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自由に

 お嬢様は自由だ。公爵令嬢という枠の中で、めいっぱい自由だ。

 だから俺を専属執事として指名した。ウォーラン家に代々仕えるリスター家の問題児だった俺を「ルイスじゃないと困るわ」と指名した瞬間、一番驚いたのは我が生家であるリスター家であった。失礼な話である。

 失礼な話であるが、おかしな話ではなかった。自分で言うのもなんだが、俺は顔が良い。寄ってくる女性の数は歳を経るごとに増え、執事という仕事に楽しみを見出せなかった俺はいわゆる女遊びへ偏っていった。それを「まぁ、あれだけ顔が良ければ」と14歳あたりから黙認されていたのだ。「ウォーラン家に勤めずとも、どこかのご婦人に囲われて幸せに暮らすだろう」と放置、いや放任されていたのである。


 そんな生活が続いたある深夜、屋敷の庭園でお嬢様と目が合ってしまったのだった。


「ルイス……」

「え、ええ? お嬢様?」


 膝を抱えてベンチに座る小さな彼女は、先日10歳になったばかりだった。


「何故こんなところに?」


 9時にはベッドに入っているはずの彼女にそう問うと、彼女は「明日が怖いの……」と震える声で答えた。そしてその途端、堰を切ったようにわんわんと泣き出してしまったのだった。

 俺は慌ててハンカチを差し出した。けれど、それ以外は何もできなかったし、何も言えなかった。女性の望むことなんて大体理解できているという自信があっただけに、情けないことこの上なかった。

 目の前の噴水は、俺の気も知らないでずっと同じ動きを繰り返している。


「……」


 数分前まで、彼女はこれをじぃっと見ていたのだろうか。

 そう思った瞬間、何かがぞわりと背中を這った。つい先日まで無邪気に振り撒かれていた笑顔が、瞳が、どうしてこんな風になってしまったのか。その疑問は、いつか間にか自分でも驚くほど大きくなった。

 以来真面目に……とまではいかないが、執事としてお嬢様に仕えるようになったわけである。


「ルイスじゃないと困るわ。ルイスが良ければ、一緒に行きましょう」


 ラティカへの輿入れが決まった時、リスター家は引くほど驚きに満ちていたが俺は驚かなかった。

 そりゃそうでしょう。彼女に付き合えるのなんて、俺くらいでしょう。そんな自信しかなかった。



  □



「だから試しにね、砂糖を一つに減らしてみたんです。そしたらそのあとすぐに倒れるもんだから本気でビビりましたよ。そこまで砂糖狂いなのかって」

「それはそれは……お察しします」


 お嬢様が倒れた翌日、緊急の城主会議(城主夫人不在)が行われた。当時の様子を軽めに装飾して伝えると、エドガーさんは微笑みながら相槌を打つ。容態が深刻ではないことは、しっかりと伝わったことだろう。

 向かいに座る旦那様は静かにコーヒーを飲んでいた。俺の話が一段落したところで、口を開く。


「で、目星は?」

「まだ何とも。お嬢様の食事に関わった使用人は多く見積もっても10名ほどです。6名がウォーラン家から、4名がこちらに来て雇った人材です。ウォーラン家からの使用人は全員とんでもない慌てっぷりでしたから、さすがに犯人ではないと思います。もちろん私情も込みですが」

「残りの4名は?」

「動揺はしていました。自分たちが疑われていることも承知していますし、もちろん全員が否認しています。そもそも、お嬢様に毒を盛る理由がないんですよね。確かに変人ではありますが、悪人ではありませんし」

「どうせ盛るなら致死性のものにするだろうしな」

「アルヴァルド様。なんと不謹慎な」

「ま、事実です。なんで、残るは過失ですね。食材に毒性のある何かが紛れ込んでいた可能性です。最近は貢ぎ物も多かったんでね」

「アイツだけが偶然口にしたとでも?」


 仮説の一つを提示してみたところ、「ハッ」と笑われ一蹴された。「ですよね」でしかない。仮に毒性のある何かが紛れ込んでいれば、今頃俺も他の使用人もベッドの中でうなされていることだろう。


