買い物して美味しいものを食べましょう
隠されるように町の奥に建てられた家から5キロ程離れた場所に、その町の中心地はあった。
ハタカンの町の中では港に一番近い場所にあり、町の真ん中を流れる川がすぐ傍を流れている平地。
港ほどではなくても小さな市場があり、そこそこの賑わいを見せている。
本来ならすでに魔物の襲撃によって崩壊している場所。でも魔物の襲撃がなかったから、こうやって普段通りに営業できている。
買い物リストは海産物がメインではあるけれど、海産物は足が早い。他の買い物を先にして、海産物はできるだけ最後に買いたかった。
「まずは野菜から見ようかな」
市場の野菜屋を覗く。恰幅のよいおじさんが腕捲りをしながら笑いかけてきた。
「いらっしゃい。おや、お嬢ちゃん、見ない顔だね」
「ええ。お使いにきたの」
「へぇ、こんなところまで。偉いね」
私は今、16歳くらい。
お使いにきて褒められる歳でもないんだけど、私はニコリと笑ってみせる。
「今日ものすごく頑張った人達に、美味しいものを食べさせたいの。オススメの野菜はあるかしら」
「頑張った人達?」
おじさんは首を傾げた後、私から少し離れた場所で、隠れるように立っていた男2人を視界に入れた。
満面の笑顔を浮かべていたおじさんから、急速に笑顔が消えていく。
「、、、あぁ。あんた、あいつらの知り合いか」
俯くようにして何かを考えているおじさんは、私の顔を見ることもしなくなった。
予想はしていたけど、ここまであからさまな態度をとられるものなのねと悲しくなる。
「おじさん。その玉ねぎと人参。ジャガイモとキャベツ、レタス、トマトを2つずつ袋に詰めてちょうだい」
「、、、え?、、、あぁ。ほら」
おじさんは笑顔のないまま、私に言われた商品を袋に詰めて渡し、私はお金を支払った。
「さ。次に行きましょう」
私はマリウスとオスカーの肩を明るくポンと叩いて、次の店に行く。
次は調味料の店に入った。
マリウス達の家には、一体、何を食べていたのだろうというほどに食料も調味料もなかった。
あれで美味しい料理を作れと言う方がおかしい。
調味料は旅にも使える。
マリウスが農業をするには広い土地が必要で、そのためにはここではないどこかへ移住する必要がある。この先、調味料を使う頻度が増すのは目に見えているので、私は最低限の調味料を購入した。
肉が好きなマリウスのために肉も買う。
最後に海産物を売っている店に入った。
地域柄、海産物の店は他の店より倍以上大きく、品物も揃っていた。
「いらっしゃい」
私が店に入ると、明るく声で年配の女性が話しかけてきた。
「エビは置いているかしら」
「あぁ。ちょうどさっき、活きの良いのが入ったばかりだよ」
「じゃあそれを2キロと、、、そうね、そこのイカを3杯貰おうかな」
「おや、随分買うね?そんなに食べられるのかい?」
「私だけで食べるわけじゃないから。食べ盛りの男性が3人もいるのよ。少ないくらいだわ」
店の中にはマリウスもオスカーも入ってきていた。
今まで買い物した店員の全てが2人を歓迎しなかったから、ここでも2人は入りたがらなかったけど、私が無理やり店の中に入れたのだ。
年配のおばさんは、例に漏れず、マリウス達の姿を見て顔を強張らせた。
「、、、そうかい」
おばさんは、それ以上は何も言わない。
マリウス達もできるだけ店の人に関わることもなく、購入したらすぐに店から出ていこうとした。
「、、、ちょ、ちょっと待ちな。あんた達」
おばさんに引き留められて、マリウスは足を止める。
オスカーはおばさんをひと睨みして、立ち止まったマリウスが足を止めたことを叱咤するようにマリウスの背中を押した。
「足を止めるな。また罵倒されるだけだ」
オスカーは、町の人への期待は一切持っていないようだった。
オスカーに言われて、マリウスもそうかと足を再び動かそうとする。
「あ、」
おばさんは躊躇しながらも、声を上げた。
「あ、ありがとうね」
