ワン、ツー、ワルツ
晩餐会当日、ラティカ城は今までにないほど活気に満ちあふれていた。
当代として初めて客人を招くのだ。使用人たちも久しぶりといえる大仕事に、心から張り切っていた。
その張り切りは、控え室で着飾られているエリィゼの姿にも表れている。丁寧に巻かれた髪の毛にはパールや金粉が煌めき、彼女の肌の色に合った真紅のドレスは上質な布がたっぷりと使われ、ずしんと重たいほどだった。
金額を明示しているような重さのドレスを、エリィゼは見下ろす。ローズレッドの口紅を引かれた彼女は、ルイスへ向かって呟いた。
「全体的に、少し大袈裟じゃないかしら」
「とんでもない、これでも控えめです。結婚式の代わりなんですから」
「このドレス、いくらしたの? 特注品にする必要はなかったと思うのだけれど」
「お言葉ですが、これらは商人たちが『是非うちが』と格安で仕上げてくれたものです。つまり、タダ同然」
「さすがラティカの商人ね。間口を広げる機会は逃さない」
ルイスの言葉にエリィゼは何だか嬉しくなった。商人はそうあってほしいという気持ちすらあり、ありがたく着飾られることにする。
「奥様、入ってもよろしいですか?」
そう言って控え室をノックしたのは、エドガーだった。
「ええ、どうぞ」
「失礼します」と控え室に入ってきたエドガーの表情は、いつもより浮き足立っているようだった。エリィゼの姿を見るなり目尻の皺を深くさせ、声を上げる。後ろについていてアルヴァルドはその声に「うるせぇ」と言いたげな顔をしていた。
「ああ! なんと美しい。今宵の主役に相応しいお姿です、奥様」
「ありがとう」
気恥ずかしさと共にそう返すと、エドガーはアルヴァルドへと顔を向けた。目尻の皺が、一瞬で浅くなる。
「アルヴァルド様も、何かお伝えすることがあるでしょう」
彼の衣装もまた商人たちによる『特注品』なのだろう。黒い生地に散りばめられた金色の刺繍は、彼の瞳と髪の色によく似合っていた。
その刺繍の形をじっくり見る間もなく、アルヴァルドはエドガーに即答する。
「ねぇよ」
「またそのような振る舞いを。紳士として恥ずかしくないのですか」
「紳士として生きた覚えはねぇ」
「アルヴァルド王子」
「……」
「王子」
子どもを叱る親のようだった。アルヴァルドもまた叱られた子どものように拗ねた顔をしている。その顔を見て、エリィゼは思わず「いいのよ、エドガー」と穏やかに助け船を出した。彼女は、褒め言葉なんてものを微塵も求めていないのだ。
「アルヴァルド様の気持ちもきちんと伝わってるわ」
「あ?」
「『馬子にも衣装』、でしょう?」
エリィゼがそう言うと、アルヴァルドは「まぁ、そんなところだな」とぶっきらぼうに言った。その返しに、エドガーは呆れなのか憤りなのか分からないような声で小さく呟く。
「甲斐性なし」
「おい」
「足を狙うのはおやめくださいアルヴァルド様。老いぼれですぞ、ぽっくり逝ってしまいます」
「その死ぬ死ぬ詐欺やめろ。そんな気ねぇくせに」
「ええ、もちろん。アルヴァルド様の立派なお姿を見るまで、私は死ねません」
「それ、まだ立派じゃないって言ってるようなもんですね」
「ルイス殿とて同じでしょう、執事としての本懐です。さしあたって、まずは今日のダンスですね。お二人の勇姿を見届けない限りは、このエドガー死んでも死にきれません」
この晩餐会の目的は、大雑把に言えば『新城主のお披露目』である。
結婚式代わりである晩餐会をより優美なものにするためにも、今夜はお披露目ついでに主役二人によるワルツが計画されていた。
「どこかの誰かさんたちが『時間の無駄』とリハーサルも拒否していただいたおかげで、ぶっつけ本番ですがね。私はもう今にも胃が裂けそうです」
「単調なワルツで何を練習するんだよ」
「ええ。基本は抑えてるもの。誰と踊っても同じことだわ」
「はぁ……。とにもかくにもアルヴァルド様、くれぐれもエリィゼ様の御御足を踏まれませんように。容易く折れます故」
「どうにか避けろよ」
「はい、承知しました」
「お嬢様、そこ前向きにしなくていいです。普通に国際問題ですし」
「万が一の時は耐えるわ。この会を台無しにするデメリットの方が大きいのだから」
「だからなんで前向き?」
ルイスのツッコミに、エリィゼは笑った。呆れた顔に向けて「それに」と付け加える。
「ワルツは二人で踊るものよ。私がリードをすれば、何の問題もないわ」
自信たっぷりの笑みだった。
その表情に、アルヴァルドから「ハッ」と笑いが溢れる。ワルツが得意だと宣言するつもりはないが、アルヴァルドもまた高貴な身分だ。リードをされる筋合いがないというのに、どうやら自分は『リードをされる』側らしい。
「大した自信だな」
「はい」
「どこからくる?」
「血反吐を吐くほど、そのような教育を受けましたから」
「……」
にこにこと返ってきた言葉に、アルヴァルドの目はエリィゼから逸らすことが叶わなくなった。逸らすことを『無礼』のように感じるほどだった。
