しょうもなおじさん、ダンジョンに行く①
◆
部屋の襖が静かに閉まったのを見届けて、望月は軽く息を吐いた。
そして、まるで失敗を詫びるかのように頭を下げる。
「まずは済まなかった、佐古君」
歳三はそれを聞きながら、つい先ほどまで湧き上がっていた感情の奔流をなんとか飲み込もうと必死だった。
歳三の情緒は思い出に押し流されて機能不全だ。
──何に対して謝っているんだろう
そう思っていると、望月は続けて語り始める。
「突然いなくなってしまってごめんよ、佐古君」
歳三はここでようやくああと気づく。
「家庭の、事情ならべつに」とぼそりと返す。
不機嫌そうにも聞こえるが、単に歳三のコミュニケーション能力が終わっているだけだ。
権太は口を挟む事もなく、じっと二人のやりとりを見守っている。
「いや、仕方ないって事はなかったさ。当時の僕は『力』に目覚めて、気付いた時にはもう先が見えてしまっていたんだ。この国の行く末とか、ダンジョンが世界をどう変えていくかとか、そういう巨大な流れが頭の中にごうごうと流れ込んできていた」
望月は静かに言う。
まるでアニメかなにかの主人公みたいだなと思う歳三だが、『いや、望月君なら』という想いもある。
「僕の両親は当時、国の研究機関に勤めていてね。初めは自分が何を見ているのかさっぱりわからなかったけれど、親に話したら……まあ、大騒ぎになったよ。政府に連絡が行って、僕は研究所に送られた。能力を開発するっていう事でね。学校は辞めるしかなかったんだ。本当は佐古君にちゃんと話しておきたかったんだけどね……間に合わなかった」
歳三の感想はといえば、まあいろいろとあったんだなという小学生並みのそれであった。
至ってシンプルな思考回路にできているので、理由は分かったし再会もできたし、後のことはまあなんだっていいやという心地なのだ。
「それから時が経って、僕は探索者協会の会長になった。……ちょっと端折りすぎちゃったかな? 僕のこれまでの人生を全部話すには少し時間が足りない。ただ、一つだけ言えるのは……佐古君、僕らと一緒に戦ってほしいという事なんだ」
「それは──富士樹海へ、って話なのかな」
歳三がどこか幼い口調で尋ねる。
そういう話なら話は早いのだ。
元よりそこへ行くつもりだったから。
飯島比呂の両親はそこへ行って帰ってこなかったという。
自分もそこへ行って、あいつがいつか挑む時に備えてやりたいんだ……そんな事を脳内で反芻する。
その辺の事情を話すと望月は「佐古君らしいね、良いと思うよ」と薄く笑った。
「そうかな」
歳三が返事に困って適当な相槌を打つ。
ただ、と望月は言う。
「その飯島君が富士樹海に挑戦することは出来ないかもしれない」
望月の言葉にいぶかしげな表情を浮かべる歳三。
「僕は──いや、僕らは今回の作戦で富士樹海を完全に潰すことを考えている。アレはもうダンジョンとは言えない。歪んでしまったんだ」
「歪んだ……っていうのは」
「ダンジョンの本来の役割は僕らが生物としての階梯を昇ることだ。それはもちろんわかっているよね? ……うん、分かっていなくても大丈夫だ。まあそういうことなんだよ。そしてダンジョンは発生した場所の思念というか、“想い”に強く影響される。富士樹海ダンジョンは発生した場所が悪かったね──」
青木ヶ原樹海といえば誰もが知る自殺の名所である。
実際に多くの人々がそこで命を断っているのだ。
ダンジョン時代以前は毎年100体ほどの死体が見つかっていたが、だんだんとその数を増やしてきて、現在では1万とも2万とも言われている。
言われている、というのはあくまで推定である。
実際樹海へ足を踏み入れるわけにはいかないのだから。
