ナンパされて戸惑いたい
渋谷、ダンジョン管理局。
日本の東京という人口過密帯に存在するダンジョンであることも手伝って、民間の探索者における最高到達層が最も深いダンジョンだ。
公表されている現在の最高到達層は八十七層。一つの区切りであると考えられている百層にも近く、他国からシブヤに潜るために来日する探索者も少なくない。
そんなシブヤのダンジョン管理局は大きい。開発当初より数倍に拡張されたダンジョン管理局渋谷支部は、それでもなお職員のキャパシティを超過するほどの探索者が訪れてくる。
そのシブヤに、男がひとり。
彼に気付いたのだろう。探索者――装備から推測するに中堅の――が何人か彼を見て小声で話す。良くも悪くも彼はシブヤの一部では有名だった。
良い方向では、高位探索者の一人として。……彼はとある民間の探索者パーティーの一員だった。パーティー名『シブヤウォーリアーズ』――リーダーの鶴の一声で決められたが、シブヤで探せば他にもいくつもありそうなそのパーティー名は、しかし彼が所属するパーティー以外には存在しない。
なぜか。……それは、彼の所属するパーティーが広く知られているからだ。
最高到達層、八十七層。日本における民間の探索者パーティーの中では十指に入る実力を誇り、現在のシブヤを最も深くまで知る最前線組の一人だ。
ただ、彼は悪い方向にも有名であり……端的に言えば、めちゃくちゃに女癖が悪かった。
恋多き男というには恋が多すぎるし軽すぎる。魅力的な女性と見るや否やアプローチしまくる。同じ最前線組のとある女性探索者に探索中にも関わらず口説こうとして炎上した動画は有名だ。ちなみにアイドル探索者的な人気もあったその女性探索者は彼を受け入れたわけでもないのにいっしょくたになって燃えた。迷惑過ぎる。
その日の彼はオフだった。探索者は過酷な職業だ。高位の探索者になればなるほど一度の探索に要する時間は非常に長いものになる。毎日のように潜っていては身が保たない――以前に、物資が足りない。装備などの調整もある。『探索は準備段階こそが本番だ』なんて言葉もある。探索だけではなくほとんどのことに当てはまるが。
そんな彼が今日は何をしているのかと言えば――べつに準備などはまったくするつもりがなかった。そこらへんはパーティーに担当が居る。今日はちょっとシブヤに顔を出して自分を慕ってくれる探索者に稽古でもつけてやろうかと思っていたところだ。彼は女癖の悪いクズだが面倒見自体は良かった。評価に困る男である。
「かわいい女の子は居るかなー……っと」
ちらりと手首に『魔封の腕輪』を覗かせながら、彼は周囲を軽く見やった。女探しに余念がない。やっぱりクズかもしれない。
そして、彼はとある少女を見つける。いや、見つけるまでもなかった。周囲の探索者がちらちらと視線を向ける先、そちらに目を向ければどうしようもなく目に入る。
輝くは白銀。朝日に照らされる雪原のような美しい髪に白磁の肌。
ピジョンブラッドを思わせる紅の瞳は見る者を魅入らせるような魔を帯びており、じっと見つめていると吸い込まれてしまいそうな錯覚すら抱く。
シンプルな黒のワンピースはしかし彼女という極上の素材を引き立てるには十分で――それだけならば人形のような『情欲を煽ることなき、侵し難い美』を感じさせるものだが、胸を強調するようにあしらわれたハイウェストのリボンが遊びゴコロと温かみをプラスしている。あとエロさ。これだけで一気にエロくなる。
男は思った。男として、これに挑まないわけにはいかない。
最前線組の一人である彼をして『高嶺の花』であると断じることができる美少女。
並大抵の男では声をかけることすら躊躇うだろう。深層へと挑む自分でさえある種の覚悟を必要とするのだ。当たり前のことだろう。
ただ、ここはシブヤ。彼のホームだ。相手が探索者であれば自分のことを知らないとも思えない。そういう意味では大きなアドバンテージがあると言えるだろう。
