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お酒は20歳になってから!

 集団で押しかけても問題ない飲食店は限られているが、カレンにはアテがあるらしい。……いや、厳密に言えば『こうなる』ことを予期していたのか。いつの間にか店を予約していた。

 ダンジョン近くでは飲食店の需要が大きい。『急に大食漢が来店する』といったことが頻繁に起こるのがダンジョン近隣の店舗である。飲食店にとってはありがたくも困ることだが――探索者がいつ探索を終えるかなんてわからない。階層主戦に挑むことのできるパーティーメンバーの上限は五人だが、階層主戦を除くのであれば探索に同行する人数に上限はない。探索を終え、腹を空かした大食漢たちが大挙して押し寄せる――それも、時期が読めない。仕込みも人員も想定できないのが普通だ。しかしその好機を逃すわけにはいかないと様々な戦略も立てているのがダンジョン近隣の飲食店なのだが……今回はその例からは漏れる。


 カレンが予約した店は大衆居酒屋――と言うよりは最早『酒場』とでも呼ぶべき場所だった。管理局からは少し離れるが、あからさまに『探索者向け』の店だ。ファンタジー作品などに登場するような『酒場』をイメージされたこの店は探索者以外の民間人にとっても『非日常感』を味わえると人気がある。提供される料理もこれまたファンタジー作品の酒場で登場するような豪快な大皿料理が多く、探索者関係なく単なる大食いのお客様にも好評。かの『超人』も予約して来店することがあると言う、探索者にとっての楽園である。


 本店ではなく支店だが、店主自身『支店こそが自分が作りたかった店だ』と豪語している。本店は座席数が支店ほど多くない。開業資金の問題とそれだけの需要を見込むことができず、十分な融資を受けることができなかったからである。しかし本店での大成功を理由に銀行からの融資も受け、ダンジョン発生時――『回天』の余波を受けてすっぽりと空いた土地に大型の店舗を開くことができた。


 毎日のように大盛況のこの店が実質貸し切りに近いカレンの予約を受け入れた理由は単純明快。金である。お金の力ってすごい。



「……なんか、意外だな」勇斗がつぶやく。「カレン・ウォーカー。アンタのことだからもっとこう……高そうな店なのかと」



 いや、ここも決して安い店じゃないことはわかってるんだが、と勇斗。実際、この店はファンタジー作品に登場する酒場のように庶民的な雰囲気こそあれど格安店というわけではない。コンセプトが『そう』であるというだけではある……が、だ。

 カレンは明らかにお嬢様だ。そんな彼女がこういった場所を好むとは思わなかった。もっと落ち着いた場所を好むのでは、と。


 そんな勇斗に対して「私個人ならね」とカレン。「でも、探索者はこういった店のほうが好きでしょう? そもそも、これだけの大所帯で押しかけても受け入れてくれるような店が希少ということもあるけれど」


「……まあ、俺もここにはいつか来てみたかったけど」



 それも飲酒が許される年齢になってからだと思っていた――そう思って、勇斗は周囲を見回した。そこにはすっかり盛り上がっている探索者たちの姿がある。『宴』と聞いて誰もが想像するような光景が出来上がっている。みんな楽しそうだ。タダ酒だからかもしれないが、あまりにも遠慮がなく料理や酒を頼みまくっている姿には少し『本当にいいのか?』と思ってしまう。


 ちなみに梓はもきゅもきゅと遠慮なく料理をつついている。こ、こいつ……と勇斗は思わなくもなかったが、梓がそういう女だということは理解している。やっぱり梓ってちょっと図太いところあるよな……。



「私、アズサとも話したかったのだけれど」


「あー……うん。悪い。ちょっとかわいがられてるっぽいな」



 おっぱいの大きい魔術師の女性の胸の中で延々と餌付けされている。頬を膨らませてハムスターみたいだ。本格的に小動物かよ……。



「……かわいい」


「梓が? なら、あそこに混ざってきたらどうだ?」


「いいのかしら。私、あまりアズサには嫌われたくないのだけれど」


「嫌われたくないヤツがする言動じゃなかっただろ、今日のやつ」



 明らかに『悪役』だっただろうが、と嘆息する勇斗。それにカレンはむっと眉を上げ、



「アズサのギフトが魅力的だったんだもの。仕方ないわ。それに第一印象がどうであれ人心掌握には自信があるもの」


「でも同年代の友達居ないんだろ?」


「また痛めつけられたいの?」



 どうやら今のは禁句らしい。自分から話したことなんだからそこ触れられただけでキレるなよ……。



「……アズサは、その、私とも仲良くなってくれそうな気がするの。だから、あの子との関係は大切にしたいと思ってるのよ」


「本気で言ってる?」



 勇斗はまた今日のカレンの言動を振り返った。あんな強引な勧誘をした少女の台詞ではない。横暴な悪代官のそれだったからな?



