マリウスに
それから私達は、可能性を信じて探し始めた。
妖精王の知識を借りて。
未来の大賢者が世界を探して。
国王の息子が、その権力を駆使して。
そして過去の聖女達の記録を調べて。
タイムリミットは、私達が魔王の棲みかに行った、あの日。
エイダン王子によると、何度過去に戻っても、その頃の時期になると魔王が世界に降り立ち、世界を滅ぼすらしい。
なぜその時期なのか、それさえもわからないけれど、その頃になると魔王の力が一番強くなるのだろうと私達は憶測を立てた。
その日まであと約一年。
私達は必死に探した。
気を失ったマリウスは、なかなか目を覚まさなかった。私が回復魔法をかけ続けなかったら、多分、マリウスは命を失っていただろうと思うほどには目を覚まさなかった。
その期間、1ヶ月。
妖精王のお爺さんは数日で目が覚めると言っていたのに、マリウスがなかなか目覚めないせいで、私はマリウスに聖魔法をかけながら月の半分を泣いて過ごした。
気づけば大戦士ケイレブも妖精の村に行き来するようになっていたし、ちゃっかり自分の部屋まで作っていた。
夜の仕事を終えて、家には寝るためにだけ帰っていたはずのベリルが、昼間に起きてくることが増えた。
ケイレブの横にいることが多いような気がするのは、二人の並ぶ姿があまりに印象深いからかもしれない。
熊みたいなケイレブと、女神にしか見えないベリル。2人の容姿はあまりにかけ離れているというのに、なんとなくお似合いにも見えてしまう。
不思議な光景ではあった。
文句を言いながらもちょっかいを出しているのはベリルの方で、ケイレブはそれに全く気付いていないようなのが面白かった。
よく考えれば、あの天上天下唯我独尊のベリルは、ケイレブに関わる時にだけはあまり嫌がらずに動いていたような気がする。
気のせいではないーーーと思う。
過去に戻る前のことも、思い出してみると、淑女の鏡だったベリルは、今とは違い誰に対しても笑顔で接していたけれど、ケイレブにだけは愛想のない顔をしていた。
ベリルはケイレブが嫌いなのだろうと思っていたけど、実は逆だったのかもしれない。
ケイレブにだけは、自然体でいられたということなのだろう。
私は自分がベリルの親友と自負していただけに、ちょっと複雑な気持ちにはなるけれど。
そう。
私は何も見えていなかったのかもしれない。
淑女のふりをしていたベリルにも。
尊敬する兄であるワイアットの真似をしていたマリウスのことも。
本当の姿に気付かなかった。
無口だし、心の底から嫌われていると思っていたオスカーも、今ではただの優しいお兄さん的な存在になった。
傍若無人だと思っていたケイレブのことも。
ーーーまぁケイレブが傍若無人なのは今でも間違いないのだけど。
ケイレブも悪い人間ではなかった。
圧死してしまいそうなほどの威圧感が苦手だっただけで、ケイレブ自体は特に私に害はなかったのだし。
「、、、ほんと、私がちゃんとよく見れていなかったのだわ」
勇者のパーティーの皆と、ちゃんと信頼関係を築けていると思っていたのに。そうでなかったのだと思い知る。
私は知らないことが、多すぎたんだわ。
「アグノラの目はいい方だろう?」
妖精の村長、もとい妖精王の家の一室。藁の上に布を敷いただけの質素なベッドの上に腰をおろした私の下から聞こえた声に、私は視線を移した。
私が膝枕をしている形になって、私の顔の真下にいるのは、マリウスだった。
こんな状況に慣れるはずもなく、マリウスと視線が合う度に私は顔が真っ赤になってしまう。
なぜこんなことになっているのか。
数日前、ようやく目を覚ましたマリウスは、はじめ記憶が混乱していて、元の状態に戻るのに時間が
かかった。
ようやく落ち着いたと思ったら、それからマリウスはこうして私にベッタリとくっつくようになった。
長い眠りから覚めた日なんて、いきなり抱き締められたと思ったら、1日ずっと私から離れてくれなかった。数日かけてようやくこのレベルまで落ち着いてくれたのだ。
過去に戻る前の、どこまでも紳士なマリウスは、マリウスが作り上げた仮面のようなものだとは理解した。
本物のマリウスはもっと感情豊かで、頑固で負けず嫌いでーーー。
少し子供っぽいところがあるのが可愛い。
そんな青年だったはず。
だけど、これは流石にーーーー。
私はひきつりそうになる顔を堪えて、にこりと笑った。
「目はいい方だけどね」
人を見る目がないのよね。
マリウスがこんな風になるとは、想像もしなかったことで。これは何?
