知りたい気持ち
二人が帰城すると、門が閉まりきらないうちに、護衛隊兵士は城兵たちへ報告を始めた。簡潔にまとめた現状を伝え終えた兵士は「では、私たちは街へ戻ります」と再び馬を走らせて行ってしまう。その機敏さに、エリィゼは何も声を掛けられなかった。
「あ……」
アルヴァルドに言われた言葉を頭の中で反芻させる。
(戦場も知らないご令嬢)
否定しようのない事実だった。危険を顧みず街へ戻った彼らに、何も言えないくらいなのだ。
「正面玄関まで歩かせます」
城兵が二人を乗せた馬を誘導する。
静かな城内に、馬の蹄の音がポクポクと響いた。のどかなその音は、エリィゼの後ろめたさを助長させる。声を漏らさずにはいられなかった。
「街は、大丈夫でしょうか」
アルヴァルドは、その呟きに毅然と答えた。進行方向に向かって、真っ直ぐ伸びる声だった。
「深追いはするなと伝えた。指揮権も信頼のおける兵士に託したから、悪いようにはなってねぇはずだ」
「? いつそんなお話を?」
「そういうサインがある」
「まあ……」
さすが元軍人。さすが、元王子直属軍。
きっと効率的な伝達システムがあるのだろう。それこそ深窓のお嬢様であるエリィゼにとっては知らない世界のものであり、明晰な頭脳があっても思い至ることはできないものだった。
エリィゼの声が少し小さくなる。
「それは……申し訳ありませんでした」
「あ?」
「アルヴァルド様の仰るように、私は戦場のことを何も知りません。混乱のあまり取り乱してしまい、余計なことを言ってしまいました」
虚栄も言い訳もない、素直な謝罪だった。その潔い態度にアルヴァルドは思わず「その割にはクソがつくほど論理的だったがな」と言いたくなったが、気安いツッコミをするのはさすがにやめる。
何ならアルヴァルドはその論理よりも、エリィゼが見せた感情に負けたようなものなのだ。そんな情けない場面を蒸し返すほど、自虐的でもなかった。
「でも、アルヴァルド様を止めたことは間違っていなかったと思っています」
「うるせぇよ」
素直な謝罪をしたかと思えば、これだ。いつもの「ずけずけ」に戻ったエリィゼに、アルヴァルドもまたいつもの調子で答える。
「戦場並みの銃弾が浴びせられるわけでもねぇのにリスクなんてあってないようなもんだろうが。そもそも俺とお前の間で『リスク』の認識が違いすぎる」
「けれど私とエドガーの意見は一致していましたわ。城主という立場から考えれば、私の意見もまた妥当だったと思います」
「アイツはジジイらしく頭が固ぇんだよ。今まで俺が何度撃たれたと思ってる?」
「……何度ですか?」
少し遅れてやってきた質問で、アルヴァルドは今更エリィゼのつむじを見つけた。柔らかな赤毛で作られた、小さな渦だ。エリィゼの香りがする。
瞬間、「答えるものか」と思った。戦場も軍隊も知らないこのご令嬢に、自分の傷の数を教えて何になる?
