家の崩壊と、それからのこと。
マリウスの大爆発の魔法によって、掘っ立て小屋のような家が粉々になって崩壊した。
私の手料理を乗せたテーブルだけが無事に残ったことはワイアットがどうにか誤魔化してくれて、私達は壊滅した家から少し離れたところにシートを広げて食事を再開した。
長年住んでいた家が崩壊したというのに、そこまで動揺していないマリウス達は流石だと思う。
私の特製、超激辛エビチリはもう誰も手をつけてくれなかったけれど、他のエビ料理、イカ料理、肉料理はちゃんと完食してくれた。
野菜ばかりしか食べないはずのオスカーも、文句も言わずに少しずつ摘まんでくれていた。
それとは別にオスカー用に作った野菜オンリーの野菜炒めは勿論、オスカーが全部食べた。
「まだ若いのに、これだけ美味しいものを作れるなんてアグノラは凄いね」
ワイアットはほんわりと優しい笑みを浮かべて私を褒めてくれる。ワイアットはほんと良い人だ。
ワイアットがいるだけで空気が優しくなる。
私はうふふと笑って、取り置いていた卵のお菓子をワイアットに差し出す。
「ありがとうございます。良かったらこれもどうぞ」
「これは何だい?」
「卵の焼き菓子ですよ。オーブンがないから本格的なお菓子は作れなかったけど、これも美味しいので」
ワイアットはそれを一口齧って、うんうんと頷いた。
「すごく美味しいよ。料理上手なんだね。アグノラ、うちの子になるかい?」
ほんわりとした口調で言ったワイアットに、その横にいたマリウスが口の中に入っていたものを吹き出した。
ワイアットは困ったものだとマリウスにハンカチを渡した。
「マリウス。もう良い歳をしているんだから、もう少し落ち着こうか」
「ワイアット兄さんが変なことを言うからだろ。何故おかしなことをいきなり言い出すんだ。びっくりするだろ」
「でも、うちの親もいなくなって随分経つし、この先も男ばかりの生活だろう?こんな可愛くて料理上手な女の子が家に1人いてくれたらいいと思わないかい?」
そう言って穏やかに笑うワイアットに感動してしまう。
「ワイアットさん、、、っ!」
私の心をわかってくれている。
自然な流れで私を仲間に入れてくれようとしているのが嬉しくて、私はついワイアットの手を握ってしまった。
それをマリウスは呆れた声で諌めてくる。
「出会ったばかりの女の子にプロポーズなんて、ワイアット兄さん、さすがに気が早すぎるんじゃないか?」
私はワイアットの手を握ったまま前のめりに倒れそうになった。マリウスに心酔している私が、マリウスの兄であるワイアットに嫁ぐわけがない。
「ちょ、ちょっと、止めてくださいよマリウスさん。ワイアットさんはそういう意味で言ったわけじゃないでしょう?行くところがない私を、ワイアットさんが家族のように一緒にいさせてくれるってことじゃないですか」
「そうなのか?」
ワイアットもまさか自分が結婚すると思われていたことに驚きつつ、当たり前だ、と私との結婚を否定した。
「勿論だよ。アグノラは独り暮らしをしていたらしいけど、師匠という人の依頼でここにくるためにその家は片付けたらしい。それなら、形だけでも家族として迎えてもいいんじゃないかと思うんだけど、どうだろうか」
マリウスとオスカーはどうしたものかと視線を合わせる。
マリウスは食後にと入れた紅茶を一口啜ってから、言葉を発した。
「、、、ワイアット兄さんの命を救ってくれたことには感謝してる。この町の危機を教えてくれたことも。ーーーでも、やっぱり、アグノラは女の子だろう?俺達がアグノラに何もしなくても、世間ではそうは見てくれないだろう。アグノラの将来のことを考えると、男と一緒に暮らすってのは賛成しない」
オスカーもそれに同意した。
「俺も反対だ。この世に絶対ということはないんだ。女ならちゃんと自分の身に責任を持って、もっと安全な場所で暮らすべきだろう」
お堅い2人らしい意見だった。
つまり、2人は私の貞操や醜聞を気にして、反対してくれているというわけだ。