マリウスとオスカーは足を止めた。
おばさんは、とても言いにくそうに口を歪める。これまで散々、2人を罵ってきたのだろう。そんな2人に、どう声をかけていいのかわからないようだった。
「、、、あんた達にとっては今更と思うだろうけど、あんた達がいなかったら、この町はおしまいだったはずだ。あんな数の魔物達をたった2人で、、、」
ゆるりとマリウスが振り返る。
下を向いたおばさんの耳は真っ赤になっていた。
「あんた達みたいな若い子が、他の援助もなくあれだけの魔物と戦うなんて無謀にも程がある。ーーーけど、すごく強かったんだね。驚いたよ」
オスカーは、おばさんに背を向けたまま動かなかった。
「あんた達が魔物の群れをやっつけてから、町の人達はその戦いの跡を見に行ったんだ。誰もが信じられないという顔で帰ってきたよ。町の男達が全員あの魔物に向かっても全ては倒せなかっただろうって言っていた」
ボロボロとおばさんは涙を流し始めた。
「ーーーあんた達に、今更お礼なんて言える立場でないのはわかってる。でも、ここに今、私達が家族で生きていられるのは、あんた達のおかげだ。本当にーーーありがとう、、、っ!」
深く頭を下げたおばさんを、マリウスは戸惑った顔で見ていた。そしてオスカーはそんなマリウスの腕を掴み、引っ張って店を出た。
「あっ。待って。2人とも」
私は慌てて2人を追いかける。
まだ頭を下げたままのおばさんに、私もペコリと頭を下げた。
市場から少し離れた場所で、ようやく2人は足を止めた。
マリウスは涙が滲んでいる。オスカーは口を歪めて悔しいとも嬉しいともわからない顔をしていた。
「ちょっと。足が速すぎるわ!迷子になるわよ?私が!」
少しふざけて私が近寄ると、オスカーが追い付いた私の頭をワシャワシャと嫌がらせのように撫でてきた。
「!?やめてよ。長い髪が絡むと解くの大変なのよ」
「全てお前が悪い」
「なんでよ?」
私がむきになると、またオスカーからグシャグシャと頭を撫でられる。マリウスはまだ感情を整理できないようだった。目に涙が浮かんでいる
マリウスは相変わらず感動屋だった。
苦痛では泣かないくせに、心が動かされるとすぐに涙が流れる。
マリウスが町の人を悪く思っていないことを私は知っている。だから、この涙は悔し涙ではない。
今まで自分達を罵っていた人達が、あっさり手のひらを返しやがってという、ひねくれた涙ではないことはわかる。
「ーーー良かったですね。マリウスさん」
私はふふふと笑った。
「はじめ野菜を買ったところのおじさんが、目を合わさなくなって態度も悪くなって。私も感じ悪いと思ってたんだけど、買った袋の中身が、購入した金額分よりずっと沢山入っていたんです」
だから、私自身も偏見をなくして、もう一度、町の人達を見渡した。そうしたら、町の人達はマリウス達に感謝しながらも、どう対応していいか、どう感謝したらいいかわからないようだった。
今まで酷い扱いを受けていた2人は、そのことに気付く様子もない。
海産物屋のおばさんは勇気を出して感謝の気持ちを伝えてくれた。
本当は、他の店の人達もお礼を言いたかったのかもしれない。
そうだといいなと私は思う。
オスカーは険しい顔をしているけど、マリウスもオスカーも、本当にこの町の人達のことが憎ければ、魔物がきた時に逃げることができたのだ。
命をかけて魔物と戦おうと決めたことには、きっと町の人達のことも助けたかったからに違いない。
だから町の人からお礼を言われて、2人が悪い感情を抱いているわけではないだろう。
「、、、良かったですね。町の人達も無事で」
私が言うと、またマリウスの瞳が揺らいで1粒の涙が頬を伝った。
「ーーーあぁ。ーーー本当に良かった」
そうして晴れやかに笑ったマリウスは、春の日差しのようだった。笑顔1つで私の淀んだ心も春に残った雪のように溶かされる。
野菜屋で、袋の中に沢山野菜が入れてあるのを見た時。