「うるさい。……まあ、ユートと話していても仕方ないわね。ああ、そうそう。師匠(せんせい)から言われてるの。アナタたちに今日のことを謝罪しろって。だから、ユートには今謝罪しておくわ。強引な勧誘をしてごめんなさい。やり直したとしても同じことを繰り返すだろうから反省はしないけれど――アズサを怖がらせてしまったかもしれないという点に関してだけは、本当に申し訳なく思っているわ」


「……なんか雑じゃね?」


「ユートに対してはこれくらいでいいでしょ」


「なんでだよ」


「ざっくりと斬られた恨みかしら?」


「絶対その台詞を言える口じゃないだろ……俺のほうがよっぽど痛い目にあったっての」


「じゃあ、無様に負けた逆恨み」


「それは――……なんて返せばいいんだよ」


「笑っておけば? ……それじゃ、アナタの助言通りアズサのところに行ってくるわ。ユートはひとりさびしく食事を楽しんでおきなさい」



 そう言ってカレンは席を立った。この間、カレンは常にエドワードに抱えられたままであった。……エドワードさんは置いてったほうが梓は怖がらなさそうな気がする。梓は大柄な成人男性を怖がるタイプの少女だった。しかしカレンとエドワードの組み合わせには何やら興奮していた様子も見せていたからどう転ぶかはわからない。まあ、たぶんなんとかなるか。頼りになる人たちにも囲まれてるし、悪いことにはならないだろう。


 しかし……『無様に負けた逆恨み』ね。勇斗はカレンの言葉を思い出す。いったい、無様だったのはどっちだったんだか。


 カレンにとっては『カレンの負け』らしいが、勇斗はそう思ってはいなかった。思えるわけがない。始終圧倒されていた。最終的には一矢報いることこそできたものの、それを除けば無様だったのは圧倒的に勇斗のほうだ。


 もちろん、自分より高位の、それもユニークスキルの使い手だ。容易に勝てるとは思っていない。だが、もう少し食らいつけるとは思っていた。ユニークスキル以外の魔法、スキルを一切使わずにアレだ。アオイとの戦闘でも見せたように、魔法を用いればあのユニークスキルの幅はもっと広がる。アオイとの戦闘だって、相手がアオイだから使えない手も山のようにあったはずだ。自分よりも年下の少女に敵わなかった。

 これまでの努力に価値がなかったとは思わない。しかし、足りなかった、とは思ってしまう。


 アオイのような規格外だと思えたならいい。だが、今回は『そうではない』。ユニークスキルと位階以外は……そこまで、実力がかけ離れているわけではなかったはずだ。少なくとも近接戦闘に関しては自分に分があった。それなのに、負けた。圧倒された。そのことが勇斗の心に重くのしかかってきている。

 もしもアオイが居なかったら――梓と別れることになっていたかもしれない。本来であれば『手合わせ』なんてしなくてもカレンには梓を引き入れる手段があったはずだ。それをわからない勇斗ではない。カレンは『クエスト』を与えてくれたに過ぎない。そして、その『クエスト』に……本来であれば、勇斗は敗北していた。


 梓のサポートに不備があったとは思わない。梓は自分の仕事を果たしてくれた。


 足りなかったのは、勇斗だ。



「……くそっ」



 大狼との訓練によって、少しは強くなれたと思っていた。だが、まだまだだ。まだ、足りない。もっと、もっと強くならなければならない。


 そして、少しでも――アオイに。


 そう思っていた時だった。



「ユートくーん!」



 むぎゅ、と背後から抱きつかれた。理解が追いつかず、勇斗は固まる。今の声、このやわらかさ、オーガと戦ったときのこと――オーガに吹き飛ばされて、アオイに抱き止められたときのことを思い出す。



