そして未来へ
小高い丘は、一面の草原。
優しい風が吹き、草は優しく揺れる。
ここは村が一望できる場所。
田舎と呼ばれる場所の中でも典型的な田舎であるヤードターナの村は、私にとっては『捨てた』村だった。
都会に憧れ、自分の生きる小さな世界が嫌だった。
ヤードターナの太陽と呼ばれ、日光代わりに魔法を使う日々。
私の意思でなく決められた婚約者も嫌で、私はこの村には二度と帰らないつもりで家を出た。
それなのに、過去から戻ってきた時に、この場所は私を優しく包んでくれた。
転々と聳える木の中でも、特に大きくて、人の何倍もの高さを誇る大きな木は、私の小さい頃からの隠れ家だった。
この木に登って遊び、泣く時は必ずこの木の下で大声で泣いた。
私にとってこの木こそが『故郷』。
過去に戻って目が覚めたのも、この木の下だった。
私はこの木の下で、再び生まれたんだ。
私が大きな木の下に立つと、風が強く吹き、木が揺れてざあっと音を立てた。
『おかえり』と聞こえた気がする。
「、、、ただいま」
と私は声に出した。
私の少し離れた場所には、一緒に魔王の住み家に行った皆が揃っていた。皆で一緒に転移の魔方陣で飛んできたのだ。
これで違ったら、もうワイアットには二度と会えなくなる。
緊張して震えながらも、私はどこかで確信していた。間違いないと心が叫ぶ。
私は大きな木にそっと手を触れた。
じわりと木から温かみを感じる。
そして、どちらが、というわけでもなく、身体の中の神経のようなものが木と繋がった気がした。
私の中のものが木に流れ、木の樹血が私に流れる。
共鳴してーーー弾けた。
また強い風が吹いて、その巨木の葉を大きく揺らす。木は形を変えて、本来のあるべき姿に成っていた。それは葉一枚一枚が人間の身体ほどに大きく、一枚の葉は紅葉のように、ヤシの木のように幾重にも分かれている。
そして木は神々しく、キラキラと輝く光を放ち辺り一面に広がっていた。
マリウスやオスカー達はその様子を眺めて息を飲み込んだ。
そして私には木の記憶が入り込む。
魔王に倒されたマリウスの命を救うために、私が発狂して唱えたのは、マリウスの蘇生の魔法。それは自分の持つ力以上の『力』で、私の魂が砕けた。
まだ世界樹にもなれていない世界樹は、その力を振り絞って、どうにか私の魂を集めた。
それはエイダン王子が何百、何千と過去を繰り返す中で、少しずつ。少しずつ。
そうしてようやく形になった私が、この世界で、この場所で目覚めたーーー。
「ーーーあなたが、私を助けてくれたのね。ありがとう」
私はその木を抱き締めた。
幹は私の腕の何倍も長く、全然巻き付けなかったけれど、それでも私は心からその木を抱き締めた。
「世界樹、、、」
そんな私達に、一番に近寄ったのはマリウスだった。
「これが世界樹か。どうりで見つからないはずだ。聖女がいないと現れない木なんて」
瘴気に侵されたワイアットを助けるために、ずっと探し続けていたエリクサー。
そのために世界樹が必要なのはわかっていて、でも決して見つけることはできなかった。その過程を思い返すと、苦いものが込み上げつつも、それ以上に出会えた感動は大きい。
マリウスは「触れてもいいか」と私に尋ねて、私が頷くと、マリウスは世界樹に手を伸ばしてそっと触れた。
「ーーー助けてくれ」
とそう呟く。
「ワイアットを。兄を」
唸るように言うと、世界樹は意識を持つように、バサリとその巨体から一枚、世界樹の葉を落とした。
落とされた葉っぱは、相変わらずキラキラと細かな光を放っている。
マリウスはそれを拾い上げると「ありがとう」と鼻を赤くして呟いた。
泣いているのかと思ったけれど、確かめはしなかった。
マリウスは世界樹の葉をオスカーに渡して、オスカーはしっかりとそれを受け取る。
オスカーの得意とするのは、魔法だけでなく錬金術。
魔法で材料を分解し、それを違うものに合成する力。それこそが大賢者の真骨頂。
すぐに縦長の薬の小瓶に赤い液体は入れられた。
完全なる赤。血とは違う、鮮やかな色合い。
「さすがに栄養剤とは似て非なるものよね」
かつてワイアットに飲ませた、偽のエリクサー。エリクサーの色に近い栄養剤だったのだけど、こんな色ではなかった。