長いこと一緒に旅をして、2人とも私に女としての身の危険を感じたことがないくらい誠実だったから、全くそんなこと考えもしていなかった。だけど普通に考えたら、やはり女1人で男3人の住む家に一緒に住むというのは危ないものなのだろう。
でもオスカーが私に全く興味ないのはわかっているし、マリウスとは近い未来で結婚するらつもりだし。
そしてマリウスへの私の気持ちを知っていて、これだけほんわりとしたワイアットが私を襲いにくるとは考えにくい。
それらを踏まえて、私は全く問題ないと思うのだけど。
さて、どうしたものかと考えていると、ワイアットがじゃあこうしないかと提案してくれた。
「家がなくなった以上、新しい家を探さないといけない。僕の身体を蝕んでいた瘴気も消えたのだから、ここに留まる理由もないんだ。次の新しい家を探すとして、隣にアグノラの住める家を借りて、寝る時以外は一緒に過ごすのはどうだろう」
ポン、と私は手を打つ。
いくら命の恩人とはいえ、私のためにここまで言ってくれるワイアットお義兄様。
マリウスと結婚したあかつきには、生涯、お義兄様のお世話をさせていただく所存であります。
「いいですね」
私はつい、マリウス達の意見も聞かずに賛同してしまう。マリウスは口を歪めた。
「アグノラまで何を言ってるんだ。結局、お前が男に囲まれて暮らしているってのが周囲に思われることには変わりないだろ」
変なところで頭の固いマリウス。マリウスの近くにいないとマリウスとの距離を縮められないんだから、近くに住むのが一番いいというのに。
私はどうしたらいいか考えて、あぁと名案を思い付いた。
「じゃあ、私の住むところに、もう1人女性が住んだらどうですか?それなら変な噂も立てられないし、女性としての危険も減ると思いますし」
「なるほど。それなら安心だ。それでいこう」
「ワイアット兄さん?」
「いいじゃないか、彼女は困っていて、僕達も人が1人増えるくらい問題ないはずだ。それより何より、料理が美味しかった。僕はすごく驚いたよ。こんなに美味しい料理が家で食べれるなら、是が非でもお願いしたいよね。僕達、料理は全くだろう?」
マリウスとオスカーの動きが止まる。
調味料が家に全くないところから、それは薄々わかっていた。むしろ調味料なしで何を食べていたのかと聞きたいくらいだ。
マリウスは申し訳なさそうに私をちらりと見て、眉を少し下げた。
「、、、そりゃ、いてくれたら助かるだろうけど、そんな理由で未来ある女の子を引き留めるなんてダメだろう」
未来ある女の子?
マリウスが私のことをそんな言い方するなんて思いもよらず、私はつい破顔してしまった。
「あはっ。何を言ってるんですか。未来は貴方と共にあると何度も誓ってーーー」
と言ったところで私は口を閉じる。
『私の未来は貴方と共に』と何度も誓ったのは、魔王を倒す冒険の旅での話だ。
このマリウスにはまだ誓っていない。
私は慌てて、その言葉を言い直した。
「ーーーっ神様に、ですよ?私は神と共にあるのだから、待ち受ける全てのことは、神の思し召しと受け入れるようにしているんです。こうして今、私がここにいることを望み、ワイアットさんも望んでくれている。それこそが、神の望む私の進むべく未来だと思うのです」
私は自分の手を組んで、神に願うように目を閉じた。
うまく誤魔化せただろうか。
ちらりと私は薄目を開けてマリウスを覗くと、マリウスは眉を寄せてガシガシと自分の髪を掻いていた。
マリウスが自分の頭の中を整理する時の癖だ。
「ーーー別に、アグノラがそこまで言うなら反対もしないが、その代わり、他に行きたいところとか別の道が見つかったら、俺達のことは気にするなよ?」
マリウスがそう言ってオスカーを見る。オスカーもマリウスの視線を受けて、仕方ないとため息をついた。
「女だけで住むのも危険だろうがな。隣に俺達がいるなら少しはマシだろう」
「決まりだね」
ワイアットが微笑み、私はわっと喜んでワイアットの手を握った。
「ありがとうございます。これからも美味しいご飯作り続けますね!」
