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4-1.まよう

 10月28日更新分と、前半は同じ内容です。後半に新しい内容を足し、一話あたりの分量を他と同程度にしました。

 父はまず、小さく息を飲んだハンナに他言無用を厳命し退出させた。それからわたくしに訊ねた。

「何故?」と。それは当然だろう。わたくしだって、許されないことだとわかっている。それでも、禁を破ってでも父に頼むのは、わたくし一人の力ではどうにもならないと思い知らされているからだ。

 正気を失ったと思われるのを覚悟して、これまで三度の事情をこと細かく説明すれば、父は最後に一つ深い溜め息を吐いた。

「……今言ったことは忘れなさい」

「でもお父様」

「忘れなさい」

 きっぱりと取り付く島もなく言い切られて、絶望が心を塗り潰していく。

 父ならば、わかってくれると思ったのに。誰よりも国を想う父ならば、巫女姫がこの国にもたらす害と益とを秤にかけて、恐ろしい選択すら善しとしてくれると思ったのに。

 わたくしを、信じてくれると。


 父の眉間の皺はもはや溝のようになってしまっていて、それが余計にわたくしを悲しませた。

 熱にうかされ国賓暗殺を願った愚かな娘。父の海の色をした目には、わたくしがそんな風に映っているのだろう。国の要とすべく育てた娘が世迷い事を言い出した衝撃は計り知れないものだろう。父にそんな思いをさせていると考えると悲しくて、申し訳なくて。

 わたくしはフェリシアーノの娘なのに。フェリシアーノの娘だからこそ、実家の力をみだりに使ってはいけないのに。そう教えられてきたのに、もう父に頼るより他に道があるとは思えなくて。

 ごめんなさい。でもどうか……お父様、助けて……



 それを実際口にしたかは定かでない。

 父との密談で精魂を使い果たしたわたくしは再び意識を失い、赤い闇の狭間を彷徨うことになった。

 今度は夢だとわかっている。それでも、夕陽に照らされた白銀と金色が仲良く寄り添って歩いていくのを見ると気が狂いそうで。その姿が真っ白な礼装に変わって、煌めくシャンデリアの下で楽しそうに踊るのを、わたくしは鉄格子の隙間から見ていることしかできないのだ。

 これは夢だ。けれど、この悲しみは本物で。どれだけ手を伸ばしてもあの背中には届かない。わたくしの想いは、届かない。これは紛れもない事実。

 嫌だ。そんなの、嫌だ。

 『邪魔してやる』

 届かない手を必死に伸ばして、願う。貴女さえ、居なければ──


 ぐるぐると廻る悪夢に魘され目を覚ましては恐怖と罪悪感に震える日々。今までより回復が遅いのは、それだけわたくしの精神が疲弊していたからだろう。


 何もできないまま、ただ徒に時間だけが過ぎていく。そう思っていた。

 けれど、わたくしの願いは呆気なく叶えられた。



 何度目かの覚醒。全身にぐっしょりとかいた汗が気持ち悪くて、苦し紛れに息を吐いた。

「嗚呼マリィ、気が付いたのね」

 振ってきた母の笑みは大輪の花が開くような艶やかさで、その眩さにわたくしは思わず開いたばかりの目を細めた。

「まだ辛いの?」

「いえ……幾分かましになりました」

「そう、よかったわ」

 母はハンナから濡らした布を取り上げて、わたくしの額に浮かんだ汗を拭ってくれた。侯爵夫人、しかも生まれは公爵令嬢である人がこんなことをする必要はないのに。荒くれ者と兵舎で寝起きを共にしていたため大抵のことを自分でやってしまうような、軍属経験者の父とは違うのだから。