「……あ、アオイ?」


「アオイさんだよー! 楽しんでるぅ〜? いぇーい!」



 なんかめちゃくちゃテンション高いアオイが突然後ろから抱きついてきた。……? え? なんで? こんなことある? 戸惑う以前に理解が追いつかない。あまりにも非現実的な事態に直面したとき、人は一周回って冷静になるらしい。勇斗もそうだった。しかしそんなことは一瞬だけですぐに動揺と羞恥が追いついてくる。全身が発火しそうなほどに暑い。顔が焼ける。勇斗は炎上した。



「うん? 熱? ……あ、ボクが抱きついてるからか!」



 いやー、失敬失敬。そんなふうに笑ってアオイは勇斗から離れる。……し、心臓に悪すぎる。自分が美少女だという自覚――は持っているらしいが、それならそれで美少女らしい振る舞いをしてほしい。そんなに距離が近いといつか人を殺めてしまってもおかしくない。心臓止まるぞ?



「……なんでそんなにテンション高いんだよ」


「もちろん、タダでおいしいごはんが食べられるから!」


「現金なヤツだな!?」



 思ったよりもテンションが高い理由がしょうもなかった。そんなことで……いや、ありがたいことではあるんだが、それにしたってテンション高すぎだろ。まあ、アオイは割といつでもこんな感じっちゃこんな感じだが……。



「さっきまであっちの人多いとこで食べてたんだけどさー。いやー、チヤホヤされるのは楽しいんだけど、みんなめっちゃどもり始めて申し訳ないなーってなっちゃった。ボクを肴にするお酒は絶対おいしいけど、この『宴』って席だと肩肘張らずにもっと気楽に食べて飲んでしたほうがいいかなーって。その点ユートくんだとまだ比較的大丈夫でしょ? だからボクにかまいたまえ〜」


「……俺としちゃ、そりゃ、願ってもないことだけど」



 アオイは勇斗の憧れだ。勇斗が今までに見たことがないほどの美少女であり、自分を助けてくれた女の子。今回も助けられてしまったが……間違いなく、勇斗にとって特別な存在だ。

 そんな彼女といっしょに食事をできるとなれば嬉しくないわけがない。ただ、アオイを独り占めしていいのかとも思ってしまう。それほどに価値のある女の子だと知っているから。

 ……もっとも、アオイの言葉に嘘はないだろう。認識が間違っているということもない。アオイを前にして平静を保つことは難しい。まさしく絶世の美少女なのだ。同じ人間だと思えないほどの隔絶した美を誇る少女。勇斗だって平静を保てているとは思えないが……確かに、他と比べるとまだ平静を保てている方なのかもしれない。



「と言うか、ずっと突っ込もうと思ってたけどなんでメイド服なんだよ」



 突っ込むタイミングがなかったので今更も今更だが、今日のアオイはメイド服だった。あまりの美少女っぷりにどんな服でも『着こなす』ことができてしまうという顔面の暴力ですべてを押し通しているアオイだが、それにしたってメイド服はおかしい。



「え? 似合ってない? ボクはかわいいと思うんだけど」


「いや、かわいいけどな? かわいいし似合ってるけど、それとこれとは別だろ」


「えへへー『かわいい』いただきました。ありがとうございます! で、メイド服の理由だけど……カレンはお嬢様っぽかったからね! 迎えるならコレかなって」


「アホみたいな理由だな……」


「なにをぅ! そのアホみたいな理由でボクのかわいいメイド服姿が見られたというのに……そんなお口はこうだ~」



 むぎゅ、と両手で頬を挟まれる。アオイみたいな美少女に触られるとどうしてもドギマギしてしまう。そうやって不用意なボディタッチはやめてくれませんか? 切実にそう思う。だが嘘でもある。できることなら触ってほしいです。心臓に悪いけど触ってもらえるなら触ってほしい。複雑なオトコゴコロである。



「でも、アオイはメイドってガラじゃないだろ……誰かに仕えるところとか想像つかないんだが」


「む、へらずぐち~……だけど、正直その点はボクも同感かな。ボクが誰かに仕えるとかできる気しない。でもぐうたら銀髪メイドっていうのも良くない?」



 ぐうたらメイドキャラって鉄板だけど良いよね、とアオイ。どんな鉄板だよ……いや、確かにそういうキャラ居るけど。そういうキャラってなんだかんだ忠誠心高くてやるときはやるタイプだったりするだろ。



