第一章
春。
俺は無事、ねこちぐら高校の一年一組に在籍する事と相成った。まあ、進学校やスポーツ名門校ならともかく、近所の公立校など落ちろと言う方が難しいかも知れないが。ともかく、これでしばらく受験勉強ともおさらば出来る。本気のヤツは、とっくに大学受験の準備を始めているのだろうが。
「ありづか中から来ました、高畑陽平です。中学の時は野球部に入っていました」
そんな無難な自己紹介をして、再び席につく。他のみんなも同様に自己紹介をしていくが、はっきり言って半分も覚えられる自身は無い。当たり前だ。たった五十分の制限時間で、二十八人もの顔と名前とプロフィールを覚えられるわけがない。
今の自己紹介の通り、俺は野球が好きだ。得意なんじゃない、好きなのだ。得意だったら、野球推薦もらえて、受験地獄を回避できた事だろう。
それでも、俺は高校でも野球部に入部する事にした。
このねこちぐら高の野球部も、そんな俺が入部するような部だ。ろくな成績は残していない。その分練習もきつくないので居心地は悪くない。……多分、だから上達しないんだろう。
俺以外にも仮入部の一年が何人か来ていたが、みな実力は俺とどっこいどっこいだ。二年や三年の先輩も、たいして実力差は無いように見えた。
高校生活初日の今日は簡単な捕球練習だけだ。適当なところで切り上げて、家に帰る事にした。
ちょっと寄り道して、コンビニや本屋の場所でも見ていくかと、少し回り道して駅に向かっていると、不意に声をかけられた。
振り返った先にいたのは、ねこちぐら高校の制服の女子。リボンの色から同じ一年だとわかるが、誰だ? なんか、見た事ある顔だが。
「あの、高畑君だよね? ありづか中学の野球部にいた、背番号二十八番の」
「そうだけど……」
言うのは二度目だが、俺は中学時代これと言った成績は残していない。出身中学だけならともかく、背番号まで覚えられてるなど夢にも思っていなかった。それ以前にこの子、誰だろう。
その俺の視線の意味に気づき、少女が名乗った。
「あ、ごめんね。雨宮美奈子。同じクラスになったんだけど、まだ話してもいないもんね」
そうか、それで顔を覚えていたのか。
何の用だろうか。
「あの、少しだけ時間借りていいかな? すぐに終わるから」
「別に構わないけど」
立ち話もなんなので、近くの公園に移動する。
敷地をジョギングコースがぐるりと囲っている小さな自然公園だ。その道を走るじいさんや犬の散歩をさせるおばさん等、近所の人の憩いの場所になっている。部活が本格的に始まれば、俺も毎日ここにランニングに来るだろう。
空いてるベンチを見つけ、二人並んで腰かけた。
それから五分ほど、沈黙。
何か話があるから呼び止めたのだろうが、雨宮さんはうつむいたまま喋ろうとしない。話をどう切り出すか迷っているのだろうか。
キマズイ。
とにかく、この沈黙だけでも打破しないと。
「喉、渇いてない? さっき自販機あったけど、何か買って来ようか」
「いい」
……会話終了。
よく考えれば、中学時代は(成績不振とは言え)野球に明け暮れる毎日だったせいで、女の子と付き合うどころか、ろくに口を聞いた記憶もほとんどない。女子マネージャーもいるにはいたが、いつの間にか他の部員とくっついて、そいつともども退部していった。ムカつく思い出なので、今後の生涯でこの記憶を呼び覚ます事の無いように務めたい。
あ、野球部といえば、
「雨宮さん、俺の中学の時の背番号まで知ってたよね? もしかして、その事かな?」
「え、う、うん。そう」
やっと雨宮さんが口を開いてくれた。
「高畑君、今日野球部に仮入部に行ってたみたいだけど、高校でも野球するの?」
「まあ、そのつもりだけど」
「そうか……よかった」
何が?
「あのね、あたしも中学の時野球部だったんだ。マネージャーで。すばこ中学。覚えてるかな? 去年の地区大会の一回戦であり中と当たったんだけど」
もちろん覚えてる。
その試合、俺の送りバントが成功して、一点とる事が出来た。その一点を護りきって、二回戦の進出を決めた。二回戦では、一点も取れずに負けたが。
ちなみに、中学三年を通し、公式戦で勝ったのはその一試合だけだ。我ながら、情け無い。
「あたし、その試合でバッターボックスに立つ高畑君を見てね、その……一目惚れ……しちゃってたんだ」
え?
今、なんて言いました?
一目惚れ?
全然知らない人なのに、顔とか仕草とか物腰とかを見ただけで、その人を好きになるって言う、あれですか?
