三上愛梨 1
渋谷、クラン『ヴァナヘイム』所有ビル最上階。
「いっつも思うんですけど……こんな高い意味なくないですか〜?」
ここは『ヴァナヘイム』のクランハウスのようなものだ。『ヴァナヘイム』に所属する少なくないメンバーがこの場所に住んでいる。他に拠点を持つ者も居るが、それでも基本的な生活拠点としてはこの場所を使う者が多い。駅に近くダンジョンにも近く、サービスも良い。専任のコンシェルジュも居る。家事も自分でする必要はないのだ。……もっとも、コンシェルジュと言っても『ヴァナヘイム』の場合は単に『そういうこと』が好きなクランメンバーが生活拠点のことは取り仕切ってはいるのだが。
そんな『ヴァナヘイム』のクランハウスは、しかし『ヴァナヘイム』所有ビルの最上階にある。厳密には最上階から計五階はメンバーの生活のための場である、が……それ以下にも階はある。
問題は、そこでは『ヴァナヘイム』のサポートメンバーが働いており……『ヴァナヘイム』のリーダーであるフレイヤ/美神愛梨が社長を務める会社の事務所も兼ねている、ということである。
「しょーじき、めっちゃ仕事してる人たちを横目にだらだらするのって生活しにくいってゆーか〜」
「上がってくるときにちょっと気になるよね。エレベーターいっしょになること……は、ないけど、むしろだからこそ、って言うか」
「そ〜そ〜。特別扱いされすぎで〜、年上のおにーさんやおねーさんがマジメに働いてるのにな〜、って思っちゃうんですよ〜」
袖を余らせた制服を着た、すべてが『ゆるい』少女。逆にきっちりとした制服を着た少女。そんなふたりがソファでくつろぎながら話している。
一方は寝転びクッションを抱き込み、もう一方の膝を枕にしてスマホを触っている。もう一方は膝を枕にされながらも相手の長く艷やかな髪を指で梳いて遊んでいる。寝転んでいるのがきっちりと制服を着ている少女で枕にされているのがゆるい少女だ。
そんなふたりの少女に愛梨は愚問ねと笑い、
「私たちは特別だもの。何を構うことがあるの? それだけの力を持っているんだから相応の振る舞いが求められることは当たり前のことでしょう? 『偉い』なら『偉そう』に振る舞うべきよ」
そんなことを言ってみせる。ゆるい少女がうげーと舌を出し、きっちりとした少女が呆れたように息をつく。
「リーダーは……悪役みたいなことを言いますよね」
「中世風のファンタジーで出てくる悪そうな貴族みたいなことフツーに言いますよね〜」
「失礼ね」愛梨は、ふ、と息をつき、仕方ないとばかりに指を振る。「はっきり言うけれど、『偉い』のに『偉そうに』振る舞わずに他人に気を遣って生きるなんて――必ずしも褒められることではないわよ。もちろん、そうすれば『あんなに偉いのに良い人だ』って思われるでしょう。その人個人に対しては周囲からの評価も高まる。それは間違いないと言っても過言ではないでしょう」
なら、どうして愛梨は『必ずしも褒められることではない』などと言ったのか。
「でも――それをみんながしたらどうなると思う? みんながみんな『寛容』で立場の違いも示さずにいたらどうなるか……そうすれば、地位の高い者にへりくだる『習慣』が消え去る。良いことだと思う? 私は思わない。舐められるってことだもの。感謝や尊敬が失われることに近い――少なくとも私はそう認識している」
だと言うのに、よ。愛梨の語気に棘が混じる。苛立ちが混じる。
「みんなが『不寛容』だからと言って自分だけが『寛容』に……地位相応の振る舞いをせず、そのことによって周囲からの評価を得るだなんて。格差の存在によって自らが享受している便益は捨てず、その構造に『タダ乗り』した上でさらに自分を道徳的に一段上の存在へと押し上げようとしている。あまりにも都合が良く、狡猾だとは思わない? ノブレスオブリージュは一方的なそれではなく双方向の関係だと言うのに……先人たちが積み上げてきたものを崩し掠め取ろうとする暴挙と言っても過言ではないわ」
だから、相応の振る舞いをするべきなの。わかるかしら?
