不幸
結局、あの銃声は何にも辿り着かなかった。水路にでも落ちたのか薬莢もなく、目撃情報もない。何も分からないまま、騒動は燻って終わってしまった。
「デート自体、軽率な提案だったのかもしれません」
一連の報告をしながら、エドガーは自身の落ち度について言及する。しかし意外とも言うべきか、その言葉にすぐさま「いや」と反応したのはアルヴァルドだった。
「続行する」
「え?」
思いがけない宣言に、エドガーは目を丸くする。アルヴァルドへ単純な疑問を投げかけたのは、同じく丸い目をしたルイスだった。
「続行って、デートを?」
「デートを」
「お、おお……」
「この人が『デート』って言うの、なんか不思議だな」とルイスは何とも言えない声を出すが、アルヴァルドは一貫して冷静だった。軍事会議でもしてるのかと言いたくなるくらいの声の低さである。
「見立てが甘かった。人種が違う、文化が違う。分断が起こって当たり前の土壌だ。こうなる前に“ラティカは分断を良しとしない”という土壌を作るべきだった。デートも、回数をこなす必要があった」
「デートって回数こなすもんだったかな?」というツッコミも、ルイスはひとまず引っ込める。
ふと隣に座るエリィゼを見れば、エリィゼもまた軍事会議でもしてるのかと言いたくなるほど真面目な顔をしていた。
「同感です。住民たちは新城主の色が分からない状態で、事件に巻き込まれただけです。不安も疑心暗鬼も、当然の帰結ですわ」
「ですが、デートの続行は些か危険ではないでしょうか。犯人は銃を持っている可能性があります。私たちはともかく、もしもエリィゼ様が狙われたら」
「……」
エドガーの心配をよそに、ルイスは次にエリィゼが発するであろう言葉を予想していた。きっと「心配ないわ」とか「大丈夫よ」に近しいものだろう。
治癒力を含め、身体的能力が極端に高い獣人と戦争をして、人間国であるステラフォード王国が何故敗戦国に至らなかったか。
それはひとえに、魔法という異能のおかげだった。ごく一部の人間にしか使えないものであるが、その力は強大だ。故に戦後は魔法台が主導し、魔法使いは管理される人材となった。
とはいえ、魔法台より更に上に位置するのが王である。王族や貴族がその恩恵を受けることは、もはや既得権益とも言える。
もちろん公爵令嬢であるエリィゼも例外ではなかった。
「一度だけなら大丈夫」
「ちょっと外したな」。そう思いながら、ルイスは少し笑う。この人が、ここで怖じ気づくわけがない。
「……魔法ですか」
「ええ。命に関わる衝撃を緩和する魔法をかけてもらってるの。銃も剣も、一度だけなら問題はありません」
「それで問題ない、と私が判断するとお思いですか? もう何度目かも分かりませんが、あなた方は『城主』なのですよ」
「何度目かも分からねぇならそろそろ学習しろ、エドガー」
「はい?」
「これまでに『城主』のワガママが通らなかった試しが一度だってあったか?」
アルヴァルドにそう言われ、エドガーは「ぐ……っ」と言葉に詰まる。
言われずとも自覚はしていた。この二人の意見が一致した場面で自分が勝ったことなど、残念ながら一度もない。「ほら見なさい」などと言えたことだって、一度たりとも。
「時間は短くていい、とにかく回数を増やす。護衛隊は獣人を中心に、何かあればすぐに帰城する。コイツの腹に鉄板を仕込むのも有りだ」
「はい。ドレスが着れるのでしたら」
「だから前向きに善処しないでください、お嬢様」
「ルイスさんはいいんですか? エリィゼ様に危険が及ぶ可能性があるんですよ」
「命がなきゃ結婚式もできないのは山々なんですがね。ラティカがなければ結婚式もクソもない、なんて論破される未来も目に見えてるんで」
「……!」
「頭が固ぇんだよ、ジジイ」
ぐうの音も出ないエドガーに、アルヴァルドは愉快極まりないようだった。
勇敢な主人、明晰なその妻、柔軟な同僚。年の功などと大きな顔をできる隙など全くないと言っていい。
エドガーは大きくため息をつく。ジジイは知っている。時には、諦めが肝心なのである。
「では命が残れば、その『結婚式』について、改めてご一考を」
「まだ諦めてねぇのかよ」
抜け目のない差し込みに呆れながら、アルヴァルドはエドガーの足を蹴った。
□
「手を」
「え?」
次の日、早速デートが執り行われた。
馬車を降りたアルヴァルドは、同じく場所を降りたエリィゼに向かってそう言った。腕を曲げ、自身の肘をエリィゼに見せるように突き出している。
一瞬意図が分からず聞き返すと、アルヴァルドは少し苛立ったように言った。
「テメェの提案だろうが」
遅い、とでも言うようにエリィゼの手を取ったアルヴァルドは、その手を自身の腕へと置く。
「腕でも組めば、更に効果があるかしら」。
初めてデートをした日に自身が言った言葉を思い出す。エリィゼは慌ててアルヴァルドの腕に寄り添った。
(こんな……)
こんなつもりじゃなかったのに。
自身の半身にぴっとりとくっついたアルヴァルドの体温と香りに、息が詰まった。
