第4話 幸せの喪失
ショウマが居候となってから既に2ヶ月。
記憶喪失のおかげなのか、彼の物覚えは早く、今ではギニアスの手伝いも効率良く行えるようになっていた。
魔動力が無い事には変わりは無いので、魔動具が使えず重量物を運ぶ際などは苦労しているが、手先が器用な為、廃材で台車を自作したりして対応している。
「はぁ~、お前に魔動力があったら俺の後を継いで貰いてぇくらいだぜ」
ショウマの成長ぶりに目を瞠りながら、ギニアスは盛大に溜息を吐いてみせるが、そこまで悲観している訳ではない。
カティーは道具作りより料理やお菓子作りの方が得意で、魔動技師になろうという気が無く、今現在、工房を継ぐ後継ぎはいない。
確かにこんな田舎では魔動工房の需要は低い。
魔動具を修理出来る人間というのは貴重だが、フューレンの村ではそこまで忙しいという程では無い。いや寧ろ暇とさえ言える。
田舎という事もあって魔動具の数は少ないし、そもそも魔動具は壊れにくい。無茶な使い方をしなければ数年から十数年は壊れる事が無いのだ。
といっても1年に数回は修理の依頼が来るし、農作物の貯蔵庫を兼ねた“レーゾー”は壊れてしまうと村人にとって死活問題になるので、定期的な点検の依頼がくる。
だが月に1度やってくる行商人に頼めば、次回訪れる時に魔動技師を連れて来てくれるので、常駐していなくても不便は無いのも実情。
その為、貴重であるとはいえ、この魔動工房が後継者不在で潰れてしまったとしても、村に大きな打撃は無いのだ。
更に言えば、技師としての収入は全体の数%に過ぎず、自給自足が主の生活である以上、魔動技師としての仕事より農作業の方がメインとなる。
つまりギニアス本人でさえ工房を継ぐ者が居なくても不都合が無いのだ。
「そういえば、お前の乗っていたこいつは結局動かなかったな……」
ギニアスは一旦作業の手を止め、工房の隅に置いてある白銀の魔動機兵を仰ぎ見る。
彼の持つ知識では全身を覆う外装である鎧甲の修復は出来たが、内部の構造までは手に負えなかった。
そもそも壊れているかどうかさえも判断出来ない上に、軽く見た限りでは動力源たる魔動力炉が見当たらなかったのだ。
魔動力炉は魔動機兵に限らず、魔動具にとっての心臓部だ。
これが組み込まれていないのは、ただの道具であり、ただの飾り物であり、ただの木偶人形だ。
この白銀の魔動機兵も魔動力炉を組み込めば、動くようになるのかもしれないが、機兵用の魔動力炉を買う金も、それを組み込む技術も圧倒的に不足している。
「ま、こんな銀ピカだし、どこぞの成金貴族が自分ちに置く為に造ったもんじゃねぇのかな?そうなるとお前さんが何故あんなもんに乗ってたのかは疑問が残るが。まぁ、記憶が戻ればそこらへんも分かるだろうさ」
「けど本当に僕の記憶は戻るんでしょうか?」
「ま、戻らなかったら戻らなかったで、そんときはそん時だ。お前はもう家族も同然なんだ。何者だろうと関係ねぇよ。っていうか、どうせなら本当の家族になっちまうか?」
「え、あ…そ…その………」
ギニアスがどういう意味で言ったのかすぐに理解し、顔を赤くさせてオロオロとし始めるショウマを、意地悪そうな、しかし温かくも柔らかな表情でギニアスは見つめる。
今日もフューレンの村は平和で穏やかである。
と思われた直後、その平和は外から聞こえる悲鳴で掻き消された。
「なんだ?今の叫び声は?尋常じゃねぇなぁ」
「少し様子を見てきましょうか?」
「いや、俺が見てこよう。カテリエーナがすぐ来るだろうから、お前はあいつと一緒にここにいろよ!」
ただならぬ事態だと感じたギニアスは表情を引き締めて、工房を出ていく。
そして数分後、ギニアスはガタガタと震えるカティーを連れて、再びショウマの前に姿を現した。
「おい、ショウマ!こいつの事はお前に頼んだぞっ!」
かなり青褪めた表情のカティーをショウマに託すと、返事も待たずにギニアスは血相を変えて愛用の魔動機兵へと乗り込むと、再び外へと出て行ってしまった。
「大丈夫?カティー??一体何があったの?!」
今、外で何が起きているのか、カティーが何故このような状態になっているのか、何の説明もされないショウマは不安に駆られた。
様子を見に行きたい気持ちはあるが、こんな状態のカティーを一人置いて行く訳にもいかない。
「と、とな…隣のお、お婆ちゃんが………あ、あ…あく……悪夢…………」