そんな愛梨の問いかけにゆるい少女は「リーダー、つまんない話長〜い」と返し、きっちりとした少女は「偏った思想ですね」と切り捨てた。
だが、愛梨の思想を否定するつもりはない。リーダーの言うことだ。なら、自分たちはそれに従う。だからと言って『偉そうに』振る舞うつもりは微塵もないが。もちろん謙虚に振る舞うつもりもない。今まで通り、好きなようにするまでだ。
あるいは、そんなふうに『好きに』振る舞うことこそが最も『ズルい』振る舞いなのかもしれない。
「それで~、リーダーは何をしてるんですか~?」
「アオイちゃんの動画を見てるわ」
「ああ……例の彼女ですか」
すくりと起き上がり、きっちりとした少女が愛梨を見る。「リーダーが推していると言う」
「副リーダーと喧嘩してたやつですね~」
「喧嘩していたわけじゃないわよ」と愛梨。「ただ、あの子が頑なだっただけ」
「頑ななのはリーダーじゃ……」
「アオイちゃんって、今は違いますけど、ちょっと前まで第十層も突破してなかったんでしょ~? その状態でクランを勧誘するのはさすがに、ちょっと~?」
「副リーダーが首を縦に振ろうとしないのも仕方ないかと……いくら才能があるとは言っても」
そもそも『ヴァナヘイム』に入ることが必ずしも例の『アオイ』にとって良いことだとも思えない。
『ヴァナヘイム』に所属する探索者は多くない。大規模クランと言うわけではない。非探索者のサポーターの数だけなら大手探索者クランにも匹敵するだろうが、所属する探索者自体は多くないのだ。数にして十二人。そしてそこに『新米探索者』は居ない。
要するにアオイと同じ階層を潜るような探索者は居らず、勧誘したとしても彼女を『育成』するような余裕はない、ということである。人手が足りない。
「青田買いするにもね~」
「うん。私も、例のアオイさんに興味がないわけではありません。あんな位階でオーガを倒すなんて――『剣姫』ならできるかもしれませんが、常人では不可能です」
「リーダーも第十層も突破してない状態なら厳しかったでしょ~? ……でも、リーダーのって【魔術原理】だから不可能ってわけでもないのかな~?」
才能はある。間違いない。それは以前『剣姫』と戦ったときの映像を見ても明らかだ。
オーガと戦って勝った――その情報に関しても半信半疑だった。確かな筋からの情報も仕入れてきていたこともあり、嘘ではないのだろうと思っていても――それでも、容易には信じられることではない。その『確かな筋』だって愛梨経由の情報だ。愛梨が嘘をついている可能性がないわけではない。彼女は自分の思惑を通すためならば手段を選ばない。『嘘をつく』ことが信頼を損なうことを理解した上で『嘘をつく』という選択肢を選ぶことができる人間だ。冷静に『それ』を計算できる人間だと『ヴァナヘイム』のメンバーは理解している。
実際、『剣姫』と戦う以前の配信から見られたものでもアオイの戦闘技術の高さは窺えた。『ヴァナヘイム』と言うよりは『迷い道』向きではないかと思ったが――それでも、磨けば間違いなく玉になるもの。
そして『異常なまでに容姿が優れている』。容姿の良し悪しがクランへの加入条件になるなんてことは(本来であれば)ないし、気にするようなことではないのだが――アオイの場合はどうしても議論の俎上に上げざるを得ないほどのものだった。あの異常な容姿に触れないなんてことはできない。
「確かに、この世のものとは思えないくらいの美少女ですけど~……入ってくれたら、嬉しい~って思うだろうし~」
「ボクも容姿に自信がないわけではありませんが……アレはちょっと、別格ですよね」
「そうそう~。ウチもかわいさでは負けてないと思うけど~……ちょっと、次元が違うって言いますか~」
「『世界が違う』と言われても納得してしまうくらいの美貌です。……本当に、異世界や異次元から来たと言われても納得してしまいそうですから。リーダーが『人間』の中で最も美しい人の一人だとしても――あの子はそんな枠組みを超越している」
「『作品が違う』ってやつですね~」
APP20超えてそう~、とゆるい少女。アオイという少女は『正気を失いかねないほどの美貌』を持っている。画面越しでさえ直視することは難しい。もしも真正面からじっと見つめられたとしたならば、それだけで【魅了】されてもおかしくはない。
