2-1.ゆれる紫
評価、ブックマーク、ありがとうございます。
遅筆ですが、のんびりお付き合いいただければ幸いです。
神の妻たる巫女姫は、隣国の王族の中から神託によって選ばれるらしい。
今代の巫女姫は、前王弟の庶子の庶子が身寄りを亡くして王城に引き取られたという“王族”と称することにも首を傾げたくなるような娘だった。
それでも神託は絶対。隣国王家としても、扱いに困る娘の収まり場所には最適と考えたに違いない。
勿論、誰も口に出しては言わないけれど。
巫女姫の留学は、庶子としてひっそり田舎暮らしをしていた彼女に幅広い知識を与えるため、また彼女の経歴に箔を付けるために、隣国側から内密に要請して決まったことだとか。
我が国の教育水準は非常に高く、世界中から優秀な学生が狭き門を通って集まってくる。そんな中へ、巫女姫は箔付けのため“国賓”として招かれることになった。
何もかもが異例尽くし。公然の秘密での裏口留学。彼女のことをよく思わない者は大勢いた。
けれど、やってきた巫女姫は春の陽気のような可愛らしい少女で。自分の置かれた環境にも決して挫けず、何事にもひたむきに取り組む姿勢は、次第に周囲の人々を魅了していった。
そして、殿下と惹かれあった。
だけど今回は、そんなことさせない。ずっとずっと独りぼっちで、耐えられずに国へ逃げ帰るよう仕向けてやるわ。
期待と不安で胸を一杯にしたような表情を浮かべて挨拶をする巫女姫を見つめ、わたくしの心は冷たく燃えていた。
◇◆◇
「巫女姫様のご案内役を仰せつかりました、マリアネラ・エヴァ・フェリシアーノと申します。お見知りおきくださいませ」
巫女姫と相対したわたくしは前回と同じ言葉を、前回と同じ調子で口にした。一言一句を覚えている自分の記憶力が疎ましい。
「マリアネラは私の婚約者で、とてもしっかりした女性です。学園生活で困ったことがあったら、何でも相談なさるといい。彼女ならきっと貴女の助けになりますから」
殿下の仰ることも同じ。わたくしが“パートナー”であることを知らしめてくださるお言葉だ。殿下がこうしてわたくしを認める発言をしてくださるから、わたくしは周囲に未来の王后として認められた。
巫女姫は大きな水色の目をわたくしに向けてぱちくりと音がしそうなほどに瞬かせると、その目を殿下に向け直して可愛らしく首を傾げた。
「王太子様は、助けてくださらないのですか?」
「そう言われては、助けないわけにいきませんね」
「まぁ、うふふ」
お答えになった殿下は顔色を変えられることもなく、いたって穏やかな笑みを湛えておいでだ。作り笑顔を向けられたにも関わらず、巫女姫は上機嫌に笑う。
「けれど私は学年も違いますし政務の関係もあって、学園にいないことも多いのですよ。私の代わりはマリアネラがしっかり務めてくれます。頼んだよ、マリアネラ」
「はい、殿下。巫女姫様、わたくしではご不満かもしれませんが、精一杯務めますのでよろしくお願いいたしますね」
「あ、はい! いえ、不満だなんて! えっと、よろしくお願いします」
まるっきり、前回と同じ会話。それなのに、わたくしの心には前回なかった痛みが生まれていた。
わたくしが巫女姫の案内役に選ばれたのは、同年の女性同士という接し易さ故だとわかってはいる。それでも国賓の接待を任されるほど殿下や両陛下に信頼していただけていることが嬉しくて誇らしくて、前回のわたくしはこのお役目を誠心誠意果たそうと思っていたのだ。
「精一杯務めます」と、心からお約束したのに。今わたくしは同じ台詞を、心にもない言葉として口にしていた。殿下や両陛下の信頼に応えられないことが悲しくて苦しくて、それを誤魔化すように微笑んだ。
そんなわたくしにも、巫女姫は屈託のない笑顔を見せた。そして殿下に向けてさらに破顔する。
成人しているのに下ろしたままの長い金髪をふわふわと揺らして、水色の瞳を輝かせるあどけない容貌の少女。なんて素直で可愛らしい人だろう。
