第62話 憎しみの漆黒と絶望の闇黒
「なんなのじゃ、あれは!」
足止めしていたテロリストを全て打ち倒し、王城へと向かっていたフォルテギガンティスに向けて走っていたソディアスは、突如、不快で異様な空気を感じる。
背筋を虫が這い回る様な悪寒が走り、これまで出会ったどの悪夢獣よりも嫌な気配で全身の毛が逆立つ。
寒くも無いのに奥歯が細かくガチガチとなる程に震え、暑くも無いのに全身から汗が噴き出てくる。
知らない内に頬は引き攣り、身体はまるで重りを付けて水の中にいるように重く、動きが鈍くなる。
今までより高い建物の屋上へと上がった所で、その原因を生み出した者の姿が目に入る。
「……あれは………少年の機体……なのか?」
元凶はフォルテギガンティスではなく、その前に剣も構えずに無造作に立っているだけの白銀の魔動機兵“シルブレイド”だった。
見た目は全く変わっていない。
だがその身に纏う気配は、邪法によって悪夢獣化したフォルテギガンティスに似ていた。いや、そんなものの比では無い。
しかし邪法を使っているなんて事は、絶対にありえない。
闘機大会に出場する際には、必ず大会運営側のチェックが入る。
もし邪法を使用していれば、その時点で必ず発見される。
闘機大会に出場した時点で邪法を使用していない事が確定済みなのだ。
それに今のシルブレイドには、悪夢獣化の際に出て来る漆黒の触手が見当たらない。
だが雰囲気は完全に悪夢獣のそれと酷似している。
全く訳が分からない。
だが、あれが酷く危険なものだという事は彼自身の心と身体が如実に教えてくれていた。
『ダ……ダ…メ…………』
ソディアスが更に近付くと、か細い少女らしき声が聞こえてくる。
それは穴だらけになった王城の方から聞こえてきた。
『おぬし、大丈夫か?!』
フォルテギガンティスが王城に背を向け、シルブレイドと向き合ってくれたので、ソディアスは簡単に王城へと向かう事が出来た。
多くの者が命を失った証拠である赤い斑点が疎らに見える半壊した王城の中で、声を発する存在を発見する。
崩れた瓦礫に半ば埋もれていたが、蒼白の機体には見覚えがあった。
「アメイト家の一番下の嬢ちゃん……シアニー嬢の機体じゃったか」
意識は無いようで、まるでうわ言のように「ダメ」という言葉を繰り返している。
瓦礫を退かそうとソディアスが動き始めた直後、フォルテギガンティスは8本の脚を駆使して、驚異的な跳躍力でシルブレイドに襲い掛かっていった。
押し潰されると思ったが、衝撃すら感じない。
「しかしまたとんでもないものが出よったのう?」
化物のように巨大なフォルテギガンティスをシルブレイドは片手で受け止め、掴み上げているという信じられない状況にソディアスは驚愕よりも先に恐怖や畏怖の方を強く感じる。
更に掴んだ脚からまるで黒い触手を吸収していくかのように、手を、腕を、肩を胸を、腰を、脚を、そして頭を、白銀に輝いていたシルブレイドの鎧甲がみるみる内に闇色に染まっていく。
続けて振り落とされた拳も軽々と受け止めた後、掴んでいた脚を軽く捻っただけでフォルテギガンティスは天地逆さになり、地面へと叩き付けられる。
それからはもう戦いでは無く、ただの破壊、いや殺戮だった。
圧倒的な暴力の前にフォルテギガンティスが沈黙するのは、すぐだった。
シルブレイドは暫くの間、完全に動かなくなったフォルテギガンティスを見下ろす。
再生する様子が無い事が分かると、顔を上げ、半壊した王城へと身体を向ける。
その視線の先には、ソディアスの乗るマントを羽織った純白の魔動機兵“ソルディアーク”が、エスト・アースガルトの上に積み上がっていた瓦礫を退かしている姿があった。
次の瞬間、物凄い殺気を感じたソディアスは、瞬時に持っていた瓦礫を背後へと投げ飛ばし、それと同時に長剣を抜き放つ。
いつの間にか間近まで迫ってきていたシルブレイドは、音も無く、瓦礫とソルディアークの剣戟を左手1つで受け止めていた。
『やりおるわ。じゃが、剣聖の名が伊達では無い事を教えてやろう!!』
剣が光を帯び、1歩を踏み込むと、それに押される様にシルブレイドが退がる。
