居るのだ。気後れなんてせず、ドンと構えていればいい。そんな風に落ち着きが無いと笑われるぞ。まぁ、貴族で無い身にとってはこの場の雰囲気は馴染めないものだろうがな」
「そっちこそ成り上がったばかりくせに……」
隣に座るレグラスの言葉に嫌味で返すが、成り上がりとはいえ貴族は貴族。
この数年、貴族同士のパーティーなどにもいくつか出席している為か、レグラスは落ち着いている様に見える。
「しかし改めて考えると、彼女って本当なら雲の上の人間なんだよな……」
2年前の対抗戦以降、シアニーは険が取れた様に物腰が柔らかくなり、身分差を排したシンロード魔動学園という環境のせいもあって、最近では王族らしさは殆ど感じなくなっていた。
だが王侯貴族が集うこの場に実際に身を置き、ここにいる全員がシアニーを今回の主役の1人として見ているという事実に、彼女が本当に王族であり、第1王位継承権者の妻となる人間である事を実感する。
「……けど、あいつは本当にこれで良かったと思っているのか……」
「自らがそれで良いと判断したのだったら、周りがとやかく言っても仕方が無い。王族の女子なんてものは、大概、自分の意志とは無関係に結婚相手を決めさせられる。場合によっては結婚式の当日まで相手の顔さえ分からないなんて事もある。それから考えれば、決定権があっただけ幸せな方だろう」
政略結婚が当たり前にある王族貴族の中にあって、確かにシアニーは良い方と言えるだろう。
アレスの見た目はかなりのイケメンだ。
役職も騎士団のトップであり、しかも次期国王筆頭候補。
普通に考えればそんな彼に見初められたら文句などある筈も無い。
例え政略結婚だろうと、例え愛が無かろうと、こんな条件を受けない女性は存在しないはずだ。
だからレリアが言った“あいつ”とは、シアニーの事では無くショウマの事。
レリアとしては最大のライバルが減った事を喜ぶべきなのかもしれないが、ショウマが自分に対し友人や戦友以上の感情を抱いていない事はこれまでの付き合いの中で分かっている。
それに彼の心の内に秘めた想いにも気が付いている為、レリアの心境も複雑で、素直に喜ぶ事は出来なかった。
「そろそろ始まるようだぞ」
レグラスに声を掛けられ、我に返ったレリアは顔を上げる。
気が付けば、いつの間にか奥にある豪奢な玉座型の椅子には王妃が座っており、次の瞬間には、脇に控えていた声楽隊の子供達が優しげで楽しげな歌を歌い始める。
後方の扉から最初に出てきたのは、金糸で装飾が施された真っ白な燕尾服を着たこの婚前式の主役の1人、花婿のアレス。
声楽隊の子供達と王妃以外の全ての参列者が立ち上がり、深々と頭を下げて、アレスを迎える。
最前列まで進んだ彼が振り向くと同時に再び後方の扉が開かれ、そこからもう1人の主役である花嫁が姿を現した。
そこに居たのはレグラスもレリアも見た事が無いような絶世の美女。
煌びやかで華やかで、だが品位と淑やかさを併せ持った花嫁の姿。
その姿に参列者の誰もが思わず見惚れてしまい、そして慌てて頭を下げる。
(あれが本当にあのシアニーなのか?まるで別人みたいに綺麗で……けど、どこか儚い………)
化粧やドレス、髪型の違いだけでは無い。
彼女の持つ雰囲気そのものが、まるでこの世のものとは思えない印象を与えていた。
あまりに綺麗過ぎるからなのか、人間らしさというものが全く感じられないのだ。
「……あれが……あいつが自分で選んだ結果…なのかよ……」
声楽隊の歌で掻き消され聞き取りにくくなっていたレグラスの小さな呟きは、隣にいたレリアの耳には届いていた。
頭を下げたまま、チラリと彼の表情を窺うと、その顔は苦み走っていた。
レグラスはシアニーの今の雰囲気を知っていた。
彼がショウマをライバル視するまで、その対象はシアニーであった。
だから分かってしまった。
今の彼女は自分がライバル視してきた頃の彼女だ。
自分の周囲に壁を作って孤高を気取り、全てを自分より下と蔑んで無関心な振りをして、自らの氷でその心を閉ざしていたあの頃の彼女とよく似ていた。
いやその時以上に頑なな状態かもしれない。
ショウマという太陽によって氷解したはずの氷の檻の中に、彼女が自らの足で閉じ篭もり、更には永久凍土で覆ってしまった事が、彼には分かってしまった。
自らが望んで受け入れた事だから良い方だ、なんて言ったつい先程までの自分を殴り殺したい気分だった。
あれはもう人では無い。自動的に動くだけの人形だ。
自ら望んでこの結婚を受け入れた訳ではないのが、その感情の少ない表情から窺える。
きっと本来の自分という存在を殺して、心を閉ざして人形となる事でようやく受け入れる事が出来たのだろう。
何故そこまでする必要があるのか、その理由をレグラスは知らない。
ただ1つだけ分かる事がある。
それはシアニーにはもう幸せが訪れないであろうという事。
けれどそれが分かった所でレグラスに何か出来る訳でも無い。
先程レリアに言われた通り、レグラスのクローブ家は数年前に成り上がったばかりの貴族だ。
この教会に居る王侯貴族の中で最もその地位は低いだろう。
この場に参列出来ているのも、イーグレット学園長が口利きをし、学園の代表として認められたからに過ぎない。
本来なら彼はこの場にいる事すら許されていない地位の人間なのだ。
そんな人間が王族に、それも国王の息子に意見する事など分不相応であり、取り合ってもくれないだろう。
場合によっては不敬罪で捕らわれる可能性だってある。
だからもうどうする事も出来ない。
レグラスには頭を上げた時に、その顔に悔しさが滲みでない様に取り繕う事しか出来ないのだった。
「それではこれよりオーレリア家、アレス=オーレリア=ド=フォーガン様とアメイト家、シアニー=アメイト=ラ=フォーガン様の婚前の儀式を執り行います」
花婿と花嫁が最前列に揃った所で、正面に立つサイヴァラス聖教会の神父は開式を宣言。
そして盛大な拍手と共に婚前式は始まったのであった。