「ボクもやるときはやるし? ぐうたらメイドと見せかけて実は凄腕の護衛でした! 的な」


「メイドとしてポンコツなのはあくまで戦闘力を買って雇われたからって?」


「そうそう。そういう漫画あるよね。元殺し屋のメイドさん~みたいな」



 そう考えると自分がメイドでもおかしくないとアオイは主張したいらしい。誤った主張である。



「でも、ユートくんにはボクのバニー姿もメイド姿もどっちも見られちゃってるんだよねー。この幸せものぉー。ちなみにユートくん的にはどっちが好き?」


「え? ……それ、答えなきゃダメか?」


「ダメでーす。ちなみに嘘をついてもムダでーす。ユートくんくらいなら見破れるから」


「戦闘スキルを日常で発揮しないでくれるか?」



 あんな読みができるアオイが嘘を見破れないはずがない。理屈としてはわかるのだがちょっと反則ではないだろうか。勇斗は観念して素直に答える。



「……バニーです」


「へぇ~~~~~~~~! そうなんだぁ……ね、ユートくん」


「なんだよ」


「ユートくんのえっち♡」



 耳元でそんなことを囁かれる。心臓が飛び出るかと思った。お、おまっ……男をからかうな!



「えー? でも嬉しくない? ボクみたいな美少女にからかわれるの」


「心臓に悪いんだよ!」


「嬉しくない?」


「……嬉しくは、あるけどさぁ!」



 くそっ! 嘘つけないの厄介過ぎんだろ! アオイが「だよねぇ~」と楽しそうに笑っている。生意気で憎たらしいが、それ以上にかわいいと思ってしまう自分がにくい……!



「ふっふっふ……ボクのおかげで元気出てきたみたいだね! なんか落ち込んでたみたいだったけど、さすがボクのかわいさ!」


「……気付いてたのか」


「ボクの目を欺こうなどと思わないことだー、ってね。騙されることとか……あんまりない!」


「あるのはあるのか……」


「そりゃね。顔と声があるならそこそこ見破れる自信はあるけど……配信のコメントとかに嘘書かれちゃったりしたらさすがにわからないかな。ボクが見てるのそこじゃないし」


「確かに配信見てる限りチョロいところあるもんな」


「チョロっ……いや、否定はできないけどさー……そこはそこでまたちょっと違うと言うか」



 ぶつぶつとアオイが言い訳する。「……って、ユートくん、ボクの配信見てくれてるんだね?」


「あ」



 思わず、と勇斗が口を抑える。悪いことではないだろうが……強いて言うならバツが悪い。



「ぇへ。嬉しいけどちょっとハズいなぁー。でも、知り合いのこんな美少女が配信やってたら……見るよねぇー。ちょっとえっちな映りとかないかなって目を皿にして探すまである。ユートくんもやった?」


「誰がやるか!」


「えー? やらないの? ……ホントに?」


「だからそれヤメロ。……ホントにやってないっての」


「つまんない嘘つくね――じゃあ、ないっぽいか。健全な男子高校生なのに性欲に負けないとはスゴい……なら何目的? 純粋にボクのかわいさ?」


「性欲とか言うな。自分がメインで推してるコンテンツくらい覚えてろよ……『かんたん護身術』だよ」


「エッ!? ……あ、アレ、ホントに参考にしてくれてる人居たんだ」


「どの口が言ってんの!?」



 めちゃくちゃびっくりしてるアオイにびっくりだよ。自分の配信のメインコンテンツなのにどうしてそんな認識なんだよ……。いや、確かに『どこがかんたんなんだよ』って内容ではあるが。



「でも、カレンとの戦いでの【ヒール】見てると参考にしてくれたのかなぁーとは思ったよ。ふっふっふ……つまり、ユートくんはわしが育てた!」


「いや、アレに関しては昔からある戦法だけど」


「えっ?」



 カレンと戦った際に使った【ヒール】での目眩まし――アレがアオイを参考にしたかと言えばそんなことはない。対人戦においては一時期流行した戦法だ。今の対人戦環境では風化してしまっている技術ではあるし、探索者間での対人戦に興味がなかったりするなら知らなくても無理はない。