フォルテギガンティスの踏み潰しさえ、完全に衝撃を受け切った闇色のシルブレイドが、同サイズのソルディアークの力に押されている。
『やはり力の源は悪夢獣と同じか。じゃが明らかに儂の知る悪夢獣とは違う。となると、やはり………』
悪夢獣の力の源である負の闇。
ソディアスの魔動力は、その闇を照らし、弱らせる事の出来る光の属性を持っている。
どんな強大な悪夢獣でも彼の前では弱体・無力化してしまうのだ。
だがあまりに強力であると完全に無力化する事は出来ない。
現に魔動力を全開放しているにも関わらず、僅かに押し込む事が出来る程度で、実力的には拮抗していると言えるだろう。
ソルディアークが更に力を込めるが、シルブレイドも力を込めて、押し留める。
『……シ……ショ…ウ…………マ…………』
拮抗する中、それは聞こえてきた。
意識を失い、うわ言のように呟くその声はソルディアークの背後にあるエスト・アースガルトから漏れ聞こえるシアニーの声。
その声が聞こえた瞬間、シルブレイドを覆っていた闇の力が僅かに弱まる。
それを逃すソディアスでは無い。
ソルディアークが長剣を振り抜く。
それと同時にシルブレイドはその力を利用して大きく後ろへと飛び退く。
だが先程までと比べると、動きが悪い。
飛び退いた先でも片膝を地に着けて今にも崩れ落ちそうな状態だ。
よく見れば全てを吸い込んでしまいそうな深闇色の鎧甲も心成しか、薄まっているようにも思える。
この機を逃すまいと、ソルディアークの長剣が周囲から更なる光の粒子を集めていく。
光はその密度をどんどんと増していき、10mを越える高密度の光の刃が形成される。
そして膝を着き、動けないシルブレイド目掛けて振り下ろす。
だがその切っ先がシルブレイドの頭部ブレードの触れるか触れないかというギリギリの位置で、ソルディアークは振り下ろす手を止める。
シルブレイドは剣から手を離し、まるで脱力したように両手を下ろして、戦う意思を失っていた。
しかしそれが決めてでは無い。
ソルディアークの放つ浄化の光のおかげなのか、それとも他の何かの要因かは分からないが、シルブレイドの鎧甲はいつの間にか深闇を洗い流したかのように白銀色に戻っていたのだ。
だが、まだ油断はしない。
刃を突き付けたまま、じっと待つ。
時折、崩れ落ちる瓦礫と揺らめく炎の音が聞こえるだけの物静かな時間が過ぎていく。
どれくらいその状態が続いただろうか。
全く動き出す様子の無いシルブレイドに対し、ソディアスはやや警戒を解いて、光の刃を霧散させる。
それでも動き出さないと分かり、ソディアスはようやく完全に警戒を解き、大きく息を吐く。
「どうやら、ようやく終いのようじゃの……しかしこれは………」
長き年月を堅固として名を馳せた城壁は無残に崩れ落ち、建国以来一度として壊される事の無かった王城はその半分を瓦礫に変えている。
王城の周囲を見れば、華やかだった街並みはその多くがヒビ割れ、崩れ、どこかくすんだ色をしている。
北側にあった貧民街などはその手前の街並みも含めて、まるで溶岩にでも押し流されたかのように溶けて抉れた大地が広がり、所々で火が燻っている。
耳を澄ませば、悲しみに泣き叫ぶ声や悲嘆に暮れる声が漏れ聞こえて来る。
テロリストは殲滅し、世界を滅ぼしかねない存在も消え失せた。
王都を襲った未曾有の危機は去り、戦いは終結した。
しかしその爪痕はあまりにも大きかった。
* * * * * * * * * *
アーシェライトは屋根を打つ雨音で目を覚ました。
清潔そうな白い天井とほのかに香る消毒液の匂いから、ここが病院であると分かる。
あれからどうなったのだろう。
気を失ってしまったので結末は分からないが、こうやって静かに病院のベッドに寝ているという事は、恐らく全て終わったという事なのだろう。
ショウマはどうなったのだろうか。
シアニーは、レリアはどうなったのだろうか。
その答えを見つけようと、アーシェライトはベッドから下りて窓際に近付き、カーテンを開けて外の様子を窺う。
黒い雲が空を覆い、死者を悼む様な雨が降り注ぐ王都フォーガンの様子は先日までとは比べようも無いくらい暗く淀んだ雰囲気を漂わせていた。
