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n-5.血に宿る色

 “王の血”というものについて調べたのは、いつだったか。

 何度も無意味な自死を繰り返して、自分の役目を思い出して、諦めとも開き直りともつかない自嘲と共に目覚めるようになった、そんな頃。けれど結果は芳しくなかった。わからないことだらけで、何より只人には与えられぬ“力”というものを理解することができなかった。

 わたくしという存在自体が理解の範疇を越えていて、けれどそれは自分自身のことだからと受け入れられたのに、王の血という間違いなく連綿と続いている尊いものの中にわけのわからぬ“力”があるとは信じられなかった。それとも、そんな人智の及ばぬ“力”が相手では未来など変えられるわけがないと、怯んで見て見ぬふりをしたのかもしれない。


 はっきりとしていたのは、我が国の王家の血からはその“力”が失われて久しいということ。それ故か、誰も“血の力”の話をしなくなったということ。

 他国には僅かにでもまだ存在し、しかも時としてとてつもない驚異となりうる“力”について、我が国は一切の情報を封じた。その危険性を語り継ぐのではなく、存在を否定した。

 四百年もの歴史があるのだ。そういう、何か表に出してはいけない事情の一つや二つ、あってもおかしくはないだろう。寄宿学校でも学園でも国史世界史を学ぶ機会は十分にあって、それでも“力”について言及されたことは一度もなかった。

 つまりこれは、いくら殿下の婚約者とはいえ一貴族の娘に過ぎないわたくしが知るべきではない、知っていてはいけないことだ。そう判断する他なかった。


 けれど今、これを誰にも報せなければ国家の危機を見過ごすことになる。知っているはずのないことを知っていたわたくしは、許されないかもしれない。

 そもそもわたくし一人の言葉を、その言葉に込めた覚悟を、父は、殿下は、信じてくださるだろうか……





  ◇◆◇





「おはようございます、マリアネラ様! あれ? 昨夜と同じドレスですか?」

 眠っていられたのは一時間ほどで、疲れの取れていない心と体には溌剌とした巫女姫が余計に鬱陶しい。それでもわたくしより疲れているだろうに今日もきちんと使えるようドレスの皺を伸ばして支度してくれた侍女たちの苦労を思えば、きちんと説明するべきだ。気持ちを奮い立たせて笑顔を作る。

「ごきげんよう、巫女姫様。これは元々、今日のために用意したものですの。ほら、こちらの侯爵家の色が入っていますでしょう?」

「へぇー、色々考えてあるんですね。私、大丈夫かなぁ?」

 巫女姫はそう言って自分の装いを確かめるように頭を捻ってあちこちへ目を遣った。その動きに合わせてふわりとドレスが揺れる。

 光沢のあるペールグリーンのスカート部分は前側が少し短くなっていて、その下に重なったローズピンクのチュールレースはまさに薔薇の花弁のようだ。淡い色合いが巫女姫の明るく可憐な印象を更に引き立てている。

 同じ緑と赤系統の色を纏っているのに、どうしてこうも違うのだろう。

「巫女姫様は明るい色がよくお似合いになりますから、心配いりませんわ。そのお衣装も、丈やボリュームはきちんと慰問用に設えてありますし」

「マリアネラ様がそう言ってくれるなら安心ですね」

 嗚呼、いけない。

 卑屈さも警戒心も恐怖も憎しみも、表に出してはいけない。あくまでも心を許した“友人”らしく、穏やかに微笑む。それができなければ、嘆くことすら諦めるほどに繰り返して今ここに立っているそのすべてが無意味になってしまうのだから。


 見送りに出てきた侯爵は、これまでと変わりないように見えた。

 巫女姫が人を惹き付ける“力”を持っているとして、その効力を最大限に発揮するには昨夜わたくしにしたように一対一で心に訴えかける行程が必要なのではないだろうか。実際、侍女やメイドはあの直後こそなんとなく心をどこかへやってしまったような雰囲気だったけれど、危険を承知であれこれと訊ねても子爵夫人やかつての殿下のように巫女姫を特別視する発言は出てこなかった。