 アオイの【エアウォーク】の使い方は発想として目新しいものであると言うよりは『考えついてもなかなか実践しようとは思えないもの』だ。発想そのものはあれど『現実的な技術難度ではない』から選択肢から自然と外れる。そういったところに『斬新さ』がある。



「そ、そっかぁ………………ボク、恥ずかしい人?」


「あー……いや、まあ、確かに直近でアオイの配信を見たから影響を受けていた可能性はあるけど」


「忖度するなぁー! うわーん! 無様だよぉ……!」



 ひとしきり騒いでアオイがジョッキに入ったドリンクをぐいと飲み干す。ぷはぁー! とジョッキをテーブルに置いたときにはけろりとした顔に戻っている。



「でも、そう考えるとユートくんは自分でアレを編み出していたわけだよね。サキさんはああいうの教えなさそうだし」


「師匠は……うん」



『剣姫』和泉サキ。確かに彼女から教えてもらった技術ではない。『切り札なら絶対当てられるような工夫を考えとけ』とは言われていたが。



「えらいえらい。位階に差があって、さらにギフトまで持ってるカレンに勝ったわけだし――大金星でしょ」


「それは……どうなんだろうな」



 勇斗はカレンに始終圧倒されていた。最後になんとか一矢報いることができただけだ。『勝った』とはとてもじゃないが言うことはできない。



「ふぅん」そんな勇斗の様子を見てアオイがつぶやく。「やっぱり、そこが落ち込んでたポイントか」


「……あんまり、探らないでもらえると助かるんだが」



 憧れの少女に自分の情けないところなんて、あまり触れられたいものではない。勇斗は正直にそう伝えた。

 だが、アオイがそれで控えるような人間かと言えば。



「だーめ」



 ぐい、とアオイが勇斗との距離を詰める。



「ユートくんは頑張ったんだもん。ちゃんと褒められるべきだよ」



 急に距離を詰められて、思わず勇斗が身をのけぞらせる。だが、アオイは勇斗が逃げることを許さない。テーブルの上に置いた手に白く小さな手が重ねられる。それだけでドキリと胸が高鳴る。

 しかし、だからと言って折れるわけにはいかない。カレンとの戦闘――あんな内容で褒められるなんて、他でもない自分が許せない。



「うーん……カレンのギフトを考えると、十分よくやったと思うんだけどなぁ。それに、勝負は結果がすべてだし……最後に勝ったほうが強いんだよ。もちろん、まだまだってところもあるけど――まずは位階を上げてからかな」



 アズサちゃんもちゃんと自分の役割を果たしていたし、内容としてもそこまで悪いって感じはしなかったけどなー、とアオイ。だが、いくらそう言われたとしても勇斗が簡単に自分を許せるようになるわけではない。

 あるいは、相手がアオイだからこそかもしれない。相手がアオイだから――少しでも、良いところを見せたかった。あれが自分の限界だなんて思われたくなかった。そう思ってしまっているのかもしれない。



「まだ納得してないなぁー? もー……男の子だなぁ」



 仕方ない。ここはアオイさんが一肌脱いであげましょう。そんなことを言って、アオイがさらに勇斗との距離を詰める。何を――? そう思っていた勇斗の太ももに、そ、とアオイの手が置かれた。



「――っ!?」



 単純に距離を詰められるならドギマギはするがまだ耐えられた。手を重ねられるのも、耐えられないわけではない。

 だが、太ももに手を置かれるなんて――勇斗は身をのけぞらせることさえできずに、完全に固まってしまう。



「……あ、このパンツ、いい生地だね。さわり心地いい~」



 あまつさえ、そのまますりすりと撫でられる。太ももから内ももに、アオイの手がするりと流れる。勇斗は血がそちらに流れないように懸命に堪えようと努めることしかできない。



「あ、じゃ、なくてだ」



 パンツに向けられていた視線が、上がる。至近距離で、目と目が合う。


 朝日に照らされた雪原のように輝く銀髪はただの一糸さえも絡むことはなく整えられたように流れている。幾星霜の歳月を経て星に磨き抜かれた宝石のように赤い大きな瞳は髪と同じく美しい銀の檻に閉ざされてなおその眩さに陰りはない。