 わたくしが戸惑いを隠せなかったからだろう。母は肩を竦めておどけてみせてから、ハンナに布を返し場所を代わった。

「出掛ける前に顔を見に来てよかったわ。貴女と久しぶりに話ができて、嬉しいこと」

「ご心配をお掛けしました」

 ハンナの手を借りて上体を起こした。まだ少し目眩がするけれど、ハンナがてきぱきと重ねたクッションに背を預けてやり過ごす。

「貴女、そんな状態じゃ明日の式典に出るなんて無理だわ。お父様が何と仰ろうと、わたくしは反対ですからね」

 わたくしだって、できることなら出たくない。けれどそう言うわけにもいかず黙っていると、誰かが居間とこの寝室を繋ぐ扉をノックした。

 ハンナが扉を開けると、そこにいたのは母の侍女で急ぎだという手紙を持っていた。


 メイドと侍女の違いは何よりも、本人が貴族かどうか。メイドの中でも料理や掃除だけを仕事にする者は領民から雇うし、ハンナのような部屋付きは家臣の娘であることが多い。対して侍女は他家の女性だ。秘書兼お茶の相手をするのが仕事で、主人と同年代か寄宿学校を卒業したばかりの令嬢が結婚までの数年間勤めるかのどちらか。

 手紙を持ってきたのはわたくしより一つ歳上の子爵令嬢で、来年婚約者が高等学園を卒業したら結婚するらしい。我が家の侍女として働くことで、将来の夫も我が家と縁が繋がるというわけだ。そしてあわよくば、わたくしの侍女として王城に上がることも期待しているのだろう。

 子爵令嬢はわたくしの様子が気になるようだったけれど、そこはハンナがしっかりと立ち塞がってくれて寝室には一歩も入れさせなかった。

 ハンナが侍女からやや強引に預かった手紙を母に渡し、苦笑しながら受け取ったそれに目を通した母は、僅かに表情を強張らせた。

「……お母様?」

「何でもないわ。いいこと? 貴女はとにかくしっかりお休みなさい」

 一瞬で不穏の影を消し去り華やかな笑みでそれ以上の質問を許さないことを示すと、母はハンナにわたくしのことをよくよく頼み部屋を出ていった。



 数時間後、共に帰ってきた両親がもたらしたのは、『巫女姫が死んだ』という報せだった。





  ◇◆◇





 三日後、本来なら初めての登校日。巫女姫は白い棺に納められ隣国への帰路に就いた。

 なんでも、急に暴走した馬車が河に落ちたらしい。発見された水死体は醜く膨らみ見られるモノでなかったとか。轢かれたり一緒に溺れたりで、護衛の兵士も十数人が死傷した。

 隣国は勿論大いに怒り悲しんだが、目撃者の証言からも不慮の事故であることに疑いはなかった。


 別に彼女を、わたくしと同じ目に遭わせようだなんて思いはしなかった。同じ体験をしても同じ痛みを感じるとは限らないし、この痛みと悲しみを彼女と共有するなんてごめんだ。二度と殿下とわたくしの前に現れなければそれでいい。ただ、それだけだった。

 けれど、狭い馬車の中、逃げ場もなく溺れるのを待つだけの最期は、とても怖かっただろう、苦しかっただろう、と。そう考えるととても悲しくて苦しいのに、自然と口元に笑みが浮かんでいて、そんな自分が堪らなく恐ろしかった。


 父はただ「忘れなさい」と言うだけで、何も教えてはくれない。

 母は「お可哀想に」と言うだけで、何をどこまで知っているのかすらわからない。

 わたくしは、とんでもないことを願ってしまった。結果、巫女姫は本当にこの世からいなくなってしまった。それだけは揺るぎない事実で、わたくしが背負うべき咎だ。

 重たくて、けれど希望に満ちた、わたくしの罪。これで殿下は、この国は、真っ当に進んでいく。そう信じて、わたくしは胸の痛みにそっと蓋をした。






  ◇◆◇





 それからの学園生活は本当に穏やかで、わたくしはただ微笑んで与えられる課題を淡々とこなしているだけでよかった。

 筆がのってきたところで「わからない」と水を注されることも、廊下の向こうから大声で呼び掛けられることもない。向けられるのは無邪気な笑顔ではなく、畏怖と尊敬と少しの嫉妬。

