青春の味
やっぱり邪魔だったかもしれない。距離感がおかしい美少女を前にして、梓はそう思わざるを得なかった。
「ユートくんユートくん。ボク、そっちのも食べてみたいな~。ボクのもあげるから! はい、あーん!」
などと言って、アオイは勇斗にケーキを差し出す。絶世の美少女が人懐っこい様子でぐいぐいと迫ってくるなんてシチュエーションに勇斗も顔を赤らめている。梓の目の前でそういった表情は見せないわけではないものの――ここまでのものではなかったように思える。
確かに、アオイはかわいいひとだ。かわいすぎると言っても過言ではない。同性である梓から見ても嫉妬より先に尊敬や憧れが先に来る美貌を持つ女の子で――そんなアオイに、勇斗は萎縮することなく接している。もちろん、距離感の近さから照れている様子ではあるが……そんな『普通の女の子』相手にするような反応であることがそもそもおかしい。
アオイはバニーガールの格好をしている。よく見ると明らかに露出が多い格好だが、人間味が薄くすらある超然とした容姿を持つアオイを見て煽情的だと思う者は少ないだろう。梓もそうだ。今のアオイを見てセクシーだと思っても、ことさらにいやらしいとは思えない。むしろ、そんな彼女がコロコロと表情を変えることにドキッと心を動かされることがあるくらいだ。
アオイに注目する目の中には男性のものもあったが、彼らだってアオイに性的な目を向けているわけではない様子だった。美しいものを見たときのように見惚れて、それからいけないものを見たときのように、後ろめたさを抱えた表情をして顔を背けて、しかし抗えずにちらちらとアオイのほうを見て……なんて態度の男性が多い。
だが、勇斗は違う様子だった。アオイのことを『自分とは別世界の住人』だとは思わずに『ひとりの女の子』として見ているように思える。アオイの一挙手一投足に、素直にドキドキしているし――その視線も何度か谷間に向かっている。
(わ、わたしも、あんな格好をしたら――む、むりむりっ!)
想像してすぐに無理だと頭を振った。バニーガールの格好なんて絶対にできない。自分にはそもそも似合わないだろうし……もしも比較されたら、たまったもんじゃない。
そして、アオイの油断ならないところはその容姿だけではなかった。
そう、何よりも――勇斗のような青少年には耐えられないほどに、距離が、近かった。
「ちょ、アオイ。……それは、ちょっと」
「ちょっと? あ、もしかして照れてる? まあ、ボクかわいいもんね。わかるよ~」
「わかってるならやめてくれ……!」
心の底から絞り出すように勇斗は言った。そんな彼を見てアオイは楽しそうにからからと笑っている。
完全にからかっている。アオイは見た目だけなら自分たちと同年代に見えるが、こういった態度を見ると大人びているようにも感じる。天真爛漫、目まぐるしく表情が変わる彼女はともすれば子どもっぽい印象を受けるのに――勇斗くんのことをあからさまに『子ども扱い』している。いったい何歳なんだろうか。勇斗くんへの対応を見るに、同年代な気はするけど……。
「でも、ボクとしてはケーキを食べたいだけなんだけど……ね? アズサちゃん? せっかくこんなにおいしいケーキなんだから、色んな味を楽しみたいよねぇ」
「へっ!? えっ、あ、そ、それは、その、は、はい」
「だよねー」
突然振られてしまってそう返すことしかできなかった。……実際、ここのケーキはほんとうにおいしい。色んな味を試したいという気持ちは理解できる。かと言って、梓はそんなことができる性格の少女ではないのだが。
「ほらほら、アズサちゃんも言ってるんだし……ね? ユートくん。ボクのもあげるから、ユートくんのも食べさせてよー」
「いや、だから――」
そうして勇斗が口を開いた瞬間、アオイの目が微かに細められる。それからの彼女の動きは決して目にも止まらぬ速さで行われたようなものではない。目で追えるはずなのに――傍から見ている梓でさえも、終わってからでなければその動きの意味を理解できなかった。
