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喧嘩にゴングなんてない

 探索者はダンジョンでMOBを倒したりすると『ポイント』が貯まる。生物としての位階が上がる。

 高位の探索者の身体能力は人間離れしている。ただ、だからと言って『意識の速度』が上がることになるとは限らない。


 位階が上がっただけで『物がゆっくりと見える』なんてことはない。そういった効果もある【加速】のスキルは存在するが、それは位階が上がっただけで反映されるようなものではない。『敏捷性アジリティ』なんてわかりやすい項目としてステータスが設定されているわけではない。

 もちろん、身体能力が上がったのだ。速く動けるようにはなる。動体視力も上がるだろう。だが、意識の加速は起こらない。神経に電気信号が伝達される速度は変わらない。処理速度は変わらない。それそのものに作用するスキルを使えば別の話だが――そうでもない限り、高位の探索者であっても反応速度は非探索者から大きく離れたものではない。

 もちろん、場数を踏んだぶんだけ反応速度が上がることはあるだろうが……それはあくまで『経験』を反映させたものでしかない。位階が上がり、いわゆる『ステータス』が向上したことによる影響ではない。


 ……その理屈で言うならば【加速】が反則的なまでの力を持つスキルのように思えるが、【加速】を取得するために必要なポイントは膨大だ。【加速】は『時間』に干渉するスキルと言われている。【アイテムボックス】が空間魔法に連なるものであるのと同じだ。消費魔力も身体負荷も尋常なものではなく――しかし『ポイント』さえ貯めれば誰でも使用可能になるあたり、やはり『ゲーム的』であると言わざるを得ないだろう。


 閑話休題。要するに高位の探索者だからと言って反応速度は変わらない。思考速度は変わらない。


 だから、アオイでも処理できる。



「つ、強ぇ……」



 男が言った。アオイの『非探索者でもできる! かんたん護身術!』の相手役に応募してくれた四人のうちの一人、いちばん影が薄いモブっぽい男だ。


 彼とアオイの模擬戦に特筆すべきところはなかった。アオイが圧倒して終わりだ。サンフランシスコからやって来た男、エドワード・カーター戦の後に見てしまうとどうしても見劣りしてしまう内容で――また、割と似ている感じの内容だった。



「アオイ……ひとつだけ、言いたいことがある……」


「なに?」


「いつも動画見てます……でも、やっぱりサムネとタイトルくらいは設定したほうが……バズる……ぞ……」



 がくり。男が意識を手放した。ヒール。回復。



「余計なお世話じゃー!」



 そして回復した男の頬をアオイは思い切りはたいた。「ありがとうございますっ!」男が頬を叩かれながら叫んだ。位階の差によりアオイの打撃は効果が薄い。男にとってはご褒美でしかなかったらしい。……効かなくても美少女にビンタされてよろこぶのは変態では?



「……へんたい」


「ありがとうございます!」



 無敵か? アオイは思った。この人いちばん影薄いと思ってたけど割りと濃いかも……。



「あ、ちなみにコレ名刺です。ダンジョン配信者のマネージメントを主業務に持つ事務所を経営してます。面倒くさいことぜんぶ受け持つんで良かったらお願いします」


「えっ」



 スカウトもされた。もしかしてそれ目当て? ふ、ふじゅんな動機……!



:確かに配信まわりのことが面倒くさいなら他のことをマネージャーか何かに任せるのは手だな

:ライブ配信自体はサムネもタイトルもテキトーな配信者はそこそこ居るからなー 後でいじれるし

:ただ……アオイがどこかに所属するということができるのか……

:アオイは自分以外の誰にも属さない。自分が最強だと理解しているからだ。

:最強とかじゃなくてクズなだけでは?

:正論やめろ! 泣いちゃうだろ!



「勝手に話を進めないでくれるか?」



 まったくもー。アオイが頬を膨らませる。しかしアオイ自身、自分がどこかに属せるという自信はなかった。連絡とかすっぽぬかす気しかしない。怒られそう。こわい。迷惑もかけそうだし。



「大丈夫大丈夫配信者なんてだいたいクズだから」


「それ口にして大丈夫なやつ?」


「でも……だいたいはゴミだし……」


「口悪ぅ!」



 ゴミの人はめちゃくちゃ口が悪かった。しかしチャット欄を見るに誰も否定できないでいる。社会不適合者の集まり……!