 何も変わらない。何の心配もいらない。

 それなのに、胸にぽっかりと穴が開いているかのような、虚しくて心許ない感覚がなくならない。



「何か悩み事かい?」

 殿下の笑みは相変わらず穏やかに凪いでいらっしゃる。巫女姫に向けていらした熱が、わたくしを見つめる翡翠に宿ることはない。そのことに、この頃は悲しみよりも罪悪感ばかりが募るのだ。

 殿下はきっと、もう二度と“好き”を見つけられない。わたくしが奪ってしまったから。それが嬉しくて悲しくて苦しい。


 反射的に立ち上がって礼をとったわたくしは、殿下が向かいの席に腰掛けられるのを待って自分も座り直した。一緒にいた信奉者たちが遠慮して席を移ろうとするのを、殿下にお伺いしてこの場に留める。

「マリアネラの友人なら、是非」

「恐悦至極に存じますわ」

 信奉者たちは僅かに頬を赤らめて各々の席にいそいそと腰を下ろす。殿下もご学友を連れていらしたので、一気に大所帯となった。今やカフェ内の視線が全てこちらに向いている。

 こんな風に派閥作りのような真似をするのは、あまり善いことではない。けれど身を守るためにはどうしても必要なことだった。


 巫女姫を唆しわたくしを殺す算段をした者が、学内にいるはずなのだ。この派閥はその者に対する牽制と挑発の両面を持っている。

 友人と信じることはもう難しいけれど、少なくとも同席を許した信奉者たちはわたくしに害を為す理由を持たない家の者だ。彼女たちを殿下の派閥に組み込むことで、わたくしは周囲に寛容さを示すと同時にこの状況が面白くないと反応した者を要注意人物として注視できるというわけだ。

 また殿下のご学友は、ほとんどが将来国政の中枢を担う方々だ。今まであまり懇意にしてこなかったのは、わたくしと彼らが親しくなると父の影響力が強くなりすぎるとの懸念があったから。けれど今や、父の敵になり得る者はできるだけ排除しなければならない。父が何をしてくれたか、わたくしは知らないけれど、それが表沙汰になる可能性を減らせるに越したことはないのだ。

 基盤固めなんて、誰しもがやっている。ましてやわたくしは殿下をお支えする身。その土台が強固であることは歓迎されるべきだ。反発するなら、それは敵でしかない。



「それで、私の大切な婚約者は何をそんなに憂いているのかな?」

 少しからかうような口調で仰って首を傾げられる殿下。殿方なのにどうしてこんなに美しくていらっしゃるのだろう。溢れる色気に見惚れてしまう。

 対するわたくしの笑みはきっとぎこちなく強張っているだろう。いつの間にか、笑うのが随分と下手になってしまった気がする。

「はい、殿下……このところの長雨を心配しておりますの」

「あぁ。確かに気になる降り方だね」

 他の者も殊勝に頷いたり同意を口にする。その中で殿下だけが笑みを深くなさった。心臓が勝手に高鳴って、それなのに作り物の笑顔が悲しくて。わたくしの理性と感情は未だにバラバラだ。

 嘘を申し上げているわけではない。夏頃から曇りがちで、季節が進むにつれて益々雨が多くなっている。それを『巫女姫を喪った神の嘆き』だとか『天罰』だとか囁かれているのだ。

 馬鹿馬鹿しい噂だ。なんとかしてその座から逃れようとしていた妻を喪ったところで、神が嘆くとは思えない。それともこの次元の巫女姫は敬虔で貞淑な妻たらんとしていたのだろうか。けれどそれなら、我が国に──もっと言えばこのわたくしだけに、罰を下せばよいのに。異常気象は周辺国をも同様に苛んでいる。


「農作物の生育にも支障が出てきているとか」

「穀物や根菜は備蓄分で対処できるでしょうけれど、既に生野菜は値上がりしているそうですわ」

「長引けば伝染病も心配になりますね」

「次の勉強会はこの対策をテーマにしてみませんこと?」

 皆、学生らしく貴族らしい反応だ。

 我が国でも主として信仰する神は同じだけれど、神は心の拠り所にはなっても問題を解決してはくれないと割り切っている者が多い。宗教は人心を纏める力になるが、困難を切り開くのは人の知恵と努力なのだと、寄宿学校で教えられるからだろう。