私は町の人の気持ちを悟った。
マリウス達に対する謝罪、感謝。そして素直になれない気持ち。
私は、だからマリウス達があちこち顔を出すことで、町の人達から感謝されて欲しいと思っていた。
今まで酷い扱いをされていた分、マリウス達に沢山、心の中だけでも詫びの気持ちと感謝の心を持って欲しかった。
それが少しでもマリウス達に伝わればいいと。
でもマリウスはそれは望んでいなかったかもしれない。ただ、町の人達が無事であれば、それで良かったのかも。
それはとてもマリウスらしいと思う。
私は誇らしい気持ちで、やんわりと微笑んだ。
「ーーーさぁ、帰って、夕飯にしましょう。私が腕を振るいますから、期待してていいですよ」
「随分と自分でハードルをあげてくるな。そんなに自信があるのか?」
呆れた様子のオスカーに、私はふふんと鼻を鳴らした。
これでも旅の間、下っ端として大半は私が料理をしていたのだから、料理には自信があるのだ。
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「辛っ!!ーーーっ!??」
マリウスの悲鳴のような声が家に響いた。
大量になった荷物をマリウスとオスカーが運んでくれて、無事に帰ってから私は料理に取り掛かった。すぐにテーブルに料理を並べて、マリウスとオスカーとワイアットと私でテーブルを囲った。
その1口目でマリウスが叫んだ。
旅と同じように普通に料理しただけなのに、マリウスが口に手を当てて、慌てて水を飲んでいる。
マリウスはさっきとは違う涙を流しながら、口を両手で押さえていた。
なんということでしょう。
マリウスイチオシの超激辛エビチリだというのに、まるで私の料理が失敗しているような雰囲気が漂う。
元々野菜以外あまり手をつけないオスカーだけでなく、エビチリに手を伸ばそうとしたワイアットも、顔だけでなく全身真っ赤になったマリウスの様子を見て、その手を引っ込めた。
私は首を傾げるしかない。
超激辛エビチリ。マリウスはこれでもまだ足りないと言っていたくらいだったのに。
「、、、っ!?」
マリウスが言葉を出そうとしたが、口の中の激痛で声も出せない状態のようで、また辛そうに口を閉じた。
ジタジタとマリウスが激しく足踏みをしている。
そんなにマリウスは、辛いものに弱かったのだろうか。
辛いものが好きな人は、刺激を求めてどんどん辛くしていってしまう。この歳のマリウスはまだ辛さの耐性がついていないのかもしれない。
ーーーそういえば家に香辛料が殆どなかった。
まさか、辛いものの耐性云々どころではなく、辛いものを食べたことがないとかーーーそんなわけ。
びり、と肌が一瞬痺れた気がした。
あれ?と私は辺りを見渡す。
なんか違和感。
空気が揺れるというか、振動が、、、。
私は僅かな空気の揺れを感じて、神経を研ぎ澄ませる。
この感覚。どこかで感じたことがあった。
そうだ、東の巨大な洞窟で黒いドラゴンと戦った時、うっかり全滅しそうになって、それでマリウスが命を縮めるほどの大爆発の魔法をーーーーー。
はっとして私はマリウスを振り返った。
マリウスの右肩が赤く見えるほどに、魔力が集まっている。
やばい。これはーーー。
私は慌てて家周囲に結界の魔法を張り、自分を含めた皆に強力な魔法防御の魔法をかけた。
瞬間。
マリウスが赤色に包まれた。
町全体に響き渡るような轟音がして、地を揺らした。
町の鳥は一斉に飛び立ち、空気に敏感な動物達は家の方角から放射線状に逃げるか、意識を失った。
もし。
もし私が結界を張るのが少しでも遅れていたら、魔物の群れでもなくマリウス自身が、町全体やワイアットを失わせることになっていただろう。
掘っ立て小屋のような家は、マリウスの暴発した魔法によって粉々に粉砕されていた。
家の中にいたはずなのに、野外にいるかのように辺りは広々とし、高く聳えた山や手入れされた畑が360度に渡り解放して見える。