彼は少女に声をかけた。下心こそあったが、見た目の年齢的に手を出すつもりはなかった。『お近づきになれたら』と思ってのことである。もちろん成人したなら心からお相手願いたいが……。
「ねぇ、キミ。あんまり見ない顔だけど……びっくりするくらいかわいいね。キミみたいな子がひとりでダンジョンに入るのは危ないよ。誰かと待ち合わせだったりする? シブヤは初めて? 案内しようか?」
女性は基本的に声をかけられることを警戒している。相手が男なら特にそうだ。
声をかけたならば怖がられるかもしれない。迷惑かもしれない。それはほとんどの場合『かもしれない』ではないのだが、そうだとしても声をかけなければ何も始まることはない。
相手を傷つける可能性を飲み込まなければ女性に声をかけることなどできない。だから『傷つけるかもしれない』とわかった上で声をかける。
彼はそういう考え方をする人間だった。女性に声をかけまくっていれば警戒されることのほうが多い。経験的に知っているし、その上で自分の欲望を満たすために声をかける。
クズである。しかし彼はクズでなければ女性と出会うことなんてできないと考えていた。
それだから今回も少女に袖にされることは考慮していた。いくら高位の探索者として名が知られているとは言え、自分は悪い意味でも有名だ。知っているほうが警戒する可能性もある。
神の造形物だと言われても何の疑問も覚えないほどに整った容姿をしているから、感情の動きも薄いかもしれない。無表情クールっ娘か。いいね。最高だ。
男はそんなことを思っていた。
ただ、少女は。
「――やっと声かけてくれた! そうそう、ボク、かわいいよね! お兄さん見る目あるぅ~!」
月の女神のような容姿とは裏腹に、太陽のように明るい笑顔でそう言った。
瞬間、男の脳裏に衝撃が走る。
なん――意外な反応――笑顔――こんな明るい顔をするなんて――反応が良すぎる――かわい――まさかのボクっ娘?――すべてが意外――想定外――かわいすぎる――美しいよりもかわいい――こんなことが――いったい何が――
目まぐるしく思考が展開される。一瞬にして少女に動揺させられた男は、無限に浮かぶ言葉の中で、絞り出されたのは一言だけ。
「――好きです!」
あまりにも短絡的で青臭い言葉。
流れるように『好きだよ』とこぼすことはある。『あなたに気がある』と好意を明確に示すことは重要だ。それくらいなら、今でもする。
だが、こんな――ただ『好きです!』と告白するようなことは、思春期の頃でさえ、したことがない。
失敗した――思わず発した言葉に自分で恥ずかしくなってくる。なんてザマだ。あまりにも情けない。こんな姿をこの子に見せることになるだなんて。
実際、少女も男の突然の言動に戸惑っているようだった。目をぱちくりと瞬かせて――しかし。
「あはっ」
少女は華やかに笑って。
「お兄さん……ナンパ、下手だね? めっちゃ遊び人ーみたいな雰囲気あるのに……かわいいなぁ。ギャップ萌えだね! あざといぞぉ、このこのー」
うりうり~、と少女は男同士の友人がするような距離感で肘でぐりぐりと脇腹を突っついてくる。あっめっちゃいいにおいするヤバイヤバイ近い近い。男は中学生男子のようなことを思った。かわい……すぎる……っ! あざといのはお前じゃい……!
「でも、今日はちょっと忙しいから無理かなぁ。また機会があればよろしく! それじゃ、またねー」
そう言って少女はダンジョンの入り口へと向かっていった。ゲートにダンジョンカードをかざして入っていく。
風のように現れ、風のように去る。
しかし、その風は一人の男に大きなものを残していった。
――この日を境に、男は女遊びを控えるようになる。
その理由は、曰く。
「オレの女神を見つけたから」
それを聞いたパーティーメンバーは彼に【オーバーヒール】をかけたと言う……。
しかし効果はなかった。
*
そして当の女神さま――アオイはと言うと。
「……き、気持ちいっ!」
初めてのナンパにテンションが上がっていた。
男を翻弄するの、楽しすぎるな?
ハマりそう。
迷惑過ぎる。