わたくしとは、決定的に違う存在。
嗚呼……胸が痛い。
「マリアネラ、大丈夫かい? あまり顔色がよくないね」
「そうですね。少しお辛そうです」
「あ……いえ。ご心配には及びませんわ」
つい色々と考え込んでしまって、二人から気遣わしげに窺われてしまう。
「病み上がりなんだから、無理をしてはいけないよ」
「はい、殿下」
「病み上がり?」
「えぇ、先日少し熱を出してしまいましたの」
「わっ、じゃあほんとに休んでください! 私は大丈夫ですから。王太子様もいてくださいますし」
そう言って一歩殿下に近付こうとした巫女姫に、わたくしの方から踏み出して殿下との間に入った。
「お気遣い痛み入ります。けれどもう、なんともありませんのよ」
巫女姫と殿下を、二人きりになんてできるわけがない。有無を言わせぬように、笑みを強める。
「こうなるとマリアネラは退きませんよ」
「本当にしっかりした方なんですね」
まるで面白い冗談のように、3人で笑った。なんて、白々しい。
それから巫女姫への挨拶を待っている方たちと合流する。
殿下が巫女姫をエスコートなさり、わたくしはその後を侍女のように付いていく。前回は当然に納得できたその処遇が、苦しくて仕方ない。
落とした視線の先で、殿下の燕尾と巫女姫のトレーンが仲良く揺れる。巫女姫のドレスはシルバーピンクから裾に向かって紫に色付いていく可愛らしいデザインで、わたくしの目の前には菫色が広がっていた。
殿下がウェストコートに紫紺色をお召しになるからと、揃えたつもりで瑠璃紺色を纏ったわたくしよりお似合いで。視界が赤く染まる気がして、無理矢理目を逸らした。
前回の同じ場面ではまだこんなことを考えていなかったから、油断した。これからは気を付けなければ。
不意に殿下が振り返られてわたくしの名を呼んでくださった。
「マリアネラ、辛くなったら言いなさい」
「はい、殿下……」
それは殿下がいつも示してくださる“婚約者への思い遣り”に他ならない。けれど胸がじんわりと暖かくなって、余計に苦しい。
“今、辛いこと”は言えない。言えるわけがない。
巫女姫、貴女の目は最初から殿下に向いていた。
殿下は、まだ他の外国要人に相対する時と同じ政治家の目。そしてわたくしには、穏やかに凪いだ眼差しを向けてくださる。
この時点では、わたくしの方が殿下に重きを置かれていたのに。愛情ではなくても、お側にいることを当たり前に許してくださっていたのに。
ねぇ、殿下。貴方の裏切りを知っていても、わたくしはまだ貴方が“好き”なのですね。
◇◆◇
我が国の教育は基本、貴族と平民とで別れて行われている。
貴族は爵位に関係なく、六歳から十五歳までを男女別の寄宿学校で過ごす。歴史、経済、法律、世界情勢、領地経営、医療福祉、身分制度、最低でも三つの外国語、マナーに芸術、兵法、等々。貴族として国の歯車として必要なありとあらゆる知識を徹底的に叩き込まれるのだ。
卒業後は文官や軍人やあるいは家人として働き始め、早々に家督を継いだり結婚する者もいる。
ちなみに、わたくしと殿下の結婚式は再来年を予定して既に準備が始まっている。
平民は男女を問わず同じ学舎で、読み書き計算や日常会話程度の簡単な外国語の他、生活に深く関わるような法律を七歳から習熟度別に学ぶ。だいたい四年から六年でそれを終えると、あとは本人の才能とやる気次第。そのまま働き始める子も多いが、官吏や医師や教師などを目指すのならそれぞれの専門学校で四年ほど学び現場に出る。
ちなみに平民は貴族と比べると晩婚だ。年齢に関わらず、十年働いて一人前と見なされる慣習があるからだとか。
そして貴族平民男女を問わずさらに学問を修めたい者のために、王立高等学園がある。
入学資格は成人つまり十五歳以上である者。寄宿学校もしくは各専門学校、他国の同等教育機関からの推薦があり、入学試験において優秀な成績を修めた者。
