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愛など

 紅茶を見ると、彼女のことを思い出す。その茶色の泉へ、彼女はいつでも、いくつもの砂糖を落としていくのだ。

 品性の欠片もない量だった。ゲエと舌を出したくなるくらい甘いであろうそれを、エリィゼ・ウォーランは涼しい顔で口にする。


「とうとう狂ったか」

「はい?」


 僕がそう言うと、エリィゼはやはり涼しい顔を僕に向けた。

「狂った」という言葉が聞こえていないわけがないのに、何の嫌悪感も見せない彼女にイライラが募った。


「砂糖だ。致死量だな」

「まあ。砂糖に致死量が? それは知りませんでした。何グラムまでなら良いのでしょうか?」


 嫌味か天然か分からない返答に、また苛立ちが積み重なる。

 最近のエリィゼは特にこうだった。僕の言葉を流すように笑ったかと思えば、今みたいにとぼけた仕草で受け止めもする。自分の言葉が思ったように刺さらないのが、心底気に食わなかった。


「知るか。何にせよ、その調子なら早めに死ねるだろうな。身体にいいものではないのは確かだ」

「そうですわね。私の原動力なものですから、つい」

「原動力? どう見たって依存、あるいは逃避だろう?」


 その頃にはもう、エリィゼの砂糖好きは社交界でも有名なものとなっていた。

「優秀な人物は、やはりどこかがおかしい」。当たり前のようにそう揶揄され、おかげで僕は“変人を婚約者に持つ苦労人”という扱いをされた。

 この女が変人なせいで、何故僕が苦労人にならなければならないのか。それも心底気に食わなかった。


「まあ」


 そんな不満から出た僕の嫌味にも、エリィゼは穏やかに笑う。

 何一つダメージを受けない様が、不意に恐ろしく思えた。

 何故、この女は。


「そうとも言えますわね」


 薔薇の花弁の奥に、小さな羽虫を見つけた気分だった。

 何故、そんなにも優雅に笑える?

 何故、そんなにも幸せそうに笑える?

 何故、それをひけらかさない?


 何故、僕にはそれができない?


 そもそもお前は、いずれ僕に所有される人間だ。僕によって左右されるべきだろう。ならば不出来あるべきだろう。

 僕より不出来ならば、僕より不幸であるべきだろう。

 エリィゼは涼しい顔で、紅茶をもう一度口に含んだ。静かに微笑むその顔に、泥を塗りたくりたい気分だった。



 □



 発砲事件以降、ラティカの混乱は徐々におさまっていった。ある日を境に、被害がぱたりとなくなったのだ。ラティカから逃げたのか、死んだのか、諦めたのか。様々な憶測が飛び交った。

 それでも城主たちのデートは、何度も行われた。回数を重ねるごとにそれはラティカの日常となっていき、次第に商魂たくましい商人たちは「今がチャンス」とばかりに自分の店をアピールし始めた。結果的には、それも含めてラティカの日常となったと言えるだろう。


