相手の土俵で戦わない
「【エアウォーク】」
アオイの一手目はサキにとって予想外の一手だった。
アオイはサキが自分の配信の視聴者ではないと見抜いている。だが自分の動画は見たことがあるだろうとも思っていた。おそらくは誰かにそそのかされたのだろうと認識している。
しかしアオイを研究したわけではない。過去の動画からアオイを研究してきたわけではない。それは彼女の性格によるものだろう。彼女の矜持。アンフェアな状況ではなくできるだけ公平な状況で戦いたいという欲求。『正々堂々と戦いたい』と言うよりは単に『真正面から相手を叩き潰したい』と言う欲望か。
アオイが魔法を――【エアウォーク】を使えるかどうか、また『どういう使い方をするのか』に関しては知られている可能性も、知られていない可能性もあった。
研究してきてはいなくともたまたま見せられた動画に【エアウォーク】を使っていた場面があったかもしれない。
サキは卑怯を知っている。知っているが、その精神はどちらかと言えば高潔なものなのだろう。自らの矜持を守っている。だから――知ってはいても『こちら側の思考や発想』ができるわけではない。
やられた後に気付くことはできるだろう。だが、事前に気付くことができないのであればあまりにも遅い。
アオイはこれまでの模擬戦――エドワードとゴミの人との戦闘において魔法を使ってこなかった。『非探索者でもできる』などと謳っているのだ。魔法なんて使うはずがない?
喧嘩に禁止技などあるはずがない。
「なっ」
:エアウォーク?
:魔法アリなの!?
:いやナシだろ
:剣姫は喧嘩って言ったんだ。なら『ナシ』なんてものはない。
:ひ、卑怯……!
アオイがエアウォークと口にした瞬間、サキは驚きながら剣を抜こうとした。
しかし抜けなかった。予想だにしない抵抗――【エアウォーク】が柄頭を抑えるように展開されている。剣を抜こうとした瞬間に『跳ね返る』。
それは一瞬のことだ。サキも理解していれば何のこともなく剣を抜くことができただろう。サキの位階であればエアウォークによる抵抗など無視できる。だが、不意に『引っかかり』があったなら動揺するのが人間だ。人間は不意打ちに弱い。
それを見逃すアオイではない。
「甘いなぁ」
アオイはサキの耳を掴んだ。投げ――触れられた瞬間にサキは反射的に身を捩ろうとする。エドワードとの戦闘は見ていた。まずは強引にでも外して――
:そっちじゃない
「レッスンワン」
耳を掴んだまま、アオイは親指をサキの瞳の前に置く。
「急所を狙おう」
身を捩ろうとした動きを完全に読んだ行動。サキが身を捩ろうとしたその軌道上に『指を置いた』。その結果、何が起こるかと言えば。
:目潰し
:えぐ……
:躊躇がなさすぎる
眼窩に指を突っ込んだ。しかしそれで終わりじゃない。眼窩に指を入れられている『隙』を突く。逃してはいけない。殺す気でやらなければいけない。
「自分から喧嘩をしようって言ったんだ。まさか卑怯だとは言わないよね? それとも喧嘩ごっこをしたかったのかな?」
首を動かして少しでも自分との距離を置こうとするだろう。指を抜こうとするはずだ。行動は限られている。誘導するまでもなく。
どのパターンでも対応できる。すべて読んでいる。投げて脳を揺らす。そのためにどう持っていくべきかを考えていく。
そんなアオイに『剣姫』は。
「安心しろ……」
ぼそり、とつぶやく。
「目が痛んだところで、目蓋を閉じる以上の反射はない」
その言葉が何を意味しているのか、理解するのに一拍遅れた。
痛みを感じた際に一切動じずにいられるようなことはない。人間の身体はそうなっている。痛みを感じた際に、その痛みを伝えた側の四肢、その屈筋を収縮させる反射が起こる。屈曲反射、または逃避反射とも呼ばれる反応だ。
生存本能に根差した反射。防衛本能を意志で抑え込むことはできない。
エドワード・カーターを相手にしたとき、アオイは彼の睾丸を潰す気で握りしめることで行動の自由を奪った。屈曲反射を利用していた。
だが、今は? 目を潰されているのだ。痛みがないわけがない。痛み自体は間違いなく感じている。
ただ――『目』の痛みによって、人間の身体にどんな反射が起こるか。
行動の自由を奪うような屈曲反射は起こらない。
『剣姫』は自分の身体を自由に動かすことができる。
「っ! 【ヒール】!」
『剣姫』の腕がブレた。いつの間にか剣を振り抜いた姿勢に――その腕にアオイは触れている。
(投――いや)
「【エアウォーク】」
アオイはその場で跳躍。脚を折り畳むようにして宙で前転しながら跳び上がり――同時、サキの前蹴りが空振る。
「チッ」
サキの身体が何かに引っ張られたように大きく回転。しかし何事もなく受け身を取り、膝さえ地に付けることなく剣を構える。
「今ので無理か」
サキの言葉だ。しかし、アオイも同じ気持ちだった。……この一瞬の攻防でわかった。和泉サキ。なるほど、彼女は確かに『自分の矜持を貫く』ための力を備えている、と。
強い。サキの一閃により斬られた服の胴部分をひらひらとその手に持ちながら、アオイは小さく息をついた。
:何が起こった?