公爵は、王族に近い位である。グラティアナ王国に貴族制度はないが、その地位にいる人間が「何を求められるか」はアルヴァルドでも容易に想像ができた。
初対面で言い放たれた言葉が、脳裏をよぎる。
「私が受けてきた教育の成果を、遺憾なく発揮できると信じています」。
(この女が言い切るくらいだ)
「言い切ったからには、責任取れよ」
挑発するような笑みだった。けれども、エリィゼはその挑発に一切乗ることがない。「はい」といつもの淑やかな笑顔を、アルヴァルドに向けるだけである。
「もちろんですわ、旦那様」
「「……」」
(いや、リハーサルをしろ)
そんなエドガーとルイスの心中を、二人は知る由もない。
□
晩餐会は、粛々と始まった。
二人が会場に登場すると、あらゆる要人たちが二人に声を掛ける。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
「ご結婚おめでとうございます」
「お二人とも、なんと美しいお姿でしょうか」
本音も建て前も演技も一緒くたになった声たちに、アルヴァルドとエリィゼは静かに思う。
(ザ・社交界……)
久しく忘れていた感覚だった。
ラティカにいると、本音も建前も演技も必要がない。それが自分にとってどれだけ「楽」であるか、2人は否が応にも気づかされてしまう。朝4時から鶏の大合唱を聞かされる方が、よっぽどマシなのだ。
「あら、停電?」
そんな2人がドリンクを飲む暇も無く対応をしている中、会場の照明がフッと落とされた。
誰もが自然と、ホールの中央で煌々と輝くシャンデリアを見上げる。その中を、二人の人影がゆっくり歩みを進めた。
手を取り合った二人は、シャンデリアの真下まで悠々と歩いていく。その動きにつられるように、ワルツの音楽が響き始めた。
滑らかな動き出しだけで、彼らが洗練された人物であると誰も気づく。貴族であれば、尚更だった。
「お上手」
誰かが小さく呟く。
「思ったよりも」といった言葉がついてきそうな口振りだったが、そう口に出してしまうほど二人のダンスは優雅なものだった。
黒と赤に染まったそれぞれの衣装は、まるで反発を知らないかのように寄り添っている。
「素敵ね」
元軍人である王子が、たくましくしなやかに侯爵令嬢をリードしている。会場中の女性が、うっすらと妬んでしまうほどの光景だったと言えるだろう。
だがもちろん、内情は逆である。
エリィゼは宣言通り、巧みにアルヴァルドをリードしていた。目線で進行方向を、手に力を込めてタイミングを、時に「ワン、ツー」と足さばきを。
そのリードを受けながら、アルヴァルドはエリィゼを見下ろす。
(細ぇ腰)
不可抗力で添えた掌が、その薄さを物語っていた。
見た目よりずっと細い。
そもそも、獣人は人間より力も強ければ、身体も丈夫なのだ。エリィゼより体格が良い女性も多い。例え階段から突き落としたとしても、何事もなかったように立ち上がるだろう。だから、この前のルイスの話に、アルヴァルドはいまいち入り込めなかった。
それがどうだ。
(なるほどな)
納得の細さだった。
腰を添えていない方の手には、エリィゼの指たちが収まっている。細く、柔らかな指は一つ間違えばそれこそ折ってしまいそうなほどだ。
その繊細さに気づいた瞬間、エリィゼの香りがアルヴァルドの鼻孔を襲った。いつもほんのりと香るそれは、ステップを踏むたびに彼の心臓を揺らす。
一定を保つ心臓のリズムは、普段と変わりない。けれど、気のせいだと一蹴できないほど、普段より高鳴っている。ド、ド、ド、とあまり聞いたことのない音に、アルヴァルドは静かに混乱していた。
「ワン、ツー」
胸の下で、ひよこのようなか弱さでエリィゼが呟いている。
(ああ、クソ、やめろ)
この女に掻き乱されている。
認めたくない事実に、冷静さを欠いた。エリィゼの指を支える手に、思わず力を込めてしまう。
「?」
急な出来事に、エリィゼはアルヴァルドを見上げた。
どうしても目が合ってしまうと、エリィゼは何故か笑った。けれど、いつもの余裕綽々の笑みではない。少し頬を染め、恥ずかしそうに目尻を落とすのだ。アルヴァルドにはその意味がよく分からなかった。
「ワン、ツー」
そうしてエリィゼはまた目を伏せ、小さく数を奏でていく。
息が詰まる。心臓が痛い。
この腰に添えた手を背中までつうっと回したら、この女はどんな顔をするのだろうか。
「ワン、ツー」
穏やかなワルツを優雅に踊るアルヴァルドが、何かの衝動に耐えていた事実など誰も知る由はない。
心配で一つも目が離せないはずだったエドガーとルイスでさえ「あの二人はいつも通りだな」と少し呆れかかっていたのだ。
リハーサルは必要ないと豪語していた二人を「ほら見ろ」と責め立てる機会を失ったとも言える。失敗してくれたら「これからは私たちの言うことを聞いてください」と言えたものを。
(心臓が、違う生き物みたいだわ)
エリィゼが、アルヴァルドの手の大きさにそう戸惑っていることだって、誰も知る由はないのだ。
ただただ本人たちだけが、冷静に、合理的に、得体の知れない感情に侵食されていくのを、黙って静かに耐えていた。