政治、経済、司法、医療、福祉、教育、軍事、古事研究。各専門分野のエキスパートを育てる、我が国の最高学府の門は狭い。
平民や下位貴族にとってはのし上がるための茨道で、高位貴族にとってはある種のモラトリアムだとしても、数少ない席を勝ち取った精鋭たちは一様に学ぶ意欲と野心に満ちている。
そんな学園生活のスタートは四月だが、巫女姫は二ヶ月遅れでの留学。人間関係や各々の学業の方向性などが固まり始めた矢先に現れた彼女は、元来“異分子”なのだ。
前回彼女が受け入れられたのは、わたくしが案内役としてきちんと面倒をみていたことも大きいと自惚れでなく思う。
◇◆◇
「教授のお話がちんぷんかんぷんなの」
「巫女姫様は基礎の部分が少し甘くていらっしゃいますからね。こちらを読んで予習なさっては?」
前みたいに、一から噛み砕いて教えてなんかやらない。知っていて当たり前のことだから。
「古代メリア語って、わけわかんないよぉ」
「習うより慣れろと言いますし、普段から古代メリア語でお話しいたしましょうか? 他の皆さんも協力してくださいますわ」
面白がって交わされる会話。入ってこられないのは貴女が勉強不足だから。
「王太子様に会いたい!」
「確か午後の国際法の講義に出席なさるはずですわ。飛び入り可のクラスですから、いかがです?」
第八条二項の解釈についての討論会。意見を求められて何も言えないなんて、学園生失格ね。
「レポートが終わらない」
「まぁ大変! お手伝いして差し上げたいけれど、まずは教授に共著の許可をいただいて参りますわね」
貴女一人で書き上げたなんて、絶対に言わせない。
貴女は、一人でいるべきなのだから。
「どうしてこんな意地悪するの!?」
水色の瞳を潤ませて訴える巫女姫。悲劇のヒロインなんて気取らないで。
「意地悪? 何のことでしょう?」
「困ったら助けてくれるって言ったじゃない!」
「巫女姫様。学問の助けとは、正解をお教えすることではありませんわ」
わたくしは、悪いことなんてしていない。なのにどうして、こんなにも胸が痛いのだろう。
胸を締め付ける違和感から目を背け、わたくしは自分を正当化する。
ここは真剣な学びの場。国賓だろうと巫女姫だろうと、甘やかしては意味がないでしょう。
そもそも貴女の美点はどこへ行ったの? 挫けずひたむきに、学問に励めばいいのに。
水色の瞳は殿下を探してばかり。勿論、見つけられないように立ち回ってはいるけれど、それも学業が疎かになった巫女姫を案じれば当然のこと。
追い詰められた巫女姫は癇癪を起こした小さな子供のように、甲高い声で怒鳴った。
「私は国賓なのよ!」
目の前にいるのは、裏切り者の巫女姫。憎い恋敵。
そんな人物を追い詰めているはずなのに、どうしようもなく、悲しい。
「畏れながら……国を背負うお覚悟があるようには、お見受けできませんわ」
それでも、荒れる内心に蓋をして、わたくしはただ静かに微笑んだ。
◇◆◇
巫女姫はたった三ヶ月で音を上げ、隣国に泣きついたらしい。
けれどわたくしは内々に「もう少し大人の対応を」と苦笑混じりのお小言を貰っただけ。無理を言っての留学故か、やはりそう簡単に帰国とはならなかった。
その代わりなのか、案内役に実力で入学し充実した学園生活を楽しんでいた隣国の侯爵子息が加わることになった。
前回は特に親しくしていたわけでもない彼が関わってくるのは、わたくしが未来を歪めている弊害だろうか。もっとも、かの侯爵家は隣国王家と少し折り合いが悪いと聞くし、それを改善する時期を見計らっていたのはあるだろう。
ただ、子息は見る限り女性の扱いに慣れているようには思えない。生真面目で自分の研究に没頭したいタイプの人間だ。巫女姫をもてあまして、隣国王家と侯爵家の仲を余計に拗らせてしまいそうな気もする。
