マジカル☆ディッシュ
「DTサポート……つぶしてやろうかしら」
「お前が言うと洒落にならないからヤメロ」
物騒なことをつぶやくフレイヤに『迷い道』の男が突っ込む。
渋谷ダンジョン第二十一層、安全街。
クラン『ヴァナへイム』のマスター、フレイヤこと美神愛梨とクラン『迷い道』のマスターである男。どちらもアオイの配信の視聴者であり、中でもフレイヤは熱狂的なファンとして認知されている。
ふう、とスマホをいじりながら頬杖をつくフレイヤの髪が揺れ、紺碧のインナーカラーがちらりと顔を見せる。美の神を自称しても他人に否定されることはない美貌を持つ女性と筋骨隆々とした男の並びは目を惹くが、今ここには彼ら二人以外の客は居ない。
「あらぁん? ふたりとも、お箸が進んでいないみたいねぇ……せっかくワタシのお店を貸し切らせてあげたんだから、料理はちゃんと食べてほしいわ」
そんな二人の前にこの場の主、店主が現れる。レストラン『マジカル☆ディッシュ』。
ダンジョン発生により魔法を扱えるようになった人類が次に考えたことは魔法の活用法についてだ。どうすれば有効活用できるのか……。
ポイントによって取得できるスキルは戦闘のためのものだけではなく、いわゆる『生産系』のスキルも存在している。装備品を作成するための鍛冶スキル、ポーションなどを作成するための製薬スキル、錬金術スキル……そして『料理』スキルである。
が、料理スキルの持つ効果は単に『作成した料理にステータスの一時的な上昇効果を持たせることができる』などのものであり――それも非常に重要なものではあったが、生粋の『料理人』が求めるものではなかった。
『マジカル☆ディッシュ』の店主、シャーロット――本名、斎藤真司。
ダンジョン発生以前、彼は分子ガストロノミーを扱う店で修行しており、間もなく独立しようとしているところだった。都合の良い物件だけが見つからず、それさえ見つかれば……と思っていたのだが。
そんな折、ダンジョンが発生した。
シャーロットが魔法について知ったとき、真っ先に考えたことは『これを料理に活用することはできないだろうか』であった。
分子ガストロノミーならぬ『魔法ガストロノミー』の追求――世界各地の料理人が考えたそれを彼も考えた。
元より、彼には分子ガストロノミーの素養があった。独立直前であり、守るべき地盤も存在しない。彼は修行元の店に頭を下げ――「シャーロット、ぼくは君が羨ましいよ。もちろん、ぼくの料理を心待ちにしてくれているお客様が居ること自体は至上の幸福だが……料理人として、究極の料理を追求することは本能的な欲求だ。それを追求できる君が羨ましくないと言ったら嘘になるね」――料理のために、ダンジョンを探索することを決めた。
『料理』スキルを初めて知ったときには「これだ」と思ったものだが、その効果はシャーロットの望むものではなかった。あるいは料理の初心者であるならば調理技術の向上なども見込めるのかもしれないが……シャーロットには効果がなかった。剣術を既に修めているものが剣術スキルを取得しても効果がほとんど見込めない――『剣姫』和泉サキと同じような現象だ。
やはり魔法だ。シャーロットは魔法系統のスキルを貪欲に取得し、料理へと応用した。結果、納得できるものを作ることができるようになり――もちろん、料理に完成はなく、今現在も探索自体は続けている――魔法を十全に扱えるようにするため、ダンジョン内に店を構えることにした。渋谷ダンジョン第二十一層、安全街の一角だ。
ダンジョン内の第二十一層と言う来店難度が非常に高い立地ではあるが――他にない味を楽しめるこの店は予約の絶えない店でもある。修行しに来ている料理人も居るには居るが、まだ調理の重要な部分を任せられる域には達しておらず……一度に受け入れられる客数はあまり多くない。
それだから『貸し切り』にしたところで通常営業時とそれほど違いはないのだが、それでも折角なのだから料理を楽しんでほしいものだ。
そんなシャーロットにフレイヤは謝罪し、
「ごめんね、シャーロット。でも、こいつが悪いのよ。自分の仕事をしないから……」
