表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/25

n-2.赤い仮面

 ご無沙汰しています。また頑張ろうと思います。

 飽きるほどに見慣れた、美しい大広間。着飾った人々。愛らしい少女。わたくしは優雅に礼をとる。


「巫女姫様のご案内役を仰せつかりました、マリアネラ・エヴァ・フェリシアーノと申します。お見知りおきくださいませ」


 嗚呼、胸が痛い。

 心なんてとっくに麻痺してしまっているはずなのに、何度繰り返しても苦しくなってしまう。

 自分を解放してくれる存在を求め、期待と不安に瞳を揺らす巫女姫。彼女だって、ただ幸せになりたいだけなのに。

 何も知らず、わたくしに「任せた」と仰る殿下。じきにその翡翠の瞳は、巫女姫の姿を追いかけるようになるのに。


 簡単なお喋りをして、やがてお二人が踊りだす。ここまでの流れはいつも大して変わらない。

 勉強はあまり得意でない巫女姫だけれど、ダンスの足運びはとても軽やかで無邪気な笑顔も相まって妖精が舞っているかのようだ。美しい王子様と踊る妖精だなんて、まるで子供騙しのお伽噺を見せられているみたい。

 シャンデリアの灯りに照らされて、キラキラと光り輝く美しい人たち。わたくしにはない美しい色が赤に塗り潰されていく気がして、瞬きに誤魔化してそっと視線を逸らした。


 諦めてもこびりつくこの恋心は、邪魔でしかないのに。

 見たくなくて、でもどうしても視線は追いかけてしまって、高鳴る鼓動が愛しくて厭わしくて堪らない。わたくしの“好き”はもはや呪縛で妄執だ。


 わかっているのだ。何をしたって無駄なことも。それでも何かしなければならないことも。もし解決の糸口が見つかったとしてもわたくしは、否、きっと殿下や巫女姫も、幸せにはなれないことも。

 三者三様、望みは叶わない。叶っては、いけない。

 それが悲しくて苦しくて、回を重ねるごとに胸の痛みは増すばかり。



 巫女姫の腰を支えくるりとターンをなさった殿下が少し顔を上げられた拍子に目と目が遭って、翡翠の瞳がほんの少し細められた。きっと恨めしい顔をして見つめていただろうわたくしは、今更でも精一杯微笑むしかなかった。





  ◇◆◇





 試行錯誤の時間は十分すぎるほどあり、学園でのわたくしは“巫女姫のよき友人”という立ち位置でいることが一番動き易いとわかっていた。

 巫女姫の勉強を根気よく手伝い、信頼を勝ち取り、周囲との仲を取り持ちつつ調整する。これまでの出来事と今とを擦り合わせ、慎重に“最善”の対応を選びとる。

 それは癒えることのない傷口に更にナイフを突き立てるような痛みを伴う作業だけれど、嘆いたところで他に手立てはないのだ。



「マリアネラ様、見てくださいっ! 小テスト、教えてもらったところが出て満点だったんです!」

「まぁ、つまずいていらしたところもきちんと解けていますわ。よく頑張られましたね」

「えへへ。マリアネラ様のお陰です」

 わたくしがきちんと面倒を見ていれば、侯爵子息はしゃしゃり出てこない。

 繰り返すうちにわかったこと。彼はやはり隣国の貴族としても珍しく特に信仰心の厚い人物で“神の妻”たる巫女姫に忠誠を捧げ、彼女が虐げられることのないようあれこれと介入していたのだ。そこに幾ばくかの憧憬があったのも間違いではないようだけれど。

 ならば巫女姫を巫女姫らしくさせることには協力してくれるだろうとわたくしの方から近付いてみた折には、あらぬ噂を立てられる羽目になった。

 結局、子息には近付かないのが一番なのだ。そのためならば、巫女姫へ微笑み掛け優しい言葉であやすことくらい造作もない。偽物の優しさに騙される巫女姫を見ていれば、少しは溜飲も下がると言うものだ。



