第5話 マナーはできることなら知っておいたほうがいい
「あー、いいお湯だった」
大理石の壁に、口からお湯を吐き出すライオンの飾り物、本当にここは自分の使う部屋なのだろうか、などと考えながら体をタオルで拭いていく。着替えを取るためににクローゼットを開くと、中には豪華そうな服がずらりと並び、気兼ねなくきれそうなのはYシャツのたぐいのものくらいである。
若干気後れしながらも何も着ないわけにはいかないので、その中で一番質素な黒色のズボンと白のYシャツを着て、特に何をするでもなくベッドに転がった。
ベッドの上でボーっとしていると、ふと思いつき携帯を取り出す。しかし、当然のごとく圏外なのを確認すると、携帯の電源を切り再びポケットにしまった。
――俺が元いた世界では、何の変哲もない毎日を過ごしていた。
朝起きて、ダイニングにいる両親と2つ下の妹にあいさつをして飯を食べる、平日なら学校に行き、友達とバカな話をしたり勉強がわからず困ったりしながらすごす。
夜は帰りの遅い両親の代わりに晩飯を作り妹と食べる、晩飯の時は特に妹と悪いわけでもないから、食事中は共通の趣味の話などをし、免許を取ってからは友達と遊びに行くから車出してなどと頼まれたりもした。
そのあとは宿題なりなんなりをしてすごし就寝、また次の朝が来る、こんな普通の日常が俺にとっては楽しく、大切なものだっのだと今になって気づかされる。
みんなは今頃どうしているだろうか? きっと友達や家族は突然消えた俺のことを心配してくれているであろう。
そういえば大学は受かっただろうか? 受かっていてもどうしようもないが一応がんばって勉強したのだから受かっていたらいいな。
ああ、なんで今、俺はこんなところに……
俺はノックの音で目を覚ました、どうやらいつのまにか寝てしまったようだ。
「あ、どうぞ」
「失礼します」
扉の向こうから聞こえた声は女性のものであり、俺は緊張し、なぜか気を付けの姿勢で扉が開くのを待った。
扉を開け入ってきた人物は、髪はショートで色は水色、目は海のように澄んだ青色をしており、その服装はいわゆるメイド服を着ていた、歳はおそらく俺とさほど差はないだろう。
「リューヤ様の部屋係に任命されましたミリィと申します、以後お見知りおきください」
ミリィと名乗った女性はそういいながら頭を下げる。
「こ、こちらこそ」
まさか女性が部屋係になるなんて思ってなかった俺は少々戸惑ってしまった。
その後、毎日の基本的な生活リズムなどを細かく教えられたが、そんなのをすべて覚えれるわけもなく何度か聞き直しついにはあきらめた。
「では、何か質問等はありませんか?」
「いや、特にはないかな」
俺はミリィの敬語に堅苦しさを覚えながらも、これから慣れていけばいいかなどと思いながら、心の中で苦笑する。
この後すぐに夕食だというので、おれはミリィに連れられて部屋を出た。
俺が連れられてきた部屋は俺の予想していたとてつもなく長いテーブルなどではなく、普通の家庭にあるものより少し大きいくらいのサイズであった。
すでにレインさんとアマリアさんは座っており、俺はミリィに案内された席へと着く。
俺が席に着くとミリィは一礼して部屋を出て行き、それを視線で見送った俺はまだ空いている席の人物を待つ間に、テーブルマナーってどうだっけなどと考える。
それから1,2分ぐらいして、部屋の扉が開く。
部屋に入ってきた女性は、髪は明るい茶色でストレート、長さは背中の中ほど辺りまで伸び、目の色はアマリアさんと同じ色をしている、歳は俺と同じか少し上くらいであろう。その立ち振る舞いは、いかにも御令嬢といった気品のある物腰であるが、その雰囲気は柔らかなものでありなんとなく親しみやすさを覚える。
「ライラ、そこに座っている青年がリューヤ君だ」
レインさんにライラと呼ばれた女性は俺のほうを向く
