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やり取り

 エリィゼが倒れたという噂は、瞬く間に街中に広がった。ラティカ城にはお見舞いの品という名目でドレスや枕、書物などの貢ぎ物が続々と届いた。

 それはエリィゼ宛に限らず、アルヴァルドにも同じように届けられている。真意はもちろん『宣伝』に他ならないだろう。


「チッ」


 アルヴァルドはデスクの上を一瞥して、舌打ちをした。

 無遠慮に贈られてくる貢ぎ物たちを「適当に置いとけ」とエドガーに任せた過去の自分にも、腹が立っていた。自室のデスクに適当に置かれたそれらが、デスクの上で大渋滞を起こしているのだ。


(適当に置きやがって)


 自分のことを棚上げしてそう思ったのと同時に、デスクに置かれた手紙がふと目に入った。宛先もなければ、封蝋もない。


「……」


 それを手に取る。封筒の下部には、見慣れない字でエリィゼという名が綴られていた。

 封がされていない封筒を開け、一枚だけのメッセージカードを取り出す。短い文章だった。


『プリンありがとうございました。とても美味しかったです』


 お手本のような文字だ。それこそ、教育の賜物だろう。

 思えば完璧とも言えるエリィゼの礼儀や作法、振る舞いは、彼女が言う『血反吐を吐く思い』で形成されたのだ。

 細い彼女の身体を思い返せば、幼少期の姿まで自然と想像してしまった。「明日が怖い」と泣く姿は、どうしても今のエリィゼに変わってしまう。すると無意識のうちに目の奥に力が入った。

 エリィゼが与えられていたのは『餌』だ。馬ににんじんをぶらさげるような、猿にバナナを取らせるような。


(餌なんか、やれるか)


 そんなものを、施してたまるか。


(あの女を、そんなもので)


 伝聞でしかない彼女の過去に、どうしても怒りが湧いた。幼少期の姿も知らない、生家も知らない、両親にだって会ったことがない。

 「ない」ものばかりなのに、この感情がどこから湧き出てくるのか。自分が不思議でならなかった。

 封筒に目を移す。慎ましく添えられたエリィゼの綴りは、どの文字にも迷いがない。それをそっと、親指でなぞった。何故か、そうせずにはいられなかった。

 エリィゼ。


「エリィゼ」


 初めて声に出したその名前は、誰にも聞かれることなく部屋のどこかへ消えたいった。

 エリィゼの綴りに親指を当てたまま、アルヴァルドは固まる。しばらくの間、そこから動くことができなかった。



  □



 グラティアナ王国の山岳地帯に自生するテテザという毒草は、無味無臭である。

 毒草とはいえ、死に至るようなものではない。せいぜい一週間ほど寝込んで痩せこけるくらいだが、テテザを口にした者は皆一様に「死ぬかと思った」と話す。それほどに、初期症状が強いのだ。

 獣人は嗅覚が鋭い。だからこそ匂いのない毒草を正しく嗅ぎ分け、正しく共生を続けていた。

 だがある時から、共生は破綻する。テテザを使った『嫌がらせ』が上流階級で多発したのだ。


「紅茶に混ぜるんです」

「わーお」

「テテザは、乾燥させて煎ると紅茶の茶葉とよく似ています。それを政敵だの恋敵だのに贈る嫌がらせが、我が国で一時期流行したのです」


 エリィゼの紅茶に混入していた毒草の名前を聞いた途端、エドガーは深くため息をついた。そして、切り替えるようにすぐ掻い摘んだ歴史を説明を始めたのだった。

 表情を暗くするエドガーとは対照的に、ルイスは「どこの国でもそういう話はありますねぇ」と呑気に言うだけだった。アルヴァルドが短く補足を加える。


「何百年も前の話だ」

「はい。ですが、入手があまりに手軽でもあるため、テテザの自生区域は今でも管理がなされています」

「じゃあ入手ルートが辿れるんですか?」

「運が良ければ」

「期間は?」

「一ヶ月はかかるかと」


 アルヴァルドの問いに、エドガーがそう答える。

 そこに少しだけ沈黙が訪れると、ルイスはその沈黙をわざと破った。


「使用人たちも、何だかんだで元は王都の人間です」


 不自然なその一言で、ルイスが何を言いたいか二人にはおおよその理解ができた。黙って続きを聞く。


「グラティアナの毒が盛られたというだけで、情けないことにこっちは大騒ぎです。ウォーラン家には既に報せがいっていますし、王都に戻るべきだという声も少なくありません」

「で? 端的に言え」

「アルヴァルド様」


 言い訳のように並べた言葉を、アルヴァルドはにべもなく突き放した。気を遣っているのが馬鹿らしくなりながらも、ルイスは続ける。馬鹿らしくはなるが、軽く言えることではなかった。