「楽しみにしてるよ」
勿論、しっかりマリウスの胃袋は掴ませていただきます。
私はワイアットという強力な助っ人を手に入れて、喜ばしい限りだった。
一緒に住むという女の人も、思い当たるところはある。多分、一緒に住んでくれるだろう。
彼女は『自分の居場所』を探す人だったから。
私は少し彼女との想い出に浸りながら遠い目をしてしまっていて、ワイアットに名前を呼ばれて我に返った。
「、、、とりあえずその人を連れてくるのは居場所が決まってからということにして、まずは住む場所ですが、あてはありますか?」
男達は少し黙る。
一番に答えたのはワイアットだった。
「何年か前なら交流のある親戚もいたし、それなりに知り合いもいたんだけどね。僕が瘴気に侵されてからは殆どの人が疎遠になってしまったな。悲しいことだけど」
ワイアットの穏やかな性格ならば、本来ならどこにいっても歓迎されるだろうに。
瘴気に侵されただけでそこまで人間関係が狂ってしまうなんて、どうかしている。
魔王よりもまず、瘴気という存在をどうにかすべきではないかと思う。
続けて、オスカーが答えた。
「俺も、この瞳だからな。エリクサーを探してあちこち旅したけれど、親しくなるような人間はいなかった」
それは瘴気によるオッドアイのせいではなく、オスカーの醸し出す近寄りがたい雰囲気のせいではないかと思うのだけど。
いまでこそ何故か親しくしてくれるが、一緒に旅をしていた時は、話しかけようものなら目で殺されそうなくらい威圧されていた。
あれは誰も親しくしようなんて思わないだろう。
ワイアットがマリウスに目を向けた。
「マリウスはどうだ?瘴気にも侵されてないし、お前は人当たりが良いから、住む場所を紹介してくれる人くらいいるんじゃないか?」
マリウスは小さく笑う。自嘲気味の笑顔だった。
「いるならすでに頼ってる。ーーー頼れる人なんて誰もいないじゃないか」
それはとても悲しい話だった。
これだけ素敵な男達が、瘴気に侵されたというだけで冷遇されてしまっていたなんて。
でもマリウスとオスカーがこの町を救ったことで、もしかしたら、この先の町の人の態度は改善するかもしれない。
本当はこの町から離れて、新しい気持ちで生活をやり直ししてやりたかったのだけど、悪い記憶ばかりでもないだろう故郷を、こんな状態のままで離れさせていいのかという気持ちもある。
「ーーー皆さんは、どうしたいですか?この町を離れたい?それともここに残ってもう一度気持ちを新たに暮らしたいですか?」
私は彼らを真っ直ぐに見つめた。
ここは、彼らの人生の岐路の1つに違いない。
私はマリウスと共にありたいと思っているけど、マリウス達の進む道をねじ曲げたいわけではないのだ。
マリウスを勇者にはさせたくない。
私が望むのはそれだけ。
ワイアットを助けたのも、マリウスの故郷を魔物から救ったのも、マリウスが勇者になるきっかけをなくしたかったからで、マリウスから、今ある選択肢を奪いたいのではない。
マリウスがここに残りたいというのであれば、私もここに残ってマリウスのために尽くすだけだ。
偏見というものは、助けたからといってそう簡単に切り替えられるものではない。
勿論、苦労は数多くあるだろう。でもマリウスが選ぶなら、私はそれに従うだけのこと。
私は彼らの答えを待った。
そしてその返事は想像よりずっと早く返ってきた。
「この町を出ることにした」
ワイアットは優しい声で、私にそう言った。
3人で話し合った結果だそうだ。
理由を聞きたい気持ちはあったけれど、それぞれが明るい表情をしていたので、きっと前向きな理由なのだろうと察した。
あの日。
この町の中央を流れる川を見ながら、とても悲しそうにしていたマリウスの瞳。
愛しい兄の死と、生まれ故郷の滅亡。
自分は何もできなかったと悔しそうにもしていたあの時のマリウスとは違う、未来への明るい眼差しを前にして。
私はきっとこの選択で良かったのだと、自分の心に刻んだ。
未来はきっと、もっと明るいはずなのだから。