二話
私が働く!? 考えたこともなかったわ。
「店長、あなたこんなに冗談がお上手だったかしら?」
「冗談を言っているつもりはないのですが……」
あら、本当に私が働く話をしているのね。
「ですけど店長。私そんなこと生まれてから一度もしたことがないわ。働くって、そもそもどういうことをしたらいいのかしら?」
「ええと……改めて聞かれると、一言ではなかなか言い表せないですね。まあ、『人の役に立つ』っていうのが第一じゃないでしょうか? そしてその対価として金銭をもらう。それが働くということです。貴女の旦那様もそうしておられるでしょう?」
「そうなの……夫とはそんな話しないから分からないわ。だけど金銭はもらう必要ないわね。だって私はお金に困ることなんてないもの」
「いえいえ夫人、あなたがどれだけ裕福でも、お金をもらうことに意味があるのですよ。自分がやったことにはっきりと価値がつくことは、やりがいにつながりますからね」
「……なんとなく、分かったような気がするわ。ありがとう、あとはパンケーキを食べながらゆっくりと考えます」
「左様ですか、お役に立てたようでなによりです」
店長はカウンターに戻っていった。
けれど、どうしようかしら? 働くって言っても、いろいろあるわよね。店長みたいにこうしてカフェをやってみたり、外の大工のようにからだを動かしたり……私にはできそうにないけど。
そもそも働きたいときにどこに行けばいいかもわからないわ。ああ、考えたところでどうにもならないのじゃないかしら?
早くも途方に暮れそうになったとき、耳に店内を流れる音楽が入ってきた。この店の雰囲気に合わせた、落ち着きめだけど、ちょっとポップな曲調。普段家では絶対聴かないだろうけれど、たまにはこういうのもいいかもしれない。
「……あれ?」
ぼうっと聴いていると、音楽の中に、奇妙なリズムが現れ始めた。あからさまに音楽の調和を無視する音の並びがある。
そして、その音たちがなんなのかはすぐに分かった。
「モールス信号?」
私は、前に暇つぶしがてらモールス信号を勉強したことがあったから、聞けばすぐにそれがモールス信号ってことが分かったし、解読にもそれほど時間は使わなかった。
「ええと……『おめでとうございます、これが解読できた方は就職採用一次試験突破です。二次試験受験希望の方は当ビル地下一階にいらしてください』……これって?」
なんのことやらさっぱりだけど、私はどこかの採用試験の一次をパスしたらしい。何のことか店長に聞こうと思ったけれど、彼は忙しそうだったから、やめておいた。
でも、採用試験ってことは、仕事に就けるってことよね? じゃあ、私ってもしかしたら働けるかもしれないんじゃない?
パンケーキが無くなる頃にはすっかりウキウキしてしまっていた私は店を出ると足早にモールス信号で言っていた地下一階に向かった。
地下は、一階とは比べようもなく暗い。ちょっと不気味ね。階段を下りてまっすぐ行った後、右に曲がったところにドアがあった。
「本当にここで合ってるのかしら?」
古い金属の扉がやけに怪しくて、入るのに躊躇した。だけどフランシス、もうここまで来ちゃったんじゃない! 行くしかないわ!
私は勇気を出して扉を開けた。
「あの……ごめんください?」
返事はない。誰もいないのかしら? でも、ここまで来たのに結局なにもないなんて嫌だったから、私は恐る恐る中に入った。
中は、お世辞にも綺麗とは言えなかった。掃除係がクビになってしまいそうなくらいね。間取りも我が家よりも狭いし、なんならこの空間がすっぽりうちのダイニングに収まってしまいそう。
奥まで行ったところで、なにか柔らかいものを踏んづける感触がした。
「うぎゃ!」
「ええ!」
踏んだのと一緒に声がしたから、足元を見ると、男の人が一人横たわっていた。
「ああ! ごめんあそばせ、下を見ていなかったわ」
「イテテ……ああ、お客さん?」
「というよりは……上の階から来たのだけれど」
「ああ、じゃあモールス信号が聞こえたんだ! いやあ意外だな。君みたいなご婦人が来るだなんて」
男の人はむくっと起き上がった。青色のシャツを少しだらしなく着崩したその男は、金髪を肩辺りまで伸ばしている。私よりもちょっと年上かな? 顔が優しそうだから、私は少し安心した。
「じゃあ、こっちに来て」
彼に案内されて、奥にあった椅子に腰かけた。目の前の机には、山のような書類とペンと、それから写真が散らばっていたから、思わず整理したくなってしまう。
「でも本当に意外だなぁ」
「何が?」
「君のような上品な女性が、こんな所を志望するだなんて」
「働いてみようかと思って」
「それでここに? もしや君、相当な変わり者じゃないのかな、アハハ」
彼が勝手に大笑いするから、ちょっとムッとしてしまった。
「私にここの仕事は向いてないと?」
「そうとは言わないけどな。ただ……」
「ただ?」
彼は机に身を乗り出しながら私の目を覗き込んだ。
「君、銃を撃ったことはあるのかい?」