「あの時は、お互い対戦校同士だったし。いきなり話し掛けても、困らせるだけだと思って諦めてたんだけど……びっくりしちゃった、高校で同じクラスになっちゃうんだもん」
いつの間にか、雨宮さんの手は俺の手を握っている。さっきとうってかわって饒舌になったが、緊張してるのか少し汗ばんでいる。
「あたし高畑君が好きなの。去年の試合から半年間ずっと見て来たけど、この気持ちが薄れた事は一度もなかった。もし迷惑じゃなかったら……あたしを、恋人にしてください」
マジ告白だ。
生まれてから十五年。こんなシーンはテレビか映画の中にしか存在しない物だと思っていた。ましてや自分が主演になるとは夢にも……いや、夢には思っていたが。
彼女は言うべき事は全て言い尽くしたのだろう。赤く染まった頬と、潤む瞳でまっすぐに俺を見つめている。
何を迷う事がある。応えろ、俺。
彼女はただ試合で見かけただけの俺を半年もの間想い続けて来てくれてたんだぞ。半年間、見続けて来てくれてたんだぞ。……どこで?
「えっと、学校の帰りとか、コンビニで買い物してる時とか、ゲーセンで友達と対戦してるところとか、駅の裏通りの小さい本屋で雑誌買ってるところとか……あ、安心して、そう言う男の子の生理的な部分には理解あるつもりだから……あと、夜受験勉強する時にカーテンに映る影を二〜三時間眺めてた事もあったかな。あの、でも誤解しないでね、あたしストーカーとかそう言うのじゃ……」
百パーセント、ストーカーの行動です。
「あの、あたしの事嫌いになった? もしそうなら遠慮なく言って。付き合えないならそれでも良いの。また、今まで通りに戻るだけだから」
ストーカー行為をやめる気ナシですか。
でも。
改めて、雨宮さんを見てみる。
透き通るような白い肌。ツリ目勝ちの大きな目と小さい鼻とピンクの唇。肩の後ろまで伸びた綺麗な髪が、その魅力を最大限に引き出している。
顔だけ見ても、十分美人だ。
制服越しだが、スタイルだって悪くない。
そんな子に告白されて、断ると言う選択肢を選ぶヤツがいたとすれば、そいつはホモか大馬鹿野郎のどっちかだ。例え相手がストーカーだろうと。
もちろん、俺は首を縦に振った。
「断られたらどうしようかと不安だったけど、思い切って告白してよかったわ。ね、明日お弁当作って来てもいいかな? 高畑君の好きなカラ揚げとエビフライ、いっぱい持ってくるから。もちろん塩が多めのしょっぱいタマゴ焼きもね。あと学食前の自販機にはレモンティー売ってなかったから、それも家から持って行くね」
……どこまで把握されてるんだろう。
だが、雨宮さんが美人なのは客観的に見た事実。
翌日の昼休み、クラス中の男子の羨望のまなざしの中でランチタイムを送った事は言うまでもない。
俺と雨宮さんが付き合う事になってから、早くも二週間が経っていた。
俺は予定通り野球部に入部し、雨宮さんもマネージャーとなった。
今は朝練と称したキャッチボールが終わったところだ。思った通り、ヌルイ部だった。
「お疲れさま。はいタオル、汗拭いて。それとスポーツ飲料、汗をかいた分水分を補給しないとね」
「ありがと」
このように専属マネージャー状態で、かいがいしく世話してくれる。
他の部員も道具を適当に片づけて、戻って来た。
「なあ、俺達にもタオルとってくれよ」
「そこに置いてますから、ご自由にどうぞ」
「……スポーツ飲料」
「あっちに自販機ありますよ」
他の部員(特に先輩方)の刺さるような視線が痛い。雨宮さん、頼むから他の部員にも愛想よく接してください。でないと俺の部活での立場と言うか、風当たりと言うかが。
そして二人で教室に行く。
着替えがあるから先に行ってて良いと言ってるのだが、雨宮さんはいつも律義に待っていてくれる。そのおかげか、いつも俺の着替えが一番早い。他の部員の無言のプレッシャーから早く逃げたいと言うのもあるが。
教室では最初の内こそ冷やかされたが、「人の事をどうこう言う暇があったら、あなた達も恋人つくれば?」と言う、雨宮さんの逆襲にあい、今では何も言われなくなった。言葉の正当性よりも、あの時のドスの効いた低い声の方が効いたのだろうが。
あんな声も出せるんだ、俺も気をつけよう。
昼休みは雨宮さんの作ってきてくれたお弁当で、ランチタイム。メニューは俺の好物が並び、さらに栄養バランスも取れた完璧な物だ。しかもレトルトや冷凍食品でないうえ、二日続けて同じおかずが入っていた事もない。何時に起きて作ってんだろう。
ついでに、昼食をとりながら午前の授業の復習もする。ほとんどは俺のわからないところを教えて貰う形になるのだが。思えば中学時代は、授業以外で教科書やノートを開くのは試験の前夜だけだった。たった二十分の復習だけで授業の理解度が格段に上がるのは、新しい発見だった。
で、放課後はまた、二人で部活だ。
