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2.ケネ

 それはほんの出来心だった。

 ケネも、まさか死ぬとは、死にそうになるとは思ってもみなかったのだ。

 ただ、もう生きることが嫌になって、思わず突発的に道路に飛び出してしまっただけだった。信号は青に変わるところだったので、ひいた車が単に止まらなかったせい、と言えなくもない。

 自殺というほどではないにしても、ケネは、この状況から逃げたいと思って走り出したのは確かではあったが。

 どちらにしても、ケネは死の淵をさまよっていた。



 ケネは日本で暮らしているが、日本人ではない。だからと言って、純粋な外国人でもない。いわゆるハーフというものだ。

 彼女の父親はナイジェリア人で、母親が日本人。それで、日本で暮らしている。

 ケネは小さいころ、ナイジェリアに住んでいた。そこで彼女は、差別にあった。

 どうしてそんなに白い肌をしているのか。その肌はナイジェリア人を真似て上から塗っているだけだろう。お前はナイジェリア人ではない、と言われ続けた。

 その後日本に来てからも同じように差別を受けた。

 肌が黒い。外人だ。と言われ続けた。

「私は何なの。どちらの国に居ても、外人だと言われて、差別をされる」

 走るのが速いから、リレーの選手になっても、黒人だから当たり前だと言われる。

 どうしてもケネ自身の頑張りが認められなかった。ケネ自身が、ケネの人格が、誰にも分かってもらえなかった。


 ケネは車に跳ね飛ばされて、意識を失った。



--- --- ---


 羊飼いは羊を連れて、良い草のある“門”の向こうを目指して旅をしていた。羊飼いは2匹の羊を連れていた。まだ若い子羊と、もう歳をとった羊だった。

 歳をとった羊は歩くのが非常に遅く、ゆっくりと羊飼いのあとを歩いて行ったが、子羊は興味深そうにキョロキョロと周りを見ては、時折トコトコと余所へ行こうとした。

 そのたびに、年寄りの羊がメエと鳴いて子羊を呼び寄せた。

 時には、年寄りの羊は鼻づらを使って、子羊を羊飼いの方へと押しやるようなこともあった。

 2匹の羊はとても仲良しだった。



 荒野を歩いていると、時々草が生えているところがあった。

 羊たちは、ゆっくりと草を食み、羊飼いは先を急ごうとはしなかった。ただ、羊たちが充分に食べられるように、周囲に気を配り、安心して草を食べることができるようにしてくれた。

 そして充分に草を食べると、また出発した。

 しばらくは荒野の旅だった。


 ところが、今までずっと荒野を旅してきたのに、その日は荒野の先に建物を見つけた。今までになかったことだ。

「おや、珍しい。こんな荒野(あらの)に人が住んでいるところがあるとは」

 羊飼いはそう言いながら、2匹の羊を連れてその建物に近づいた。

 近づいてみると、その建物は病院だった。

 空気の良いところでの治療を必要とする人のために建てられたのかもしれない。

 陽の傾いた薄暗い荒野の中に、暖かな色の病院の明かりが浮かんで見えた。

「建物があるのなら、獣が来ないかもしれない。今日はここで休もう」

 羊飼いはそう言うと、病院の建物のある敷地に入って行った。敷地と言っても、塀があるわけではない。ただ、少しばかり、病院の建物の前には花が植えてあって、庭のようになっているだけだ。

