第45話 晴れ渡るはその心
長期休暇に突入した初日。
金色の髪を靡かせながらシアニーは街を歩いていた。
長い休暇といってもやる事は普段の休日と、そう変わらない。
朝起きたらまず自己鍛錬をし、昼前から自主的に街を見回ってスリや万引き犯などの小悪党を発見したら、それらを懲らしめて衛兵に引き渡す。
ただしここ最近は帰りがけに可愛い小物や綺麗な洋服を物色して見て回るというのが増えた。
「う~ん、個人的にはこっちのシンプルな方が良いけど、こっちのリボンが付いた方のが、あいつ好きそうよね…………って別にあいつが好きだろうと嫌いだろうと関係無いじゃない!」
ふと目に付いた雑貨屋に入り彼女が見ていたのは、可愛らしいお洒落な髪留め。
それを付けた自分とそれを褒めるショウマの姿を思い浮かべた所で、声を荒げて否定しながらブンブンと頭を振って、その妄想を振り払う。
頭の中で考えた事なので誰かに見られる事も無いし、彼女の独り言に聞き耳を立てている者も居ないので、そんな事をする必要も無い。
だが、つい無意識の内に彼の事が考えの中心になってしまい、それを自覚すると顔を中心に体温が上がり、誤魔化すかのように、ついつい否定の言葉が口から洩れてしまうのである。
1人の時でさえ素直になれないシアニーであった。
「ああ、もうっ!なんで私がこんなに思い悩まなきゃならないのよ!」
あの対抗戦の時、シアニーはショウマの事を自分にとって大切な人であると自覚した。
これまで恋愛経験も無く、疎い彼女でも、流石に自分の心の中に燻っていた気持ちをようやく理解した。
今だからそう思うのだが、あの日、初めて彼に敗北した時から、彼の事が頭を離れず、そしていつも目は彼の姿を追っていた。
口を開けば、よく口喧嘩になったが、それも今考えれば、それまでの優等生の王族という仮面を被っていた彼女からは想像も出来ない事だ。
ショウマの前でだけは素の自分を曝け出せていた。ある意味、素直になれていたのだ。
ただ自覚してしまうと、これまで培ってきた性格が素直になる事を邪魔してしまい、口からは否定の言葉が吐き出される。
素直になる事が確実に良い事であると思えないのも、その一翼を担っていた。
ショウマははっきりとシアニーの事を“親友”と言っているし、アーシェライトやレリアといった別の女性と楽しそうに会話している姿を幾度も見て来ていた。
彼が自分の事を親友以上に思っているのかどうか解らない限り、素直に自分の想いを伝えた時にどうなってしまうのか、不安で恐ろしいのだ。
上手くいけば恋人同士になる事もあるだろうが、最悪、気まずい雰囲気になって親友という今の関係さえ崩れてしまいかねない。
だから想いを告げたりはしないが、かといって想いを吹っ切っている訳でも、割り切れている訳でも無い。
だからこそこうして思い悩んでいるのだった。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
ふと声を掛けられてシアニーが周囲を見回せば、綺麗に手入れされた庭木のある見慣れた風景が広がっていた。
どうやら思案に耽っている内に、いつの間にか自宅へと戻って来ていたようだ。
声の主を探すと、庭木の手入れをしている初老の使用人がこちらに笑顔を向けていた。
「あ、はい。ただいま。いつもご苦労様ね。後でお茶を持ってこさせるから、少しは休んで下さいね」
末席とはいえ一応は王族であるアメイト家の庭は、それなりの広さがある。
それだけの庭を彼1人で手入れし続けているのだから、労うのは当然だ。
「ありがとうございます。いつもながらお嬢様はお優しいですね」
裏の無い真っ直ぐな言葉に、シアニーはいつもの事ながら照れてしまう。