余程の目にあったのだろう。カティーは全身をガクガクと震わせ、その目からは止め処なく涙が溢れている。
それ以上思い出したくないのか、カティーは嗚咽を漏らすだけでそれ以上の言葉を発する事は出来なかった。
だが勘の良いショウマはカティーの言葉とギニアスの行動からおおよその事態を理解した。
(確かカティーは隣の家のお婆ちゃん達の畑仕事を手伝ってたはず……そして悪夢という言葉とギニアスさんが魔動機兵に乗っていった事を考えると…………)
フューレンの村に悪夢獣が現れたのは間違いない。
カティーの様子から、恐らく畑仕事中に遭遇し、隣の家の人がカティーを逃がしたのだろうと推測出来る。悪夢獣がどれ程凶悪かは、知識だけで実際には知らないので、なんとも言えないが、隣の家の人達は年齢も年齢だし、戦いに秀でているという訳でも無いので、犠牲になったと考えるのが妥当だ。
震えるカティーの肩を強く抱きしめながら、ショウマは悲しさを感じつつも、その一方で冷静に状況を分析している自分自身に嫌気を感じる。
(短い間とはいえ、世話になった人だったのに…僕は……)
自己嫌悪に陥り掛ける直前、工房の外から何かがぶつかる激しい音が響く。
驚きと恐怖でビクリと身体を震わせたのも束の間、更なる音と衝撃と共に工房の壁を何かが突き破ってくる。
所々を赤で模様された金属のような巨大な塊。
壁を突き破って飛んできた時には分からなかったが、壁面に激突して動きが止まった所を改めてよくよく見れば、それが何かは一目瞭然だった。
「そ、そんな……ギニアス…さん………」
ついさっき、ギニアスが乗って行ったはずの魔動機兵のなれの果て。赤い模様はどう考えても人の血だ。
乗っているギニアスがどうなったかは、ショウマからは見えないがピクリとさえ動かないので、最低でも意識は失っているのだろう。
「GURURURURULULU~」
地の底から響くような、まるでこの世のものとは思えない唸り声に慌ててショウマは視線をその声の方へ向ける。
そこにはおぞましい異形が佇んでいた。
破壊された工房の壁の向こう側からゆっくりとその異形が全身を現す。
一言で表すならばそれは巨大な熊だった。
だがそれは少年の知る熊という概念を壊すのに十分な破壊力を持った姿形だった。
まずはその大きさだ。
前足を地面についているにもかかわらず、熊の顔が工房の壁の真ん中くらいに位置している。
ギニアスの魔動工房は、元は倉庫だった事もあり、8m級の魔動機兵が立っても余裕のある高さになっている。それにも関わらず熊の顔がその高さにあるのだ。もし後ろ足で立ち上がれば10mを悠に越えるであろう巨大さだ。
そしてその顔は1つでは無かった。首元から別れた3つある顔には真っ赤に染まった6つの目が真っ直ぐに工房の中を見据えている。
更に脇腹からは本来の前足とは別に4本の前足が生えていて、それぞれに鋭い爪があるのが見て取れる。
体毛は鋼のような鈍い輝きを放ち、針のような鋭さを持っている。
4つの顔と6本の前足を持つ針鼠のような超巨大な熊。
それがショウマが初めて見る異形なる存在――悪夢獣の姿だった。
(駄目だ……声を出したら気付かれる……)
悪夢獣はショウマとカティーの存在をまだ認識していない。
6つある赤い目はその全てがギニアスの魔動機兵の残骸を注視している。魔動機兵という存在が自身にとって危険で害を成すものだと理解しているのだろう。だから目を離そうとしない。
しかしどれだけ経っても動かないと分かれば、意識を他に向けるだろう。
そうなれば当然、次に襲われるのはショウマ達だ。
だが大きな音を出せば、すぐに気付かれ、逃げ出す事は叶わない。魔動機兵の方を警戒している今の内になんとか工房の出口まで行かなければならない。
2人の居る場所から10m程先、白銀の魔動機兵が置かれてある背後に裏口がある。
そこまで気付かれずに辿り着ければ、逃げ出すチャンスはあるだろう。
ショウマは怯えて震えるカティーを抱きしめたまま、物音を立てないようゆっくりと後退り、一歩ずつ確実に裏口へと近付いて行く。
だがそう簡単に見逃してくれ程、悪夢獣は甘くは無かった。
移動を開始してすぐに悪夢獣の顔の1つが動き、赤い目が少年と少女を射抜く。
その瞬間に全身に恐怖が走り、意思とは関係なく身体が震え、滝のように冷や汗が流れる。本来ならそこで足が竦んで立ち尽くす所だろうが、彼は違った。
