命
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二人はしばらく無言で回廊を進んでいた。
歳三は自分から話を振れるほど小器用にはできておらず、蒼島は蒼島で歳三に対して無駄な畏怖と憧憬を抱いているせいで会話の糸口が見つからない。
天井には等間隔に古臭い電灯が設置されているが、逆にそのせいでただでさえ重苦しい雰囲気が割り増しされている気がする。
やがて沈黙に耐えきれなくなったかのように蒼島が口を開いた。
「やはりこのダンジョンのモンスターだったんでしょうか」
歳三は少し考えて答えた。
「俺にはよくわかりませんが、まあ人間じゃあなかったンでしょうね」
歳三の口調は淡々としている。
「彼女は強かったですか」
蒼島が尋ねると、歳三は少し考え込んだ。
強いか弱いかで言えばパンチ一発で事が済んだ以上、これはもう後者である。ただそれをそのまま言うのも憚られる気分であった。
なぜかは歳三自身にもわからない。
「超能力がね、少し厄介だった気がする」
歳三は少し曖昧に答えた。
嘘はついていない。
実際に手間を取らされたことは事実だ。
蒼島は内心で首を振った。
気を遣ってくれているのだと、忸怩たる思いだった。
パッと見るだけでも歳三は無傷だ。あれだけのPSI能力の行使者を相手にそれは奇跡的なことのように蒼島には思える。そもそも乙級探索者が乙級相当のモンスターを相手に無傷で戦闘を終えるということは考えづらい。
──つまりそれは佐古さんがすでにこのランクにいないことを意味する。僕らは奇妙な力の制限を受けているはずなのに、同格の相手を全く苦にしていないみたいだ
そこまで考えた時、ふと思った。本当にこの人はこのダンジョンの影響を受けているのかと。
「佐古さん、一つ聞いてもいいですか? どこか体が重かったり気持ちが暗くなったりしていませんか? おそらくこのダンジョンの特性のようなものなのでしょう、僕らも監獄の他の囚人たちも、普段よりずっと力が出しづらい状態になっている様です」
「ああ、それは最初はそんな感じだったンですがね、段々慣れてきたというか。もう今じゃすっかり元気ですよ。みんなそうだったんですねぇ。そりゃまた……ああ、ええと、蒼島さんはどこかまだ調子が悪かったりするンですかい?」
やはり、と蒼島は思う。
「もしかしたら佐古さんはこのダンジョンの脱出条件を満たしているのかもしれません」
「俺は別に何かしたわけじゃないと思うんだけどなあ」
「俺なんかやっちゃいました?」というようなことを無自覚に言う歳三だが、すでに格付けは済んでいる以上、蒼島は特に気を悪くしたりはしない。
しかし、もしも歳三がこのダンジョンの脱出条件を満たしたとすると、自分はどうなのだという思いがある。
「もしかしたらここから脱出できるのは佐古さんだけで、僕は脱出できないかもしれません」
そんな弱気めいた事を蒼島が言うと、歳三はにやりと笑っていった。
「今からそんなことを言ってどうするンですかい? まあここまで一緒に探索した仲だ、もしも蒼島さんがその条件? ってのを満たせなくてここから出られないんだったら、少しくらいは手伝わせてもらいまさぁね。まずは早いところ装備を取りに行きましょうや。煙草がなくっちゃどうにも口が寂しくて……」
歳三の言葉に蒼島は苦笑しながら礼を言い、「煙草は体に悪いですよ」などと軽口を叩く。
歳三も「少しずつ本数を減らしていきますよ」と思ってもないことを言って、そんな会話をしているうちに少なくともこの回廊の重苦しさに負けない程度には雰囲気が良くなった。
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回廊の奥からかすかな鳴き声が響いてきた。
歳三は足を止め、耳を澄ませる。それは鼠の鳴き声に似ていたが、このダンジョンで出会うのはただの鼠ではないだろう。
蒼島は既に臨戦態勢だ。
蒼島は目を閉じ、自分の精神力を薄く広げるように意識を集中させた。
ややあって回廊の暗がりから現れたのは、子犬ほどの大きさで、頭部が複数ある異形の鼠たちだった。
汚れた灰色の鼠だ。
目は異様に大きく、血のように赤い。
頭が二つ、三つと重なり合い、それぞれの口から鋭い牙が覗いている個体もいる。
どれも尻尾はまるで蛇のように長く、地面を這うたびに不気味な音を立てていた。
鼠たちは歳三たちに向かって駆け寄ってくるが、急に立ち止まり、壁に向かって何度も頭をぶつけ始めた。