今日は雨宮さんが職員室に用があるとかで、遅れてくるそうだが。
別に彼女が何か問題を起こしたわけじゃない。ただ、委員長を決める時誰も立候補しなかったので、出席番号一番の男女が強制的に任命されただけだ。自主性の無いクラスだ。
ノートやら教科書やらをカバンに押し込んでる時に、不意に声をかけられた。
黒い肌と短い髪のデカイ男。たしか近藤晶といったか。
出身中学も違うし、野球部でもない。何の接点もない相手だが。
「お前、雨宮美奈子と付き合ってると聞いたが、本当か?」
「あ、ああ……」
近藤の質問に、間抜けな返事をしてしまう俺。だって、今さらだろ。毎日、一緒に登下校してるんだぞ。とっくに公認になってると思ってた。
俺たちの会話を傍目で聞いてた級友の表情が、その認識が俺の自惚れじゃ無い事を肯定してくれている。
「だったら、何なんだよ?」
さっきの間抜けたセリフを払拭するために、少し挑戦的に返した。
もしかしたら、こいつは雨宮さんを狙っていたのかもしれない。あの通りの美人だし、つきあってみてわかったが気立てもいい。
きっと彼の中では、まずは話せるくらいの中になって、何人かのグループで遊びに行くようになって、最終的に二人で過ごす時間を重視する仲になる。と言った感じの長期的なプランが組み立てられていたのだろう。そのプランがスタートする前に、俺がいきなり現れたんだ。小言の一つも言いたくなるってもんだろう。
人間と言うのは恋人が出来ると、信じられないくらいに心が広くなる生き物らしい。俺は近藤の気がすむまで小言に付き合ってやろうと、椅子に座り直した。
だが、続く彼のセリフは俺の想像とは、まったく真逆の内容だった。
「別にこの世界の誰と誰が付き合おうと、俺には関係ないさ。だが、あの女は別だ。いや、あの女とお前がくっつくのだけは、断固反対する」
やけに真剣な眼差しで、
「おまえが誰かにとられるのだけは、阻止したいんだ」
と、そう言い残し教室を出て行った。
どう言う意味ですか?
「近藤君、何の話だったの?」
近藤が行ったのと入れ違いで、雨宮さんが職員室から戻ってきた。頬を膨らませて少し不機嫌そうだ。さっきの会話、聞いてたんだろうなあ。
周りを見ると、他の生徒が俺を見てクスクス笑っている。
さっきの近藤のセリフ……そう言う意味ですか?
もうすぐ五月になるというのに、まだ風が冷たい。それに五時をちょっと過ぎただけで、あたりはもう真っ暗になる。
「っくし」
雨宮さんの可愛いクシャミ。この時期は、日が暮れると一気に冷える。学校指定の薄いカーディガンだけじゃ、防寒の役には立たないだろう。ここで上着をかけてあげるのが彼氏の勤めなのだろうが、あいにく上にはセーターしか着ていない。寒さに強い自分が恨めしい。
「高畑君もカゼには気をつけてね。もうすぐレギュラー選抜も始まるし」
「うん、俺は大丈夫だよ」
こんな時でも、俺の体を気遣ってくれる。風の冷たさで赤く染まる頬が可愛い。
そうだよ。これが青春とかいうんだよな。
弱小野球部とはいえ、レギュラーになれば活躍のチャンスもあろう。彼女の期待に応えたい。
よく考えたら、この二週間、彼女に世話になるばっかりで、俺から何かをしてあげた記憶がない。レギュラー獲得が、最初のそれになるはずだ。
踏切りにさしかかる。
俺はここから駅に行き電車、彼女は踏切りを渡って二十分ほどの住宅街に住んでいると聞いた。今日はここでお別れだ。
「じゃ、また……」と言い終わる前に、彼女が腕にしがみついてきた。「待って。あたしから離れないで」と言うセリフと共に。
入学初日の告白と良い、顔に似合わず大胆な子だ。今回は少し事情が違うが。
踏切りの向うからコート姿の大男が歩いて来ているからだ。さらに帽子を深く被り、大きなマスクで顔も隠されている。
別に見た目だけで人を判断するつもりは無い。
寒いんだからコートを着ててもおかしくない。マスクだって、カゼのひきやすい時期だし、花粉症だって敏感な人なら症状が出始める頃だ。そう、向うから歩いてくる人は、決して不審な人物ではない。
それでも雨宮さんの両腕は、俺の左腕にしがみついて離れない。
時間も時間だし、彼女は女の子だ。不安な気持ちもわかる。男が通り過ぎるまでの間、こうしていればいいだけだ。
だが、男は通り過ぎはしなかった。
長いコートの袖からチラリと見える光。それを、俺達に向けて突きたてて来た。
「高畑君!」
雨宮さんに腕を力いっぱい引っ張られ、バランスを崩し、斜めに倒れかける俺。一瞬前まで、俺の胸のあった位置に、男の腕が突き刺さる。
さっき見えた光の正体は、ナイフの刃の反射光だ。
とっさの雨宮さんの機転がなければ、あれが俺の……
「こっち!」
「うわわ!」
考えてる暇などない。
男が再び、ナイフを構え追いかけてくる。
何で?