「そう! アオイちゃんはほんとうにかわいくて……この私でも見たことがないくらいの美少女だわ。まさか私が美貌で敵わないと思う日が来るなんて――人間を超越しているとしか思えないあの美貌。アレで『もっとかわいくなりたい』だなんて思ってもいる。確かにファッションセンスと言う意味ではそこまで磨かれているものではないかもしれないけれど――あれだけの容姿を持っている時点で必ずしも『ファッションセンス』なんてものが必要だとは思えないのに。単純な容姿の暴力だけで小手先の技術なんて蹂躙できる。それだけのものを持っていてなお『もっとかわいく!』なんて思っていて……色んな服を着てくれるのも嬉しいわよね。色んな服を着せてあげたい。そして何と言ってもあの性格! もちろんあの容姿あってのものではあるけれど……そのギャップがたまらない。あんなにも侵し難い容姿をしているのにあんなにも人懐っこく隙だらけで自由気ままで表情豊かで……あのかわいさだけでもウチに所属してほしいくらいで――」
「例の『あの人』とも戦い方似てるし〜?」
「………………は?」
ゆるい少女によって放たれた言葉に愛梨が固まる。きっちりとした少女はその言葉に「ああ」と膝を打ち、
「そう言えば、アオイさんはリーダーが言っていた『あの人』と戦い方が似てますね。なるほど。それで」
「そうそう〜。ウチらは『あの人』の戦い方を見たわけじゃないけど〜。リーダーの話を聞いてる限り、そうじゃないかな〜って」
「ちょ、ちょっと待ちなさい」
こほん、と咳をして愛梨が二人を手で制する。「な、何を根拠にそんなことを――」
「『あの人』って『回天』の日にリーダーを助けてくれた人じゃないですか~」
「この世界にダンジョンが生まれた日――『探索者』なんて存在はまだ世界に生まれていなかったあの日に」
「生身でダンジョンのモンスターと戦うことができる人間なんて~。ふつうは居ないし~?」
「ストップ」愛梨が再度二人を手で制する。スマホを持つ手がぷるぷると微かに震えている。
「た、確かにアオイちゃんは非探索者の状態だったとしても生身でモンスターを倒せるでしょう。でも、だからってアオイちゃんとあの人の戦い方が似てるなんて、どうして見てもいないあなたたちが――」
「でも、リーダーの言う『あの人』はモンスターを『投げて』倒した」
「それって~、合気系の武術だったんじゃないかな~って」
「ほら、似てるでしょう? リーダー。違いますか?」
ぽろっ、と愛梨の手からスマホが落ちる。ガタッ、と硬い音が響くが愛梨はすぐにスマホを手に取り直すことができなかった。
「いや、そんな……まさか、私が…………でも、そう言われて、考えてみると…………」
愛梨が腕組みをして考え込む。何やらぶつぶつと言っているが――どうやら、ふたりの指摘は彼女にとって今の今まで思ってもみなかったことらしい。
『回天』の日。ダンジョンが発生したあの日。愛梨がダンジョン発生に『巻き込まれた』あの日。
ひとりになった愛梨を助けてくれたのが『あの人』だった。そのときのことは今でも思い出せる。
そのときの戦い方を思い出すと――そして、ついさっきまで動画を見ていたアオイの戦い方と比べてみると…………なるほど、確かに共通点があるかもしれない。
…………共通点は、あった。
「……ぇ」
かぁっ、と愛梨の顔に熱が灯った。いや、そんな、まさか――私はあくまでも美少女だからアオイちゃんのことが気になっているのであって、あの人のことなんて、関係なくて……た、確かに、あの人のことは探していたし、今も探してる。それは否定できない。あの日から十年探し続けて、ずっと見つけられずにいる『あの人』。
いくら彼と戦い方が似ているからって、だからって。
「……もしかして、自分でも気付いてなかった~?」
「リーダーはあれで乙女なところがあるから。十年越しの恋か……命を救われたことによる吊り橋効果ではないかとも思うんですが」
「そーゆー正論は口に出しちゃだめだよ~。『あの人』関連の話題はリーダーがいちばんかわいくなる話題なんだし~」
「まあ【迷い道】との繋がりも『あの人』について何か知っていることはないかとリーダーが探りを入れたことが始まりだもんね。リーダーは隠しているつもりみたいだけど……執着心があることは確かでしょう」
「かわいいよね~」
「それはもう。間違いなく」