 改めて――とんでもない美少女だ、と思う。非現実的な美貌。同じ人間だとさえ信じられないほどの、一切の瑕疵なき完璧な美。


 そんな、少女が。



「ね、ユートくん」



 ないしょ話をするように、彼女が囁く。



「がんばったキミに、ご褒美をあげる」



 キミがキミを褒められないなら、ボクがキミを褒めてあげる。


 すり、とアオイの手が内ももを撫でる。ぴく、と脚の筋肉が反応してしまう。顔が熱い。しかし動けない。アオイの瞳に囚われている。長い睫毛の檻越しに見える赤い瞳。その檻に囚われているのは、アオイの瞳ではなく、あるいは。



「ご褒美の内容は……何がいいかな。ユートくんは、何が、欲しい?」



 なんでもいいよ、とアオイが囁く。どくん、どくん、と心臓がけたたましいほどに鳴り響いている。アオイから目を離すことができない。

 ほとんど密着している。彼女の体温を感じる。手だけじゃない。寄せられている肩が胸板に触れている。ほんの少し手を伸ばせばすっぽりと抱き隠せるほどに近く。アオイが、憧れが――遠く、見上げていた少女が間近で見ると自分よりも小さな少女だということをはっきりと自覚する。自分の両腕に収まるほどに小さな体躯をしていることを認識してしまう。


 なんでもいいよ、とアオイは言った。なんでも? なんでもって……なんでも? なんでもなわけがない。なんでもいいわけがない。自制心が揺らぐ。無意識に腕が持ち上がっている。糸で吊り上げられるように。抱きしめ――いや、そんなこと。お願いできるわけがない。でも、なんでもって言うなら――


 勇斗は混乱している。それがアオイに伝わらないわけがない。


 くすり、とアオイは微笑んだ。かあっ、と勇斗の顔に血が上る。ああ、くそっ――からかわれた。そう思った。だが。



「決めらんないかぁ。……なら、ボクが決めてあげるね」



 ぐ、とアオイがさらに勇斗に近寄った。寄りかかるほどに、近く――脚に乗ってしまいそうなほどに近く、完全に密着したアオイが、勇斗に触れていないほうの手で自分の胸を持ち上げて――勇斗の耳に、口元を寄せ。



「ボクのおっぱい、なんてどうかな?」



 囁く声が、耳を撫でた。


 思わず、びくりと身を跳ねさせる。「びくってしたー」なんてアオイが笑う。


 勇斗としては――気が気でなく。


 しかし、なんとか……絞り出すようにして。



「そ、れは…………軽々しく、言っていいことじゃないだろ」


「え? そうかな? そうかも。でも、べつに減るもんでもないし……」


「減るだろ! 色々!」


「減るかなぁ……でも、だったら、だからこそじゃない?」



 だからこそ『ご褒美』になるんじゃないかなーって思うんだけど……どう? あと、せっかく美少女なんだから男の子にいい思いさせたりしてあげたいじゃん? ボク優しい! 


 そんなことをのたまうアオイだが、勇斗としては複雑な気持ちだ。そんなふうに自分の身体を軽々しく扱ってほしくない。それは――きっと、『勇斗以外』にもこういうことをするんじゃないかって思ってしまうからだろう。



「うーん……まあ、確かに割りと軽い気持ちかも。おっぱい触られるくらいべつに良くない? っていうのが正直な気持ち。と言うかおっぱい触られるのがそんなにイヤだったらそれだけでめっちゃ不利じゃない? 喧嘩でもおっぱい触られただけで怯むってことじゃん。そんな隙があるとかダメじゃんねぇ?」


「それとこれとは違うだろ……!」


「違うかな? ボクの中では違わないんだけど……まあ、ボクも他の女の子が同じようなことしてたら止めるかも。でも、ボクはボクだし……ボクがいいって言ってるんだから、ユートくんはそれに甘えてもいいんじゃないかな」