:アオイが剣姫の耳を掴んで、かと思えばなんでか剣姫が自分からアオイの指に片目を突っ込ませて……なんかそっからはごちゃついてた
:クソ感想
:アオイがサキの眼窩に指を突っ込ませて目潰しするまでは合っている。そこからの展開は目まぐるしいが……まず、サキが眼窩に指を入れられているにも関わらずアオイを斬ることを優先した。
:は?
:普通は動けなくなりますよね……?
:あー……じゃあ、あの【ヒール】は
:そうだ。アオイは斬られていた。それとまったく同じタイミングで【ヒール】を使ったから結合部を繋げる効果が得られた。少しでもタイミングがズレて切断部が離れていたならば無理だっただろうな。
:でもアオイの服の斬られ方を見るに胴をまっぷたつにされてるよな? それが【ヒール】で治るもんか?
:おへそえっちだよね
:今はそこんところ黙っといてもろて
アオイの身体は【ヒール】で治った。斬られた胴と目潰しの際にねじ折れた指は回復した。しかし服にまでそれが通用するわけではない。アオイの服は何のエンチャントもないただの服だ。修復機能なんてものは付属していない。
右の腰部から左の脇腹――肋あたりまで、裁断バサミで豪快に切られたようにアオイの服は切断されている。ワンピースタイプではなくセパレートタイプの服であったことが功を奏した形だ。腹が見え、アオイの動きによってはブラジャーが少し覗き見えるくらいでそれ以外の露出はない。
ただ、それが意味するところは『その軌道上に刃が走った』ということである。
一刀両断。胴が真っ二つに斬られている。
それが【ヒール】程度で治るのかと言えば。
:普通は治らない。だから、神業だ。
:どっちもな
そう。普通は治らない。治るはずがない。
しかし、アオイの【ヒール】は神がかったタイミングだった。
サキの刃がその身を通った瞬間に重ねてヒールを使った。だから、実質的に『両断された』瞬間など存在しなかった。肉と肉、細胞が斬られ別れることに気付くより先に治っていた形になる。
加えて、サキの一閃も神がかったものだった。その剣速はもちろん、斬れ味もまたあまりにも鋭いものであり――『万物両断』とさえ謳われるその一閃による切断面はあまりにも美しく、滑らかなものだ。
『斬られたことにさえ気付かない』なんて絵空事を現実にする理外の一閃だったからこそ、アオイの【ヒール】も通用してしまった。
コマ送りのように時間を飛ばしたとしか思えないほどの剣速と斬られたことさえ気付かせないほどの卓越した技術。
それが完全にタイミングを重ねたアオイの【ヒール】が作用する一瞬の間に終わったからこそ起こった事象だ。
結果的に、アオイは【ヒール】を使ったことによってサキの斬撃を躱すことができた。眼に指を突っ込まれながら躊躇なく攻撃してくるサキの行動には驚かされたものだが、その可能性も考えていなかったわけではない。対応すること自体はできた。
:さらに、アオイは自分を斬ったサキの攻撃の勢いを利用してサキを投げようとした。が、サキも同時に前蹴りを放っていたからな。
:投げるより避けることを優先しなくちゃいけなかったってことか
:あの【エアウォーク】はそういう……でも、結局剣姫は投げられてたっぽいけど
:不完全ではあるが、な
:これがアオイと剣姫の攻防か……
:普段見てるのは位階に任せたチンピラファイトだもんな〜
:ここに来てください。本当の戦いってやつを見せてあげますよ。
:アレはアレで探索者じゃないとできない戦いって感じでオレは好き
「サキさんのせいでボクの服が斬れちゃったんですけどー」
「それくらい買ってやるよ」
「え? ホントに? やったぁ!」
「……それも策か?」
「うん? …………あ、はい。ソウデスヨー」
「……かわいいヤツだな」
なんかボク褒められてる? アオイは思った。褒められているわけではない。
できれば今の攻防で剣は奪っておきたかった。想定外とまでは言わないが、アオイは自分が『必ずしも流すことができるとは限らない』と思えるような相手を見ることは初めてだった。
避けようがない攻撃ではない。大規模な魔法などではない。光や雷といった手で触れられないものではない。
だと言うのに、流せない。避けられない。凌げない。
位階差による身体能力の差も大きいのだろうが、それだけでアオイが『流せない』なんてことにはならない。【加速】でもない限り速度は大きく変わらない。少なくとも『読み』を武器にするアオイにとって、意識の加速を伴わないのであれば無視できるほどの誤差だ。
しかし、サキの一振りは。
(剣の扱いという一点だけは『極まっている』と言わざるを得ないね)
それ以外のすべてが読めても、剣を振るうそれだけが。アオイをして対応しきれないほどの速度で振るわれている。
(ギフテッドだって言われても疑問に持てないくらいの才能だよ)
アオイは嘆息する。ヒト相手に後れを取るとは思わなかった。ここまでの逸材が居るなんて。
もっとも。
(負けてあげるつもりは、まだないけれど)
どれだけ剣術に秀でていようと、やるべきことは変わらない。
徹底して相手の土俵では戦わない。
相手が嫌がること、相手が想定していないことをする。
バーリトゥードとは『なんでもあり』という意味だ。
ひとつ、問題があるとすれば。
:あの……『非探索者でもできる! かんたん護身術!』は……? どこ……ここ……?
両者ともに配信の趣旨をすっかり忘れているということである。
何のために戦ってるの……?