今度こそ、ちゃんと本物を飲ませてあげられる。
そしてオスカーがワイアットに飲ませるために近寄った時、オスカーの顔が蒼白になった。
「ーーー手遅れだったか、、、」
呟いたオスカー。
まさかと声をあげて私がワイアットに近寄ると、ワイアットはまだ息をしていた。だけど、もう口さえも瘴気に侵されて溶けていた。
エリクサーは飲まなくてもいい。消化器の粘膜に触れさえすれば、そこから吸収されて効果を現す。
でも口がなければーーーー。
マリウスは慌ててエリクサーをオスカーから奪い取る。
「口からじゃなくても、身体に振りかければ少しは効果があるはずだ」
「いや、効果があったとしても、ここまでの状態に効くかどうか」
オスカーは厳しい顔つきで首を振る。
エリクサーは飲むもの。そう言われている。実際、他の回復薬も、飲まなければ効果は殆ど現れなかった。いくらエリクサーといえども、可能性は低い。
「それでもいちかばちか、やってみないとわからないだろう!!」
マリウスの叫びは正しい。
もうワイアットは虫の息だった。いや、口がないから呼吸さえできていない。うっ血でチアノーゼが出てもおかしくないが、そもそも瘴気に侵されて全身紫なのだから、もう生きているかどうかもわからない。
わずかに痙攣しているのが生きている証拠であることが皮肉だ。
「ーーーあっ」
泣き出していた私は、急に思い立って声をあげた。
私の聖魔力がないからこそ、エリクサーを求めたのだった。
エリクサーがワイアットに効かないのであれば。
私はマリウスからエリクサーを奪い取り、それを一気に飲み干す。
「「「あっ!!!??」」」
私以外の全員が、私の気が触れたのかと悲鳴のような叫びをあげた。
エリクサーが効かなければ、聖魔法を使えばいいじゃない。
オスカーお手製のエリクサーは完璧だった。
完全回復をした私は、すぐにワイアットの心臓に手を当てる。
ワイアットの命を助けたあの時からも、私はずっと成長してる。魔王を倒すため。死に物狂いで魔力を高めた。
完全回復。そして全力の聖魔力を。
「『パーフェクト・ヒール』」
私から、輝くばかりの光が放ち。
その光は辺り全てを包み込んだ。
そして。
涙脆いマリウスの瞳から、涙がこぼれ落ちた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「ーーー悪いな。貴重なエリクサーを。恩に着る」
エイダン王子は、少しも悪びれた様子もなく、飲み干したエリクサーの小瓶をワイングラスのように持ち上げた。
「これで本当に呪いが解けたかどうか、一度殺して試してやろうか?」
にやりと笑ったマリウスに、エイダン王子は本気で顔をしかめた。
「貴殿が言うと冗談じゃなくなる。そもそも貴殿が私に呪いをかけたんだ。貴殿を殺して呪いが解けないか試したいのを我慢しているのは私だ」
はは、と楽しそうに笑うのはマリウス。
「それは良い気味だ。そうでなければ呪った意味がない」
過去を繰り返しているとはいえ、合計すれば何千年も前の話。なのに、お互いに記憶があるのが厄介で。
マリウスはあの頃のようにさわやかな顔はせず、堂々とひねくれた様子でエイダン王子に近づいた。
「呪いはアグノラに必要以上にちょっかいを出して困らせた罰だからな。同じことを繰り返さないことを祈ってやる」
マリウスが嫌みにもそう言うのは、多分、エリクサーの力で、過去に戻る前、魔王になったマリウスがエイダン王子にかけた呪いが解けたことを確信しているからだろうとは思う。
自分ではない自分。だが記憶がある以上、このマリウスなのかもしれない。そのマリウスだからこそ、呪いが解けたことがわかるのか。
そして多分、エイダン王子も感じている。
本当に呪いが解けたかどうかは死ななければわからないが、自分のことだ。なんとなく呪いが解けたと理解しているのだろう。どこか清々しい表情で、エイダン王子は近くにいた私の肩を抱いた。マリウスは目を見開く。その様子をエイダン王子はさも可笑しそうにほくそ笑んだ。
「そうは言うが、呪いが解けた私は完全無欠だ。この先、アグノラが私に惚れないとは限らないだろう」