「っ……アオイは、もっと自分の魅力を理解してくれ。そんなこと言われたら、本当に……折れそうになる」



 勇斗は――アオイの提案を、魅力的にも過ぎる提案をなんとか断ろうとしていた。憧れの女の子だ。絶世の美少女。そんな彼女の胸を触る。それはあまりにも魅力的で――だからこそ、断らなければならないことだと理解していた。こんなことはやめろとはっきり言わなければいけない、と。自分だけではなく、他の誰に対してだって――軽々しく自分の身体を差し出すなんてことをしてはいけない。そのためには、決して譲ってはいけない一線だと理解していた。

 だが、言うまでもなくこれは勇斗にとっても大変な努力を要する行為である。この世界でいちばんの美少女だと言ってもまったく過言だとは思えないほどの美少女が自分の前に居て、自分の身体に触れてもいいと許可を出している。その誘惑に抗うために必要とされるものは尋常なものではない。人生を代償にしてもちっとも後悔はしないだろうとさえ思えるような悪魔的なまでの魅力を放つ果実を前に我慢できている。どこぞの欲望に弱い銀髪美少女ならば一瞬で屈しているが、勇斗は違った。


 そんな勇斗の思惑をアオイはすべて読んでいる。



「男の子だね。でも……ほんとうに、いいの?」



 微笑む声が、耳を撫でる。膝の上に腰掛けて、アオイの手が、つ、と勇斗の脇腹を撫で上げた。勇斗の口から「んぉ……」と情けない声が上がる。



「これを断ったら、きっと後悔すると思うなぁ。……下手したら、一生後悔するかもよ? こんな美少女のおっぱいを触ってもいいって言われてるのに、それを断って……ボクなら、絶対後悔しちゃうなぁ」



 脇腹を撫でた手が、そのまま勇斗の胸に触れる。やわらかく、やさしく、表面だけを撫でるように、アオイの手が動いている。そのたびに勇斗の身体は反応してしまう。ガチガチに固まって動けないのに、みっともなく跳ねてしまう。息さえできない。息が触れ合うほどの距離で、アオイの息だけが、声だけが、二人の間の空気を揺らす。



「エアさんにも言ったけど……こういうときに自分の欲望を優先しないのって、どうなんだろうね。もしかしたら、それは正しいことなのかもしれないけれど……ボクは、そうは思わない。一生後悔するくらいなら――あそこで、ああしていればって。そんな気持ちをさせたくない。だって、イヤじゃん? そんなふうに後悔するの。ふとしたときに思い出すの。ボクはイヤ」



 だから、とアオイは勇斗の首に触れる。頬に触れる。耳を撫でる。そのみぞに指を滑らせて、ぷに、と耳たぶをつまんで、離す。



「おっぱい、さわって?」



 そう囁いて――少しだけ、距離を開ける。あまりにも密着すると触りにくいからだろう。触りやすくなるように、自分から距離を取った。どくん、どくん、と血が流れる。頭に血が上っている。間違いなく、平静を失っている。それがわかる。



「……まるで、悪魔の誘惑だな」


「アオイちゃん小悪魔説? 破滅させちゃうぞ~?」


「シャレにならないからやめてくれ……」



 本当に、今なら悪魔に見えてくる。天使のような顔をして、あまりにも甘い毒を差し出す。そんな彼女に抗えるような人間が居るだろうか。


 もちろん、居るわけがない。



「……お、ねがい……します」


「ぅん? ……うん。いいよ」



 詰まりながらの言葉に、アオイは優しく微笑んだ。顔が熱い。恥ずかしい。だが、そんなことが気にならないほどに――眼の前の果実が、あまりにも魅力的で。


 ゆっくりと、手を伸ばす。「ぅおう……めっちゃ真剣な目……血走ってるぅ……な、なんか、ちょっと緊張するかも」なんてアオイの言葉。……今更、そういうこと言わないでほしい。今になって止めろって言われたら形振り構わず襲ってしまいそうだ。