「最近、王太子様をお見掛けしませんねー」

「ご公務がお忙しくていらっしゃるのですよ」

「寂しいですねぇ」

「えぇ、それはもう。まるで火が消えてしまったようですもの」

「まぁ、お熱いこと」

「あら、皆様だって殿下のお姿を拝見した日は一日気持ちが昂っていらっしゃるでしょう?」

「それは、確かにそうですわねぇ」

「軍服をお召しのままで登校なさった日なんてもう……」

「あぁ、かっこよかったですよね!」

「眼福でしたわぁ……」

 頬を染めて甘い溜め息を吐く少女たち。小さな棘が刺さったように、心がちくりと痛む。

 繰り返すうちに気を付けるようになったこと。巫女姫とは二人や三人きりにならず、人の輪の中で過ごすのだ。

 彼女はとにかく、人との繋がりに飢えていた。長く日陰に追いやられていたのだから、その欲求は抑え込めるようなものではない。

 ただ、繋がる相手は殿下や侯爵子息や平民の学生でなくてもいい。むしろ、奔放に振る舞う彼女を遠巻きにしていた、わたくしの信奉者を始めとする高位貴族の令嬢たちこそが、真に巫女姫と関わるべきだったのだ。

 気品と貞淑さを美徳とし、けれど集まれば綺麗で可愛くて美味しいものの話に花を咲かせる少女たち。そこに混ざれば、巫女姫も“普通の女の子”になった。


「私が、何だって?」

 背後から掛けられたお声に慌てて振り返り立ち上がって礼をとる。

「殿下、いつから聴いていらっしゃったのです?」

「君が『火が消えたようだ』と嘆いていた辺りから」

「まぁ、それはわたくしだけでなく女子学生皆の嘆きでございますわ」

 同意を求めるように令嬢たちを見回すと、皆はにかんだ顔を扇子で隠しながら頷いている。巫女姫もそれに倣うように照れ笑いをしていた。

「それは光栄だね」

 殿下がわたくしと巫女姫の間に椅子を用意させお掛けになる。わたくしも何でもないふりをして、微笑んだままお隣に座る。

「だが私は貴女方の夫君に恨まれはしないかな?」

「まぁ、殿下。畏れ多くも殿下への敬愛と浮気心の違いもわからぬ夫など、こちらから願い下げでございますわ」

「これは手厳しい。くれぐれも夫婦円満に頼むよ」

「心得ております」

 和やかでキラキラとした時間は、わたくしの心にだけ醜い澱みを積もらせていく。


 わたくしが巫女姫の話し相手として令嬢たちを選んだ理由はもう一つ。皆、既に夫のある者ばかりだからだ。彼女たちが結婚してもなお殿下に憧れ、けれどきちんと割り切っている姿を見て、巫女姫にもそうなってほしいと願ったのだ。

 美しい宝石やドレスや甘いお菓子を愛でるのと同じような感覚で、殿下のお姿に胸をときめかせているだけ。勿論、手を伸ばしてはいけないことなど承知の上。恋ではなく、素晴らしい御方を素晴らしいと称賛しているだけなのだと、そんな風に気持ちを変えてほしくて。

 けれど、皆が色とりどりの瞳を輝かせて殿下を見つめているこの状況に、醜いわたくしの心は怨嗟を吐いてしまう。

 巫女姫の“好き”が根を張る前に摘み取るため、他に方法はないと自分でこうなるよう仕向けたのに。殿下を独り占めにすることなんて、許されないのに。甘酸っぱい仄かな憧れでさえ、わたくしの心は許容できないのだ。

 こんなどろどろとした気持ちを笑顔で押し込めるわたくしを見たら、あの男はきっと嘲笑を交えて言うだろう。


『お前の魂は真っ黒だ』


 わかっている。自分が矛盾だらけで歪であることなんて、痛いくらいにわかっているから。醜いモノが溢れ出さないよう幾重にも蓋をしてその周りを揺るぎない微笑で覆って、それでも結局いつかは壊れてしまうのだ。