自分が天の邪鬼な性格な為か、こういう自分の本質を見抜いたような直球な言葉は何度聞いても慣れない。
(あっ、そうか。あいつの言葉も真っ直ぐだったから、こんなに惹かれたのかも……)
そう思った瞬間、再びブンブンと首を振ってそんな考えを頭の中から追い出す。
どうもちょっとでも気を抜くと頭の中が恋する乙女モードになってしまう。
「お嬢様?どういたしました?大丈夫でございますか?」
「え、あ、ええ。だだだ大丈夫だから!ぜぜ全然、問題無しだから!」
「そうですか?それなら宜しいのですが。それはそうと先程、旦那様がお戻りになられました。お顔をお見せに行ってはいかがですか?」
「え?!お父様が!?あ、そういえば3日後には王国祭が始まるものね。それでお母様を迎えに来たって訳ね。ありがとう。お父様の所へ行ってみるわ」
挨拶もそこそこに逃げるように庭師と別れ、シアニーは父の元へと向かう。
彼女が父親であるミルフォードと会うのは、数ヶ月ぶりだった。
前回会ったのはシアニーが本科への進級試験を行う前だった。
親としては娘の心配をするのは当然かもしれないが、ミルフォードは現在、ウェステン連合国家西部で悪夢獣の討伐を行っている騎士団の中の1つを指揮している騎士団長という立場にあることから考えたら、わざわざそれだけの為に戻ってくるのは単なる親バカとしか言いようが無い。
だがシアニーはそんな父親を嫌いでは無かった。
父親の優しさと強さ、正義感に憧れ、王族の女の身にも関わらず騎士を目指す事を許して背中も押してくれた存在。
元は平民出で入り婿だという事もあって立場的に他の王族に強く言えない部分はあるが、その強い正義感から、確実に間違っている事柄であれば、王侯貴族にだって一歩も退かずに指摘する。
一歩間違えば不敬罪で処刑ものだが、その実直までに真っ直ぐな性格が現フォーガン国王に認められ、王家の一員として迎えられ、今に至るのだ。
少々親バカが過ぎるのが珠に傷だが、そんな部分も含めて、彼女は父親を尊敬し敬い、憧れていた。
「失礼致します。シアニーです」
ミルフォードが戻ってきた際にはいつも執務室代わりに使用している書斎の扉をノックし、声を掛ける。
すると中からドタンバタンという盛大な音が聞こえた直後に、書斎の扉が勢い良く開き、そこから屈強な体躯を持ち、立派な金色の口髭を蓄えた壮年男性が両手を広げて飛び出してきた。
両手がシアニーの背中に迫ろうという所で、彼女はスルリとその腕を掻い潜る。
「むぅ。私の抱擁を避けるとは。暫く見ない内に成長したな」
空を切った自身の両腕と可愛い愛娘に向けて、交互にちょっと悲しそうな視線を送るミルフォード。
「この間、会ってから3ヶ月程しか経ってません。それといつもいつもいきなり抱きつこうとしないで!」
幼い頃なら親からの無償の愛を感じ取れる行為だが、流石に年頃になると、例え誰も見ていなくても恥ずかしい。
「3ヶ月“も”離れていたのだ!それだけあれば、どれ程成長すると思っ………って、ふむ。シアよ。お前、好きな男でも出来ただろう?」
「へ?!なななな何よ、いいいいいきなり!!」
女性ではあるが幼い頃から騎士として育てられてきた。
身体の方は女性を意識せざるを得ない体格に育って来てはいるが、その内面は結構ガサツで、男勝りの部分が多々ある。
数ヶ月前に会った時はすっぴんで、お洒落すらしていなかった。
だが今はきつ過ぎない程度にほのかに香水の香りが漂い、ただ束ねていただけの変則ツインテールには蝶結びのピンク色のリボンが垣間見える。
唇もやや光沢が見られ、薄紅色に染まっている事から薄く化粧もしているようだ。
恐らく、そうと思って観察しなければ、ちょっとした違和感を感じるだけで、その変化に気が付かないかもしれない。