「自分が悠長に構えていたことの責を転嫁されてもな」
「サキを向かわせたヤツに言われたくないわ。……なんであの子なのよ。絶対に無理でしょ」
そもそも、あの子に『仕事』の話をしていたかどうかも疑わしいわ。フレイヤの言葉に男は、
「ああ。もとよりしていない」
「……アンタねぇ」
「話しても意味がないからな。サキが行きたいと望んだ時点で俺が手を打つことは難しくなった。それだけだ」
「嘘つき」
フレイヤが男を指差す。
「アンタならできなくはないでしょ」
「アオイにぶつけるだけなら、な。しかし、『仕事』を頼むまでとなると難しいだろう」
「それもアンタなら……とは思うけれど、結果的にアオイちゃんは楽しそうだったから。それに免じて許してあげるわ」
ただ、抜け駆けしたDTサポートには思うところがあるけれど、と渋面をつくるフレイヤ。そんな彼女も目の前の皿に並べられた料理に口をつけると顔をほころばせる。食の力は強い。
「エアリエルは?」
「あの子はいいの。問題は……」
「エドワード・カーターか」
「あら? エドがどうかしたの?」
会話に入り込んできたシャーロットにフレイヤは目を瞬かせて、すぐに納得したように唇をゆるませる。
「ああ……シャーロットはサンフランシスコで活動していた時期もあったんだったわね」
「エドワードと同じチームに居た時期もあったはずだ」
男の言葉に、そうなの? とフレイヤがシャーロットを見る。彼は肩をすくめて、
「あくまで『チーム』だけどね。それも探索者としてじゃなく料理人として」
「印象は?」
「端的に言えば」シャーロットは顎に指先を当て微笑む。「忠実な騎士かしら」
「忠実な……」フレイヤがつぶやく。「今なら配信中に言ってた『雇い主』に、ね。……その『雇い主』って誰なのかしら?」
ね、『迷い道』のマスターさん。そう問われた男はどっぷりと椅子に座り込んでまま首を振り、
「『雇い主』自体はシャーロットが知っている時期と変わらない」
「変わらない?」フレイヤが眉を上げる。「……元『最前線組』の探索者が? それって」
「ああ。だが、今は民間人だ」
そう言って、男はシャーロットの料理に箸を伸ばした。フレイヤは頬杖をつき、
「それ、本気で言ってる?」
その問いに男は唇の端を上げることで答えた。
「愛梨ちゃん。行儀悪いわよ」
食卓で頬杖をついたフレイヤはシャーロットに怒られた。
さもありなん。
*
頬杖をついたことは注意されたが、スマホをいじることを注意されることはない。
フレイヤの『それ』は遊んでいるわけではないのだ。常に情報を確認している。深層ともなれば電波が届くことはないが――現在フレイヤの居る第二十一層は弱くはあるが繋がっている。彼女はその弱い回線を使う権利を与えられている。
フレイヤ――美神愛梨、二十三歳。
十年前、世界に突如としてダンジョンが生まれてから各制度が整えられるまでには時間を要した。現在であれば義務教育を終えなければ入れないダンジョンに入ることができた――かと言えば、当時は義務教育を終えているかどうかに関わらず一律で一般人のダンジョンへの侵入は禁じられていた。
だが、愛梨は当時既にダンジョンに入った経験があった。それは何も無理やり侵入しようとしたわけではない。ただ『ダンジョンの発生に巻き込まれた』からだ。
ダンジョン内部は外から見たものとは比較にならないほど広大であり、明らかに異空間となっている。だが、それでもダンジョン発生時に『置き換えられた』空間は多少なりとも存在している。
そこで愛梨が何か冒険したかと言えばそんなことはない。ないが――たまたま、魔物を倒すことがあった。愛梨自身は死にものぐるいだったが――当時、ダンジョン発生に巻き込まれて行方不明になった人数は日本国内だけでも数千人に達する。愛梨のように五体無事に生還できたならばそれだけでも幸運と言えるだろう。
そしてダンジョン内で魔物――MOBを倒すことがあったということは一つの事実を示している。『ステータス』の獲得。後にフランスの配信者、ラファエルが発表したように『ポイント』を振ることができる『ボード』が頭の中に浮かぶようになった。