「……使用人たちに、獣人に対する差別意識がないと俺は言い切ることはできません」


「エリィゼ様のことを思うのなら、獣人との関わりを最小限にするべきだ」。

 それが使用人たちの総意だった。常日頃関わっているルイスはともかく、一部の使用人は獣人と関わる機会があまりない。王都で当然のようにあった差別意識は、ラティカにいようと尚も根強いものだった。


「王都に戻るにしろ、お嬢様の快復を待つ必要があります。しばらく、ガーデンの行き来を制限させてください」


 つまり、ブルーガーデンとホワイトガーデンの完全な分断である。

 ルイスの立場は言うまでもなく板挟みだった。もう既に獣人が粗野だの野蛮だのという認識は、ルイスには全くない。だからと言って、使用人たちの総意を断れる状況でもなかった。


「それでそっちが落ち着くなら構わない」


 その状況をくみ取ったのか、アルヴァルドあっさりとそう言った。彼ならそう言うだろうとは思っていたが、ルイスとしては申し訳なさが先立ってしまう。「お見舞いに来い」と言っておきながら、これなのだ。

 しかしながら、ここで神妙な顔をしたところで「うぜぇ」と言われる未来も目に見えた。気を取り直して、ルイスは目の前のクッキーを指さした。


「ところでこのクッキー、お嬢様にお届けしても?」

「……」


「恋のキューピッドなんで」とでも言いたげな顔だ。少なくともアルヴァルドにはそのように見え、隠すことなく顔を顰める。


「……養生するように伝えろ」


 そうして絞り出した言葉に、にんまり笑ったのはエドガーだった。その笑顔に向かってすぐさまティースプーンが飛んでいき、それはガンっ!という音ともに床へと落ちていく。壁紙が抉れ、財務担当のルイスは「ああっ!」と情けない声を出した。



 □



「旦那様からです」


 そう言って穏やかな笑顔のクレアが持ってきてくれたのは、クッキーだった。

 エリィゼはクレアが部屋から出てるとすぐにトレーを見渡し、クッキーの皿を持ち上げる。どこかにメッセージカードがあるかもしれないと思ったのだ。

 けれどあまりの気配のなさに、すぐに諦めた。大体、そんなものがあればクレアがまず先に渡してくれるはずだ。それがない時点で、ないものはない。

 諦め悪く探した自分が急に恥ずかしくなり、エリィゼは一人だというのに両手で顔を隠す。


「はあーー……」


 長いため息をつき、落ち着いたところで顔を上げた。

 届けられたクッキーの半分は、紅茶の茶葉が入ったものだった。初めて会った時、彼は、同じものを作っていた。


(髪を束ねて、エプロンを着て)


 その姿を思い出すと、心臓がきゅうっと小さくなった。

 王都の男性よりも一回り大きい体躯の彼が、エプロンを着て、クッキーを作っている。改めて考えると笑ってしまう光景だった。


(可愛い。可愛い、かわいい)


 溢れてくるその言葉に、何より自分に戸惑った。


(どうしてあんなにたくましい方に、可愛いだなんて思うのかしら)


 クッキーを見つめる。

 ルイスは、紅茶の茶葉に毒が入っていたと言っていた。にも関わらず、紅茶の茶葉が入ったクッキーがエリィゼに届けられている。きっと、使用人の一部は反対したことだろう。

 けれどルイスは、彼を信じているのだ。そしてエリィゼも、このクッキーに毒が入っているなどと一ミリも思っていない。

 一口だけ、クッキーを口にする。

 彼のお菓子はいつだって美味しい。分かりきったことだし、このクッキーを食べるのだって二度目だ。やっぱり美味しい。


「くるしい……」


 それ以上、口にすることができなかった。

 毒を飲んだ時の苦しさとは、全く違う。もっと、心臓が硬直して、なのに波打って、誰かに抱きしめてもらいたいような。


(会いたい)


 しばらく会えないことは、ルイスから報告されていた。その理由は聞いているし、納得だってしている。

 けれど、会いたい。

 そう思ってしまうと、もうどうしようもなかった。苦しみに耐えかねたエリィゼは、クッキーを残してベッドへ潜る。


 会いたいだけなのに、どうして苦しいのかしら。

 会えなくて苦しいのは、どうしてなのかしら。

 そもそもどうして、会いたいのかしら。


 数分後、クレアがやってきた。皿を下げにきたクレアは、一口しか食べられていないクッキーを見て一瞬で顔を青くさせる。「お嬢様がクッキーを残すなんて!」とメイドたちが慌てて医師を呼んだのは、言うまでもない。

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