狼煙
エリィゼが参加する城主会議は、半月ぶりだった。
挨拶もそこそこに、シンシアを聴取したルイスが報告を始める。緊急の城主会議のため、テーブルには紅茶だけが置かれていた。
「テテザは、王都にいる友人から受け取ったそうです」
「友人、ですか」
「はい。その友人はシンシアがお嬢様のラティカ行きを嘆いていることを知り、ある御方からいただいたと」
「その『ある御方』は? 何故テテザを持ってる?」
「これから調査になります。が」
「が?」
「正直、見当はついてます。その友人の主人が魔法台にお勤めらしく、当然と言うべきか、ランキース家に近い家柄です」
容疑者筆頭とも言える名前に、誰も驚きはしなかった。エドガーが問う。
「ランキース様が毒を?」
「ゼオ様が毒、ましてやグラティアナ固有の毒草に詳しいとは考えづらいですけどね。ただ、執事の方は滅法頭が良いんです。一年と持たないゼオ様付きの執事をもう三年もこなしています。あのコンビは、悪い噂が絶えません」
「具体的にはどのような?」
「政敵を失脚させた、不貞相手の子を流産させた、死にかけの祖父に手をかけた」
「真っ黒じゃねぇか」
「どれも証拠不十分です。お嬢様の婚約破棄の件と同じですよ」
ルイスは顔を顰めてそう言うと、最後に「クソ野郎なんで」と付け加える。
「ですが、エリィゼ様が王都に戻ることはランキース様にとっても望ましくないのでは?」
「もちろんです。シンシアは王都に戻ることを信じていましたが、向こうはそれくらいじゃ戻ってこないと高をくくっていたんでしょうね。貴族の矜持を考えれば、まぁそうでしょう」
「……そうなるとシンシアさんは、またそのご友人に相談したでしょうね」
「結果、お嬢様にとってロシアンルーレットな日々が始まります。ゼオ様は大喜び」
ルイスの軽口にエドガーは苦笑をする。軽口を言いながらも、ルイスはいつものように笑みを貼ることができなかった。怒りがそれを許さないのだ。
「腹が立ちます。シンシアが自白したところで、今回も恐らく状況証拠しかない」
シンシアはずっと泣いていた。「お嬢様の気持ちを、踏みにじってしまった」「お嬢様のためなんて、自惚れだった」「お嬢様に、あんな顔をさせてしまうなんて」。そんな同じような言葉を何度も繰り返し、謝罪をしてはまた泣いた。
従者としては、気持ちが分からないでもない。行為自体は間違っていたが、エリィゼへの思いそのものが間違っているとは決して言えなかった。間違っていないから、シンシアは泣くしかないし謝罪しかできないのだ。同僚であるシンシアがエリィゼを慕っていることを、ルイスはよく知っていた。
「『ある御方』が誰かは分かりませんが、ここまで来るともうゼオ様は黒でしょう。というか、他にお嬢様を狙う馬鹿がいるはずがないんですよ。両国にとってこの婚姻は保証そのものです。お嬢様が亡くなる、或いは王都に戻れば『次は誰が人柱になる?』っつー話ですからね」
「ルイス」
「申し訳ありませんが、表現としては間違っているつもりはないです。うちの国では、そういう話になります」
「だろうな」
「……」
あっさりと言う二人に、エリィゼは黙ってしまうしかなかった。
(そういう話)
それで、いいのだろうか。
ずっと頭の中にある問いが、再び動き出す。
「テテザの入手経路の方はどうなってる?」
「目下調査中です」
「その『友人』からの特定は可能なのか?」
「やってはみますが、途中で揉み消される可能性は大ですね。魔法台は閉鎖的なんで、魔法台がノーと言えばノーみたいなところはあります」
「両方から辿って合致すれば訴えようはあるな」
「合致すりゃいいですけどね。どうにか一泡吹かせたいもんですよ」
「今回で懲りるような方でもないでしょう。エリィゼ様の安全を思えば、少しでもお灸を据えてやりたいところですな」
「まさにそれです。アイツはまたやりますよ、絶対。絶ッッッ対!」
「……お前の意見は?」
これまでほとんど言葉を発さなかったエリィゼに、アルヴァルドがそう聞うた。
瞳を向けられ、エリィゼは咄嗟に目線を落とす。そしてテーブルを見つめながら、小さく声を紡いだ。
「私は…………」
どうしても、そのあとの言葉が続かなかった。
仮に二つのルートがどこにも辿り着かなければ、未解決のままこの件は終わってしまう。そしてルイスやエドガーが言うように、元凶を叩かなければ同様の事件が起きる可能性は今後も高いと言えるだろう。もしそんな事件が続けば、きっと誰もが『王都に戻る方が安全だ』と言うに違いない。
(私は、ラティカにいたい)
その気持ちは確かにあった。けれど、その気持ちはすぐ別の声に圧し潰されてしまう。
果たして自分に、その資格はあるのだろうか?
