第30話 それはいつも通りの普通の日。そのはずだった……
その日は至って普通の日だった。
いやアーシェライトとしてはあまりに普通過ぎて逆に怖くなったくらいだ。
朝からキングス工房へと出向き、シルブレイドの修復作業を行っていたが、異世界の知識が必要な機構については概ね修復が完了し、忙しさのピークは過ぎた。
流石にこちらの世界には代用出来るものが無いレアメタル等が使われている電子回路までは修復出来なかったし、魔動技術での代用も出来なかったので、レーダーとセンサー類は殆ど直せなかった。唯一、温度感知センサーだけが奇跡的に無傷であった為、使用は可能になっている。
操縦席周りのモニターもその大半が失われていたが、シルブレイドに搭載された魔動力と電力のどちらでも動力とする事が出来る“魔電動力炉”が、微量ながらも電気を魔動力に変換する事が発見されたおかげで、現行の魔動機兵の操縦席にも使われている外側の様子を内側に映し出す“投映甲”と操縦席内を照らす為の“ライト”を使用する事が可能となった。
ただ変換効率が悪くて魔動力量が少ないせいか、それ以外のものは稼働させる事が出来なかった。
本来ならばその変換装置で魔動力炉を動かすエネルギーにするのだろうが、動力炉自体が未完成だった上に“9番目の設計書”にも魔電動力炉については記載されていなかったので、今回は諦めることとした。
だが疑問は残る。
アーシェライトの前世の記憶から、シルブレイドは向こうの世界で手掛けていたものに間違いは無い。
にも関わらず向こうの世界には存在しない魔動力をエネルギーとする魔動力炉が搭載されていて、魔動力を生み出す変換装置まで組み込まれている。
設計者である彼が居ない為に問い質す事も出来ず、推論する事しか出来ないが、修復作業が一段落したら、その辺りの事をじっくりと考察したり、魔動力の変換効率を上げた完成品を造り上げたりしたいと彼女は思う。
その一段落も近々訪れそうな感じであった。
フレームは材質こそ違えど魔動機兵とほぼ同じであるし、各部位と魔電動力炉を繋ぐ配線は繋ぐもの同士で色分けしてある為、子供でも間違えないだろう。
後は耐久性と動作の確認、そしてそれらに伴う不具合の解消と調整さえ終えれば、彼女の仕事は終わりだ。
最後に鎧甲の取り付け作業が残っているが、これは異世界技術が必要な特殊な事は何も無いので、工房の職員達に任せた方が安心だろう。
「技術的なものや特殊な素材を使うからもっと掛かるかと思ったが、予想以上に早く終わりそうだな」
「…はい……動作確認でどれくらい不具合が出るか次第ですけれど……」
声を掛けて来たイムリアスにアーシェライトはそう答える。
だが彼女は不具合は殆ど出ないだろうと確信めいたものを感じていた。
作業が予想以上に早かったのは“9番目の設計書”があったおかげだ。
これが無ければ、最初に全て分解し、足りない部分を知識と経験で補いつつ設計図を書く所から始めなければならなかっただろう。
その上、この設計書は非の打ちどころが無いくらいに完璧で、この通りに造る事が出来れば、不具合など発生しないだろうという事が設計図を見ただけでも分かってしまう。
若干の差異はあるものの、シルブレイドは9割近くが設計書に基づいて修復されている。
不具合が出るとすれば残り1割の部分であり、それも微調整の範囲内で解消される可能性が高い部分であった。
つまり実質的に修復作業は完了したとも言える。
「…本当に……あの人には敵いませんね………どんどん背中が遠くなっていくように思えます………」
前世の記憶にある彼に追い付き、追い越そうと思ってシルブレイドを完全な形で修復するつもりだったのに、作業してみれば余計に彼の凄さを実感しただけだった。
「まぁ、この世に居ない人間ってのは想像するしか出来ないから余計に凄く感じるらしい。だから、まぁ、その…気にするな。お前はお前のペースで行けばいい」
「…えっと……イム先輩。そんな慰め方じゃ女の子はなびきませんよ?」
「うっせー!俺に気の利いたセリフなんて求めんじゃねぇよ!」
慰めにもなっていない慰めだったがアーシェライトの表情は明るい。
こうして気兼ねなく言いたい事が言える相手がいるだけで心は軽くなっていく。心の底に溜まりかけたものを素直に口にするだけで、溶けて小さくなり、消えて無くなっていく。