「アルヴァルド様。エリィゼ様にドレスをプレゼントする際は、是非うちで仕立てを」


 商人に声をかけられ、アルヴァルドはすぐにこう返す。


「んな予定はねぇ」

「はい。お金もありませんし」

「おい」


 そうやって気軽に行われるやり取りに、住民たちが親近感を覚えたのは言うまでもない。

 そのうち、自然発生的に自警団が作られた。『人の目は多い方がいい』と老若男女・人種を問わず形成された組織に、アルヴァルドはすぐさま補助金を助成した。

 結果、城主への評判はうなぎ登りと言っても過言ではない。


「先日、自警団への補助金を団長へお渡しいたしました。大喜びされておりましたよ、城主様は俺たちを見てくれていると」


 報告に際して、エドガーは微笑みを止めることができなかった。一時はどうなることかと思ったが、まさに順風満帆な治政である。


「お二人の愛のパワーですな」

「黙れエドガー」


 調子に乗る執事を、アルヴァルドは短く一喝した。

 エリィゼは手元の書類をめくっている。話を聞いていないのか、はたまた聞いた上でスルーしているのか、よく分からない口調で疑問を飛ばす。


「あら、今日は仕入れ? 業者の出入りがこんなに」

「仕入れではなく、貢ぎ物です」

「ルイスに? 相変わらずモテるのね」

「んなわけないでしょ。モテるのは否定しませんが、あなた方二人にですよ」

「まあ」


 改めて出入りする業者の名簿を見る。羅列されているのは、確かに街の商人ばかりだった。


「城主様が俺たちを見てくれてるっつーのは、自警団に限らず思ってることですから」

「でも何もお返しができないわ。特定の業者に偏るわけにはいかないもの」

「そのように伝えてはいるんですがね、お気持ちらしいです。『表向きは』でしょうが」

「何はともあれ、おかげで潤っております」


 財政が厳しいラティカ城にとっては僥倖だった。一時的なものであっても、この先しばらくは食費が浮くだろう。財務を担当するルイスも、エドガーと同じくほくほくとした笑みを抑えられなかった。


「南方の珍しいフルーツなんかもあるんですよ。しばらくは食卓が豪華になりますので、どうぞお楽しみに」

「ええ、きっとお茶請けも豪華になるわ」

「こっち見んな」

「とっても楽しみです」

「こっち見んな」


 お茶請けへの期待を隠さず笑うエリィゼに、アルヴァルドは間髪入れずそう言った。


(良かった)


 エリィゼは、密かに安心をしていた。ここ最近は二人きりになると妙にどきまぎしてしまうが、四人で集まるときはいつも通りに振る舞える。そんな自分にホッとしたのだ。

 一方で、アルヴァルドはエリィゼの笑みが不思議でならない。お茶請け一つでどうしてそこまで「いい顔」をするのか。最近のエリィゼは時たま知らない顔を見せるが、この顔は、出会ったときから全く変わっていなかった。


「何がいいんだよ」

「え?」

「人間の中でも異常だろ、その『砂糖狂い』」

「アルヴァルド様」


 配慮のない表現にエドガーが窘める。けれど、エリィゼはやはりと言うべきか全く気にしていない様子で答えるだけだった。


「はい、狂っていると昔からよく言われます」

「だろうな」

「良くない習慣だとは承知しておりますが、やめられなくて」

「……」


 踏み込めない何かがある。

 どこまでも穏やかな返答だったが、そう思わざるを得なかった。

 そして、わざわざ踏み込む理由もない。「よろしくしない」は今この瞬間もアルヴァルドの軸だった。これ以上は、違う。

 アルヴァルドが静かに線引きした直後、ルイスが呆れながら言う。


「良くないと思うなら、そろそろ自重してくれませんかね。そのうちマジで病気になりますよ」

「自重したらそのストレスで病気になる気がするわ」

「アルコール中毒者みたいなこと言わんでください」


 入り込む余地のない応酬だ。出会った時からそうだった。二人は幼なじみでもあるのだ。何より、この一見やる気のなさそうな男は、その口調や態度に反してこうも彼女へ忠誠心を抱いている。ルイスにとって、エリィゼは紛れもなく特別なのだろう。それが、妙に目についた。


(イライラする)


 そうやって苛立ちを自覚すると、自身の中に認めたくない感情があることに気づいてしまい、アルヴァルドの思考が一瞬止まる。

 他人の『特別』に苛立つなど、不合理だ。その感情が沸き立つこと自体が、アルヴァルドにとって『特別』な感情に他ならなかった。


(……)


 目を瞑る。本能的に、思考を放棄する方がいいと思った。

 それが何より合理的だ。この訳のわからない感情に振り回されて、この訳のわからない女に掻き乱されるのは、時間の無駄でしかない。


 俺は、ラティカ城城主であればいい。この結婚に、愛などないのだから。

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