ただ、せっかく作った料理の数々が台無しにされるのは嫌だと、私はどこかで思ってしまったのだろう。
家は粉々なのに、料理を乗せたテーブルだけは埃1つなく無事だった。その光景は違和感でしかない。
何が起こったのかわからないというワイアットは、私と目があってそれを理解したようだ。頭を軽く押さえてため息を漏らした。
座っていたはずの椅子がなくなって床に尻餅をついた形のオスカーは、呆然としてマリウスを見ていた。
「、、、、マリウス?大丈夫か?」
テーブルに片手を置いて、マリウスも自分のしたことに驚きを隠せず、もう片方の手でまだ痺れる口を押さえながら、自らの魔法によって消し飛んだ家を凝視していた。
「ーーーーお、俺が魔法をーーー?」
魔法の可能性を指摘して、魔力の流れを塞き止めている場所を撫でるように伝えてはいた。それからずっと、思い出しては撫でているマリウスを見てはいたけれど。
魔力の感覚をイメージしながら魔力が塞き止められた部分を撫で続けることで栓が溶かされていくのだが、マリウスの栓が溶けるのにはまだ時間はかかるはずだった。
それが辛さのショックで急激に圧がかかって栓が取れたということなのだろう。
そんなに衝撃的な辛さだったのか。
私には、テーブルしか残っていないこの状況の方が衝撃的だけど。
マリウスは、自分の身体に流れる魔力を感じることができるようになった事に気付き、テーブルから手を離してその手をまじまじと見つめていた。
「ーーー感じる。感じるぞ、魔力を」
辛さによるものもあるだろうが、マリウスの顔は紅潮し、嬉々としてオスカーに視線を向ける。信じられないというその表情は、プレゼントを貰った少年のような輝く瞳で、こんな状況だというのに可愛く見える。
「オスカー!俺、魔法が使えるようになったみたいだ!」
「そのようだな」
マリウスからオスカーに伸ばされた手を、オスカーはどう表現したらいいかわからないという顔で握りしめ、尻餅をついた体勢から引き起こされる。
「急にこんな魔力を使って、身体はどうもないのか?」
オスカーがマリウスの右肩を見つめ、マリウスもその部分に自分で触れて確かめた。
魔法を使ったことがない人が突然これだけの大きな魔法を使ったのだ。疲れないはずがない。
反動で倒れてもおかしくないのだが、マリウスは平然としていた。
私が回復魔法を使ったわけではない。
マリウスは自分の身体を確かめる。
「、、、特にどうもないな。むしろ今までよりもずっと身体が軽い。今からまた魔物が群れできても、さっきよりもうまくあいつらを倒せそうだ」
「そんなにか。これだけの魔法を使って身体が軽いとか、化物並みだ」
「化物は言い過ぎだ」
心外だというマリウスにオスカーは苦笑する。
「体力オバケが魔法を使えるようになったんだ。むしろ化物が可愛く見えるくらいだ」
「そうか?」
ニギニギと自分の手を開いたり握ったりして、マリウスは自分自身を確かめている。
「、、、マリウスが無事で良かった。僕達も怪我はないようだし」
ワイアットは、座る場所がなくなって立ったままの状態でニコリと笑った。
「ーーーでもね。住む家もなくなってしまった。これからどうするか、今から考えようか」
ワイアットは普段の優しい顔で笑ってはいるが、明らかに怒っていた。
普段怒らない人が怒るとちょっと怖い。
私は気を取り直して、テーブルの上の食事を指差した。
「食事は無事みたいだから、とりあえず食事の続きをしましょうか。エビチリ以外は辛くしてないから大丈夫と思いますよ」
男3人の視線が私の方を向いた。
崩れて粉々になった家の中で、食事を乗せたテーブルだけ無事なことの疑問か。
思わず魔法回路を繋げてしまうほど辛いエビチリを食べさせられて、他のものが本当に美味しいか不安なのか。
あるいは、こんな状況で料理を勧めてくるなんて正気かと疑われているのか。
男達は、それぞれ含みを帯びた瞳で私を見ていた。
料理を粗末にしたらダメだと、知らないのかしら。