美少女になったらチヤホヤされたい
「うおお……やっぱめっちゃ似合うな……!」
姿見の中に、黒衣をまとう少女がひとり。
その怜悧な美貌とは裏腹に、なんかめちゃくちゃにアホそうな表情であからさまに浮かれた声でぴょんぴょこと身体を弾ませている少女が居た。
もちろんアオイである。口を閉じてじっとしていれば白銀の姫としか言いようのない玲瓏瀟洒な容姿を持つ彼女だが、残念なことに彼女は人形ではなく元男の魂が入った人間だった。
彼女がまとうは黒のワンピース。胸を強調するかのようにハイウェストのリボンをあしらったそれは、動きやすさを優先したものだとは思えなかった。せめてパンツを履くべきだなんて考えは欠片もない。スカートも膝下まである。舐め過ぎである。
ただ、確かに彼女の容姿には非常に似合っていることも確かだった。
月光を閉じ込めたような輝く銀髪、新雪を思わせる白い肌――そこに落ちる夜の衣。
肌の露出はそれほど多くはないものの、完全に隠されているわけでもない。息苦しさは感じない。
ハイウェストを絞ったリボンがワンポイントで開放的な雰囲気を感じさせる。
あと胸が強調されているので嬉しい。
「……かわいすぎるな、ボク」
改めてアオイはそう思った。パシャー、と写真も撮る。
……自撮り、やっぱり難しいなぁ。素材が良いからこんなのでも良く見えるけど……レイヤーさんとか、もっとうまかったりするもんなぁ。
一方的にお世話になっている女性の写真を思い浮かべてそう思う。いつかはあんな感じに撮りたいものだ。えっちな写真も撮りたい。それからネットに上げてチヤホヤされたい。
ただインターネット上にアップロードすることは難しいだろう。ここまで特徴的な容姿なのだ。身バレの危険がある。
身バレも何も今のアオイには『バレる』ものなどないのだが、妹から『身バレは危ないから気をつけて。インターネットはこわいんだから』と警告されたことを覚えていたのだ。えらい。
「って、自分に見惚れてる場合じゃないんだった」
入ダン時間には特に制限などはない。ただ、交通機関は別だ。変な時間に出たら時間を潰す場所を探さなければいけなくなる。
ダン管――ダンジョン管理局の施設には宿泊施設、休憩施設もあるものの、当然のごとくお金がかかる。アオイにそんな余裕はなかった。
一度の入ダンで十分に賄える金額ではあるだろうが……それなら服にでも使ったほうが得だ。アオイはすっかり自分の着せ替えにハマっていた。
「外に出たら……どう見られるだろ?」
女性として、何かおかしいところはないかと自分を見る。スカートの端をつまんで、くるりとターン。かわいすぎる。問題があるとすればそれくらいだろう。
「かわいすぎてナンパされる可能性がある、くらいかなー」
ここまでかわいいのだ。自分ならたぶん気が引けてしまって声もかけられないような気はするが、生粋のヤリチンさんならそうではないだろう。間違いなく声をかけられる。それが心配と言えば心配だろうか。
アオイは陰陽なら間違いなく"陰"側の人間である。"陽"の人間を過剰評価するきらいがあった。
女と見るやいなやどれだけ高嶺の花であったとしても勇猛果敢に挑んてなんやかんやで落としたりするものなんだろうと本気で思うほどだ。
ダンジョン登場以来では薄れてきた価値観であるが、アオイは世間を知らなかった。だいたい過去の漫画やアニメの知識が世間に対する認識である。それにしてもズレているが。
「……でも、ナンパされるのはナンパされるのでちょっと楽しみかも」
せっかく美少女になったのだ。男の頃であれば考えられないが、容姿だけでチヤホヤしてもらえる可能性がある。
それもこれだけ格別の美貌を持っているのだ。男女問わずチヤホヤしてくれることは間違いない。通行人が絶世の美少女である自分に見惚れる光景は想像するだけで気持ちよかった。
美少女になってチヤホヤされてぇ〜。男女問わずすべて人類が抱く欲望を叶えられる……。アオイは期待でドキがムネムネになった。
ひゃあ! 耐えらんねぇ! 行くぞォ!
そう思ってアオイは桜色のポーチだけを持ち、家から飛び出した。
ダンジョンは?