自分も王都の人間らしく、どこかで獣人自体を見下していたかもしれないのに。自信が無い。彼の隣にいる自信も、彼から離れる自信も、この気持ちを言葉にできる自信も。
「どうした?」
アルヴァルドのその一言で、机に固定されてしまったエリィゼの瞳がやっと動いた。
見上げれば、彼は少し身をかがめて、体調を伺うようにエリィゼを見つめている。
(心配してくれてる)
初めて会ったときを考えると、信じられない光景だった。
そもそも元を辿ればこの結婚生活は、彼の「よろしくするつもりはさらさらねぇ」から始まったのだ。
(それが、こんなに)
こんなに変わってしまうなんて、きっと誰も思わなかったことだろう。私も、彼も、ラティカに暮らす誰も彼も、予想なんてしなかった。
お菓子のやり取りも、デートをたくさんすることも、腕を組むことも、10秒だけのお見舞いも。
(彼にだって、勇気がいることだったろうに)
そう思うと、お腹から頭のてっぺんまで、何かがビリビリと駆け上がっていくように震えた。
目が自然と、彼の瞳と結ばれる。浅い呼吸が、深くなる。脳が、言葉を止めるなと言っている。
勇気を出せ。彼が、私にそうであったように。
「城主としては」
驚くほど明瞭な声だった。もうこれは止まれない、と自分でもよく分かる。聞いて欲しい。彼にも、ルイスにも、エドガーにも。私の気持ちを。
「このような発言はよろしくないと、重々承知しております」
「お嬢様?」
凛とした物言いはいつものエリィゼのようで、いつものエリィゼではなかった。ルイスはその様子に戸惑いながらも、彼女に目を向ける。そして、向けた目を丸くした。
「私、とても、怒ってますわ」
「えっ」
まさに、『驚きを禁じ得ない』。
怒っている。お嬢様が。あの、お嬢様が。
そんな混乱で頭がいっぱいになり、ルイスはただただエリィゼの表情に目を奪われた。ルイスの驚きに気づかないエリィゼは、言葉を続ける。
「シンシアは、私を傷つける必要がなかったはずです。ゼオ様はただ、王都で私を笑っているだけで良かったはずです。シンシアを唆すゼオ様が、一番悪いのです」
エリィゼらしくない言葉選びだった。それでも三人は黙って見守るしかない。エリィゼ自身、三人分の視線を受け止めながら、自分の言っていることが不明瞭であることにも気づいていた。
「あの人のすることですから」と丸く収めることが、城主として望ましいのは分かっているのだ。
でも、じゃあ、この感情はどこへ行く?
私を大事に思ってくれる人たちに纏わるこの感情は、どうしたらいい?
私が勇気を持てないばかりに、一緒に傷ついたまま終わってしまうの?
「……ただ、証拠もないのに波風を立てるなんてことはできません。だから悔しいですわ、とっても。怒ってます。悔しいです。腸が煮えくり返るとは、こういうことを言うんですわね」
感情的ながらどこか冷静にそう言うエリィゼに、ルイスは何も言えなかった。
震えた瞳は今にも涙をこぼしてしまいそうなのに、エリィゼはそれを堪えている。そこらにいる女性ならもうとっくに流しているであろう涙を、ギリギリにでもとどめてしまうのが彼女らしいと思った。
「申し訳ありません。また、取り乱してしまいました」
涙を落ち着かせるように大きくため息をついたエリィゼは、細い指で目の縁を拭った。
その指を、アルヴァルドはジッと見つめる。そうして静かに「分かった」と言うのだった。
「で、どうする?」
ぽんと飛んできた言葉に、エリィゼは驚きながらも返す。
「どうするって……証拠もないまま訴えるなんて、そんなこと」
「では、言い方を変える」
金色の瞳が、エリィゼを貫いた。
逸らすことが叶わない鋭さに、自分の心音をも貫かれたように思えた。暴れていた心臓が制御されるように、少しずつ落ち着きを取り戻していく。どくん、どくん、と脈打つ心臓はエリィゼに「会いたい」という言葉を思い出させた。
「一人の女として、どうしたい?」
尚も零れそうな涙を、ぐっと飲み込む。
彼の誠実さに、答えないといけない。城主でも令嬢でもない、エリィゼという一人の女を見て、考えてくれる彼に、もう逃げることなんてできない。
彼は受け止めてくれる。それが分かっていながら、勇気を出さない理由が一体どこにあるだろうか。
「クソ野郎に、一泡吹かせてやりたい気分です!」
怒った表情のままそう言うと、アルヴァルドは「分かった」と笑った。
否応なしに、二人の執事の頭には“挙式”という二文字が浮かんでしまう。そしてそれは、ついぞ消えることはなかった。