「もちろん、止めろなんて言わないけどね? ……おっぱい触られるくらいなんでもないから、ほら」



 ごくり、と喉を鳴らす。なんでもない。アオイはそう言っている。確かに、アオイにとってはそうなのかもしれない。そうだ、そう思ったら――いや、違う。そうじゃない。

 弱気に折れるな。そうじゃない。そうじゃないだろう。アオイに、憧れの女の子に触れるという行為が――そんな、弱気なものであっていいはずがない。


 逃げるな。負けるな。なし崩し的に『触らされた』んじゃない。



「アオイ」



 勇斗はアオイの目を正面から見据えた。「へ?」とアオイが目をぱちくりと瞬かせる。



「アオイの胸を、触らせてほしい。ご褒美なら……それがいい」



『触らされた』のではなく『自分から触った』のだ、と。


『自分が選んだ』結果だと言うように、勇斗は言った。



「……ホントに、ユートくんは」



 男の子だね、とアオイは優しく微笑んだ。



「ん。いいよ。……こちらこそ、おねがいします」


「……お願いします」



 どういう挨拶だ。そう思いながら、手を伸ばす。アオイの胸に、触れようとして。



「……さ、触る、な」


「うん」



 こともなげに、そう返される。アオイにとっては、ほんとうになんでもないのかもしれない。

 でも――自分にとっては、これ以上なく貴重なもので。


 だから、大切なものに触れるように――これ以上なく大切に扱って、胸に、触れて。



「――んっ」



 瞬間、アオイから艶っぽい声が漏れた。


 思ってもみなかった嬌声に勇斗は動揺し、思わずそのまま指を胸へと沈めてしまう。布越しの胸。決して薄い生地ではない。下着だってあるだろう。だと言うのに――アオイの体温と、やわらかさを、はっきりと感じた。その弾力を、手で、感じる。抗えない。勇斗は嬌声に動揺したことも忘れてアオイの胸を揉んだ。



「ひゃぅっ……」



 そして、次にアオイから鳴くような声が聞こえた瞬間――勇斗は正気を取り戻した。バッと勢い余ってひっくり返りそうなほどの速度で手を離す。

 正気を取り戻したと言っても状況を理解できているわけではない。思考が追いついてきていない。

 そんな勇斗に、アオイは――力なく、たははと笑って。



「あー……ごめん、ユートくん。ぜんぜんだいじょうぶじゃなかった。これ、思ったより恥ずかしいや」



 その顔に――今までに見たことがない、ほのかな朱が混ざっていることに気付いた瞬間。


 

 勇斗は死んだ。


 既にキャパシティを越えていたところにさらに致死量の猛毒を摂取したからである。



「ユートくーん!?」



 容疑者は倒れ伏した死体を抱えて慟哭した。


 その可憐な細腕に抱えられた被害者は幽体になって初めて気づいた。



 あまりにもいい匂いがして気付かなかったけど――コイツの息、ちょっと酒臭いな、と。



 お酒は20歳になってから!

 未成年の飲酒は周りの大人がしっかりと責任を持ちましょう。

 本人が「だいじょうぶだいじょうぶ、ボクこれでもオトナだから~」なんて言っても聞く耳を持ってはいけません。

 いくら「あ、それおいしそ~。何のジュース? 一口ちょーだい」なんて言われても断らなければいけません。

 たとえ「ん、これもしかしてお酒? ……でも、だいぶ飲みやすいね。これならボクでもいけるかも……あ、そこの人のも! 一口……だめ?」なんて絶世の美少女にお願いされても毅然とした態度を貫かなければなりません。

 

 ……だから! 「ぇへへ……ありがと、おにーさん! でも……間接キス、しちゃったね?」なんて小悪魔な微笑みを向けられても気絶せずに最後まで大人としての責任を持てって言ってんだろうが!



 本日の教訓。


 アオイには二度と酒を飲ませてはいけない。



「ユートくーん!!!!!!!!!!!!」



 飲酒によって未成年に対する淫行に及んだ容疑者は叫ぶ。


 その慟哭は、カレンに大量の水をかけられるまで止むことはなかった……。

 


お読みいただきありがとうございます~!

良ければ感想やブックマーク、評価などお願いしますー!


美少女になったなら男の人を翻弄したりしたい欲……! 

それで調子に乗ったら痛い目にあいたい。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 いや勇斗、お前は色々頑張った!(`・ω・)ゞ しかし今回は頑張ったご褒美をゲットできた勇斗以外にも、魔性の魅力に毒されてしまったguysは多いでしょうなぁ…お酒に酔っ…
[一言] わぁお
[一言] ま、魔性の女……ほんとにTSしてるんですか? まあ性別とかに囚われそうな性格じゃないしね、肉体が女性なら自分は女性でしょとか思ってそう。 にしても男の子には刺激が強すぎる、しかも我慢できずに…
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