「それにそういう気の利いたセリフを言って欲しいのは俺じゃ無くてあいつだろ?」
「へっ?!…あ…いや……その……べべ別に…ショウマさんに……そんな事は…えっと…その………」
突然そんな事を言われて、アーシェライトは顔を赤くししどろもどろになる。
普段、あまり感情が表に現れないだけに、激しく動揺すると一発で分かってしまう。
「ん?俺はあいつってのがショウマの奴だなんて一言も言ってねぇんだけどなぁ~」
温かい、でも意地の悪い、からかう様な笑みを浮かべるイムリアス。
それに対しアーシェライトの顔は更に赤く火照っていく。
「…う…うぅ~……あっ!そうだ!今日はこの後、アルバイトなので…も、もう行きます…ね………」
そう言うと、その場から逃げ出す様に去っていくアーシェライト。
確かに日は傾き始めているが、まだ行くには早い時間なので、逃げ出す為の口実だろう。
「はぁ…こっちは奥手で向こうは鈍感。先が思いやられるぜ……ったく、こんなの俺の柄じゃねぇんだがなぁ」
去り行くアーシェライトの後ろ姿を眺めながら、イムリアスは後輩の幸せを案じるのであった。
* * * * * * * * * *
その日はいつもと変わらない普通の日だった。
クラス内対抗試合まで後2週間を切ったとはいえ、やる事は普段と大して変わらない。
いや、ただ1つ変わった点といえば、先日の模擬戦で、噂でしか広まっていなかったショウマの実力が本物である事が判明し、何故か剣を教える指導役になってしまった事くらいだ。
既に魔動器を扱える者、あるいはこの1ヶ月の訓練の間に魔動器を使えるようになった者はカキヨンが魔動器の扱い方について教え、魔動器を未だ扱えない者や剣術が苦手な者はショウマが教えるという体制になっていた。
魔動器の扱いについても、剣術についてもトップレベルのシアニーは、指導役では無く自己の鍛錬に励んでいる。というかそうせざるを得ない状況になったのだ。
最初は魔動器の指導役をシアニーにやって貰ったのだが、王族というプライドによる上から目線の言動と生来の怒りっぽさ、更には自分に出来る事は他者にも出来るだろうという思い込みからのスパルタな訓練のせいで、僅か2日で生徒の数人から泣きつかれてしまい、カキヨンが交代したのだ。
彼女としては自分が出来る精一杯の事をしたのだろうが、結果的には裏目に出てしまった。
そのおかげで彼女は相変わらず特別扱い、というか敬遠されて仲間の輪に加わる事が出来ず、1人で自己鍛錬に励む事となり、そんな彼女の付き人を辛抱強く続けているという事でショウマの株は更に上がっていたりする。
“王族”とか“氷結姫”という色眼鏡を外して彼女を見てみれば、多少…いや、かなり意地っ張りで頑固で負けず嫌いで思い込みが激しい所はあるが、どこにでも居る普通の女の子だ。
変なプライドに拘らず、素の自分を曝け出せば、もっと友人が増える事だろう。
(まぁ、それが出来てたら、今の状況にはなって無かっただろうけど……)
ショウマは1人で刺突の型を反復練習しているシアニーに視線を送りつつ、指導中のクラスメートが打ち込む斬撃を剣で捌く。
余所見をし、他の事を考えながらでも相手が出来てしまうくらい、ショウマと彼に師事する生徒の間では実力に差がある。
確かに最初に比べれば、短期間でかなり腕は上がったと言えるが、まだまだ基本通りの動きで、応用が足りず、柔軟な対応が出来ていない。
「昨日も言ったけど腕力に頼らないで。もう半歩で良いから踏み込め!そうすれば自然と腰も回って威力も剣速も上がるから」
目の前で片手剣と小さな楯を持つクラスメートの彼は地方領主の息子だという。
筋は良く、基本的な事はしっかりと体に染みついている。だが、攻めよりも守りを重視した戦い方になっている。
これは次期領主として幼い頃から身を守る術としての剣術を教えられていたせいだ。
確かにこの戦法は自身の被害を最小限に抑え、効果的に相手の体力と冷静さを奪う事が出来るだろう。それが対人戦ならば。
騎士、それも機兵騎士となれば戦う相手は基本的に悪夢獣となる。
実際の悪夢獣、そして邪法に取り込まれ掛けたザンスと対峙したショウマだからこそ、そんな小細工が化物相手には通用しないことが分かっていた。
