しょうもなおじさん、ダンジョンに行く③
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森である。
周囲には苔むした古木が並び、地面を覆う腐葉土がぐにゃりと柔らかな感触を伝えてくる。
森の奥へ足を踏み入れた歳三は、正直肩すかしを食らったような気分だった。
鬱蒼と生い茂る樹海──待ち受けるのは苦戦・死戦を免れない強敵共かと思っていたのだが。
「望月君たちが頑張ってるんだろうな」
歳三は低く呟き、森の奥を一瞥した。
甲級探索者や企業の特殊部隊が一斉に攻勢をかけているはずだと聞いている。
だからこそ、こうして歳三が単独で進むルートには敵影がまったく見当たらないのだろう。
幾度となくダンジョンへ潜ってきた経験から考えても、この静寂ぶりは異常とも言えた。
「こんなに楽なら、それに越したことはねえけどな」
ぽそりと呟いて歩を進める。
樹海特有のよどんだ空気がじわじわと肌へまとわりついてくる。
生来ニブチン気質にできている歳三といえども、どうにも不快感をぬぐえない。
なんというか、ここの空気は瘴気めいているのだ。
息を吸い込むたびに肺が腐り落ちそうで、歳三は鼻孔にチリ紙を詰め込みたい衝動を覚えた。
やれやれとばかりに軽く頭を振り、先を急ぐ。
苔の生えた根や倒木をまたいで進むうちに、歳三はある可能性に思い至った。
──もしかしたらこのまま、一番奥へ行けちまうんじゃねえのか?
歳三にとってダンジョンといえばどこかで強敵が飛び出してきて当然だが、今回はそんな気配が薄い。
実際、望月や権太らが陽動を仕掛けているなら、敵の大半はそちらへ流れるだろう。
間の悪さにかけては人後に落ちない歳三ではあるが、しかし今回だけは拍子抜けの道中になるかもしれないという微かな期待が芽生えた。
──もしそうなりゃありがたいが……ま、世の中そんなに甘くはねえか
半ば諦観じみた思いが頭をかすめる。
多少人間的に成長はしても、根本的なネガティブさはぬぐえない
それが予兆だったかのように、歳三は突如「むっ」と声を漏らして足を止めた。
音もなく飛来した何かを見定めるなり、瞬時に右拳を跳ね上げる。
瞬間、拳にかすかな衝撃が伝わって、見覚えのあるナイフが地面に落ちた。
柄に黒い革が巻かれた短い刃物が、腐葉土に突き刺さっている。
歳三はそのナイフを知っていた。
なぜなら自身も持っているから。
険しい顔でナイフを見下ろす。
すわ裏切りかという可能性が一瞬頭をよぎった。
モンスターならばナイフ投げなどという甘な真似はしてこないだろう。
もっとプリミティブでラディカルでデンジャーな飛び道具を使ってくるはずだ。
が──
「洗脳されてる人らもいるらしいな……」
ことダンジョン内に於いて、敵対してくるならば人殺しすらも辞さない歳三ではある。
しかし世話になった会社の社員が相手となると──
──ちと、やりづれぇ
じろりと森の奥を覗くがしかし誰もいないように見える。
──かくれんぼかよ
歳三は眉間に皺を寄せると、ゆっくり森の影を見回す。
生来、空気だの気配だのといった気の類は読めない男であるので、視認できない敵というのは厄介は厄介であった。
──いいぜ、こいよ。俺は逃げも隠れもしねぇぞ
そんな内心の思いが相手方に通じたかは定かではないが、ぼそりと漏らした矢先、木陰から男が一人、二人とにじり出た。
その後ろにも、さらに三人、四人と続く。
いずれも黒い軽量スーツを纏い、胸元には桜のワンポイントマークが入っている。
このボディアーマーにも歳三は見覚えがある。
なぜなら歳三も以前着ていたから。
不審な男たちはSKK-AB1902“影桜”──桜花征機特殊部隊“桜花機動殲隊”の面々である。
歳三は個人として面識はないが、その装備からおおよその素性はつかめていた。
──なるほどね。洗脳されちまった連中ってことか
森に巣食う何かが精神に寄生し、元探索者や特殊部隊員を“刺客”として再利用している。
「あんたらも本来なら味方だったんだろうになあ」
嘆くともつかぬ声を漏らすが、相手はもちろん答えない。
桜花機動殲隊はいずれも丙級の最上位ほどの実力を持つとされる者たちだが、今は見る影もない。
目は白く濁り、肌も青白く、まるで生ける屍の様だ。
歳三は相対する者らが相応に強者であることを認めた。
──てっこやてっぺーならここでリタイアだな
「悪いがな、俺には先を急ぐ用事があるんでな」
そう言い放ちながら、歳三は腰を落とし、拳を握り込む。
歳三にも飛び道具はある。
確かにナイフ投げもやらなくはないが(新宿歌舞伎町Mダンジョン⑤参照)、今の歳三ならもう少し派手な飛び道具が使える。
ギチィッ!
そんな風に筋肉が軋む音が聞こえるほど拳を固く握りしめると、背中の筋肉がぼこりと盛り上がった。
スピードのあるパンチを打つためには背中の筋肉こそが重要なのだ。
そして、圧縮された力が外へ解放されようとしている。
「う──……しゃあっ!」
歳三は前方の宙空めがけて拳をぶち込む。
狙いは空間。
見た目にはただ空を殴っただけのように見えるが、その拳先は超音速──マッハ10か、あるいは20か。
非常識な加速で空気を押し潰す。
同時に歳三の拳は轟と燃え、一瞬のちに閃光じみた白い何かを発した。
極端な速度で大気を圧縮すれば、一瞬にして高温の衝撃波を伴うプラズマが生じるのだ。
例えば隕石が大気圏へ突入する際、摩擦熱で燃え盛る光景を想像すれば分かりやすい。
それを人の拳でやってのける探索者は歳三以外には存在しない。
空間が爆ぜるような轟音が森に響き、閃光が森を呑み込んだ。
瞬間的に生まれた火炎流が木々の根元や落ち葉を燃やし、人など原型も残さない高熱の熱波が刺客共を呑み込んでいく。
こんなものはもはや格闘技でもなんでもないし、人が繰り出して良い技でもなかった。
歳三はもう、歳三という名のモンスターになり果てたといっても過言ではない。
殲滅の上顎と破壊の下顎はむしゃむしゃと桜花機動殲隊を食い散らかし、残るのはよくわからない焦げた何かだ。
プラズマ火炎流ともいうべきわけのわからない熱波はすぐに消沈し、森の大火災にまでは至らない。
ダンジョンに生えている木なのだからまあまともではないのだろう。
とはいえ歳三の前方は広く焼け落ち、この技とも言えない技の威力を物語っている。
歳三はほんの少しだけ視線を落とし、肺の奥に溜まった瘴気を吐き出した。
「成仏してくれよ」
そういって手を合わせ、ずんずんと更に森の奥へと進んでいく歳三。
謝罪はしなかった。
彼らにせよ、ここへ来た以上は形はどうあれ戦いの内で果てる事は覚悟していただろうから。