「どうも、長女のライラです」
ライラはそういうと、スカートをすっと摘み貴婦人の礼をする。
俺も自己紹介をし、軽く一礼して再び席に着いた。
レインさん曰く、まだ一人来ていないらしいのでその間に、俺は思い出せないテーブルマナーを必死で思い出そうとする。
それから5分ほどたった時、突如として扉がすごい音を立てて開いた。
「なんとか飯の時間には間に合ったか」
入ってきた男性は髪は栗色のショート、目も茶色をしており顔はイケメンで、なんとなく体育会系の雰囲気をまとっている。おそらく走ってきたのだろう、肩で息をしながらテーブルの空席に向かう。しかし、途中で俺の存在に気づくと、満面の笑みで俺へと歩み寄ってくる。
「お前が噂の居候か、俺グレイってんだよろしくなリューヤ」
そういいながら、グレイは俺の背中をバンバンと叩く。
「よ、よろしくお願いします」
背中が少しひりひりする。なんとか笑顔を作ったが、おそらくはひきつった笑顔になっていただろう。
「そういえば、何で名前を知っているんですか?」
「ああ、親父から聞いた。そんなことよりもっと気楽に行こうぜ、敬語なんかやめてさ」
グレイのは少しばかり軽すぎやしないか、などと思いながらまた苦笑いを浮かべていると、レインさんが口を開いた。
「グレイもうそれくらいにして席に着きなさい」
いつまでも俺に絡んでいるグレイをレインさんがたしなめる。
「へいへい」
グレイは軽く手を振って自分の席に着く
「リューヤ君悪いね、グレイも悪気はないから許してくれ」
俺が背中の痛みを気にしていることに気付いたのか、レインさんが苦笑いをしながらそう言ってくる。
「あ、はい、全然大丈夫です」
おそらくはこれがグレイの素なのだと思う、いままでなんとなくみんな緊張感を持って接していたが、グレイに関しては早くに打ち解けれそうだ。
その後、次々に運ばれてくる食事を、おぼろげな記憶を元に学校で学んだテーブルマナーを思い出しながら、なんとか食事を食べていく。
食事中の会話でライラは俺と同い年、グレイは二つ上なことが分かった。
そのほかにもいろいろ言っていたがこの国のこととなると何一つわからず、俺のことについてもいろいろと尋ねられたので、できうる限り頑張って答えた。
食事は終わり、全員の目の前にコーヒーが置かれる。
食事の作法や食材も向こうの世界とほぼ変わりはないようで、わからないところは見よう見まねで何とか乗り越えた。
俺はゆっくりとコーヒーを飲みながら話を続ける。
「では、リューヤ君の居たところでは魔法というものはなかったのかね?」
多少驚いているような口調でレインさんが尋ねる。
「名前として聞いたことはありましたが、実際に使っている人はたぶんいなかったです」
魔法などは空想である。それが当然であった俺にとってはこの世界のほうが驚きである。
「じゃあ、リューヤも魔法つかえねぇのか?」
まるで使えて当然だといわんばかりにグレイが訊いてくる。
「うん、使えない」
そこで一瞬の沈黙、この世界では魔法は当然のものであり、生活するうえでも使っていくのが当然らしい。つまり、魔法がつかえないということはこの世界では異常極まりないのである。
沈黙を破るかのように、口を開いたのはアマリアさんだった
「では、よろしれば魔法を学んでみてはいかがかしら? 今は学校は夏季休業中ですけどしばらくすれば始まりますし、それまでは我が家で教えますよ?」
魔法を使えるようになる。もし、魔法が使えるのならば使ってみたい、それが俺の本心である。
その後もその話は続いた、夏季休業中に編入試験に受かるように勉強をし、その後は学園で学んでもらうということで話はまとまった。
さっそく明日から勉強を始めるということなので嬉々として部屋に戻り、ベッドに入ったがなかなか寝付けなかった。