確かに心の中は恐怖で満たされ、今にも泣き叫び出したい気分だ。だが、そんな心の内をまるで他人事のように見ている自分も心の中にはいた。その客観的な自分がいるおかげで、ショウマの心は恐慌に囚われる事無く、冷静に判断し動く事が出来ていた。
(裏口まで後5mくらい……この距離なら走れば追い付かれる前に外に出られる)
ショウマは一瞬の内にその判断を下すと、すぐにそれを行動に移す。
「カティー!死にたく無かったらあそこまで走るぞ!!いそ……ぐっ、あがっ…………」
腕の中にいる恐怖に震えて動かないカティーを叱咤するように声を張り上げ、引っ張るように無理矢理走り出そうとした瞬間、ショウマを激しい頭痛が襲い掛かる。
あまりの激痛に顔を歪ませ、頭を押さえるが、その程度で治まるような痛みでは無い。
走るどころか立っている事もままならず、床に膝をついてしまう。
「あぐぅ……こ、こんな…時に………」
「シ…ショウ…マ……くん……?」
ショウマの異常を感じ取って、恐慌状態から少しだけ立ち直ったカティーが縋るような瞳を向ける。
今の彼女に頼るべき者は目の前の少年しか居ない。
悪夢獣を目の前にしても恐怖に支配されず、即座に判断が出来る者は大人でもそうそう居ない。にもかかわらず同い年のこの少年は、自分を守るように強く抱き締め、更には冷静に自他の力量差を察し、敵わないと悟ると、すぐさま脱出口を把握し、命を守る為、逃げ出そうとする。
父親であるギニアス以上に今のショウマは頼れる存在であった。
だがその少年は今、何かによって苦しんでいた。
しかしカティーに出来る事は何も無い。
悪夢獣への恐怖で全身の震えは止まらないし、足は竦んでしまって動こうとしない。
何かを喋ろうとも震えのせいでまともに口が動かない。ようやく言えたのは、ショウマの名前だけ。
頭を押さえて蹲る少年と恐怖に震えて動けない少女。
そんな2人の背後から巨大な異形がゆっくりと迫ってくる気配を感じる。
(ここまで私はショウマくんに守られてばかりだった。だから今度は私がショウマくんを守る番なんだ!!)
なけなしの勇気を振り絞って、カティーは動かない自身の身体を、自身の心を叱咤した目の前の少年の為に出来る事をやろうとする。
なんとか動いた右手に力を込めて押し込んだ……次の瞬間、カティーの意識は途切れた。
* * * * * * * * * *
ショウマを襲った突然の頭痛。
激しい痛みに苛まれながら、彼の瞳に、脳裏に、様々な映像が浮かんでは消えていく。
この世界より発達した文明社会の中で生活する自分の姿。
ヘビーギアと呼ばれる魔動機兵に似た人型の機体を操る自分の姿。
顔は朧げで見えないが、笑顔を浮かべているのだけはなんとなく分かる両親の姿。
それが失われた記憶なのか、それとも前世の記憶なのか。
少年に知る術は無い。
だがその記憶にある自分は何不自由の無い生活を送り、いつも笑顔を浮かべていた。
その笑顔と重なるようにカティーの笑顔を浮かび上がった所で、ショウマは唐突に横からの衝撃を受けて、床を転がる。
その衝撃と痛みに我に返ったショウマが顔を上げると目の前には、先程と同様にカティーが笑顔を浮かべていた。
その口が何かの言葉を紡ぐ。
だが全ての言葉が少年に届く前に少女の姿は視界から消え去り、代わりに赤いペンキが視界を覆う。
一体、何が起きたのか。
ここまで何があってもパニックに陥らなかったショウマの思考が初めてその動きを止める。
何か柔らかくも硬いものが壁か床にぶつかる鈍い嫌な音が耳奥に響く。
視線の先には悪夢獣の3つの顔があり、そのそれぞれが自らの爪に付着した赤いものを舐めては、どことなく嬉しそうにしている。
頭では今起きた事実を理解していた。だが心はそれを認めようとしていない。
だからショウマは視線を音のした方へと向けようとする。
もしそちらを向けば、事実を確認して認めてしまう事になる。本当ならしたくない。だが事実が変わらない以上、認めなければ停滞した心は進めない。
意を決してショウマは事実を確認する為、目を向け、そしてすぐに後悔と悲しみと怒りが込み上げてくる。
「う…うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!」
少年の絶望の叫びは世界にこだました。
思った以上に序章が長引いていますが、多分、次回が最後。