あの時は、こんな気持ちになるつもりなんてなかったのに。
「行くぞ」
こんなつもりじゃなかったのに。
何度もそう思う。アルヴァルドに歩幅を合わせてもらいながら、エリィゼは石畳の上をふわふわとした気持ちで歩いた。たった数分の道のりが、いやに長く思えた。
□
レイン・ターナーはいわゆる守銭奴である。
できるだけ早く資産を形成し、労働から逃げる。それが彼の目標であった。
平民に生まれ、自然と神童と呼ばれるようになった彼は、幼い頃からその高い知性で貴族制度そのものに見切りをつけていた。貴族の生まれではないという事実だけで、人生の選択肢が自然と狭まるのだ。そんな限られた可能性の中で無様にもがく未来だけは、絶対に避けたい。幼いながらにそう考えた彼は、目標として早期の資産形成を打ち立てるに至った。
結果、彼はゼオ・ランキースの専属執事となった。
ゼオの専属執事は、これまでに何度も替わっている。その誰もが1年以内に解雇、もしくは辞職をしていた。にも関わらず、レインは既に三年目を迎えているのだった。
レインはゼオの金払いがいいところを気に入り、ゼオはレインの金さえ払えば何でもそつなくこなすところが気に入っている。
「『銃の扱いが難しい。これ以上を求めるなら金を上乗せしろ』とのことです」
レインがそう告げると、ゼオは「そうか」と何の感情もなく言った。
「そんなに難しい銃を渡したのか?」
「いいえ、ごく一般的なものです。ナイフや手足の方が頭を使わず済むのでしょうね」
「もう少し頭の良い奴を使えばいいだろう」
「頭が悪いから動いてくれるんですよ、彼らは。もちろん殺し屋めいた人間も雇えますが、あまり大きなお金を動かすとゼオ様にたどり着く可能性もありますから」
「チッ」
先月、ゼオはレインへとある頼み事をした。
要約すると「エリィゼの態度が気に食わない。エリィゼを困らせろ」というあまりにも大雑把なものだったが、それに伴う特別報酬はレインが動くには十分すぎるものだった。
ここ数年の関係を経て、彼がエリィゼに歪んだ感情を向けていることはレインも承知している。「くだらない」と思いつつも、レインは特別報酬のため、戸籍にも乗っていないようなごろつきたちをラティカへ送り出したのだった。
「一番コスパが良いと思ったんですがね」
ごろつきからしてみれば、いつものように暮らすだけで金が支払われるのだ。謎の雇い主から報酬をもらい、彼らは悠々自適に暮らし始めた。
ひと月もすると「ラティカの治安が悪くなったらしい」という噂が王都でも流れ始めた。それを機に、レインは彼らに銃を渡した。
おもちゃを得て、彼らはより楽しく暮らしてくれることだろう。
そう目論んでいたが、まさかの展開である。「勉強するから金寄越せ」などと吹っかけられるとは、さすがのレインにも予想外の事態だった。
頭の悪い人間のことを考えるのは、容易なようで難しい。
「応じると調子に乗るだろうな。切るか」
「では手切れ金を渡しても?」
「口封じはしないのか?」
「そんなコストのかかることはしませんよ。『魔法使いが見てるぞ』とでも言っておけば事足ります」
「随分と稚拙な脅しだな」
そんなもので奴らが黙るのか?と言いたげなゼオに、レインは笑う。
「稚拙でも通用する連中です」
「根拠は?」
「誰しも、知らないことは怖いんですよ。『魔法台以外での魔法の使用はほとんど禁止されている』というルールは誰しもが知っていますが、その『ほとんど』の内容は、ほとんどの人間が理解できていません」
「……」
「動物が火を怖がるのと同じです。火はそこから一歩も動きやしないのに、それを理解していないから彼らは火を避ける。無知故に火種が多すぎるんです。そして、無知であることにも気づかない」
言い切った瞬間にゼオを目が合ってしまい、レインは咄嗟に「しまった」と思った。
ゼオの思考回路は、レインには分かりやすいほど見えてしまう時がある。彼は今、恐らくこう思っているだろう。
今、僕に向かって言わなかったか?
そのような意図は全くなかったが、実際のところレインにとってはゼオもまた無知同然ではあった。
無知故に、恐怖が多い。無知故に、恐怖がやってくるより前に、力を振りかざす。
トン、トン、トン。
デスクを叩くゼオの爪の音が、部屋に敷き詰められた絨毯へと染み込んでいく。
(ああ、めんどくさい)
覆水盆に返らずだ。
彼が力を振りかざしてくる前に、自分が有用であることを押しつけるしかなかった。レインは咄嗟に「種といえば」と話を変える。
できれば使いたくはなかったが、この場においては最適解だろう。
「グラティアナ固有の植物の種を手に入れたのですが、面白いことに使えそうで」
レインの言葉に、ゼオの爪の音がやむ。
「僕が笑ってしまうほど面白いんだろうな? それは」
値踏みをするような目で自分を見るゼオに、レインは笑みを返した。確信があったのだ。
「はい、きっと」
エリィゼが不幸になることが、ゼオにとって何よりも面白い。
数年間の従事の中で、それは理のようにいつでもあった。