:トップ探索者の終里からして炎上しまくりだからな

:活動初期に「これがホントのデスゲーム、つってw」って言って炎上したのは鉄板

:いくらダンジョンがゲームっぽいからって死人出まくってた時期にあの発言するのはヤバい

:そういう意味では……まぁ……

:どこかの女神さんも割りとアレな発言しまくりだし……



「まともな配信者って居ないの……?」



 イマドキの人たちってむしろ割りと『まとも』な感じがしてたんだけど……そうでもないのかな? アオイは思った。

 昔は『破天荒ながらも天才的な活躍をする』なんて人も多かったようだが、最近は『公私ともにストイックな天才』が目立つ時代だと言う。

『私生活でだらしなくても~』なんて幻想は時代とともに打ち破られて『私生活も捧げる』くらいでなければ勝ち上がれないほどに競争が過酷な時代になってきた、と。

 それだから配信者の世界でもみんな割りと『まとも』なんじゃないかと思っていたのだが……思えば、そもそもアオイからして『まとも』ではない。アオイの祖父だって社会不適合者だ。幻想は必ずしも『幻想』ではない。



:そこに居る『剣姫』もそうだからな



「次はアタシの番でいいか?」



『剣姫』和泉サキ。

 クラン『迷い道』に所属する探索者であり、剣の扱いに関しては比類なき実力を持つ探索者だ。

 黒に燃えるような赤が混じった髪。容姿そのものは『姫』と称されてもおかしくはないものだったが、その顔には獣じみた獰猛な笑みが浮かんでいる。



「もう待てない。早く戦ろうぜ」


「ノリノリだなぁ」



 アオイは呆れたように肩を落とす。「今終わったところだよ? ちょっと休憩時間くらい――」



「お前の戦い方」サキはアオイの言葉を遮った。「ウチのマスターに似ている。……アタシの戦意が高いから、話を逸らして戦意を削ごうとしているな?」



 アオイが動きを止める。それを見てサキは面倒くさそうにしながら言葉を続ける。



「戦おうって言うからにはある程度の戦意は必要だからな。素面で人を殴れるようなヤツはイカれてるヤツだけだ。テンションが低い状態じゃなかなか他人を攻められない」


 よーいドンの合図があるような『競技』をやろうってわけじゃないんだ。始まりの合図がないならいったいどうやって始めればいいのか。どうすれば『先』を取れるのか。



「喧嘩だからな。相手の不意を突くのは当たり前。……だが、小賢しいなテメェー。『位階』が低いんだから『先』を取っても意味ねぇだろ」


「仰る通り。クセだね。ダメだった?」


「甘いな。自分から手をさらけ出すバカがどこに居る」


「ここに。一応これって配信だし? 護身術講座配信だからね。こういう手もあるって見せておくべきじゃない?」


「言い訳まで用意しているとは結構なことだな」


「えらいでしょ?」


「ああ。――喧嘩するには絶好の相手だ」



 サキの戦意はなくならない。既に戦闘状態に移行している。隙が見えない。



(……戦闘狂か)



 アオイは胸中で汗を流した。厄介な……。脳筋キャラかと思ったら、ホントに文字通りの『戦闘狂』とは。


 そして、自分と同じような戦い方をする人間を知っているとは……引っ掛けられないとは思わないが、容易に引っ掛けられると思うべきでもないだろう。



(ここで唐突におしっこでも漏らせば……いや、無理かなぁ)



 戦意を削ぐことができれば最初の一撃は十中八九入れることができる。それは位階に差があったとしても同じことだ。アオイなら間違いなくそれができる。

 だが、サキの戦意が落ちる様子はない。常にギラギラと輝く真夏の太陽のごとき戦意をまとっている。

 自分の戦い方が読まれている。経験がある。見かけの年齢からしてそこまでの修羅場を踏んでいるとは思えなかったが……見誤ったかな。


 

(……まあ、それならそれでやりようはある、かな)