「マリアネラ様。馬車、ご一緒してもいいですか?」

 青朽葉と蘇芳のドレスを殊更喜んでくれた侯爵に勇気付けられ、その手を借りて馬車に乗り込もうとしたところで、後ろから無邪気にもほどがある声を掛けられた。隣で侯爵も目を丸くしている。やはり侯爵には障りないのだろう。

「巫女姫様。わたくし今は陛下の名代として公務に就いておりますの。貴女様も“巫女姫様”としてご同行くださっていると承知しております。公私はきちんとわけてくださいませ」

「あ……ごめんなさい」

 巫女姫はおとなしく自分の馬車へ戻っていったけれど、わたくしが囚われていないことに気付かれてしまっただろうか。それとも既に気付いていてもう一度“力”を使うために同乗しようとしたのだろうか。

 国が“力”について秘匿している以上、巫女姫のことを公にして糾弾するのかそれとも秘密裏に処理するのか、隣国への対応はどうするのか、わたくしには何一つ決定権はない。

 不安ばかりが募る中、今はただ何事もないふりをして耐え凌ぐしかなかった。





  ◇◆◇





 街外れの孤児院は、少し古ぼけているけれど掃除なども行き届いていて子供たちが安心して生活できているのがすぐわかる。ここでは乳飲み子から十四歳まで、八十人ほどが侯爵の庇護の下暮らしているそうだ。国内でも規模の大きい方で環境も良い。我が国の福祉水準として他国の人間に案内するにはうってつけの場所なのだ。

 学舎へ通っている歳の子供たちも、今日はわたくしたちを迎えるために休んだのだそう。


「それは悪いことをしましたね。お勉強は楽しい?」

 目線を合わせるように屈んで訊ねれば、耳まで真っ赤になった男の子が声を上擦らせて答えてくれた。

「はいっ! あ、いいえ! あの、勉強は大事だけど、今日は特別だって先生が……」

「俺! じゃなくてボクは勉強嫌いだから休めて嬉しい!」

「まぁ。二人とも正直者ですね」

 子供たちはとても可愛い。素直にのびのびと育ったのだとわかる屈託のない明るさが愛しい。

 繰り返す中でわたくしを傷付ける民もいた。けれどこうして慰問に廻る度、守りたいと思う気持ちは重なっていくのだ。だってこの子たちは、懸命に生きて未来を夢見ている。国を荒しその夢を潰えさせるのはあまりに忍びないから。

 今度こそ、と、体の前で重ねた手を静かに握り締めた。



 院長との面談も終始和やかだった。日々の運営費は侯爵家が出資し、国からの補助金は設備の補修や自立する子の支度金などに積み立てていると言う。

「進学や就職先に困ることは?」

「男の子はやはり兵士になる子が多ございます。ですが何年か前には高等学園まで進んだ子もおります。あとは大きな街ですから、街の中で仕事を見つける子がほとんどです。侯爵様が経営なさっている織物工場にも毎年一人枠をいただいておりますし、やはり私共は恵まれております」

 巫女姫は感心したように院長の話に聞き入っている。これは姿勢だけなのだろうか。

 彼女に良心があるのなら、自分の行いがこういった子供たちの将来に影を落とすことを憂いて身を引いてくれるのではないか。以前同行を求めた時は『湯殿の件』を回避する目的と同時に、そんな願いもあったのだったと思い出す。巫女姫が元より我が国を乱すために動いているのならあれは最初から無駄なことだったのだと、今更な虚しさと悲しさで苦しくなった。