十三歳、中学生になって間もない少女だった愛梨には理解できないことだった――かと言えば。
「……ゲームね」
『ダンジョン』――当時はまだインターネット上などでしかそう呼ばれてはいなかったが、上がってくる情報があまりにも『ゲーム』的だった。
「落とし所は……成人、いや、義務教育を終えてから、くらいかしら」
愛梨はダンジョンに入ることを決めた。情報収集を怠らず、その時に備える。誰かのように剣術を磨いたりすることはなかった。彼女が選んだのは――資産の運用。資本の増大によって探索に備えていた。『金の力』が最も手っ取り早いと判断したのである。
そしてダンジョン探索が解禁されると迷うことなく『パワーレベリング』に手を付けた。ダンジョン管理局からは決して推奨されていない攻略法――躊躇なく銃火器を使用して身の丈に合わない階層に手を伸ばした。『ポイント』の取得を何よりも優先し……彼女が選んだのは【魔術原理】という魔法/スキルだった。
【魔術原理】。端的に言えば……ポイントを使って獲得できる他の魔法のようにパッケージ化されたそれではなく、その『原理』を扱えるようになるスキルである。
火系統の魔法、【ファイアーボール】を取得しても【ファイアーボール】しか使うことはできない。威力や速度、攻撃範囲などのカスタム……【詠唱】などを用いたならばより大きく変えることもできなくはないものの、それでも【ファイアーボール】の範疇から大きく逸脱したものを使うことはできない。
だが、これは現実だ。【ファイアーボール】を扱えるならば他の魔法を扱うことができてもおかしくはない。『魔法の使い方』を覚えたならば、と。
【魔術原理】はその『魔法の使い方』の根本に触れることができるようになるスキルだ。どうすれば【ファイアーボール】を使うことができるのか、魔力を扱うことができるのか……その『原理』を扱うことができるようになる。
そんなスキルがあるのであれば、みんなそれを取得すればポイントも節約できるのではないか――そう考えた探索者は少なくない。だが、成功例はあまりにも少なく……成功したとしても、一つの魔法を使うのに長大な時間を要する。
愛梨はそれを『使えた』。使えない可能性もあったが、結果的に『実用的』なレベルで【魔術原理】を扱うことができた。愛梨を含めて世界でも五指にも満たない数しか居ないとされる『公認魔術師』。それが愛梨だ。
魔術的な分野において、彼女の貢献は計り知れないものがある。【魔術原理】の使用法について理論化することはできなかったが――【魔術原理】を基にした『魔法陣』の開発に携わったことは彼女の功績の中でも非常に大きなものとして挙げられるだろう。
……そもそも【魔術原理】に関しては戦闘面で魔法を使うと言うよりは魔道具などへ魔石、魔力などのエネルギーを活用するために用いることを想定されていたのではないか? という説もある。愛梨のように瞬時に魔法として出力するのはコンピュータを使わずに暗算だけで難解な計算を行うようなもので――言うなれば一種の『曲芸』である。
彼女がスマートフォンを手放さないのは――彼女の持つスマホは一種の『魔道具』でもあるからだ。言うなれば『外付け』の計算処理領域としてスマホを使用している。そのさらなる応用として、彼女はインターネット上を横断して情報収集を行っている。彼女の処理能力は人並みのものではない。もっとも、彼女の『それ』に関しては趣味の部分も占めているが……。
ふと、彼女のスマホが通知に震えた。メールだ。愛梨はその内容を確認して――くすり、と微笑む。
「どうした?」
男の質問に彼女は良くなった機嫌を隠そうともせずに答える。
「ちょうど話をしていたら、あっちから話を通しに来たわ」
ちょうど話をしていたら。つい先程まで話していた内容は何か。エドワード・カーターに関する話。その『雇い主』に関する話。
「私に話を持ってくるなんて、わかってるじゃない」
愛梨は満足げにそう言った。
チョロっ……密かに男はそう思ったが、口に出すことはなかった。
わざわざ藪をつつくことはないと思ったからである。