何でだよ!
わかってる、考えてる暇は無い。
今は考えるより、逃げるのが先だ。
俺は雨宮さんに導かれるままに、住宅街を右に左に駆け抜ける。
「ここ」
案内された先は、一軒の家屋。表札には、雨宮と書かれている。雨宮さんの家か。
素早くカギを取り出し、ドアを開けると中に入るように促す。そして、俺が入ったらすぐ、再びドアに施錠した。
「これで、多分大丈夫。どこか行くまで、ここに居ていいから」
「あ、ああ……」
男を振り切って、少し頭が落ち着いてきた。
あの男は何者なんだ?
なんで急に切りつけてきた?
誰かに殺されるほどの恨みを買った覚えは無い。
最近は怨恨など関係なく、障害事件や殺人事件が起こる世の中だが、二十分も追いかけてくるものか?
それに、もう一つ気になる事がある。
雨宮さんの行動だ。
踏切りのところで腕にしがみついてきた時は、単純に見た目に恐怖を感じてただけだと思ってたが、襲われてからここまで逃げてくるまでの判断、あらかじめ男が襲ってくる事を知ってたかのように的確だった。
その疑問を雨宮さんに投げかける。
「そうだね。向うが行動に出てきた以上、高畑君にも話しておいた方がいいわね。もう少し時間を起きたかったんだけど」
やはり、何か裏があるのか。
「その前に上がって。長い話になるから」
それも、かなり深い裏が。
リビングに通された。
「ごめんね。部屋は散らかってるから」
との事だが、女の子の言う散らかってるだ。多分、俺が一日がかりで大掃除した後くらいにしか、物が散乱してないだろう。多分、男を部屋に入れるのに抵抗があるだけだ。別に何かを期待しているわけじゃ……ないが。
それに他人の家と言うのは、どの部屋であっても居心地はあまりよくない。
ほどなくして雨宮さんが、キッチンから二人分のお茶とケーキを持って来てくれた。
「食べながらでいいから聞いてね」
テーブルにつくと、本人はお茶にもケーキにも手をつけず、話し始めた。
「まず、さっきのコートの男の事。ヤツは高畑君の命を狙っている。どこの勢力から送られてきた者かはわからないけど、それだけは確実」
衝撃の事実から雨宮さんの告白は始まった。
「あなたはあたし達にとって、とても大切な人。一万年の時を経てようやく見つけられた、あの方の血を受け継ぐ者」
「今、一万年って言った?」
「聞いて」
質問は今までに見た事のない真剣な顔により、却下された。
「あたし達があなたを見つけたのとほぼ同時期に、あなたの存在をよく思わない敵対勢力も、あなたを見つけ出した。そして、あたしと接触したのを知り、慌てたのね。突然強行的な手段に出た。それが、さっきのコートの男」
「えっと……言ってる意味がよくわからないんだけど」
「今重要なのは、あの男があなたを殺そうとしているという事。なぜなら……」
がしゃあんと大きな音を立て、小さな庭に面したガラス窓が砕けて飛んできた。
庭には、さっきのコートの男が立っている。
カギのかかったドアからの侵入は不可能と判断して、こっちに回り込んできたという事か。
さっきの雨宮さんの話、少なくとも男の狙いが俺だというところは間違いなさそうだ。結局、男が俺を狙う理由は聞けず終いだが。
男がナイフを持ち直し、また俺に向かって突きたてて来た。
「避けて!」
雨宮さんの体当たりで、俺の体が床を転がる。
顔を上げると、俺に刺さる予定だった白刃が、雨宮さんの肩を掠めていた。
「あ、雨宮さん!」
「大丈夫、地上の刃物じゃあたしは切れない」
こんな時に何を言って……
「あなたは、そのまま伏せてて」
男に向かって一歩前に出る。
「去れば見過ごそうと思っていたけど、考えが甘かったみたいね。あの方の子孫に仇なす者と認識した。あなたを排除する」
広げかざした雨宮さんの右手から光が生まれ、棒状へと変化していく。瞬きする間もないうちに、その光は剣の形になっていた。
それを一閃!