だが15年間もの間、娘の成長を見てきたミルフォードには劇的に変化したように見えていた。
そして女性が短期間に劇的に変化する要因は大抵、男が、それも色恋が絡んだ時だ。
「そそそそんな訳ないでしょ!わわわ私は在学中に誰もが認めるような強い騎士になるって目標があるんだから、れれれ恋愛なんてしししてる暇なんて無いの!!」
ここまで激しく動揺していては、いくら口で否定していても丸分かりだ。
ミルフォードはそれを微笑ましく思う。
面と向かって紹介されたなら、彼女に見合った男性であるか試すかもしれないが、「俺の娘はやらん!」というような無碍に反対するような狭い心は持っていない。
なぜなら恋や愛という想いは強さに変わる事を知っているからだ。
騎士は弱き者を守る為の剣であり楯である。
顔も名も知らぬ多くの民の為に命を懸けて戦うのが使命だが、完全な博愛主義でもなければ、それだけで戦い続ける事など到底出来ない。
もし自分達が死ねば、愛する家族や大切な人達が悲しむから、生きる為に戦う。
もし自分達が悪夢獣を討ち漏らしたら、愛する者達に危険が迫るから、命を賭してでも戦う。
そんな想いを持っているからこそ、本来以上の強さを発揮する事が出来るし、絶対に死ねないという気持ちを持つ。
何よりそれが精神的な支えとなり、悪夢獣と対する恐怖に屈し難くなるのだ。
「別に私は恋愛をするなとは言わん。溺れなければいくらでもしていい」
「え?お父…様?」
恋愛などしている暇があったら剣の腕を磨けとでも言われるかと思っていただけに、父親の言葉に思わずキョトンとしてしまう。
「何事も経験する事は強さに繋がる。それが恋愛であっても変わらない。結果はどうであれ、その経験はこれからの人生の中できっとお前の糧になるだろう。だから自分の気持ちに素直になって焦らず、だが全力であたれ。なに、お前のその美貌ならそうそう拒む者はおるまい」
ミルフォードの言葉はシアニーの胸につかえていたものを取り除いていく気がした。
さっきまでの自分は、関係が壊れるからとか立派な騎士になるまではとか、色々と言い訳をして結果を先延ばしにし、不安や恐怖から目を背けていた。
だが今の言葉で腑に落ちた事があった。
対抗戦でショウマを庇った時、今までとは比べ物にならない程、身体は軽く、ごく自然に動く事が出来た。
この2日間は、身体が覚えているあの感覚を再現しようと訓練していたが、結局、そこまでの動きは出来なかった。
だが今のミルフォードの言葉とあの時の想いを照らし合わせれて考えてみれば、答えは明白。
(あいつが…ショウマが私にとって大切な人だって、素直に認める事が出来たから私は………)
たったそれだけの事。
ただ自分の想いに素直になっただけで、目の前に立ちはだかっていた壁は霧散したのだった。
先程まで思い悩んでいたのが嘘のように頭の中は澄み渡り、胸の奥からは心地良い温かさが込み上げて来る。
肩からは力が抜け、自然と頬が緩む。
「ありがとう、お父様。けど……」
もう迷いは無かった。
だが、だからと言ってそう簡単に素直になれるとは思っていなかった。
彼が目の前に居なくても強がって意地を張ってしまうような天邪鬼な性格だ。
面と向かえば、きっと、いや絶対に真逆の事を言って、また口喧嘩になるだろう。
けどそれでも良い。
その繰り返しの中から、いつか素直な言葉が言えるようになるはずだ。
「大丈夫だ。親の贔屓目を抜きにしてもお前は美しい。自信を持ちなさい。もし私の眼鏡に適うような者ならアメイト家に迎え入れても良いぞ……って、ああ、その前に彼との婚約をなんとしてでも破棄しなければならないか」