現在の富士樹海はアメリカはメイン州のケリーという街で起きた惨劇(廃病院エンカウンターズ⑥参照)と同様の様相を見せてきている。
結局当時のアメリカ合衆国の最高の探索者たちが元凶をうち果たすことでダンジョンを崩壊させることができたが、それと同じようなことを望月はやらねばならないと言っているのだ。
望月がそこまで言うと、権太が苦い顔をして首を振る。
「会長は自衛隊や企業の特殊部隊などにも声をかけてます。もちろん甲級探索者たちも動かします。が、それはすべて囮。本命は佐古さん、あなたなんですよ」
歳三は理解が追いつかず、ぽかんとした顔になる。
望月はそれを見て、かすかに笑ってから言葉を続ける。
「まるで君を生贄に出すようで凄く嫌だ。でも、ほかの誰に頼んだとしても、その末路は昏かった。君だけなんだ、佐古君──アレを何とかできるかもしれない探索者は」
そう言いながら、望月はゆっくりと歳三に頭を下げた。
少年時代に、歳三の弱々しい手を引いてくれた望月が、今こうして頭を下げる。
勘弁してくれよ、と歳三は思った。
そんな風に頭を下げなきゃ俺が引き受けないと思っているのかと少し悲しくなった。
ああでも、と歳三はふと昔のことを思い出す。
──望月君は、親しき仲にも礼儀ありみたいな事を言ってたなぁ
仲が良いからって何を言ってもいいわけじゃないし頼んでもいいわけはないのだ──歳三はまあそういうことなら、と納得する。
「やるよ、いつ行けばいいのかな。あと何をすればいい?」
実にカジュアルな返事である。
しかし、富士樹海が自身の想定を超えて“ヤバい”ということも理解できている。
「ありがとう……。やるべきことは一つ。樹海最奥部に潜む“何か”を倒すこと」
「何かってのは……」
「分からない。ただ、何かがいる事は確かだ。高野グループ総帥、寂空大僧正の霊視で確認をしたことだからそれは間違いない。まあ……寂空大僧正はその反動で臥せってしまわれたけれど……」
「そのじゃっくうって人は凄い人なの?」
やはりどこか幼げな歳三に、望月はふと笑みを口の端に浮かべた。
何十年も前、二人がまだ子供だった頃はこうして歳三はいわゆる“なぜなにキッズ”だったのだ。
望月少年もまた嫌がるそぶりも見せず、歳三に色々と教えたものである。
望月はその時のことを思い出して、『佐古君は変わらないな』と少しうれしい気持ちになった。
「そうだね、すごいよ。150年を生きる本邦最高の霊能者だ。ローマ法王なんかと比べても遜色ないんじゃないかな。総理大臣だって頭が上がらない人だよ」
そりゃあすごいやと歳三は無邪気な笑みを見せた。
この歳三という男はとかく権威だとかそういうものを盲目的にありがたがる節がある。
富士樹海に向かうのは3日後ということになった。
その前に望月らが先行して手勢と一緒になり“森を荒らす”。
すると必然的に森の注意が望月たちに向くから、その間に少しでも歳三は最奥部を目指してほしいと望月に言われる
「僕らは騒ぎを大きくして、樹海にとって厄介な存在だと思われるようにする。実際に甲級探索者や企業部隊の一部も動かして、派手に花火を上げるからね。そうすれば注意は否が応でも僕たちに向くはずだ」
「儂も久々に現場働きをすることになりそうです」
権太が腹を叩きながら言う。
「おお、そりゃあ……大丈夫なんですかい?」
歳三が問うと、権太は「さてねぇ」とおぼつかない返事を返した。
「まあ甲級ダンジョンのモンスターとやりあうって事なら私みたいなロートルじゃ無理でしょうがね、そういうのはほら、同じ甲級の人らに任せて。儂は対人戦が専門ですからな」
権太の話では、森に洗脳された元探索者たちとの交戦が予想されるため、そちらに対応するという。
対モンスター、対人、戦闘は戦闘でも求められる技術は微妙に異なる。