 感傷に浸っている余裕なんてないのに。


「……マリアネラ様? どうかしました?」

「いいえ。さぁ、では参りましょうか」

 後は時間が許す限り子供たちと交流できる。院長の案内で一番小さい子たちが寝ている部屋を覗いてから、他の子たちが集まっているホールへと向かった。


「キラキラのお姫様が次の王妃様?」

「違うよ! オータイシヒ様!」

「キラキラのお姫様は神様のお嫁さんでしょ。王子様のお嫁さんになるのは黒いお姫様の方」

「えー、俺キラキラの方がいい!」

「神様と王子様なら交替してもいいじゃん?」

 人数が増えれば自然と声も大きくなり、賑やかな会話が廊下まで響いてくる。その内容に院長がギクリと足を止めた。

「でも黒いお姫様は侯爵様のドレス着てたよ。だからきっといい人だよ!」

「キラキラのドレスがかわいかった。それにニコニコしててやさしそう」

「うーん。黒い方はすっごく綺麗だけど、だからかな、ちょっと怖いね」

「お前フケーザイで逮捕されるぞ!」

 振り返った院長は体を折り畳むほどの勢いで頭を下げたけれど、一瞬見えた顔は気の毒なほどに青ざめていた。

「も、申し訳っ……」

「子供の言うことですから、気に病みはしません」

 それ以外に、何と答えられよう。

 不快感に眉を潜め、ともすれば非難の声を上げて院長に詰め寄ろうとする周囲の者を諌めて寛大な態度を見せる。それが王太子妃としての模範解答だ。それなのに。

「止めて参ります」と言ってもすっかり萎縮してしまった院長が動き出すより早く、巫女姫がその脇を抜けてホールへ入っていった。

「こらぁ! 聞こえてますよぉ!」

 決して怒っているようには聞こえない声色に、一瞬静まり返って張り詰めた空気もゆるゆると笑いに変わる。

 子供相手ならこういう反応でもきっと正しいのだろう。けれど、わたくしが笑われる筋合いなんてない。嗚呼でも、わたくしだって出来の悪い巫女姫を見下し笑っていた。これはその報いなのだろうか。


「……わたくしの悪口を言ったのは誰かしら?」

 大人げないとわかっていてもどうしてか笑って流すことができなくて、ホールに入るなり子供たちを見渡して首を傾げた。また一気に緊張が高まる。息を飲む音が聞こえてきそうだ。

「お……俺ですっ!」

 年長の男の子が一人、弾かれたようにわたくしの前に飛び出てきた。十一、二歳だろうか。可哀想なくらい震えているのに、鳶色の目はわたくしをしっかり見上げてくる。

「ごめんなさい……他の子は、悪くない、から……」

 鳶色の瞳にそれより濃い栗色の髪。この子でさえ色を持っているのに、どうしてわたくしは真っ黒なのかしら……


 両親から受け継いだ黒を嫌いだとは思えなかった。生まれ持ったものを変えることなんてできないのだし。だからただ、他の子が羨ましかった。幼い頃はよく『殿下と並んで見劣りする』と影で笑われていたから。成長し他の部分で補えるようになってからは言われることもなくなったけれど、どうしたって可愛らしい色は似合わないし纏う空気は華やかではない。


 嗚呼、子供たちはとても素直で、残酷だ。そしてとても優しい。


「わたくしの扱いは王族に準じます。王族への誹謗中傷は鞭打ち、程度に応じて十回から百回……」

 男の子がぎゅっと体を縮める。巫女姫が「マリアネラ様っ!」と悲鳴のようにわたくしの名を呼んだ。それが余計にわたくしを苛立たせる。

「……ですが、貴方の正直さと他の子を庇った勇気に免じて許しましょう」

 男の子は腰が抜けたのだろう。へなへなと崩れ落ちて小さく泣き出してしまった。院長が飛んできてその子を抱き締め何度も頭を下げる。

「巫女姫様もわたくしも、『キラキラ』や『黒い方』だなんて呼び方をされる身ではありません。互いの立場を入れ替えることもできません。軽々しいことを言わないよう、それだけは覚えておきなさい」

 自己嫌悪から目を背けるように言葉を探して釘を刺す。これは正当な主張だと示さなければ、今すぐここから逃げ出したいと叫ぶ心に負けてしまいそうだ。


「もー、マリアネラ様ったら大袈裟ですよぉ」

 機を計っていたのか、巫女姫が柔らかな声で言い蹲ったままの二人に手を差し伸べる。

「さ、もうこれでおしまい。皆で遊びましょ!」

 慈愛に満ちた優しい眼差しは“神の妻”として人の子を守るに相応しい温かさで。あれだけ『嫌だ』と喚いていたくせに、今更そんな振る舞いをするなんて。まるでわたくし一人が悪者のようじゃない……

 それでもわたくしはきちんと笑って同意したのだろう。巫女姫が子供たちを呼ぶ。おずおずと、明るい空気を求めるように巫女姫の側に集まった子供たちは、やがて可愛らしい笑い声をあげてはしゃぎだした。


 視界が赤いわけでもないのに、どろどろとした感情が胸の内を渦巻いて苦しくて堪らない。

 子供たちはとても素直だ。厳しく根暗なわたくしよりも、明るく素直で可愛らしい巫女姫を選ぶ。未来の王后としての資質なら巫女姫は勿論他の令嬢たちにだって絶対に負けないのに。人間としての魅力では及ばないというのだろうか。

 殿下が巫女姫にお心を寄せられたのも、結局はそういうことなのかしら。“力”で奪われてしまっただなんて、都合のいい希望を持ってはいけないの?