動作の『起こり』がない。人間の動作にはどんなものでも予備動作というものが生じるものだ。手を前に出そうとすればその前に他の場所が動いている。肉体の動きは連動している。筋肉の繋がりを無視することはできない。だが、アオイの動作にはそれがない。予備動作というものが感じられない。『起こり』がない。
それ故に、アオイの動作は目にした者に唐突な印象を与える。
今もそうだった。そもそも、アオイはケーキを勇斗に差し出した状態だった。『構え』はすでに終わっている。最速の拳打、ボクシングのジャブと同じだ。あとは『打つ』だけ。仕込みはすでに終わっている。
「むぐっ」
だから、勇斗もまったく反応できないままアオイの行動を許すことになる。彼女の行動、それは――ケーキを勇斗の口に入れること。そして。
「いただきっ」
勇斗が口に入れられたケーキに戸惑っている隙に、彼が手にしたフォークの先にあるケーキを食べること。それこそが彼女の目的だった。無事に成功した彼女は満足そうな顔で「おいしっ! これもいいなぁ。今度はこれを頼むのも手かな……?」などと供述している。
もちろん、勇斗と梓はケーキのことなんて気にしていられる精神状態ではない。アオイがついさっきまで使っていたフォークを口に突っ込まれ、自分のフォークを使われて――勇斗の顔がかぁっと赤く染まっていく。梓の顔にも同じように朱が差して、アオイと勇斗のフォークをちらちらと見比べる。
「えへへー。もらっちゃったー。でも、どう? ユートくん。これもおいしいでしょー?」
「んん……! むぐ、いや、ん……!」
もごもごとケーキを咀嚼しながら話そうとして、口を閉じる。まだケーキが口に残っていて話すことができないのだろう。ただ彼の抗議するような目が語っていた。『味なんてわかるか』と。
そんな勇斗を見てアオイはアハハと笑っている。彼女はそのまま梓を見て。
「じゃ――アズサちゃんも、交換しよ?」
「……へ?」
「ほら、あーん」
そう言って差し出されたのは、アオイのケーキ。ただ、つい先程までそのフォークは勇斗の口の中にあったものと同じで――つまり、それは。
(か、間接キスじゃ……!)
ど、どうすればいいだろう。梓は戸惑う。食べないという選択肢はない。勇斗でさえ避けられなかったのだ。梓に避けられるとは思えない。
もっとも、アオイには悪気があるわけではなさそうなので、本気で嫌がればやめてくれるのだろうが――正直に言えば、本気で嫌というわけではなかった。まったくなかった。
アオイのような美少女との間接キスと考えても正直ちょっと嬉しいし、勇斗と、と考えても…………割と、その。
意を決して、梓はぱくりと差し出されたケーキを口にする。……あっ、確かにこれもおいしい。
「じゃ、アズサちゃんのももらっていい? って、事後確認になっちゃうけどー」
そうやって梓がアオイのケーキに舌鼓を打っている隙にアオイがひょいと自分の皿からケーキを切り分けて食べ盗っていく。…………えっ。それアリなんですか? それじゃあ、わざわざ『あーん』ってする意味なかったんじゃ……。
そう思うが口には出せない。だって勇斗と間接キスできたので。まあ、間接キスしてると思ったからと言って味がわからなくなるなんてことはなかったが、それはそれ、これはこれである。これが勇斗くんの味……なんて変態的なことは思っていない。ちょっとしか。
「ん、これもおいしい。うーん……ケーキってすごいね。昔は『こんなに小さいのにこんなに高いなんて!』なんて思ってたところもあったんだけど、ここまで凝ってるならむしろお得かも。女の子だとやっぱり胃の容量のこともあるし……スイーツ好きが多いわけだよね」
アズサちゃんは? おいしい? と目で尋ねられたのでこくこくとうなずく。実際、アオイからわけてもらったケーキもほんとうにおいしいものだった。自分のケーキも、アオイのケーキも。……つまり、勇斗のケーキもきっと。
そう思って梓はつい勇斗のほうを見た。彼はじっとアオイの口元を見つめていたが、視線に気付いたのかこちらに振り向く。アオイが言う。