 羊飼いはそこの草の上に座ると、羊を呼び寄せた。

 ほんの少し消毒薬の匂いがする。それが嫌なのか、羊はなかなか羊飼いのそばに来ようとはしなかった。

 やっと羊飼いのそばに来ても、なかなか座ろうとはせず、ウロウロとどこかへ行きたいようだった。

 ただ、年寄りの羊は、もうその日は疲れていたのだろう。陽が沈むころには、羊飼いのそばへ来て、柔らかい草の上に伏せた。

「ほらおいで。いつまでもそんな外れたところにいると、獣が来てしまうよ」

 羊飼いは、子羊を呼び寄せた。

 やっと観念したように、子羊はやってきて、羊飼いのそばをウロウロとしていた。


 庭には病院の明かりが照らしていて、いつもは星空しか見えない荒野に寝泊まりをする羊にはとても明るく感じられた。

 廊下には明かりが点いているが、病室はすでに明かりが消えている。暗い窓が並んでいた。

 その中で、一つだけ明かりの点いている病室があった。

 羊飼いと2匹の羊は、その病室を見ていた。


 病室の中には、大きな白いベッドの上に、女の子が眠っていた。身体にいくつも管が繋がっていて、両親が祈るようにして娘の手を握っているのが見えた。

 子羊は、それを見ると、震えて小さな声で鳴いた。

「あれはお前だね、ケネ」

 傍らに座っている羊飼いが静かな声で言った。

「ご両親が泣いているよ。あそこに戻って、安心させておあげ」

 羊飼いが子羊を撫でながら言うと、子羊は怯えたように震え、そして立ち上がり、病院から遠ざかろうとした。

「待て待て、どこへ行くんだね?お前の帰るところは、ご両親のところだよ」

 掴まえられて、子羊は少し暴れた。

「帰りたくないのかね?」

 羊飼いはケネの心を知っていた。

 ケネは、死んでも良いと思っているのだと。だけど、両親のことも愛している。その少しの葛藤が、ケネをやっと死の世界に入らせずに踏み留まらせていた。

「生きることが辛いのならば、このまま私と旅を続けるか」

 羊飼いは小さくため息をついて、愛おしそうに子羊を撫でた。

 子羊はその優しい羊飼いの言葉を聞くと、羊飼いをジッと見つめた。

 その羊飼いの目の中には、過去の世界があることを知らなかった。



--- --- ---

 少し前のことだ。学校の帰り道、クラスの男子にからかわれた。

 ケネが歩くその後ろから、

「外人」だの

「黒人」だの

「お前の父ちゃん、働いてねぇんだろ」だの、心ないことをさんざん言われた。

 確かに外人かもしれないが、半分は日本人なのに、と思って、とても悲しかった。

 それに父親はちゃんと働いているし、尊敬できる人物だ。それを、何も知らないのに、外国人というだけで、差別され蔑まれることは、我慢ならなかった。

 角を曲がるまで、男子はひやかしながらついてきた。

 ケネは涙が出るのを必死に我慢して、急ぎ足で歩き続け、角を曲がると、一目散に走り出した。


 ケネが曲がってしまうと、男子はついてこなかった。

 その時、角のところには目つきの悪い中高生がたくさんいて

「ウルせんだ、ガキ!」

「バカガキが、騒いでんじゃねぇ!」

 と、脅すように男子に近づいて行った。

 中高生の手には棒が握られていて、石を持っている人もいて、不穏な雰囲気だった。彼らは、ケネをバカにしていた男子に近づくと、その石をランドセルに投げつけた。

 やられる!と思った男子は、恐れて声も出せず、走って逃げた。

 中高生にとっては、単なる気まぐれかもしれない。だけど、逃げた男子はもう、ケネをからかおうとは思わなかった。



---- --- ---

 それよりさらに前のことだ。

 ケネのピアスがいつのまにか耳から外れて、なくなってしまった。全員が帰った放課後に、ケネが教室の床を這いつくばるようにしてピアスを探していると、1人の男子が教室に入ってきた。クラスの誰よりも背が高く、目つきは悪いが大人っぽい男子だ。その子はケネに向かって手を出した。

「ほら」

 なんと、彼はケネのピアスを持っていた。

「昇降口に落ちてたぜ」

「あ、ありがと」

 彼はピアスを渡すと「じゃあな」と言って、すぐに行ってしまった。



--- --- ---

 忘れていたことも、知らなかったことも、羊飼いの目はケネに教えてくれた。


「ケネ、君は一人じゃない。誰かが必ず君を見ていて、助けてくれるよ。私も、君のことをずっと見守っているよ」

 羊飼いは、ケネに優しく語りかけた。

 子羊は明るい光りの漏れてくる病室を見た。お父さんが讃美歌を歌っているのが聞こえる。


♪Amazing grace how sweet the sound 何と美しい響きであろうか

That saved a wretch like me. 私のような者までも救ってくださる

I once was lost but now am found, 道を踏み外しさまよっていた私を救い上げてくださり

Was blind but now I see.  今まで見えなかった神の恵みを、今は見出すことができる♪


「あそこに帰りたいと君が望むなら」

 羊飼いがそう言い終わらないうちに、ケネは目を覚ました。彼女にとっての悲しみの世界へ帰ってきた。

 しかしケネは、悲しみと恐れを知りながらも、それを乗り越えることを知った。

 苦しみはまだ続くかもしれない。悲しみが襲うかもしれない。けれども、ケネは強くなった。

 両親の大きな愛だけではない。

 たくさんの人に見守られて、本当は懸命に生きているケネのことをたくさんの人が知っていて、いつも何かに助けられていたことが分かったから。

 あのピアスを見つけてくれた男子のような人が、クラスにだっているのだ。それが勇気となって、ケネは帰ってきた。


Amazing grace 驚くばかりの恵みなりき


 父親は娘を抱き、涙にむせびながら賛美を歌い続けた。


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