小さな紅葉
女の子=霧島さん 男の子=田島くん
「全然、大丈夫だよ」
彼女はいつも笑顔でそう言っている。
クラスで人気があって、悩み事なんてないかのような明るい彼女。
そんな彼女を俺はいつも教室の片隅から見ていた。見ているだけで、近づこうとは思わない。俺には高嶺の花だからだ。
別に彼女と釣り合うとか釣り合わないとかじゃなくて、根本的に住む世界が違うんだと思う。
だからこそ見ていることしかできないし、それ以上のことはなにも望んでいないつもりだった。
しかし。
とある雨降りの日、なんとなく遠回りをしたくなって傘を差してブラブラと歩いていると、その例の彼女が歩道の脇にしゃがみこんでいるのを見つけた。
こちらには気がついていないようで、赤い傘を差したまましゃがみこんで、片足が水溜りに入りかけているのにも気がついていないようだった。
雨の音と車が水溜まりを走り抜けていく音が聞こえているせいか、周りへの注意が散漫になっているのだろう。俺が落ち葉を踏んで近づく音にも気がついていなかったらしい。
そして気まぐれとは恐ろしいものである。
「水溜り」
俺は何を思ったのか、声をかけてしまった。かけてしまったのだ。
高嶺の花に手を伸ばしてしまった。異世界の人に話しかけてしまった。
しかし彼女はそんなことには気にしていないようで、俺の声に反応してこちらを見上げて目を丸くしていたが、言葉を理解して自分の足元を見てローファーの半分が水溜りに沈んでいるのを確認すると、ハッと立ち上がって水溜りから足をずらした。
彼女は傘を少し上げて俺のことを見た。
「ありがと」
笑顔でそう言った。
俺は照れをごまかすために視線を逸らして車道を見た。
「何してたんだ?」
「あ、これ? なんかちっちゃい紅葉が落ちてたから見てたの」
そう言ってまたしゃがみこむ彼女。
しゃがみこんでからも何か言っていたようだが、周囲の音によって9割がかき消されてしまっていた。
と、話し終えて俺の反応を待っているようで、しゃがんだまま俺を見上げた。
俺は仕方なく隣にしゃがみこんだ。
「全然聞こえなかったわ。もう一回言って」
我ながら随分とぶっきらぼうな言い方だと思った。
「あっ、雨降ってるもんね。このちっちゃい紅葉も雨で落ちちゃったのかなって」
彼女が周りを見ながらそう言う。そのまま俺の顔を見ながら反応を待つ。
さっきと同じように視線をそらすために周りを見る。
「落ち葉すごいもんな。全部雨で落ちたのかもな」
「まだこんなにちっちゃいのにね」
落ちていた紅葉を一枚手にとって、茎の部分をつまむように持ってくるくると回した。
本来なら少しは立ったまま回るのだが、濡れているせいで萎びて彼女の手を濡らしていった。
「手、濡れるぞ」
「ん? このくらい大丈夫だよ」
紅葉を置いて指を振って水滴を飛ばした。
彼女の綺麗な手を見ていると、こちらを見られている視線を感じた。
「田島くん、優しいんだね」
男に言ってはいけないセリフナンバーワンである。
言うまでもなくドキっとした。
笑顔で言われてドキっとしない男子はいないだろう。俺も例外ではない。
ってゆーか、俺の名前知ってたのか。…同じクラスだし当たり前か。
「そ、そんなことないだろ。普通だし」
「あはは。私、田島くんから嫌われてるかと思ってた」
「……なんで?」
「あんまり話しかけてこないし、なんとなく、ね」
「みんながみんな霧島に話しかけられるわけじゃない」
「そー…だよね」
なんとも歯切れの悪い言い方に、言い方がきつかったかもと思ったが、違ったようだ。
「私さ、こうやって歩くの好きなんだ。だから時々一人でこうやって歩いて帰ってるんだよ。ハハハ、変でしょ?」
「……変なのか?」
俺も変ってことじゃないか。
どこか自嘲気味に彼女は続けた。
「だってあと二駅分も歩いて帰るんだよ? みんなそんなことしないもん。変でしょ」
「いや、歩いて帰ることの何が変なんだよ。気分次第だろ、そんなの」
また目を丸くしてこちらを見た。
見られたから目をそらす。
「だから、周りと比べることが変なんだろ。疲れるだろ。自分のペースで生きて、同じペースで生きてくれる人と一緒に過ごせば楽だろ。人生それが一番楽なんだから、楽しろよ」
言ってからハッとなった。
なんて説教じみたことを言っているんだ俺は。
訂正しようと彼女のことを見ると、彼女は傘で顔を隠すようにしてクルクルと傘を回していた。水滴がちょっと飛んできていたが、この状況で言えるような度胸を俺は持ち合わせていない。
「えっと…霧島?」
「ん?」
寒いのか、頬を赤く染めた彼女がこちらを見た。
……寒くなってきたからに決まってる。勘違いしてはいけない。
「なんか説教じみたこと言って、悪かったな」
「田島くんって、なんかおっさんくさいよね」
「はぁ!?」
「言い方とか話す内容とか、なんか人生悟ったような言い方するもんね」
「別に正論を言ってるだけだろ…」
「でもなんか的を得てる気がする」
そう言って顔を上げる彼女。
そしてこっちを見てニカッと笑う。
学校では見たことがない笑顔だった。
いつもは広角を上げて笑うのに、歯を見せて笑ったのだ。
その笑顔に俺の方が目を丸くしてしまった。
「どりゃぁ!」
「冷てっ! 何すんだ!」
急に傘をグルンと回して、水滴を俺にかけてきた。これには度胸が無い俺も言い返した。
立ち上がった彼女が振り返って言った。
「なんとなくしたかっただけー!」
その仕草がいつもの彼女と違っていたが、こっちのほうが彼女の素らしく見えて可愛く思えた。
俺は落ちている紅葉を見て小さく笑うと、落ち葉をかき集めてそれをギュッと丸めた。そして立ち上がると同時に彼女に投げつけた。
驚いた彼女はとっさに腕で顔を隠していたが、落ち葉は俺に手を離れた瞬間に宙にバラけてしまい、彼女へは届かなかった。
こちらを見ていない彼女の横を笑いながら通り過ぎると、そのまま追い越して振り返った。
「バーカ! なにビビってんだよ! アハハハ!」
「なっ! なんなのよ!」
俺が怒らせた彼女から逃げるために、水溜まりをひょいひょいと避けながら転ばないように走った。
いつの間にか雨はあがっており、雲から差し込む光が雨があがったことを知らせていたが、俺たちはそんなことに気がつくことなく、しばらく傘を差したまま追いかけっこを続けていた。
おしまい。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
感想とか書いていただけると嬉しいです。
これから二人の関係は始まっていくんですね。
爆発四散。