「ユートくんのもアズサちゃんのもおいしかったし――ふたりとも、食べないと損だよ!」
目が合った瞬間にそう言われたものだから、へ、と互いの口から間抜けな声が漏れた。
アオイの言は、つまり、自分たちでアオイとしたようなことをしろということ。
食べさせあいっこしろ、ということ。
「……い、いや、アオイ。それは」
戸惑いながらも、勇斗は断ろうとする。当たり前だ。アオイの場合はそうした意図がないことも明らかだ。気付いてもいないだろう。だから逆に問題ないと言えるかもしれない。
だが、自分たちは違う。『違う味を試したい』という純粋な思いだけ、ではない。『食べさせ合う』ということに何らかの意味を見出してしまう。同性の友人であればまだしも、異性間でするということに意味を見出してしまう側の人間だ。
気にしない人間も居るのかもしれない。アオイのように。だが自分たちは違う。それを互いにわかっている。勇斗も梓もアオイと食べさせ合うことに照れていた。羞恥心を覚えていた。
ならば、自分たちの間でそれをすることはできない。勇斗はそう思っている様子だった。
だが。
「……あ、あーん」
梓は、勇斗に向かってケーキを差し出した。断ろうとした勇斗の口も止まる。ただ、驚愕に満ちた目で梓を見る。
梓の顔は林檎のように真っ赤に染まって震えていた。
「あ、梓さん……?」
梓もわかっていた。これは断れない提案ではない。アオイは無邪気に『こんなにおいしいんだから!』と思っているだけだ。他意はないだろう。
だから、嫌なら断ればいい。確かに梓は内気なきらいがある。押しに弱そうにも感じられる。アオイの提案も面と向かって断り難く感じているのかもしれない。
それなら、やはり自分が代わりに断れば……そう、勇斗は思っているのかもしれない。
だから。
「ゆ、勇斗くん。……あ、あーん!」
もう一度、梓はそう言って。勇斗にケーキを差し出した。
「……こ、後悔、するなよ」
そこまでされて退く勇斗ではないし、いつまでも梓に羞恥を感じさせて放置させる勇斗でもない。
彼は照れ隠しにそんなことを言って、梓と同じく顔を夕焼け色に染めながらもぱくりと梓のケーキを口に含んだ。
もぐもぐと咀嚼しながら、勇斗もケーキを梓に差し出し――それも、ぱくり、と口に含む。
食べている最中だ。ふたり、うつむきながらもくもくとケーキを味わう。他意はない。
「……おお」
気まずい沈黙を破ったのは、そのきっかけとなった少女、アオイ。
月のウサギは感嘆するような息をつき、言った。
「自分でケーキを切り分けて食べさせ合うと思ったら『あーん』し合うとは……衆人環視の中、よくやるね」
「むぐぅ!?」
「っ!?」
ばっと顔を上げて梓と勇斗は周囲を見回す。そう、三人が今居るこの場所はテラス席。アオイがバニーガールの格好をしてこの場所でケーキを食べているのはアルバイトの一環であり――その目的は、ケーキの宣伝。
つまり『見られること』にある。
「…………あ、アオイ、お前」
色々と言いたいことがあるような表情をした勇斗が顔を赤らめたまま眉をぴくぴくと動かした。食べさせ合うことを提案したのはお前だろう、とか、そもそも『あーん』したのはお前が先だろう、とか、自分のことをどれだけ棚上げするんだ、とか。そういったすべてを込めてアオイを見る。
周囲の人々は微笑ましいものを見るような顔をしている。顔を赤らめている者も居る。……完全に、自分たちが何をしたのかを見られていた。
そのことを理解した梓は。
「………………きゅう」
目を回してばたんきゅーとその場に倒れた。
「梓!?」
「あっ、アズサちゃん!? ちょ、これボクのせい――だよねそうだよね【ヒール】!」
意識を失う直前、やけに慌てた様子の勇斗とアオイの声が聞こえた。
ダンジョン外で効果が薄くて魔力消費の激しい【ヒール】をそれでも躊躇せずに使う――そんなアオイは、やっぱり優しい人なのかもしれない。
(……きらいには、なれないなぁ)
最後に梓はそんなことを思った。