「ーーーいや、ないですけどね。可能性」
エイダン王子の腕を引き剥がして、私は冷静にお断りする。
エイダン王子から離れた私を、マリウスは引っ張って自分の腕の中に包み込んだ。マリウスに睨まれて、エイダン王子は苦笑するしかない。
「、、、アグノラ。本当にいいのか?こんなに嫉妬深い男は、結構面倒くさいと思うが。考え直すなら今だぞ」
ぎゅうとマリウスの胸と腕の筋肉に包まれて、私は少し息苦しさを感じる。その厚さが幸せでもありながら、確かに面倒くさそうではある。
「、、、、、」
私がエイダン王子の言葉にすぐに否定をしないから、マリウスは私の顔を覗き込んできた。
マリウスの無言の圧に私も苦笑する。
「王子に呪いは、もうかけないで大丈夫よ」
「ーーーそんな言葉が聞きたいわけじゃないんだが」
ぶすりとしたマリウスは、本当に、私の知るマリウスとは違うけれど、とても可愛い人になった。
「エイダン王子」
魔方陣の準備を終えたオスカーから声がかかる。
エイダン王子は小さく頷いて、にこりと愛想の良い笑顔を私達に向けた。
「じゃあ気が向いたら、いつでも王妃の席は空けて待っているから、王宮に来るんだよ、アグノラ」
さらっと、第二王子であるはずなのに『王妃』と言うエイダン王子。
第二王位継承者ではあるが、第一王位継承者である兄がいる。だが第一王子は確かに平凡であり、様々な能力においてエイダン王子の方が優れているのだから、エイダン王子さえその気になれば、その地位が逆転することは大いにあり得るだろう。
今、エイダン王子は私達に『その気になった』と宣言したことになる。
過去を何百回と繰り返して人格者になり、様々な工夫で各地を改善しているエイダン王子なら、きっと良い王になれるだろう。
そしてエイダン王子は、私達の横にいる人物に声をかける。
「ワイアットも、身体が元に戻ったのだから、またいつでも王宮に戻ってこい。お前が望むなら、近衛隊長でも騎士団総隊長にでもなれるだろう」
そう勧誘を受けたワイアットは、本来の身体を取り戻して、相変わらずのさわやかさで微笑んだ。
「王宮に私の牧場をそっくりそのまま移動して良ければ、喜んでお引き受け致します」
ワイアットの作り上げた牧場はかなりの大きさになり、それこそ王宮を越える敷地を展開している。
王宮に移動するとなると、王宮全体が牧場になってしまう。明らかに無理だとわかるが、エイダン王子は、はははと笑ってみせた。
「牧場のある王宮か。それは斬新で面白い発想だ」
是とも非とも言わず。
エイダン王子ならやりかねないと思えるのが怖いところでもある。
「ーーーまぁよい。今はまだ、魔王の脅威が去って間もないのだから。ゆっくりするといい。だが、落ち着いたらいつでも王宮に顔を出しにきてくれ。心から歓迎する」
そう言って、エイダン王子は魔方陣であっという間に姿を消した。もうエイダン王子は過去に戻る魔道具を持っていない。必要もないし存在もしない。
きっと彼は、念願の『寿命』を、最大限に使いきることだろう。
相変わらず仕事命のベリルは、夜の仕事があるからとさっさと王都に行ってしまったし、ケイレブも南の端にある高難易度ダンジョンに乗り込むと、早々に去ってしまった。
ここにいるのは、私とマリウスとオスカー。そして元気になったワイアット。
私は『世界樹』に手を伸ばし、また来ることを約束する。世界樹は返事をするように、サラサラと葉の擦れる音を立てて揺れた。
世界樹も、妖精の村に移動できないだろうか。
妖精王のお爺さんに相談してみよう。
そしてみんな疲れているだろうから、美味しいご飯を用意しよう。
ワイアットの育てた鶏の卵のスプラングルエッグと。オスカーはベジタリアンだから、マリウスの育てた新鮮野菜のサラダをたっぷり乗せて。
スープはポテトのポタージュスープにして。
締めは、ワイアットに美味しい紅茶をいれて貰って、焼きたてのスコーンに、摘みたてイチゴのジャムを沢山乗せて齧りつく。
間違いなく美味しいだろう。
想像だけで私は幸せになりながら、にっこりと微笑んでみせた。
「ーーーじゃあ、帰りましょうか。我が家に」
私達は、これからも幸せになるために、スローライフで生きていく。
《完》




