喧嘩
ラティカは元々、『復興』が必要な土地だった。
約250年前に勃発したグラティアナ王国とステラフォード王国の戦争は、17年続いた。両国の国境に位置するラティカは当時から人間と獣人が共に暮らしていたが、戦争が始まってすぐに人々は消えた。そうある予定であったように、ラティカはやがて戦火で荒れ果てた。
長く続く戦争に、誰もが疲弊した。そして不幸にも幸運にも、災害と疾病と飢饉が重なった17年目、和平の話が当たり前のように浮かんできたのだった。
そんなある日、ラティカで水源が発見された。
まさに恵みである。戦争の被害を大きく受けた近隣の民が、ラティカへ押し寄せた。両国から絶え間なく続く列はやがて道を作り、そのそばに小屋が建てられ、ぽつりぽつりと人が暮らすようになった。
水源は恵みの一方で、大雨が降れば災害にもなった。グラティアナの民は自国から石を運び、その石でステラフォードの民が精密に家を作る。
そうやって自然と復興したラティカは、250年前と大きく変わらない姿を今でも保っている。ラティカ城が和平の象徴であれば、石造りの街並みは復興の象徴だった。
□
(……失敗したか)
その石造りの街を歩きながら、アルヴァルドはそう思った。きっと後ろを歩くエドガーも同じように思っていることだろう。初めてデートを催した時と打って変わった視線に刺され、アルヴァルドは無意識に顎を少し上げる。
疑念、落胆、憎悪。
それらが薄っすらとブレンドされた視線だった。特に人間からの視線は、アルヴァルドによく刺さる。人間からしてみれば、彼の姿が獣人の『代表』のように映っているのは言葉にされなくとも伝わった。
(もう少し早くに、手を打つべきだった)
もちろんアルヴァルドには、エドガーを責める気持ちなど全くない。むしろ、こういった空気になる前に動かなかった自分の愚鈍さへの嫌悪でいっぱいだった。
城主への期待値が高くなっている時点で、獣人と人間の分断を望まない『土壌』を作るべきだったのだ。だが、そんな後悔ももう遅い。
負の感情で装飾された視線を受けながらアルヴァルドが思考を巡らせていると、エリィゼが呟く。隣を歩く彼女のドレスは、ここ数日の暑さに馴染ませるように薄い生地で仕立てられていた。
「たかが一ヶ月で、こんなにも変わるのですね」
そう感想を漏らすと、彼女は複雑そうに少し笑った。短くも真っ当な感想は、何一つ否定しようがない。アルヴァルドは答える。
「そんなもんだろうな。民意のぶつけどころは最終的に上しかない。この状況を看破できない俺たちの責任だ」
「ええ、もちろんです」
「とは言え、戦場に近い街よりは100倍マシだ。暴言も卵も投げられない分、挽回の余地は大いにある」
「……アルヴァルド様は、おいくつから軍に?」
珍しく聞きづらそうな物言いに、アルヴァルドは思いがけず驚いた。日頃ずけずけと意見を言う割にはこういうところもあるのか、という感心にも近かった。
そういえば、とふと思う。
普段の態度を見ているとついつい忘れてしまうが、曲がりなりにもエリィゼは公爵令嬢。謂わば、深窓のお嬢様だ。戦場だの軍人だのと関わることは、全くと言っていいほどなかっただろう。それが『当然の日常』だったのだ。
だからか、いつもなら「答える必要があるか?」と言いたくなるところをアルヴァルドは素直に答えた。教えた、と言ってしまってもいいかもしれない。
「15になる頃には戦場にいた。うちは、王子だろうが王女だろうが軍を持つ。指揮官としてだ」
「エドガーは、その頃からアルヴァルド様の軍に?」
「いや、アイツは俺が生まれた時からいる。専属の指南役だ」
「まあ、そんなに長く……。では、ラティカに来るためにエドガーも退役されたのですね」
「退役はもう少し前だ。大抵の軍人はそのまま隠居生活だが、タイミングが悪かった」
「……悪かった?」