衝撃で血飛沫が飛び散り、壁に染み込んでいく
頭蓋骨が砕け、脳漿が露出し、異様な臭いが漂う。
そして何度も何度も頭を壁にぶつけるうちに、鼠たちの目は次第に濁り、ついには動かなくなった。まるで見えない何かに突き動かされるかのように、次々と息絶えていく姿は異様の一言であった。
「蒼島さんがやったんですかい?」
歳三が尋ねると、蒼島は得意そうに頷いた。
「ええ、高野山のお坊さんから少しだけコツを教わったことがあってね。うまくいったみたいです」
蒼島は鼠たちを重い鬱状態に陥れたのだ。
鼠たちは急にこれ以上生きていたくないと思い、そして自殺した。
これは前時代に "呪い" と呼ばれていた類のもので、高野山の坊主たちがこの手のPSI能力を得意としている事で知られている。
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それからも襲撃は度々あった。
といっても本格的なものではなく散発的なものだ。
昔の監獄には珍しくはなかったであろう巨大ネズミや巨大ゴキブリといった不快・モンスターが群れをなして襲ってくるが、当然ながらそういった襲撃が二人を傷つけることはなかった。
ただこれらのモンスターが特別脆弱だというわけではない。
ネズミだって鉄板を軽く食いちぎるような怪物だし、虫の類も瞬きの間に十数メートルという距離を詰めてきて食いついてきたりする。
とはいえ歳三が今更こういったモンスターに後れを取るわけもなく、蒼島は単に相性が良い。
蒼島が得意とするPSI能力は複雑な精神構造を持つ──例えば人間あたりになると、そこまで劇的に作用することはない。単純な精神構造を持つ獣や虫といった相手には滅法効くのだが。
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ダンジョンの意志が歳三の解放を認めたからと言ってその場ですぐ脱出させてくれるわけではない。
ダンジョンはあくまでも命と魂の錬磨の場である。
脱出を望むのなら自分の力でそれを成し遂げなければならないのだ。
ただダンジョンの意志がそれを認めなければ非常に不利な状態でモンスターと戦わなければならない。
例えばそう、今の蒼島のように。
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蒼島は突然その場に膝をついた。
「お、おい。蒼島さん。大丈夫ですかい?」
歳三の問いに答える余裕はない。
息は荒く汗が滂沱と流れる。しかしそれでいながらも体はまるで氷のように冷え切っていた。
そしてそれ以上に心の熱が冷え切り、ただの一歩も足を動かせないような状態になっていた。
生きる活力が失われているのだ。
蒼島が「置いて行ってください」と柔な事を言おうとした時、弱った蒼島にとどめを刺そうとネズミが一匹、素早い動きで蒼島に走り寄る。速度にして時速300キロ超。素早いなどという言葉では済まされないほどに速いのだが。
しかしそんなネズミを歳三は蒼島の目の前で踏み潰して殺した。
子犬ほどに大きいネズミをこのように殺せば当然血とはらわたが周囲に飛び散るのは必然である。
蒼島の顔にもべちゃりと血の塊が張り付く。
しかし蒼島は頬に生暖かい命の残滓を感じながら、脳の奥にひらめくものがあった。
強さというものが何なのか何となくわかった気がしたのだ。
他者の命を奪うことを当然の権利のように考える傲慢さこそが強さなのだ──と、蒼島はそう理解した。
親指の腹で頬の血を拭い取り、それをじっと見つめて、舌で舐めとる。
妙に赤いぬらっとしたものが "命" をこそぎとっていく。
これが命の味か、などと蒼島が思っていると、冷え切っていた体と心に火が灯った様な感を覚えた。
──あの人のようになるためには、これだ
殺せ、殺せ、と声が聞こえる。
命を奪うのだ、そしてそれを自らのものとする。
蒼島は強く強く意識した。
まあこの蒼島の悟りは決してとっぱずれたものではない。
元来ダンジョンとはそういう場であり、死闘と死線──試練を乗り越えることによって探索者は磨かれていく。
ただ、それを知識として知っているのと明確に意識するのとでは大きな違いが出る。
強くなるためのアプローチは人それぞれ異なるが、大成するためには自分なりの "正解" を導き出す必要がある。
蒼島も自分の正解を見出す事が出来たのだ。
そしてその瞬間、蒼島の中で何かが変わった。