ヘタな防御などその膂力の前に無力と化すし、牽制的で散発的な攻撃もその強固な皮膚と闇色の防御膜の前には通用しない。
だから下手な小細工をするよりも一撃の威力を高めるような指導を行っていた。
アドバイスを素直に受けた彼が再び片手剣を繰り出す。
その一撃をブレイドソーで受けると、先程とは比べ物にもならない程、一撃が重く鋭くなる。
元々、シンロード魔動学園に入学できる程の身体能力を持っているのだから、戦い方さえしっかりと身に付けば、強くなる素養はあるのだ。
斬撃が鋭くなった所で、ショウマは剣で受ける事を止め、回避に専念する。片手剣の軌道をしっかりと見極め、僅かな動きで避け続ける。
最初は遠めに避けていた攻撃を徐々に狭めていく。
5cmから3cmへ。
3cmから1cmへ。
1cmから5mmへ。
動体視力の高いショウマにとってはギリギリで避ける事程度なら労せずに出来る。だがそれを最小の動きでやるとなると、なかなか上手くいかない。
顔を逸らすだけで良い所を上半身まで逸らしてしまい、腰を回すだけで良いのに足まで動いてしまう。
どんなに意識していても身体が反射的に反応してしまうのだ。
シルフィリットのような全く無駄を感じない踊るような動きには程遠い。
それでも相手よりは断然に動き方の無駄が少ない為、息も全然上がっていない。
相手は攻撃を当てようと力み過ぎて、動きが雑になりつつあり、再び腕だけで剣を振るうようになってきていた。
(そろそろかな)
振り下ろされた片手剣を僅かに身を捻ってかわすと、スッと剣先を相手の喉元に突き付ける。
「そこまでだ。剣に重さと鋭さは増したけど、ちょっと力を込め過ぎだね。最後は動きが単調になって最初みたいに腕力だけで剣を振ってたから、ちゃんと踏み込みを意識して、腕の力はもう少し抜いた方が良いと思う」
「は、はい!ありがとうございます!!」
ショウマのアドバイスに彼は頭を下げて礼を言う。
戸籍上は称号持ちの養子だが、平民であるショウマと領主の息子。
彼より剣の腕が上なだけで身分的にはショウマの方が遥かに下だ。
学園では身分による差別を排する教育方針だが、それでも差別というのは存在するし、身分を気にする者は多い。
にも関わらず、領主の息子は素直にショウマに頭を下げた。
本来ならはっきりと実力差を思い知らされた戦い方をされて、憤慨したりバカにされたといって怒ってもいいようなものだ。
恐らくは元々、根が素直なのだろう。
文句や嫌味を言われず、恨みも買わないのはありがたい事だが、あまりに素直に感謝されると、なんだかこそばゆい気持ちになってしまう。
だが問題が発生しないのは良い事だ。
シルブレイドの修復作業も順調に進んでいるようで、明日から調整作業に入るという。
その為、今日は工房の方に顔を出さなくても良いと言われ、久しぶりに放課後は自由な時間となる。
どうやら今日も平穏無事に何事も無く1日を過ごせそうだった。
* * * * * * * * * *
その日は特別な事は何も無い至って普通の日だった。
キングス工房を逃げ出すように出たアーシェライトは、いつものように箱庭の葡萄亭でバイトに勤しんでいた。
彼女の実家はフォーガン王国の北東部にある小さな田舎町の小さな魔動工房だった。
この辺りの住民は高齢者が多く、その上、近くにある工房はここしかなかった為、彼女の両親は依頼が来るのを待つのではなく、自らが周辺の集落を回り、しかも格安で魔動具の修理を請け負っていた。
おかげで生活は苦しかったが、アーシェライトはそんな両親に誇りと憧れを持っていた。
前世の記憶のおかげで幼い頃から魔動技師として頭角を現し、シンロード魔動学園にスカウトされた時は、すぐさまその誘いを受けた。
魔動学園は多くの貴族による出資や各国の援助よって成り立っている。
悪夢獣に対抗するための人材を育成するという世界的な目的の為故、学費は無料な上に毎月、給金も支払われる。
それがあったからこそ彼女は親元を離れ、入学する事にしたのだ。
少しでも両親を楽にさせる為に給金は全て仕送りに使い、自らの生活費はこうして毎週末のアルバイトで稼ぐ。
それが彼女の日常だった。
今日もそれは変わらない…………はずだった。
それはアーシェライトが調理で出た生ゴミを捨てる為に店の裏側に出た時に起こった。