ナイフを持つ男の腕がフローリングの床に落ちる。
「生き物じゃなかったの。なら、倒すのに躊躇無し」
雨宮さんの言葉を肯定するように、切り落とされた男の手の切り口からは、赤い血が流れる代わりにオレンジ色の火花が飛び散っている。
床を蹴り一気に男との距離を詰める雨宮さん。今度は、光の剣を横に薙ぐ。
男の体は腰のあたりで切断され、下半身を残したまま、地に崩れた。
それを確認した雨宮さんは、俺の方に振り返る。
「怪我は無い?」
「俺は、大丈夫だけど」
こいつは結局何者なんだ。
動かなくなった、立ち尽くす下半身。手と同じように、火花を飛び散らせている。
ロボットなのか?
好奇心から、上半身の方に近付く。
帽子とマスクとコートの襟に隠された顔。どんな顔なのか興味ある。人間と変わらない容姿なのか、目の部分がカメラのレンズだったり、それともパイプやチューブが伸びたメカメカしい物なのか。
露わになったソレは、俺の予想のどれからも外れていた。
「……銃?」
その表現が一番適当だろう。
黒光りする金属の筒と、それを支える重厚な金属の箱。その箱には、弾丸を備えた短く太い筒がはまっている。たしかリボルバー型とかいうタイプの銃だ。
いや、銃と言うよりもはや大砲とでも言うべきか。砲身の太さは、俺の二の腕くらいある。
それが首から生えている。
「いけない。逃げてー!」
「え?」
しまった。あまりにも意外な物の出現にほうけていたが、その銃の口は俺に向いている。こいつの目的が俺を殺す事だと言うなら、この先に起こる事は火を見るより明らか。
ムカつくその予感通り、シリンダーが時計回りに回転を始めた。
パン、パン、パン、パン、パン、パン。
運動会のスターターピストルとほとんど変わらない、乾いた銃声が正確な間隔で六度。割れたガラスと壊れたテーブルセットに埋め尽くされたリビングに、硝煙の臭いが充満する。
ただ、それだけ。
俺は無傷だ。
「こいつは地下帝国でもポピュラーな暗殺機、動力が三段階に分かれていて、二つや三つに切り分けた程度じゃ、その機能を停止しない」
目の前にはなぜか、近藤晶が立っていた。両手に三発ずつ、計六発の歪んだ銃弾を握った姿で。
リビングはさっきの乱闘でボロボロになってしまったので、隣の和室に移動させてもらった。
コート姿のロボット……近藤が言うところの暗殺機……は、あの後さらに雨宮さんの手によって二十以上の鉄屑へとばらされている。もう動かないだろう。
ちゃぶ台の端と端で、雨宮さんと近藤が冷たい視線を飛ばしあっている。
「体を張って、魔王様の命を護ろうとしていた事には感謝する。いくつも手抜かりはあったがな」
「何言ってるの。この方は勇者様よ。だいたいにして、命を狙ってきたのは、あなたの差し金じゃないのかしら?」
「暗殺機は我が家の復興を阻止する者の放った物だ。俺は関与していない」
「フン。口ではなんとでも言えるわね」
……話がまったく見えてこない。
何か重要な話をしてるようにも聞こえるし、ゲームの攻略法を教えあってるようにも聞こえる。
俺がぼさっとしてる間に、二人の会話はそれなりの決着がついたようで、近藤が立ち上がる。
「これ以上話してもラチがあかないな。見たいテレビもあるんでね」
「そうね。まだ覚醒していない以上、どちらを選ぶかまだわからない。あなたへ小言を言う時間も今後取れるでしょう」
「しかし……天上界の天使様とあろう者が、色仕掛けなんてセコイ手を使うとは思いもしなかったぜ」
「そちらこそ、さすが土の下に住むモグラさんだけあって、策を弄するほどまでには知能が発達していないようね」
そのセリフを背中で聞きながら、近藤は割れたリビングの窓から出て行った。
結局、俺は最後まで蚊帳の外だった。