「はい。けどきっと大丈夫。もう心の曇りも悩みも完全に晴れました。根拠は無いけれど、今の私は誰にも負ける気がしません!」
ショウマの言葉のおかげで見失っていた目的を思い出し、父親のおかげで迷いも吹っ切れた。
彼女の前に立ち塞がっていた2つの壁は今や取り除かれ、その先には無限の可能性が伸びている。
既にシアニーの心の中ではアレスとの婚約破棄は終着点ではなく、ただの通過点となっていた。
そう、終着点は父のような、いや父さえも越える誰もが笑顔になれる世界を生み出せる騎士となる事。
そしてショウマに告白した際の結果も通過点に過ぎない。
そもそも思い悩む必要など無かったのだ。
彼の答えがどうであろうと、自分の答えは最初から1つしか無いのだから。
心の軽くなったシアニーは、この日、これまでの人生の中で一番の笑顔を浮かべたのであった。
* * * * * * * * * *
フォーガン王国。
そこは現存する国家の中でも1000年以上もの長い歴史を持つサイヴァラス聖教国に次ぐ歴史を持ち、そしてこの大陸で最も豊かで、最も広大で、最も力のある国家。
世界一の魔動機兵数とその数に準じた騎士を保有し、魔動機兵世界最大シェアを誇るキングス工房と世界最大の魔動具研究機関である王立魔動研究所を擁し、世界で唯一の騎士と技師の養成学校であるシンロード魔動学園を内包したフォーガン王国は、この世界の統治国家と言っても過言ではない。
だがそれだけの力がありながら、フォーガン王国は他国とは友好的且つ平等な外交を続けてきた。
その結果、20年程前まで他国との関わりを絶っていたナイングランド国とも友好同盟を結び、一部ではあるが国交を回復させている。
そんな誰からも愛される国の建国記念祭ともなれば、当然、全世界から人が集まるのは道理。
魔動馬の高速化や街路の整備も相俟って、年々、参加者は増加している。
だが表側が華やかで賑やかであればある程、その裏側の闇は濃くなるもの。
暗い闇の中、1本の蝋燭の火に照らされて、皺枯れた老人の顔が浮かび上がる。
どこか威厳と気品を感じさせるが、その表情には長年の疲れが滲み出ている。
「準備の方は如何程だ?」
玉座のような造りの椅子に腰掛けた老人が声を出すと、光の届かない闇の奥から複数の返事が返ってくる。
「はい。つつがなく」
「同志達も全員、内部に潜ませております」
「あの娘から提供された例の物も、観光客や行商の荷物に紛れ込ませる事で運び込んでおります。後数日もあれば組み上げを完了するでしょう」
そうか、と老人は呟き、再び闇の中へ声を掛ける。
「それで、あの者はどうしておる?」
「はい。我々が決起する日に同時に動くと。そして決起日が訪れるのを楽しみに待っていると申しておりました」
「しかしこのような平和しか知らぬ国に生まれた者が身内を売るとは、中々の野心家……いや狂心家とでも呼ぶべきでしょうかな」
「じゃが、例え狂信家であろうと、あの者がいなければここまでの準備は整える事は出来なかったでしょうな」
老人は全ての準備が整いつつある事に鷹揚に頷き、姿の見えぬ者達を労う。
「苦節十余年。ここまでよく耐え忍び、付いて来てくれた。だがそれも後僅か。我らを貶めた忌々しいフォーガン王の首を取り、今こそ祖国を、そして我らが誇りと栄誉取り戻す時」
国を追われ、家族を殺され、臣下を捕えられ、だが泥水を啜ってでも逃げ落ち、老人達はこの日が来るのをずっと耐え続けてきたのだ。
「決起日は5日後。フォーガン王国祭最終日。その日が我らの宿願の日となろう」
朗々と響き渡る老人の言葉に、闇の中に居た者達が頭を垂れる。
それと同時に蝋燭の火は消え、後には漆黒の闇と静寂、そして不穏な空気だけがその場を包み込み、そして闇に溶けていった。