 今度はいつまで保つのだろうと小さく震えるわたくしに、巫女姫は屈託なく笑い掛ける。

「王太子様って、ほんとに素敵な方ですね!」

「……えぇ。我が国にとってかけがえのない御方ですわ。わたくしも心から敬愛申し上げ、永久にお支えしたいと思っておりますの」

 この気持ちだけは変わらない。だから、壊れてしまうその瞬間まで足掻き続けるしかないのだ。





  ◇◆◇





 季節はゆっくり進んでいく。

 巫女姫はそれでも春の陽気のように変わらず多くの人を惹き付けていた。

 殿下との仲に異変はない。けれど、恋に現を抜かしていないからこそ、何事にもひたむきでいつも笑顔を絶やさないその本質が益々輝きを増していく。何度繰り返しても、巫女姫はいつまでも綺麗なままだ。

 純粋で自分の心に正直で、時に素直過ぎて、わたくしを苛立たせる。それでもわたくしは、傷だらけでどろどろに膿んだ心をひた隠しにして微笑むのだ。

 すべてはこの国のため、殿下の安らかな御代のためだから。



 夏の暑さも一段落した頃、とある伯爵家にスキャンダルが持ち上がった。贈収賄に横領、いったいどれだけ金に困っていたのだろうと、学園内も社交界も眉を潜め、けれど下世話な憶測で盛り上がっている。

「あの方、よく恥ずかしげもなくマリアネラ様のお衣装を真似ていらしたから」

「少しでもお近付きになりたい気持ちはわかりますけれど、それで盛り立てるべきお家を傾けては本末転倒ですわね」

「確か伯爵夫人も浪費家だったと聞いた覚えがありますわ」

「もう会えないんですか?」

「そうですわねぇ。主犯のお父上は爵位剥奪、嫁ぎ先からも離縁されたという話ですから、ここに戻ってこられることはまずないでしょうね」

 そう聞かされて寂しそうに俯く巫女姫の口元は固く引き結ばれていて、見ようによっては悲しみではなく苛立ちを抑えているかのようだ。実際、そうなのだろう。

 巫女姫はいなくなった令嬢の手引きで、殿下と湯殿で鉢合わせる計画だったのだから。

「マリアネラ様、どうにかなりませんか? 彼女が何かしたわけじゃないのに、このままじゃ可哀想です」

 会話を静観していたわたくしに、巫女姫が瞳を潤ませて訴えてくる。いくらわたくしがこの中で一番権力に近い場所にいるとはいえ、わたくしを出し抜くための人員の救済をわたくし自身に頼むだなんて、いったいどういう神経をしているのだろう。

 わたくしははっきりと首を横に振った。

「貴族とは家の名と共にあるものですわ。伯爵家はルールを破り、王家と国家を裏切ったのです。相応の罰を下さねば民にも示しがつきませんもの」

「そんな……」


 かの伯爵は城内の人事に広く口利きができた。気さくで弁も立つその人柄故とされていたが、実態はただの斡旋業者だったわけだ。

 殿下の湯殿を支度したのが伯爵の口利きで勤めるようになったメイドだということは、調べてもらってわかっている。後は半分暗黙の了解となっていた伯爵の悪行を白日の下に曝け出せばいい。それに他でも所謂“日頃のお礼”などとして見て見ぬふりをされてきた悪しき慣習を、そろそろ完全に撤廃すべきだったのだ。伯爵家には殿下の御代の安寧のため、生け贄となってもらうしかない。

 たとえそれが、わたくしを気遣う言葉を一番よく発してくれていた、嘗ては友人とまで思えた令嬢の実家だとしても。


「わたくしも仲良くしていただいていましたから、残念に思っていますわ」

 寂しそうに、悲しそうに、微笑めているだろうか。

 不穏の芽を一つ摘んでも、心は晴れない。いったい後どれだけの人を不幸にすれば、殿下とこの国を幸せにできるのだろう。



 何度目かの視察の時にわたくしと巫女姫の二人だけで逃げるよう仕向けた侍女も、些細な不手際を理由に降格させた。

 孤児院慰問の打ち合わせ中にわざと紅茶を浴びた手の甲はヒリヒリと痛むけれど、わたくしはもっと激しくて悲しい痛みを知っているから。彼女の人生を台無しにしても、守るべきより多くの人生があるから。