「金城さんはマンハンターだからね」
マンハンターとは他国からの諜報員や破壊工作員といった“外敵”を専門に対処する者たちだ。
探索者を擁する組織は何も「協会」だけではなく、それぞれの組織がそれぞれの機密なりを抱えている。
権太はそういった機密を守る部署の職員である。
買取センターの粘着おじさんは仮の姿というわけだ。
「作戦会議──みたいなことはしないつもりなんだ」
望月はそんなことを言う。
「相手は精神に干渉し、寄生をする。高野グループの協力で少なくとも協会内や作戦行動にかかわるメンバーの“洗浄”は済んだけれど、作戦が始まってからみんな無事でいられるとは限らない。誰かが敵の干渉を受けて寄生なりをされてしまった場合、作戦の詳細を知ってしまっていると非常にまずい」
だから大雑把な行動指針のみで動くという。
そうして話は進み──まあ歳三が何度も何度も聞き返すシーンはあったものの──、その日は夜も遅いし解散をしようということになった。
◆
食事を終えたあと、店を出たのはすでに夜も深まった頃だった。
権太と望月はそれぞれ車での送迎があるらしいが、歳三は電車で帰ることになった。
「佐古君、本当に大丈夫? 送っていこうか?」
望月が心配そうに言うが、歳三は首を横に振った。
「いや、今日は電車の気分だから……。それで三日後は迎えがきてくれるって話だけど、本当にいいの?」
歳三の口調はいまだキッズめいている。
この男の中では望月はいまなお「望月君」のままだった。
「もちろん。色々と物資を渡したいというのもあるし、電車だとなんだかんだで乗り換えが面倒だったりするだろうからね」
「物資かぁ……ああ、森の中に行くんだもんなぁ。食料とかも必要か……あとタバコも……」
「僕は佐古君がタバコを吸うようになったっていうのがちょっと驚きだよ」
「いや、はは……」
歳三はバツが悪くなり、笑ってごまかす。
そうして解散し、帰路。
とぼとぼと夜道を歩いていると──
そういえば、と歳三は一瞬思案した。
タバコを吸い始めたのはいつの頃だっただろうか。
──確か20になってすぐだったかな
しかしなぜ吸い始めたのか。
映画の影響?
それとも周囲に喫煙者が多かったから?
──ああ、そうだ
少しでも早く大人になりたかったからだ。
“大人”ってものになれば、人生もきっと変わるだろうと思ったからだ。
周囲の人たちの自分を見る目がかわり、時に頼られ、時に頼り、そういう人間関係を築き上げていくうちに誰かから必要とされることもあるだろうと、そう思ったからだ。
今でこそ、タバコを吸ったからってそんな風にみられるわけがないということくらいは歳三にも分かっている。
しかし貧すれば鈍する──当時の歳三は短絡的な思考しかできなかった。
無論、いまでも短絡的なのだが昔よりはマシである。
──俺は今、必要とされているのか
そう思うと歳三は妙に体に、いや、心に力が入る。
歳三は何もこれまで一度も人から必要とされてこなかったわけではない。
むしろ非常に多くの者たちが歳三を必要としてきた。
しかしそれを自覚できないでいた──そのあまりのコミュ障めいた気質のせいで。
が、ここへきて歳三はようやく自分へ寄せられる人の想いをというものを分かってきた。
同時に──
「あ、比呂……」
飯島 比呂が自身へ向けてきた燃え盛るような熱情がどういうものかも理解した。
もしかしたら彼女ができるかもしれない──そんな想いで妙に色々なモノが漲る。
「いや、でもまてよ。勘違いかもしれねぇ……昔あっただろ、罰ゲームみたいなの」
中学生の頃の事ではあるが、“あの事件”はいまでも歳三の黒歴史として精神を蝕んでいるのだ。
おそらくは命懸けになるであろう戦いを前に、いまいちシャンとしない歳三であった。




