約一年
エリィゼとアルヴァルドがテラスに出ると、そこに立っていた城兵が二人に一礼をした。入れ違いになるように彼はホールへ戻り、ホール側からカーテンを下ろす。
屋外でありながら密室のようなその場から、二人は正面玄関を見下ろした。
正面玄関では、誰かが叫んでいる。かと思えば、すぐにランキース家の紋章がついた深緑色の馬車が走り出していく。慌てた様子で門へ向かう馬車を見て、エリィゼはクスクスと笑った。
「腹痛でも催されたのかしら」
「完全に思い込みだがな」
「ゼオ様の得意技ですもの」
何の論理性もなく、感情だけで決めつけてなじってくるような男だった。エリィゼは、それを嫌になるほど知っている。だからこそ、彼が必ず引っ掛かるであろうはったりをかますことができたのだ。
「ありがとうございます、アルヴァルド様」
「あ?」
「私のワガママに付き合っていただいて」
「城主としてラティカの治安維持に務めただけだ」
「まあ。私には『一人の女として』行動させておいて?」
「……そうだったな」
「ふふふ」
笑いながらも、手すりを握るエリィゼの手には少しだけ力が込められていた。アルヴァルドが自分の横顔を見つめていることにも気づかないほど、エリィゼは緊張していた。
(伝えないと)
静かな決意で、頭がいっぱいだったのだ。
アルヴァルドが、ここまで自分のためを思ってくれた。その思いに報いるためには、表面だけの言葉だけでは足りないと思ったのだ。
(緊張する)
未だかつて、こんなにも緊張することがあっただろうか。何事もそつなくこなしてきた自負がある。なのに、自分の中にあるたった一つの気持ちをさらけ出すだけのことが、こんなにも難しいなんて。
そうやって手すりの上でキュッと手を握ると、何故かその上にアルヴァルドの手が置かれた。急な出来事に、エリィゼの肩が跳ねる。
「……!」
喉の奥が狭くなる。どうしてこの人に触れられると、こんなにも身体がままならなくなるんだろう。
咄嗟にアルヴァルドを見上げれば、しっかりと目が合った。エリィゼの言葉を待たない彼は、ぽつりと言う。
「訂正する」
「え?」
アルヴァルドの金色の瞳が、月の光で鈍く光っている。夜空のもと、彼と会うのは初めてだった。彼の瞳がこんな光り方をするなんて、エリィゼは想像すらしたことがない。
「一人の男として、我慢がならなかった」
冷たい夜風が、二人の頬を冷やしていく。それでも間に合わずに頬を真っ赤に染めるエリィゼに、アルヴァルドは笑った。
聡明なエリィゼに、その言葉の意味が理解できないわけがない。アルヴァルドもまた、それを理解していた。
「エリィゼ」
彼に初めて呼ばれた自分の名は、夜の空気と合わさって甘く響いた。骨にまでくるような低い声なのに、という混乱で、自分の名前が一瞬わからなくなるほどだった。
エリィゼの慎ましい混乱をよそに、アルヴァルドが口を開く。だがその口は躊躇いを持ったのか、一度閉じられ、それでもすぐにまた開かれる。そうしてアルヴァルドは、真っ直ぐエリィゼを見つめた。
一切の甘さを許さないような瞳は、初めて会った時と同じだった。
「式を挙げよう」
彼の右目の下に、傷の痕がある。そんなことに、エリィゼは初めて気がついた。
どうして今、それに気づいてしまうのだろうか。
どうしてそれが、こんなにも苦しいほど愛おしく思えるのだろうか。
短い言葉に込められたありったけの甘さに、エリィゼの瞳が静かに揺らぐ。泣いてしまう自分をも愛おしく思えたことを、誰かに伝えたい気分だった。
「はい」
風に攫われそうなほど小さな声は、アルヴァルドの意志の強い瞳を緩ませた。
いつものお前はどこに行ったんだよと言いたくなるのを我慢して、アルヴァルドはエリィゼに向けた身体を、少しだけかがめた。
□
「ゲッ」
城門が閉まったのを正面玄関から見届けたルイスは、テラスの人影を見上げて苦虫を噛み潰したような顔をした。身内のキスシーンなんて、影であっても見たいものではない。早足で会場へ戻る。
けれど、足取りは軽かった。これから忙しくなる。エドガーとの打ち合わせが待ち遠しかった。
「エドガーさん、朗報ですよ」
ルイスの表情に、エドガーはそれだけで何が起こったか把握ができた。捻くれながらも真っ直ぐである同僚と握手をすれば、力強いそれにルイスは「痛い痛い痛い!」と笑った。
かくして、約一年。よろしくしないはずだった二人の挙式が、ようやっと決定したのであった。