 アオイに似た戦い方を知っている。だが、知っているだけだ。

 中途半端に頭が回るくらいがいちばん読みやすいなんて話もある。

 相手に仕掛けられて『相手の話に付き合わない』を選択する時点で見えるものもある。



(『相手の話に安易に耳を傾けないように努める』を選択する時点で『安易に耳を傾けがち』ってこともある。まだ探れていないところもあるけれど……もうちょっと試してみるかな)



 サキに歩み寄りながらアオイは話す。



「ちょっと提案なんだけど、素手対素手で戦わない? 剣と素手ってさすがにアンフェアだと思うなぁ」


「位階に差がある時点でフェアも何もないだろ。今更だ。それに、護身術講座なんだろ? 相手が無手であるとは限らない」


「いやいや、ダンジョン内でもない限り基本は無手でしょ? 外で刀なんて持ってたら銃刀法違反だよ」


「探索者が暴力を振るう時点で法律になんて逆らってるだろ。銃刀法だけは守るはずだなんてありえねぇ」


「ごもっとも」


「しかし、アオイ。テメェーも武器を持ちたいって言うんなら勝手に」


「ううん」



 戦意を削ぐことは目的のひとつでしかない。策がすべてうまくいくなんてことはない。



「目的は果たした」



 策はいくつも並行して走らせるべきだ。

 アオイはサキに歩み寄っていた。サキはアオイを警戒している。アオイの言葉を警戒していた。


 だが――アオイが見たところ、サキは典型的な『武人』型の人間だ。

 相手が卑怯を使うことには抵抗がないようだが、自分が卑怯を使う側だとは思っていない。

 どんな卑怯を仕掛けられようとも真正面から斬り伏せてやろうと思っている。


 サキはアオイとエドワードが戦っていたところを見ていた。アオイがエドワードとの会話中にいきなり戦闘行動に移行した光景を目にしている。サキはそれを警戒する。どうしても警戒してしまう。

 戦意を削ごうとする言葉。シームレスに戦闘行動に移ったという経験。


 サキは卑怯を使わない。典型的な『武人』型の人間だ。

 警戒している様子だが――圧倒的な位階差による実力差がある。

 MOBを相手にするときに比べればこんなものは警戒している『フリ』に過ぎない。


 そうでなければ、こんなに近くまで寄らせはしない。



:アオイの間合いだ 



「喧嘩に始まりのゴングなんてない、でしょ?」



 サキの間合いに入った瞬間、斬られる可能性もあった。だが彼女は剣を抜かなかった。『先』を取れる絶好の機会を逃している。

 サキは卑怯を知っている。だが使わない。使おうとしていない。

 それは矜持と呼ぶべきものなのかもしれない。彼女にとってはそれを守らなければ戦う意味はないのかもしれない。


 サキは典型的な『武人』型の人間だ。戦闘狂のような一面もあるが――アオイにとって、彼女は『スポーツマンシップ』を持っているように見えていた。戦闘狂だからこそ戦闘にある種の矜持を持つ。


 喧嘩に始まりのゴングなんてない。


 だと言うのに、無意識下で『始まりのゴング』を待っている。


 警戒している『フリ』をしながら、アオイの間合いに入るまで近づけさせる。

 そうなるように意識を撹乱させはしたが――それにしても、誘導しやすい。

 アオイと同じような戦い方をする人間を知っていると彼女は言った。警戒はしているのだろう。卑怯を知っている。


 知っているだけでしかない。



「……わざわざ口に出す意味あったか?」



 サキの言葉だ。まだ身体は動いていない。位階の差から『後の先』が取れると確信している。

 サキはアオイとエドワードの戦闘を見ていた。アオイの行動が『罠』である可能性を考慮している。

 サキはアオイの身体を見る。しかしフェイントには釣られないようにと警戒する。確実に『後の先』を取るためにアオイを見る。



「もちろん。ないわけがなくない?」


 

 わざわざ教えたことには意味がある。ないわけがない。『警戒が足りない』と指摘したことには意味がある。

 相手に警戒を促す。必要以上の警戒を促す。


 必要以上の警戒は意識内の選択肢を狭める。

 視野狭窄を引き起こす。


 そしてアオイは。



「【エアウォーク】」



『先』を取った。


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