「そのまま隠居してればいいものを、俺の結婚を嗅ぎつけて執事としての再雇用を志願しやがった」
「あら。ふふ、アルヴァルド様から離れたくなかったのね」
「やめろ気持ち悪ィ。国から離れてこんな茶番に付き合うなんざ、アホにも程がある。老い先短ぇジジイのくせに」
「まあ…………」
アルヴァルドがそう悪態をつくと、エリィゼが不自然に沈黙した。アルヴァルドには、その理由がすぐに分かってしまう。
獣人は、人間に比べて寿命が短い。エリィゼはそれを、教養として知っているのだろう。だから近い将来、必ず来るであろうその時を想像し、次の言葉が出なかった。
「……」
エリィゼの思慮に気づいていながら、アルヴァルドもまた沈黙した。
獣人からしてみれば、エドガーは紛れもない老人だ。その日が遠くないことを、本人もアルヴァルドもとうに理解している。
(俺が気を遣う理由がねぇ)
二人して黙り、石畳を歩いていく。
沈黙がいよいよ重くなってきたころ、エリィゼはぽつりと言った。
「ではやはり、結婚式は挙げられませんわね」
『結婚式を見るまでは死ねません』。
半分が冗談で半分が本気のあの宣言は、どちらかと言えば軽いものであった。だと言うのにエリィゼの声には、幾分かの湿度が含まれている。けれども不思議と、同情や悲壮や哀れみは感じられなかった。
自分はどの命にも関与ができない。どうしようもできない真理を、きちんと頭で理解している声だった。
アルヴァルドは、その言葉にはっきり返す。答えなど決まっていた。
「そうだな」
改めて一致した意見に、二人は何の感情も名付けられない。城主としての責務からは、些か離れたものだ。私利私欲にも似ているからこそアルヴァルドの脳裏には「共犯」という単語がよぎった。その意味を、一瞬だけ探してしまう。
ターンッ……!
「!」
聞き慣れた破裂音だった。
意味を探しかけた妙に甘美な単語は、石造りの街に反響する音で瞬時に飛んでいく。
アルヴァルドが音の方角を見やると同時に、エドガーと護衛隊がバタバタと二人を囲んだ。
「銃声です」
「聞こえた。近くはねぇ」
「ええ。ですが、本日は帰城いたしましょう」
「馬の用意をします」
エドガーの促しで、兵士の一人が馬を引き連れるために二人から離れていった。その間、アルヴァルドはふと気づく。
(……)
いつの間にか、エリィゼの腕を掴んでしまっていた。
久方ぶりに聞く銃声だったのだ。コンマ一秒で直感した『危機』は、認知している以上に自分を焦らせたらしい。
(鈍るばっかりだな)
羞恥に似た情けなさと共にその腕を放そうとした瞬間、何故かエリィゼに袖を掴まれる。まるで縋るような指だ。物々しい雰囲気に、さすがの彼女も抗いようがなく飲まれていた。
戦場も軍人も決して身近ではない、深窓の令嬢。その令嬢の腕も指も、アルヴァルドは払うことができなかった。
準備を終えた馬が一頭、兵士と共に近付いてくる。手綱を受け取ったエドガーは、アルヴァルドへ手綱を向けながら言った。
「どうぞ、アルヴァルド様から乗られてください。そのあと奥様を」
「俺はいい。現場に行く」
「なっ……!?」
アルヴァルドの「当然だろう」と言いたげな発言に、エドガーは怒りに近い声を上げた。エリィゼも驚いてアルヴァルドを見上げたが、アルヴァルドはその視線も当然の如く無視をする。
エドガーは、怒りに身を任せなかった。主人の性格は分かりきっている。静かな声でアルヴァルドを睨みつけた。
「馬鹿なことを仰らないでください。あなたはもう軍人ではないのですよ」
「相手が銃を持っているなら、獣人は一人でも多い方がいい」
護衛隊は獣人と人間の精鋭で編成されている。とはいえ、獣人の方が兵士として「強い」のは明白だ。実際、アルヴァルドを始め獣人にとって銃など大した脅威ではないのだ。
むしろ、人間が一人でも撃たれてしまえば隊としての機能を大きくなってしまう。銃の持ち主が一連の犯人かは分からないが、臨機応変に対応するためには一人でも人員が必要。一から十まで、アルヴァルドらしい合理的判断ではあった。