「まったく、頼もしいことだ」

 殿下はそう仰って微笑まれてから、ご学友の中で少し浮かない顔をしている二人にお声を掛けられた。

「君たちはどう思う?」

 顔を見合わせた後、先に意見を述べたのは平民出身の学生だ。とても優秀な青年で、出身地の領主である伯爵家が奨学金を出しているのだとか。

「……俺はそう簡単に割り切れないですね。救済策が地方に行き届くまでには時間が掛かるし、生活はどうしたって苦しくなる。雨は神様のせいだとしても、不満は貴族や国王陛下に向かいますよ」

 平民は貴族よりも信仰心が厚い。自らの力だけではままならぬことの多い彼らは、幸も不幸も神の思し召しと納得する方が楽なのだ。けれどその対策は国へしっかりと求めるのだから、とても強かだと思う。勿論わたくしたちも、民を守ることは高位の者の務めと心得ているけれど。

「全ての民を平等且つ迅速に救済するとなると今の仕組みでは穴がありますね」

「生産分を国庫で一括買い上げして、再分配?」

「自由競争への過度な干渉は、また別の反発を招きますわ」

 皆が盛んに意見を交わす中、もう一人の浮かない顔をしていた青年が振り上げた両の拳をテーブルに叩き付け立ち上がった。一瞬で場が静まり、茶器の震える高く細い音が後に残る。


「……失礼。ですが皆さん、問題の本質をお忘れでは?」

 銀縁の眼鏡を神経質そうに押し上げる、青白い顔の青年。冷たい紫の瞳をした彼はやはり、わたくしの脅威となり得るのだろうか。

「世界は巫女姫様を喪ったのです。人がいくら小手先の対策を取ろうとも、神がお許しになるまで暗い時代は続きます」

 その瞳に宿るのは、怒りか悲しみか。侯爵子息はわたくしたちを順に睨み付け、ぶっきらぼうに礼をとるとその場を離れていった。

 残された者たちは、男性陣は肩を竦め女性陣は扇子の影で眉を潜めた。殿下はご学友に倣って肩を竦められると「悪い人間ではないんだ」なんて、少し寂しそうに仰った。


 わたくしは、子息の感情を読み違えていたのかもしれない。前回もその前も、彼は巫女姫に恋をしたわけでなく、彼女が“神の妻”だからこそ心酔し献身的に接していたのだとしたら。子息と巫女姫の温度差にも納得がいくし、巫女姫が殿下に魔手を伸ばす理由も判明する。

 ただそうなると、わたくしはどこまでも道化で人の気持ちがわからない愚か者だという事実も受け入れなければならなくなる。十五年と二回生きてようやく両親の愛情に気付くような人間だから、実際他人の感情には疎いのだろうけれど。


 王族の姫を妻として捧げるほどに、隣国は宗教色が強い国だ。それはわかっているつもりだった。

 現に、噂を流しすべての責任と民の不満を我が国に押し付けようとしているのも隣国なのだ。けれどその行動が打算でも外交の駆け引きでもなく、心からの悲しみ故だとしたら、わたくしは己の恨みと我儘に身を焦がすあまり、彼らからかけがえのない大切なものを奪ってしまったのかもしれない。

 けれど、それでも、わたくしは殿下との未来を守りたかった。

 価値観の違い。

 そんな一言では軽々しく片付けられないのが、この問題の本質だろう。

 結局、巫女姫という存在によって我が国と隣国との間に何らかの軋轢が生じる事態そのものは、変えられないのだ。


 『暗い時代が続く』という子息の言葉がいつまでも耳に残った。




 『近日中』と言いつつ時間がかかりました、すみません。次回更新は8日で、おとなしく8のつく日に戻ります。勿論まだ書き上がっていませんが(汗)

 ブックマーク、評価がじんわりと増えているのがとても嬉しいです。本当にありがとうございます。今後とものんびりおつきあいいただけましたら幸いです。


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