「お嬢様だけが口にしたのは、紅茶のみです。今調べてはいますが、正直何かが出るとは思えません。いつもと全く同じものですから」

「お前が淹れたならお前が犯人だな」

「失礼な。どうせ盛るなら致死性にしますよ」

「そうだったな」

「不謹慎な……」


 俺と旦那様の応酬に、エドガーさんは呆れてため息をついた。かと思えばすぐに「おっと」と立ち上がる。何かを思い出したようだった。


「どうしました?」

「エリィゼ様へ、お見舞いのお花を用意していたのです。向こうの執務室に忘れてしまいました、ジジイは忘れっぽくていけません」

「あとで取りに伺いますよ」

「とんでもない、ルイスさんも一刻も早くエリィゼ様の元に戻りたいでしょうから」

「いや、別に……」

「しばしお待ちを。どうぞ、ご歓談でも」


 そう言ってエドガーさんはよどみなく中央執務室から出て行った。

 え、ええ~。

 ラティカ城に来て既に半年は経つが、旦那様と二人きりになるのは初めてだった。主君の伴侶であり、一応は雇用主だ。歓談を拒否するわけにもいかないだろう。もちろん、主君の伴侶が応じてくれるかは別だが。


「……お花は、旦那様から?」

「だと思うか?」

「いえ。ですよね」

「容態は?」


 おや、意外。

 便りがないのは元気な証拠である。俺が「ぶっちゃけ元気ないです」と言わないということは、お嬢様が元気であることと同義だ。だと言うのに、旦那様はわざわざ詳細を知りたいらしい。

 まぁ厳密には元気ではない。食欲もないし、顔色も悪い。見てくれはまさに病人そのものだった。見てくれは。


「だいぶ落ち着いてますよ。熱はまだありますが、困るくらい意識ははっきりしています。今朝も、本件についての推論をたくさん披露してくださいました」

「そうか」

「お見舞いならいつでもどうぞ」

「落ち着いてるなら行く必要もねぇだろ」

「今日のお茶請けを気にしてたんで、そのついでに」

「しつけぇ」

「怖い」


 じろりと睨まれて肩を竦めれば、旦那様はまたコーヒーを口にした。

 金色の瞳と、その優雅な所作に昨日のお嬢様が思い返される。

「アルヴァルド様」。

 倒れた後、言葉にならない言葉の合間に彼女はそう言った。

 どうにもこうにも衝撃である。あの人が、自分の窮地に他人の名前を呼ぶなんて。

 何故かなどと言語化するまでもないだろう。個人的には「良かった」と思った。そんな気持ちが自分にあることにも驚いたくらいだ。

 そうして、彼女が名前を呼んだ男性は目の前で彼女の心配をしている。恋のキューピッドなんぞ柄ではないが、口を出さずにはいられなかった。


「気になるなら来ればいいでしょう。素直じゃないんですから」

「あ?」

「固形物はまだ食べられませんが、プリンくらいなら大丈夫だと思いますよ」

「何で俺が作ることになってんだよ」

「独り言なので悪しからず。ちなみにお嬢様は硬めのプリンが好きです」


 まくし立てるように言えば、旦那様は「ハッ」と笑った。自嘲するような、小馬鹿にするような笑いだ。


「だったらテメェが作ってやればいいだろうが」

「なーんでそうなるんスか」


 あ、なるほど。

 反射的に返してしまったが、要はこれ、嫉妬だ。「俺よりお前の方がアイツに詳しいなら、俺が入る隙はないだろう」と。だっておかしい。いつもの旦那様なら感情的に「黙れ」と俺にティースプーンを投げつけるはずだ。いや、投げつけないでほしいがそれはさておき、恐らく怒りより嫉妬が勝ってしまっているが故の嫌味なのだろう。

 ああ、なんとむずがゆい。どうして身内の恋愛模様に巻き込まれなければならないのか。


「言っておきますが、俺はお嬢様に対してこれっっっっっっぽっちも恋愛感情とかありませんからね」

「何の話だよ。投げるぞ」

「いえ、はっきりさせとこうかと。スプーン置いてください」


 イラッとした顔を隠さない旦那様は「チッ」と舌打ちをしながらティースプーンをソーサーへ置いた。

 ダメだこの人、自覚しているのかしていないのか分からないがどうにも感情が先行しすぎる。お嬢様とは大違いだ。

 だが、よくいる貴族でもある。ならば俺の得意分野だろう。


「引き続き、独り言です。俺にとっちゃあの人は妹なんて大層なものでもないし、強いて言えばあれです、悪友です」

「お前、雇い主に向かって……」

「はい。主が主ですから」


 お嬢様は自由だ。

 俺の、とあるご婦人との痴情のもつれを「あら、大丈夫よ。その方の旦那様も同じことをしてるもの。話してみるわね」とあっさり解決したかと思えば、翌日には「このパーティー、もう少ししたら抜け出すわ。お父様にバレないよう時間稼ぎをお願いね」と自分の都合で振り回す。