「ちょっと!」愛梨はこそこそと話すふたりに指を向ける。「好き勝手言うんじゃないの! す、好きとかそういうんじゃないから! い、命を救われた程度で一回会っただけの相手に恋愛感情を抱くわけがないじゃない。あ、あの人を探しているのはただ借りを返したいからで――べ、べつにそれ以上の意味はないから!」
顔を赤くしてまくしたてる愛梨。対するゆるい少女は少しだけ眉を寄せた。
「ん~……かわいいですけど~、さすがにちょっとコテコテ過ぎて糖分過剰かも~?」
「話を聞く限り『一回会っただけ』とは言えないくらい濃密な時間だったのでは」
「うるさい。呪うわよ」
『魔封』の腕輪が微かに光る。それを見たふたりは「わー」なんてわざとらしい声を上げながらその場を去っていく。
「まったく……」
つぶやきながら、愛梨は机上に落としたスマホを拾ってアオイの動画の視聴を再開する。
一瞬だけ、彼の姿が重なる。
「ああっ、もう!」
苛立たしげに愛梨は自分の額を手で抑える。
アオイちゃんみたいな美少女と彼を重ねるだなんて、アオイちゃんに失礼だ。
この世のものとは思えないほどの美少女と――なんて、誰であっても重なるはずがないと言うのに。
――だと言うのに、姿が重なってしまうことに理由があるとするならば。
「……熱病ね」
三上愛梨。
美神愛梨やフレイヤなどと名乗る彼女は非常に自尊心が高い。夜郎自大としか思えないような尊大な態度をとるが、彼女のそれは確かな実力に裏打ちされたものだ。
彼女は優れた人物だ。性格に関しては誰もが口を揃えて『難がある』と断ずるだろうが――その能力に関しては、誰もが口を揃えて『突出している』と断ずるだろう。
沈魚落雁、羞花閉月、傾国傾城の容姿。アオイのように非現実的な容姿ではないが――『現実的』なレベルであれば間違いなく最高峰の美貌を持つ。
もちろん容姿だけではない。才色兼備をその身で表現したかのような彼女の本領はむしろその『才』に関するものだ。
身体能力こそ大したものではないが――『思考能力』において、彼女に並ぶ者がどれだけ居るか。
感情的になりやすい人間ではある。直情的な部分はある。合理的だとはとてもじゃないが思えないところも見せるが――その中に『合理的だと思わせないほうが有利である』という思考がまったく介在していないわけでもない。
感情的になりやすくても、その上で計算できる、してしまうのが三上愛梨だ。
要するに――彼女は『聡い』少女であり。
それが意味するところとは。
「…………十年も、何を引きずってるのよ、私は」
自分の感情が何であるか、なんて――それに気付かないでいられるほど、鈍感ではいられなかった。
特殊な環境下で『勘違いした』だけ、と理性は言う。でも、心はこう言っている。
『それがどうした』。
「……会えないから、冷めることもないし」
失望することさえできない。やっぱり勘違いだった、って――そう思うこともできずに、十年。
……十年間、愛梨が探して何の手がかりも見つからない。
それが意味するところも、気付いていないわけじゃない。
探索者になっていないだけかもしれない。その可能性は、ないわけじゃない。
でも――理性は、可能性として最も高いのは、きっと。
いくら心が否定しても、冷静に答えを導き出す。
それでも。
「……もしも」
もしも――アオイちゃんが、彼と関係があるのだとすれば。
「――って、そんな気持ちでアオイちゃんと会うのは失礼でしょう……!」
頭を抱えて愛梨は呻く。今までに見たことがないくらいにかわいい美少女と会えるのだから、余計な雑念なんて持ってしまっては失礼だ。それなのに……!
愛梨はアオイのファンだった。彼女自身は純粋にアオイを好きでいるつもりだったが――実際、アオイが戦っている姿を見る前、その姿をひと目見た瞬間に気に入った――先程、クランメンバーに言われたことを完全に否定することもできなかった。
そんな自分が……恥ずかしい……っ!
これではエアリエルに『アオイちゃんのファン代表』の座を奪われてしまう。私こそ……アオイちゃんのことがいちばん好きなはずなのに……っ!
雑念……消えろぉー……。ぶつぶつとそんなふうなことをつぶやいて、ぴっかぴかに『魔封』の腕輪を光らせながら、こめかみに両手の人差し指を当てて回し続ける。
外面を気にする彼女が見せる貴重な醜態だった。