エドガーは主人の英傑っぷりに目眩を覚えそうになりながらも、冷静を装って答える。
「ならば私が行きます」
「ふざけろ。退役した老兵としての自覚がねぇのか? エドガー指南役」
「あなたこそ城主として自覚なさいませ、アルヴァルド様。前線に行かれる必要は一切ございません」
「城主だからこそだ。建前のデートよりよっぽどターンがでかい」
一歩も引こうしないアルヴァルドに、エドガーの堪忍袋も限界だった。
血管の昂りを感じながらエドガーが口を開く。と同時に、鐘の音のような声が二人の間に割って入った。しゃんとした口調は、やはりアルヴァルドの背筋を少し伸ばす。
「故に、ハイリスクですわ」
「……」
力強くそう言われて見下ろす。エリィゼは先ほどまで硬直させていた瞳で、キッとアルヴァルドを睨み付けていた。一言そう言われただけで、アルヴァルドはつい身構えてしまう。
またやってくる、あの『ずけずけ』が。
「看過できません。いくらアルヴァルド様が屈強な軍人であろうと、いえ、だからこそ、城主の貴方が撃たれてしまえば市井の不安に直結します。武力の怖さを、ラティカの民は誰よりも知っているはずです。リスクが大きすぎますわ」
「戦場も知らねぇご令嬢の意見がここで通ると思うのか? そもそも、一連の犯人であればここで逃がすリスクの方がデケぇ。お前にしては、」
「ええ、知りません。知りませんわ!」
お前にしては浅い『ご意見』だな。
そう言おうとしたアルヴァルドを、エリィゼは珍しく遮った。かと思えば、これもまた珍しい早口で彼女は続ける。
「だから怖いのです、エドガーも、他の兵士も本当は行かせたくありません。こんな状況も初めてで、今にも叫びたい気分ですわ!」
アルヴァルドの袖を掴んだ手に、きゅっと力が入る。いつもの余裕に溢れた表情も態度もかなぐり捨てたエリィゼに、アルヴァルドもエドガーも呆気に取られた。そもそも、エリィゼの感情に任せた声を聞いたことも初めてだったのだ。
エリィゼは二人の呆気も気にしていられないようだった。アルヴァルドの目を真っ直ぐ見たまま、続ける。
「そして、こんな議論を続けることがまず時間の無駄ですわ。城までの護衛を考えれば使える馬は一頭、けれど私は今日ドレスです。誰かに手綱を握ってもらわなければなりません。兵士以外の、誰かに」
「それこそエドガーに、」
「私は公爵令嬢です。夫以外の男性に気安く触れられるような教育は受けていません。もう一度言います、アルヴァルド様。このような議論を交わす時間の方が、まさしく、無駄です」
「……!」
早口で言い切ったエリィゼの瞳に、涙の膜が張られている。1ミリにも満たないそれに気づいたアルヴァルドは、悪態さえもつけなかった。その一瞬の戸惑いに気づいたエドガーがすかさず口を挟む。
「アルヴァルド様、あなたの負けです。今回ばかりは認めてください。すぐに帰城を」
これ以上の応酬はアルヴァルドの圧倒的不利だった。議論を長引かせるという行為そのものが、アルヴァルドの落ち度になってしまう。
「……黙れエドガー」
今度こそ舌打ちをしたアルヴァルドはすぐに馬に乗り、エドガーに支えられるエリィゼの手を引いた。
そうしてエリィゼを腕の中に納めるような形で彼が手綱を握ると、二人を見上げたエドガーは笑う。主君に勝ったことで多少なりとも良い気になってたのは否めないだろう。
「ええ、お似合いです」
馬に乗っていなかったら蹴りを入れてやりたいくらいだった。余計すぎる一言を無視し、アルヴァルドは馬を走らせる。
「きゃっ」
怒りに任せた走りに、エリィゼは肩に力を入れた。護衛の兵士とその馬が、二人を必死に追いかける。元はエリィゼ専属の護衛隊だった兵士たちは馬を走らせながらも気が気でない。
何故ならエリィゼは、元深窓のお嬢様なのである。