*
ポーチの中にダンジョンカードが入っていたので問題なかった。
家から出て最初に思ったのは『外、眩しっ……』であった。久しぶりに外に出ると陽光に目が灼かれてしまう。
これは今の身体が紫外線に弱いということかもしれない、なんて思ったがたぶんほんとうに外に出なさ過ぎなことが原因だ。他にはない。
「日傘とかあったほうがよかったかなぁ〜……今のボクだと似合いそうだし」
白銀の美少女がいつも日傘を持っている。ありそう。たぶんある。絶対ある。むしろどこかで見たことがある。たぶん病弱キャラだなーとアオイは思う。その場合自分とは正反対になってしまうが……アオイは健康優良児だった。今もそうかはわからないが。
「しかし……やっぱ、視線を感じるような気がするなー」
アオイはふらふらと視線を回す。目が合うとさすがに逸らされることも多いが、道行く人たちに見られている。男女問わず、ちらちらと。さすがにじっと見つめるような人は稀だ。
銀髪に黒のワンピース……ダンジョン発生以降、奇抜なファッションをする者が増えたとは言ってもここまで『サマ』になっているのは少ないだろう。
ダンジョンが産出する『装備品』にはゲームやアニメで出てくるような、実用性があるのかどうかわからないような見た目のものも多い。端的に言えばコスプレっぽいものも数多く産出されている。
それがなぜだか特殊な『効果』を持っていたりするのだから――【鑑定】によって判明した――探索者であればそれを着ることが最適解になってしまうことがある。
今では物心ついた頃からダンジョンに親しんでいた『ネイティブ』世代も多くなってきているので、昔であれば『コスプレ』としか思えなかった衣装が『実用的な軍服』のように見られることもある。
そんな時代だ。アオイの容姿であっても人の目を惹くことはない――わけはなく、先述の通りめちゃくちゃに目を惹いている。ダンジョン発生以前であろうと以降であろうと奇抜な服装をしているくらいでじろじろと見たりはしないはずだが、アオイは顔だけは世界一かわいかった。人種を超越している。となれば二度見くらいは誰でもする。
アオイは注目を受けている。それを自覚している。直接見るまでもない。間接視野でぼんやりと見える範囲だけでもわかる。
やはり元男だ。おかしいところがあるのかもしれない。そんな懸念があるかと言えば――
(――めっちゃ気分良いな!)
まったくなかった。
アオイはちらちらと自分に向けられる視線に気分を良くしていた。男の頃であればこういった視線を向けられることはないだろう。まあ不審に見られることならあるかもしれないが、この類の視線はない。たとえどんなイケメンであっても、これは体験したことがないだろう。美少女だけの特権だ。
ふふんと気分を良くしながらアオイは電車に乗った。渋谷に向かう。ICカードの残高は28円だった。専業探索者なので定期券を作っていたが、そうでなければ詰んでいた。ちなみに定期が切れるのは二週間後のことである。あぶない。
そうこうしているとすぐに渋谷だ。電車に乗っている途中もずっとファッション系配信者の動画を見ていたりしていたアオイは乗り過ごしそうになったところをなんとか回避した。
しかし……とアオイは真剣な顔をして考え込んだ。憂いを帯びた表情。あるいは侵しがたい神聖さすらまとった彼女は、思わずそれを目にした者の足を止めた。
今年で二十四になる副業探索者、只野明美。本業の仕事を終えた午後三時、慣らしの時間も考慮してまっすぐ渋谷のダンジョン管理局に向かった彼女はたまたまアオイを目にしていた。
夜が降りてきたような黒のワンピースに、月光を思わせる銀髪をまとわせた白い少女。仕事柄整った容姿をした少女を見ることが多い彼女であっても――あるいはそんな彼女だからこそ、少女の美しさには目が惹かれた。
憂いを帯びた表情は見る者の胸を締め付けて、呼吸さえ忘れさせるほどに美しい。
とくん、と心臓が跳ねる。とく、とく、と何かが注がれ続けているような音が響く。
交通事故に遭ったみたいだ、と明美は思う。
今の自分では実際に交通事故にあったところでこんな衝撃は受けないだろうが――電車がぶつかりでもすれば、これくらいの衝撃は受けるかもしれない。
この日、只野明美は単独での最高到達層を更新する。
曰く――彼女は、神に出会った。
そんなこんなで一人の女性の人生を変えていたアオイが憂いを帯びた表情で何を考えていたのかと言えば。
(――ボクはこんなにかわいいのに、どうして未だにナンパされていないんだろう)
であった。
めちゃくちゃ深そうなことを考えている顔で、めちゃくちゃ浅いことを考えている……!