この病院のある付近は比較的被害が少なかったのか、倒壊している建物は少なかったが、周囲の空気は悲しみに包まれていて活気や生気というものが殆ど感じられない。
「目が覚めたようだな」
不意に病室の扉が開く。
振り向くと、そこにはレリアの姿があった。
「レリアさんはご無事だったんですね」
「ああ。騎士としては恥ずかしい事だが、あの化け物の雄叫びを聞いた直後、気を失ってしまったからな。怪我すらしていない」
「ショウマさんやシアニーさんは?」
「2人とも別の病院だが命に別状は無いそうだ。ただシアニーは全身打撲に加えて左腕を骨折。ショウマは外傷は無いが、かなり衰弱していたようだ。2人とも未だに目を覚ましていない」
全員の中で一番早くに意識を取り戻したレリアは、今のアーシェライトと同様に事態がどのように収束し、他の皆がどうなったのか解らなかった為、情報収集をしていたのだ。
そのついでという訳ではないが、時折、こうして各々の病室に立ち寄って、様子を見ていたのだ。
「テロの方だが、例のフェアリュートと呼ばれる機体と剣聖ソディアス様によって鎮圧されたと王家から発表がなされている」
どのようにしてあの悪魔のような化け物を倒したのかは機密事項で教えては貰えなかったが、もし事実と異なっていたとしても、フォーガン王家がそう発表したというのならば、それが真実となるだろう。
「それと同時にこのテロで亡くなった主だった人物も発表された。まずはフォーガン国王陛下」
「国王陛下が!?」
街の雰囲気が暗く沈んでいた最大の理由はこれだった。
国のトップが死んだとなれば、国内外に影響が出る事は免れない。
それがテロリストによって殺されたとなれば尚更だ。
普通は怪我を負って伏している等の理由をでっちあげて、落ち着くまで伏せておくのが普通だろう。
だが今回は王国祭という事で各国の首脳や重鎮が集まっていた。
彼らも多少、被害に遭い、そして被害を免れて生き残った者達はフォーガン王の死を直接、目撃している。
隠した所で直ぐに露見するのであれば、自ら発表した方が体裁を保てると踏んだのだろう。
それに実務全般を自身の子供達に預けていた事もあり、国王を喪ったとしても国を動かすのに問題が無かった事も要因の1つと言えるだろう。
「国王以下、王家ではミスルハ家当主・サリシス様、シェバ家当主・シック様――そしてアメイト家当主・ミルフォード様……他にもその縁者が多数亡くなっている」
「アメイト家。それって……シアニーさんの…………」
「ああ。彼女の父親だ。王都が落ち着いたら合同葬儀が開かれるという話だ」
レリアは更に他国の重鎮達の名を挙げるが、フォーガン国王とシアニーの父親以外では驚くような人物は居なかった。
「とりあえず今の所分かっている事はこのくらいだな。他に何か気になる事でもあれば、調べて来るが?」
今回、あまり役立てなかった事を気にしているのだろうか。
レリアは積極的に動こうとしていた。
だがそれは、何もしていないと、意識が戻らないショウマが心配で、不安に押し潰されそうだったからに過ぎない。
今、アーシェライトに話した内容もショウマが意識を取り戻した時に伝えようとしていたものだった。
「いえ、今はそれで十分です。僕もそれなりに元気ですし、すぐに退院出来ると思いますので、情報収集のお手伝いをします」
「そうか。だが、お前も目が覚めたばかりだ。あまり無理はするなよ」
「はい。ありがとうございます」
それだけ言うと、レリアは病室から出ていく。
1人になったアーシェライトは荒廃した外の世界を眺めながら、想い人と友人のの顔を思い浮かべる。
「ショウマさん……シアニーさん………」
2人が早く意識を取り戻すよう、アーシェライトは祈るのであった。
* * * * * * * * * *
「そうですか。そんな事が……」
「ふむ。あまり驚いておらぬと言う事は、おぬし、あの少年が異世界人である事を知っておった訳だな」
イーグレットに与えられた宿の一室で、ソディアスはショウマとシルブレイドに起こった事を報告していた。
「はい。当然、理事長もご存知です。というより彼の入学時に理事長から教えて頂きました。彼は魔動力が使えない為、色々と他の生徒と違うカリキュラムを考えなければなりませんでしたしね」