「マリアネラ様! 一緒に遊びましょう!」

 キラキラと、満開の笑顔で巫女姫がわたくしを呼ぶ。淑女らしからぬその笑顔を、他の人なら愛するのでしょう。

 それでも、わたくしは──


 子供たちに近付き目線を合わせるように屈む。

「わたくしとも遊んでくれるかしら?」

 一番近くにいた女の子が困ったように視線を足元へ落とす。

「怖い?」と訊けばふるふると小刻みに首を横に振った。まぁ確かに、ここで頷くことはできないだろう。けれど意外なことに、その子はゆっくり顏を上げるとその途端わたくしに勢いよく抱き付いてきた。

「……怖くないよ。綺麗だからビックリするの」

 つきりと、胸が痛む。あんなに怖がらせてしまったのに、なんて優しい……

 小さな温もりに戸惑いながらも頭を撫でてやると、その子はくすぐったそうに笑った。

「柔らかぁい。あといい匂いがする……オカアサンみたい」

 すると「ボクも私も」と周りにいる子たちも次々にくっついてこようとし始めた。子供とはいえ大勢に詰め寄られる状態はやはり苦手で、やんわりと距離をとる。それがいつの間にかおいかけっこに変わった。

 走ることのないわたくしはすぐに体力的にも精神的にも疲れてしまって、侍女や護衛のいる端の方で椅子に腰掛けて休むことに。両脇に控えた護衛兵は本当に『怖い』のだろう。子供たちはわたくしを気にしながらも近付いてはこれないでいる。

「お疲れでいらっしゃいますね」

「えぇ、今夜はぐっすり眠れそうよ」

 侍女とそんな会話をしながら、まだ遊んでいる巫女姫と子供たちを眺めた。


 無邪気にはしゃぐ巫女姫の姿は子供たちと同質で、それなのに彼女を好ましいとは到底思えない。

 考えなしで我儘で、殿下と我が国を脅かす『魔性』の女。わたくしとは決して相容れない存在で、なのにそれを『悲しい』と思ってしまうのは、心のどこかがまだ彼女に囚われているからだろうか。

 あの娘がいる限りわたくしは救われないのに。

 この子たちも守れないかもしれないのに。





  ◇◆◇





 孤児院を発つ時には子供たちはもう巫女姫にべったりで、ぐずって泣き出す子を微笑ましいと思う半面、これが巫女姫の“力”によるものだったらと思うと寒気がする。

 一対一での効力はわたくしの仮説でしかないし、子供たちの純粋な心は動かし易い可能性だってある。普通の人でも楽しい時間を共有すればある程度の好印象を得るのは当然だけれど、それを強化する“力”だとすればより自然に人を惹き付けられる。一定の好感までは時間や経験の共有で、それ以上を求めるのなら一対一でより強い“力”を使う。そういう仕組みじゃないだろうか。


 焦燥とも高揚ともつかない感情が込み上げる。

 巫女姫の本性を暴いてしまいたいけれど、今はまだその時ではない。

 おそらく今頃、父の元に手紙が届いているだろう。父が今夜中に手を打ってくれたとして、わたくしへの今後の指示を記した手紙が返ってくるのはもう二三日先だろうか。

 ともかく、巫女姫が王都に戻ってからが勝負だ。


 真っ白な可愛らしい馬車に乗り込む巫女姫を見遣り堂々と微笑む。

「では巫女姫様、道中お気を付けて」

「はい。マリアネラ様も」

 当たり前の挨拶に他意はないと思うのだけれど、やはりすんなりとは受け取れない。

 走り去る馬車を見送って自分の馬車に乗り込むその足は微かに震えていた。

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