 立ち止まるわけにはいかない。


 伯爵家の金銭問題の処分と併せて城内人員の大幅な配置替えも行われた。この辺りはわたくしが直接手を出せる問題ではないけれど、事態の大きさを鑑みれば当然の判断が下されただけのことだ。

 巫女姫の周りから協力者を排除する。重要なのはただそれだけ。

 欲を言えば隣国の侯爵子息にも国へ帰っていてもらいたいけれど、彼をそういう状況に追い込むのはリスクが高い。関わりの少ない現状を保ち秘密裏に監視する方が効率的だ。


 わたくしが侯爵家の諜報員から報告を受けるのを、父は複雑そうな面持ちでも見守ってくれている。

 実家の力をみだりに使うことは本来、わたくしに許されていない。なので何度か前までは特定の主人を持たない情報屋を雇ったりもしたけれど、結局はより多く金を積んだ方に寝返られてしまったし、わたくしのような世間知らずが裏稼業の人間と直接渡りをつけるのはそれだけで大変な労力を使う。父に「何も訊かずに信用できる人手を貸してほしい」と頼み込む方が余程安全で確実だった。

 その人手を使ってやっていること自体は、幾人かの監視やそれを基にした匿名での不正の告発くらいなので、父もまだしばらくは静観してくれるだろう。


「……いつかは出さねばならない膿だったが、この時期にお前が、しかも内密に動く必要があったか?」

 深みのある声はわたくしを案じているようで、疑っているようでもある。

 父からしてみれば、これまで決して出過ぎた真似をしなかった娘が急にあれこれと腹芸をし始めたのだ。このくらいの口出しは甘んじて受け入れなければいけないだろう。

 わたくしは父の海の色をした瞳をまっすぐに見つめて微笑んだ。

「……えぇ。少し、邪魔でしたので」

 これ以上のことを語るつもりはないと、言外に滲ませて。

 諜報員たちはわたくしが命じるままに仕事をしてくれるけれど、彼らが忠誠を誓っているのはわたくしではなく侯爵家当主たる父だ。だから彼らが父に報告を流すことを止める権利はないけれど、わたくしの口からすべての事情を話す気もない。

 話したくないことが、多過ぎる。

 父は「そうか」と軽く目を伏せ「身の安全はきちんと確保しておきなさい」とありがたい助言をくれた。



 これまで巫女姫に協力したとわかっている者はすべて遠ざけた。わたくしが王都を離れている間、殿下と巫女姫の仲が進展する可能性は限りなく零に近付いたはずだ。

 これで駄目なら、次はどうすればいいのだろう。


 今日も楽しそうにお喋りに興じる殿下と巫女姫を始めとした令嬢たち。その誰もに、殿下は変わらない穏やかに凪いだ笑みを向けていらっしゃる。それは勿論わたくしに対しても同じことで。

 安堵と絶望が胸の奥でぐちゃぐちゃに暴れている。


 巫女姫が“そう”ならなくとも、わたくしが殿下の“特別”になることは決してないのだと、現実が嘲笑う。その現実に背を向けて逃げ出してしまいたいけれど、逃げる場所なんてどこにもない。

 笑顔を張り付けたまま必死に状況を観察し続けるわたくしに、殿下と巫女姫が揃って何か言いたげな視線を送っていた。

 視界が、思考が、真っ赤に曇ってしまわないよう、意識する時点で囚われているのに、気付けないのはどうしてかしら。呪いだと、言ってしまうのは簡単だけれど。


 わたくしは平静を保っていた。少なくともこの時、大多数の目にはそう見えていた。それは間違いない。

 けれど世界はいつだって思わぬところから崩れてしまうのだ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