『迷い道』と『ヴァナヘイム』
渋谷ダンジョン、第21層――安全街。
「おっそい」
人が暮らせる『街』と化した安全地帯、そんな場所に建てられたカフェの一席に、ひとりの女性がスマホを片手に座っていた。
艶やかな黒髪に紺碧のインナーカラー。意志の強い印象を与えるつり目がちの大きな瞳に、すらりと整った鼻梁。ほっそりとした身体に不釣り合いなほどに豊かなバストとヒップは天に与えられただけでは説明がつかない努力の賜物。
幼いとまではいかないが、容姿だけならば未熟な印象を抱いてもおかしくないほどに若く――しかしその傲岸不遜とも言えるほどに確固たる自信に裏付けられた表情を見れば彼女を侮ることなどできるはずもない。
美の神を自称し、またそれを大げさだと言われないほどの美貌を持つ女性――そんな彼女が、不機嫌そうな文句とともにスマホから視線を上げた先には、一人の男が立っている。
「遅いと文句を言うならこんなところを待ち合わせ場所にするな」
「仕方ないでしょ。ダンジョンの外で私が男と二人で会うなんてマスコミのネタだし――そもそも、たまたま近くに居たから声をかけたってだけだからね」
「……まあ、俺たちはどうせここで一泊する予定だったからいいんだが」
男は探索者だ。二十三歳である女性よりは一回りは年嵩だろうか。女性の平均よりずっと背の高い彼女をしてなお大きいという印象を持つ大柄な男。目算で二メートルはいかないくらい。鍛え抜かれた筋肉を持つ彼は彼女の対面に座り、店員にカフェオレとケーキを頼んだ。それを見た女がげんなりとした顔をする。
「アンタがその風貌で甘党って言うの、何度見ても詐欺だと思うわ。プロテインとか飲んでなさいよ」
「生憎、プロテインなんてだいたい甘い」
すぐに届いたカフェオレにさらに砂糖とミルクを追加しながら答える男に、女は目を伏せて首を振った。
「それで、三上。お前の要件は――」
瞬間、男の前髪の先端に紫電が走った。眉を下げて女を見ると、彼女は殺意を秘めた微笑を浮かべてこちらに指を向けていた。
「今『三上』って言った?」
「……『美神』、声なら同じだろう」
「わかるのよ、私には。そのニュアンスの違いくらい、ね」
そう言いながら、女は「ルーム」とつぶやいて指を振った。外の風景が固まる。位相がズレる。光も音も、これで外には伝わらない。
「そこまでするか?」
「ええ。……アオイちゃんのことは、できるだけ誰にも知られたくないもの」
ふ、と女の表情がゆるむ。彼女はフレイヤ。美神愛梨。クラン『ヴァナヘイム』のマスターだ。
「アオイ、か。……正直、あの子の配信リンクを釣り扱いしたのは悪質だと思うぞ」
「誰にも知られたくないもの。……知ってるヤツも訂正しなかったのは、そういうことでしょ?」
もちろんアンタも、とフレイヤがフォークの先端を男に向ける。行儀が悪い。
だが、彼女の言葉を否定することもできなかった。……アオイはその容姿だけであっても魅力的『過ぎる』少女だ。彼女の配信はコメントとの距離が非常に近い。
過疎配信者にはありがちだが――だからこそ、彼女を『有名』にしたくないと思う気持ちは理解できる。
ほんの少しのきっかけがあれば有名にならないはずがないとわかるからこそ、まだ限られた者たちだけが知る彼女で居てほしい。
そんな歪んだ欲望だ。
しかし、フレイヤと男が『有名にしたくない』と考える理由はそれだけではない。
「とびきりのかわいさもそうだけど――あの位階で、オーガを倒す? とんでもないルーキーよね。育てればいったいどうなるか。攻略組ほど彼女の価値には気付くでしょう」
「お前にもわかるのか?」
「私を誰だと思ってるの? ――って言いたいところだけど、正直、技術なんかはからっきしね。武術には疎いの、私。ただ……アンタが評価してる時点でそれくらいってことはわかるわ。『迷い道』のマスターさん」
「だろうな」
男がカフェオレに口を付け、まだ足りないのかさらに砂糖を追加する。
そしてジャリジャリと音を鳴らしながら、またそれを口に含んで流し込む。
クラン『迷い道』。美女美少女だけを集める『ヴァナヘイム』とは違い――『迷い道』は武道家によって構成されたクランだ。
所属メンバーは皆なんらかの武術を修めており、その活動目的は『最強』。
ダンジョンにおいて自分を高め、最強となることこそが目的であり、ダンジョン発生以後の新たな武の道を極めようとする者たちが集まっている。
ダンジョンの道――迷宮の道、すなわち『迷い道』。
そのクランマスターである男は匿名掲示板上では『名無しの武人さん』を名乗っているが、名無しでもなんでもなく実質コテハンなのでフレイヤからは「何そのちょっと自分出しました感。ダサっ」とばっさり斬り伏せられている。
「ちなみに、私は――『ヴァナヘイム』はあの子を獲得したいと思ってるわ。さすがに今はまだ様子見だけど、ね」
「牽制のつもりか? 政治くらい終わらせてから来い。……少なくとも、現段階では『迷い道』は彼女の獲得は考えていない」
「あら? 意外ね。アンタたちこそあの子のことは欲しいでしょうに……強くなるためなら他流派の技も貪欲に取り込み進化する。『武術に完成はない』じゃなかった?」
「同じクランでなくとも盗むことはできるからな。……それに、彼女を受け入れるだけの余裕もない」
「ウチと同じくらい探索者少ないもんね、アンタのとこは。ウチは探索者以外のスタッフも充実してるけど」
「それはお前がおかしいだけだ」
「使えるものは使わなくちゃ」
お金で解決できることなら解決すればいいのよ、と難なくのたまう。……民間トップ探索者の終里を擁する『夜明けの地平線』に数倍の差をつけて稼いでいるクランの長は言うことが違う。
フレイヤひとりで過半を稼いでいるだろうが――それにしたって、他のメンバーも稼ぎに関しては飛び抜けている。
決して金策を偏重しているわけではないにも関わらずコレなのだから世を儚みたくもなるというものだ。
「私がスカウトするまで、誰も声をかけないでいてくれるかしら……」
「知らん。が、あの子はそもそも『パーティーを組んだら合わせなければいけない』のが嫌だって言ってるわけだからな。それを良しとするような場所は……少ないだろう」
「ウチもそこがネックなのよねー。騙すことだけならできそうだけど、そんなことして嫌われちゃったら本末転倒だし」
「他の奴らに騙されないかが心配か」
「まあね。……もっとも、あの子は『対人』であれば私でも条件によっては難しそうだけど」
アンタは? とフレイヤが視線で尋ねる。『迷い道』の男は肩をすくめて、
「俺も条件によるだろうな。オーガ戦の終盤の動きを見た限り――単なる膂力の差では如何ともし難いところがある」
「それ私見てないのよね。録ってないの?」
「ない」
「使えない」
そう言ってフレイヤは席を立った。手を軽く振ると周囲の景色が見えるようになり、音も聞こえてくるようになる。
「じゃ、テキトーに工作よろしく」
「融資に期待しておこう」
「ええ。応えてあげる」
フレイヤは会計を済ませ――次の瞬間、姿が消える。
「……ふむ。うまいな」
それを気にすることもなく、男はケーキを口に運ぶ。
メンバーにお土産として買って帰ってもいいかもしれない。
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