 公爵令嬢である彼女を悪友と称すなんて、大多数の貴族から反感を買うだろう。呆れた顔で済ませるのは目の前の旦那様くらいだ。本当に、俺は勤め先に恵まれたと思う。


「悪友だって友人です。友人に幸せになってほしいのは、そうおかしいことではないでしょう」

「……」

「で、独り言ついでにお話ししますが、お嬢様の砂糖狂いは後遺症みたいなもんなんですよね」


 そう言うと、旦那様の耳がぴくりと動いた。分かりやすい人だ。

 ラティカに住む獣人のご婦人は言っていた。「自分でも制御できないの。興奮? 高ぶり? とにかくこういうとき、動いちゃうのよ」と。


「公爵令嬢が公爵令嬢たるためにどんな教育を受けるか、あなたなら想像に容易いでしょう。ああ見えて小さい頃はよく泣いていました。明日が怖いと」


 ついさっきまで苛立ちを抑えきれないようだった旦那様は、黙って俺の話を聞いていた。鋭い金色の瞳だ。初めて会ったときに感じた威圧はもうどこにもない。ないと言うより、感じないと言う方が近いだろう。だってこの人もまた、身内に甘い主君だ。


「あの人の婆やが『今日も頑張れるように』とお菓子で泣き止ませたのが始まりでした。もうあの手この手ですよ。お嬢様はそれにまんまと釣られたんです。合理的なあの人は『こうすればいいのか』と学習してしまった」

「……」

「そしたら元々の素養と噛み合いすぎてめちゃくちゃメンタル強いモンスターが生まれたわけですが」

「歯に衣着せろ」


 瞳ばりに鋭いツッコミに笑う。そうそう、あなたはそうでなくちゃ。俺なんか、あの人に何もしてあげられないんですよ。


「それをよくない習慣だって、お嬢様自身が言ってたじゃないですか。あれ聞いた時、正直かなり驚きました。初めて聞いたんで。感動すらありましたよ」


 笑って言えば、丸くなった金色の瞳がぱちくりと瞬く。

 何も驚くことはない。俺にはなかったものが、彼にはあった。それだけの話だ。


「アルヴァルド様が、それを引き出したんですよ」


 俺は、彼女が泣いたときにハンカチを差し出すくらいしかできなかったのだ。それも、あの一回きり。彼女はどんどん強くなった。強く、優しく、しなやかだった。


「貴方の存在が、あの人を少し弱くしたんですよ」


 きっと本当は、もっとお淑やかに過ごせる人だったはずなのだ。

 何故かどんどん化け物じみていくメンタルに、この人は「元からこう」なのだろうと思ったことも多々ある。それがとんだ思い違いだったと、情けないことにここ最近気がついた。

 当たり前に、脆い部分がある。誰もがそうだ。例え化け物メンタルの公爵令嬢だって、軍人上がりの獣人王子だって、それが当たり前。


「あの人が公爵令嬢でもなくラティカ城城主でもなく、一人の女として生きる日が来るなら、こんなに嬉しいことはありません」


 恋愛感情なんてこれっぽっちもない。そこに嘘も偽りも全くない。

 けれど、だからと言って、彼女が大切ではないなどと誰が言うものだろうか。


「なのでお見舞い、お待ちしておりますね」


 あの小さかった女の子の幸せな結婚式を見たくないなんて、この俺が言えるはずもないだろう。

 そしてその幸せな結婚式は、どうしたって彼女だけでは成立しないのだ。


「……ああ」


 俺の言葉に、旦那様は何かを決意したようにそう言った。

 自由奔放で不束なお嬢様です。どうぞ末永くよろしくお願いしますよ、アルヴァルド様。

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