箱庭の葡萄亭は今日も盛況で、それに比例して調理ゴミは大量に出ていた。
抱えると人間の上半身が見えなくなる程の大きなゴミ袋が2つ。しかもその殆どが生ゴミの為、相当な重さ。
店員が少ないという事もあり、アーシェライトは1人でそのゴミを運び出していた。
1袋目を店の裏口から外へ出し、2袋目のゴミを抱えて裏口を出る。
そのまま裏手の小路に入り、目指すゴミ捨て場まであと少しという所で、足元を野良猫か何かが掠めてバランスが崩れる。ゴミ袋は重い上に前が見えない程の大きさの為、支えきれずに躓いてしまう。
倒れ行く中、このままではゴミを地面に撒き散らしてしまうと思い、思わずギュッと目を閉じる。
だが次の瞬間に感じたのは強い衝撃では無く柔らかい浮遊感。
「大丈夫か?」
ここ最近、毎日のように耳にする声が聞こえてくる。
「っていうかなんで私がゴミ袋の方なのよ!こういうのは普通、男がやるもんじゃないの!?」
「単なる距離の問題で他意はねぇよ!」
いきなり1組の男女が言い合いを始める中、アーシェライトはゆっくりと目を開ける。
普段は眼鏡をしているせいで視界はややぼやけているが、見るまでも無く声を聞いただけでこの2人が誰かはすぐに分かった。
「…ショウマさん…シアニーさん……あの……ありがとうございます。けどなんでここに……って、はぅっ……あ、その…ごめんなさい……」
2人の知り合いの存在を認識した瞬間、自分がショウマに抱き抱えられているという事に気が付き、慌てて謝りながら身体を離す。
頬が赤くなっている気がしたのですぐに俯いて、前髪でその表情を隠す。
「ん、ああ。週末だし訓練も終わったから、飯を食いに来たんだ。そしたら丁度、重そうにゴミを運ぼうとしてるシェラを見つけて、手伝ってやろうと思ったら……」
「今の状況に遭遇したってわけよ」
アーシェライトが苦労して運び出したゴミ袋を軽やかにゴミ捨て場へと捨て終えたシアニーが、パンパンと手の汚れを払いながらショウマの言葉を横取りして答える。
状況から考えてショウマがアーシェライトの身体を、シアニーが投げ出されたゴミ袋をキャッチしたのだと理解する。
「本当にタイミングが良かったみたいだな。色んな意味で」
ショウマの眼つきが一瞬で鋭くなり、路地の奥を睨みつけながら、アーシェライトの手を力強く引いて、自身の背中の後ろへ庇う。
「ええ、そうね。隠れてないで出てきたらどう?」
路地の奥に居るだろう人物にそう言いながら、シアニーは反対側の路地に鋭い視線を送る。
するとショウマが睨んでいた路地の奥から3人の男が、そしてシアニーが視線を送っていた側からは、たった1人で路地を塞いでしまうのではないかという程に縦にも横にも巨大な大男が姿を現す。
「あんたたち何者よ!ゴロツキ風情が何か御用かしら?」
挑発するような口調で問い掛けるシアニーに対し、ショウマは冷静に相手と自分達の位置を確認する。
箱庭の葡萄亭のすぐ真裏ではあるが、建物が隣り合う小路だ。建物へと入る扉も見えないので、前後の通路を塞がれてしまったら、逃げ場所は無い。
次に3人の男達を観察する。
全員が左手を前に右手を腰の後ろに回した独特な構えを取っている。
正面から見た限りでは武器は見当たらないが、腰の後ろに隠した右手には何かしらを隠し持っているのだろう。
戦い慣れているのか、油断も隙も見当たらない。
「このアマッ!この俺を忘れたとは言わせねぇぞっ!!」
「あんたみたいなの知る訳ないでしょ!」
大男が怒鳴り声を上げたので、ショウマは3人の動きに注意しながら視線だけをそちらに向ける。
シアニーは全く覚えが無いようだが、ショウマは大男の顔に見覚えがあった。
あんな巨体では無かった気がするが、その顔は2週間前に箱庭の葡萄亭でシアニーに投げ飛ばされたランズラット傭兵団の男のものだった。
それに気付いて改めて3人の男達の顔を見ると、あの時あの場に居た傭兵団員だった。
傭兵ならばあの隙の無い構えも納得出来る。
恐らくはあの時の復讐にでも来たのだろうが、相手が悪い。
ショウマとシアニーの実力ならこのくらいの相手なら然したる問題も無く蹴散らせるだろう。
しかしその油断が不幸を招く事態になるとは、この時は誰も思っていなかった。