「アイリッシュ様も自身の目の届く場所に置いておきたかったという所じゃな」
「はい、そうですね。一応、教師達には魔動力が極端に少ないと説明してあります。異世界人であるという事は伏せてはありますが、恐らく気付いている者は居るでしょう」
「まぁ、他の者の事は今は良い。おぬしはあの少年が異世界人であるという事を知っておった。つまりはその危険性も知っておったということじゃな?」
「正直、剣聖様からこのお話を聞くまでは、半信半疑でした。実際にこの目で見た訳ではありませんし、理事長からもそう言う危険性があるという話しか聞いてませんでしたから」
「そうじゃろうな。儂も幼少の頃…今から70年近く前に1度見ただけじゃからな。直接この目で見た儂ですら、その印象は既に朧じゃ。一度も見た事の無い若い者はあれを知らぬとも仕方が無かろう」
「……悪夢獣を遥かに凌ぐ存在。世界に絶望を振り撒く存在。最凶にして最狂、そして最恐の存在。それが悪しき夢……悪夢ですか………」
悪夢。
その存在は太古の昔から、様々な文献で確認されていた。
魔動王国などは悪夢によって滅ぼされたとも言われているし、救世の騎士の伝承にも出て来る。
だが悪夢というものが、どんな存在なのかは詳しい資料は残っていなかった。
幼い頃に実際に見たはずのソディアスでさえ、明確には記憶していない。
だが、その理由は今回、フォルテギガンティスとシルブレイドの姿を見て、なんとなく理解した。
圧倒的な恐怖と絶望感は人々の心に深く突き刺さるが、その恐怖から逃れる術は簡単。
忘れる事だ。
恐らく人間の自己防衛本能なのだろう。
心の奥底に深く刻まれた恐怖は、やがてその心の全てを蝕んでしまう。
そうならないよう悪夢が消滅すると記憶は薄れていき、同時に心の中を支配していた恐怖も薄れていくのだ。
それ故に悪夢という恐怖の存在が居る事は知っていても、その姿を明確に思い出す事が出来ない。
ただ悪夢そのものの記憶が薄れていっても、分かっている事が1つだけある。
それは悪夢の出現前には必ずといって良い程、魔動力の無い人間――つまり異世界人の存在が確認されており、異世界人が何かしらの原因で悪夢化していると推測されていた。
「恐らくそうじゃろう。邪法により悪夢獣化したフォルテギガンティスを軽くあしらっておったからな。それに近いものになりつつあったのは間違いないじゃろう。何故元に戻る事が出来たのかは不明じゃが、危うい事には変わりは無い」
「もしかすると造聖様もその危険性を感じ取って、異世界人であった救世の騎士の事を最も良く知るアイリッシュ理事長の元に送ったのかもしれませんね」
「う~む。そうかのう……あいつにそこまでの考えがあったとは儂には思えんが」
同世代という事もあり、ソディアスは造聖のトゥルーリの事を良く知っている。
確かに頭は良いと言えるだろうが、それは魔動技師として見た場合に限る。
その性格は剛毅で、魔動具に関わる事以外は意外と大雑把。
そんな所まで考えがあって魔動学園にショウマを入学させたとは思えない。
「まぁ、なんにせよ、少年の事は今は学園に任せるとしよう。幸い、儂以外には悪夢になりかけた事は知られておらぬようじゃからな。じゃが、もし再びあの少年が悪夢の力に身を委ねた場合は――」
「はい、それは重々心得ております」
静かな口調でイーグレットは頷くが、その心の内は穏やかでは無かった。
ソディアスの言いたい事は分かっている。
もし完全に悪夢化してしまえば、この国どころか世界そのものが滅びる危険がある。
そうなる前に彼の命を絶たなければいけない。
しかしショウマは直接的では無いにしろ、彼の教え子であり、前途ある若者だ。
闘機大会の戦いぶりを見るに、将来有望で、正しく新たな救世の騎士になり得る資質を持っているだろう。
だがだからと言って、世界と天秤に掛ける訳にはいかない。
もし決断を迫られる事があれば、世界を取る以外に道は無い。
イーグレットはそんな事態が来ない事を、ただただ祈るしか出来ない。
こうして王都フォーガンを襲った最大の悲劇の日は、多くの不穏と多くの悲しみを残したまま、幕を下ろすのであった。