そんなわたくしの予想に反し、子息と巫女姫は上手くやっているようだ。なんとなく釈然としない。
子息はその真面目さ故か、さすがに名ばかりとはいえ自国の王女を無下にできないらしく、巫女姫のために時間を割いて一から勉強を教え、彼の負担を減らそうと周囲も協力して巫女姫を助けるようになった。
彼らの周りに人の輪ができ、巫女姫も春の日差しのような笑顔を取り戻した。
わたくしが期待したのは、そんな生暖かく優しい世界ではない。
「貴方も大変ですわね。お家のためとはいえ、あのような我儘にお付き合いなさって」
にこやかに毒を吐けば、侯爵子息は銀縁眼鏡の奥から冷たい紫色の視線を返してきた。
「まぁ怖い」
「貴女こそ、巫女姫様にもう少しお優しくなさってはいかがですか?」
「まぁ、わたくしは巫女姫様の御為を思えばこそ心を鬼にしておりますのよ」
「彼女は大切に守られるべき御方だ」
「では貴方がお守りして差し上げたらいかが?」
「無論そのつもりだ!」
「そう……」
まるで前回の殿下を見ているかのよう。それまでと人が変わってしまったかのように、巫女姫だけを追い続ける。
突然恋に落ちると、そうなってしまうのかしら。わたくしはずっと殿下をお慕いしているから、よくわからない。
もしわたくしが前回殿下に苦言を申し上げていたら、こんな風に冷たく突き放されてしまったのかしら。考えるだけで恐ろしい。死の瀬戸際で感覚が麻痺していた時でさえ、殿下から向けられた負の感情が悲しくて仕方なかったのだもの。
そして、ふと思い至る。
巫女姫と侯爵子息が結ばれてしまえば、殿下が巫女姫に懸想なさることもないのでは。
今のところ殿下のご様子はお変わりないし、巫女姫とも極力関わらないようにわたくしが調整してきた。
今ならそういう風に、仕向けられるかもしれない。
「……貴方のお気持ちはわかりましたわ。わたくし、応援いたしますわね」
「は?」
わたくしが満面の笑顔でそう告げると、子息はぽかんと口を開けた。冷たくキリリと張り詰めていた表情からの落差に、少々呆れてしまう。貴族たるもの、あまり感情を表に出してはいけないのだ。
「よくお考えになって。巫女姫様はとても素直なお心の持ち主ですもの。飴と鞭で攻めて差し上げれば、きっともっと貴方にお心を寄せてくださいますわ」
わたくしの笑顔は崩れない。甘い甘い誘惑を、笑顔に乗せる。
「それは……」
冷たかったはずの紫色が眼鏡の奥で危うく揺れる。もう一押し。優しい声で囁いた。
「わたくしが“鞭”、貴方が“飴”ということです」
壊れてしまえ。
隣国のことを考える。
もしも本当に巫女姫と侯爵子息が結ばれて一線を越えてしまえば、大問題になるだろう。下手をすれば、王家と侯爵家と神殿との三つ巴で内乱が起こるかもしれない。
けれどそれは、我が国として見れば決して悪い話ではない。
隣国が危うくなれば、混乱に乗じて獲られるものもあるだろう。周辺国も、渦中の人物が隣国内に収まるのならむしろ火の手を煽りに回るはず。我が国は精々、学園の監督不行き届きを責められるかもしれないが、そこはわたくしの出番。「巫女姫の生活態度を厳しく律していた」という実績は既にあるのだ。そしてそれはこれからも続く。その上で巫女姫が己の責務を放棄したのであれば、責められるのは彼女一人。
侯爵子息がどれだけ自制できるのかはわからないけれど、殿下でさえ最後には巫女姫の手をお取りになった……思い出すだけで真っ赤な闇に囚われてしまいそう。
あの未来だけは、絶対に『邪魔してやる』と決めたのだ。
そのためなら、鬼にも悪魔にでもなろう。
だから、巫女姫。幸せになって、“好き”を貫いて、そこから堕ちていけばいい。
殿下も我が国も巻き込まず、貴女一人で。
服装は19世紀後半くらいの西洋をイメージしています。男性もカラフルがいいなぁと、この国では燕尾服でもウェストコートは白じゃなくていいんです。フィクション(ファンタジー?)万歳。