「降りるぞ」
アルヴァルドはそう言うと、正面玄関に用意された踏み台に馬を近づけた。そうして何の補助もなく、ひょいと馬から降りていく。
近くに寄ってきた城兵が、一連の流れにオロオロとしていた。彼は先にエリィゼを降ろそうとしたのだろう。その姿に気づいたアルヴァルドは、小さく呟いた。
「ああ」
人間の女は、一人では馬の乗り降りができない。
教養としてそれを思い出し、アルヴァルドは大きな手をエリィゼへと伸ばした。
「……ありがとうございます」
エリィゼは少し驚きながらも、不安定な馬上からその手を掴む。と同時に「このあとどうしたら」とも思った。
踏み台まで飛んで着地することも難しく、かと言ってこのまま倒れ込めばアルヴァルドを巻き込んで大事故になりそうな高さだった。
エリィゼは考える。淑女として、どのようにあるべきか。
「……」
正直、アルヴァルドはそんなエリィゼに笑ってしまいそうだった。
大声と言い涙目と言い、今日はエリィゼの知らない顔をたくさん見た。理路整然と振り回されている日常にストレスを感じていた分、端的に言えば愉快だったのだ。
そんな不自然な間に、エリィゼが気づかないはずもなかった。きっと、からかわれている。何故ならアルヴァルドもまた、エリィゼから見て知らない顔をしているのである。
「レディを転けさせるおつもりですか?」
いじけたように言うエリィゼに、アルヴァルドはついに笑った。
『人間の女』には、一人で馬の乗り降りができるような筋力がない。けれど『獣人の男』には、『人間の女』が倒れてきたところでびくともしない筋力と、体幹があるのだ。このご令嬢は、教養としてそんなことも知らないらしい。
「まさか、レディ」
そう言ってアルヴァルドはエリィゼの腕を強く引いた。バランスを崩したエリィゼは嫌な浮遊感と共に「きゃあっ!」と声を大きく上げる。そして気付けば、アルヴァルドの胸で受け止められていた。
エリィゼの全体重を受け止めてもびくともしない身体と突然の出来事に、エリィゼは混乱を極めていた。自分の感情がこんなにも「分からなく」なるなんて、生まれてこの方初めてだったのだ。
「……」
「……」
だから、真っ赤になった顔を隠すことさえできない。
アルヴァルドと目が合って彼が驚いた顔をしても、取り繕うことさえかなわない。
「あれ? 随分とお早いお帰りですね、お二人とも」
そんな二人に暢気に声を掛けてきたのは、ルイスだった。城兵たちの報告をまだ受けていない暢気さである。
「あー……」
一秒前まで暢気であったルイスは、身体を寄せ合って固まっている二人を見て同じように固まる。二人とも、ルイスの知らない顔をしている。ルイスにとっては「見てしまった」という感情しかなかった。
「なんかー……あれですね? 俺お邪魔みたいなんで、今の声掛けキャンセルでお願いします。大丈夫です、俺のことはそこら辺の妖精だと思ってくれて」
「こんな汚え妖精がいるかよ」
「ひどすぎる」
間髪入れずそう返したアルヴァルドは、何事もなかったかのようにエリィゼから離れた。ルイスに近づきながら「街で発砲があった」と短く報告し、ルイスは「はい!?」と真っ当な驚きを見せている。
その背中たちを追いつつ、エリィゼは彼に引かれていない方の手で、そっと頬を抑えていた。熱い。なかなか治らない。目の前の二人は、真面目なトーンで会話を交わしている。振り返ってくれないのはエリィゼにとって好都合だ。
ふと、アルヴァルドの尻尾がふわっと揺らめいているのに目を奪われた。人間にはないものである。意識的に動かせるのか、そうでないのかもエリィゼはよく知らなかった。
その尻尾から、目線を少し上げる。彼の広い背中は人間の男性とほとんど変わらない。隣のルイスより少し大きいけれど、ただそれだけ。
(あの中にいたのね、私)
それだけであるはずなのに、心臓がきゅうと小さくなった。
彼の胸にスッポリおさまってしまった自分を思い出すと、何故かまた顔が熱くなってしまう。近づけば近づくほど、彼が男性だと思い知らされる。
(そんなの当たり前なのに)
出会う前から知っていたことなのに、今更何を知ろうとしていて、そもそも何を知りたいというのだろう。
受けた銃弾の数なんて、知ったところでどうしようもないはずだ。無駄なことだし、自分らしくもない。
アルヴァルドの背中から目を逸らし、暗い窓ガラスに映った自身を見つめる。
自分が知らない自分がいる。
そう思うと、恐怖なのか納得なのかよく分からない湿った感情で、喉の奥がぐっと詰まった。