甘えん坊になったってことなのかしら。
多分な愛情は感じるけど、恋愛というよりは、大きなペットに懐かれたという雰囲気に近い。
だけどマリウスはペットではなく人間で、勇者になれるだけの立派な体格をしているだけに。
ここまでベッタリされるとちょっと邪魔ーーーなんてことを、愛するマリウスに言えるはずもなく。
マリウスは仰向けになっていた体をごろりと転がして、私のおなか側に顔を向けると、そのまま私のおなかに顔を埋めた。
「そうか。アグノラは匂いだけじゃなく、目もいいんだな」
愛するマリウスにこんなことを言われて、私の羞恥心と感情が追い付かず、ひぃ、と悲鳴をあげそうになった。マリウスはこんなことを言う人だっただろうか。
「マ、マリウス?ちょっとーーー」
「アグノラ」
私の言葉を途中で止めたマリウスは、私のおなかから顔を離す。柔らかい茶色の髪がさらりと目にかかり、それを払いのけることもなくそのまま私の顔を見上げた。
すぐ目の前にマリウスの顔があるというこの距離感は、さすがに普通じゃない。
心臓が跳びはねすぎて、鼓動が耳にうるさかった。これは流石にマリウスにも聞こえているだろう。それはそれで恥ずかしい。
「な、なにっ?」
少し声が上擦った。
「アグノラはーーー、、、いや」
マリウスは何かいいかけて口を閉じる。軽く丸めた指を口に当てて考えるマリウス。
あまりに沈黙が続くから、私の方から声をかけた。
「どうしたの?」
マリウスは私をチラリと見たあと、もう一度視線を反らされる。何か言いたそうなのがすごく気になった。
「何?」
私に急かされて、マリウスは小さく息を吐く。
「、、、アグノラは今の俺のどこが好きなのか聞こうとしたんだが、いつも的はずれなことばかり言って、聞く意味もなかったんだと思い出したんだ」
、、、え?
「誰にでも優しくて紳士的で強い。ーーーそんなの、兄さんへの褒め言葉であって、俺じゃない。そう思いながらも、アグノラの好意は嬉しかった。何度断っても諦めずに告白してくれてーーーでもそんなことさえ、俺は言えなくて」
ーーーーえ?
私は過去に戻ってから、マリウスに一度も告白はしていない。態度でばれているとは思うけど、そんなに何度も告白したことなんてーーーー。
過去に戻る前にしか。
「あの頃とは変わってしまった俺のことを、どう思っているかなんて聞くまでもなかったな」
私の膝に寝ているマリウスの手が伸びて、私の頬をそっと触れた。
「アグノラの心臓の音が俺に答えをくれている」
いたずらっぽく笑うマリウスの顔に、激しく高鳴る心臓が貫かれた。
「ワイアット兄は生きているし、あんなに糞意地の悪かったエイダン王子が普通の王子になってるし。わけがわからなくて混乱したけど、アグノラだけは変わらず俺の傍にいてくれてーーー」
私の膝で横になっていたマリウスの腹筋に力が入るとマリウスの上体が起き上がり、私の膝から離れる。
でもマリウスの顔は私に更に近寄り、私の視界はマリウスで塞がれた。
「ずっと夢だと思っていたんだ。よく出来た夢だと。ワイアット兄が死んだことさえないのに、死ぬかもしれなかったことが恐怖で、夢に現れたのかと」
「、、、マリウス」
「違ったんだな。あれは俺の過去であり、未来だったわけだ」
「マリウス。記憶が戻ったの?」
目の前の現状をまだ受け入れきれなくて、私はぽかんとしたままマリウスを見つめる。
マリウスは、ほんの少しだけ口の端を浮かせた。
「完全に戻ったというほどじゃない。断続的な記憶がたくさんあって、繋がって形になったような気になってるだけだ。でも、アグノラがーーー間違いなくアグノラであることは理解できた」
そう言われて、私は自分の目がじわりと熱くなるのを感じた。
「何を当たり前の事を言ってるの。私はいつでも私だわ」
泣きそうになるのを堪える。
当たり前といいながらも、マリウスの言っていることがよくわかった。
目の前のマリウスは『マリウス』なのだと。
過去でもあり、未来のマリウスでもある。私の『知る』マリウスなのだと。
過去に戻る前の私達の想い出は消えていなかった。
私だけの記憶ではない。それが嬉しかった。
「こんなことを言うのも変だけどーーーお帰りなさい、だね」
私が笑うとマリウスも笑った。
「ただいま。アグノラ」
マリウスの耳に心地好い声が私に染み渡る。
神様。ありがとう。
私をここに戻してくれて。本当に感謝します。
そう心で祈った後、段々と気になり出したことがあった。
「ーーー魔王の棲み家に行ったことも、覚えてる?」
突然私から真剣な顔で尋ねられて、マリウスは一瞬きょとんとしてみせた。
少し間を空けて天井を見上げると、いたずらっぽい顔をして片目を細めた。
「俺が【愛してる】って打ち明けた時のことを言ってるのか?もう一度言われたい?」
そんなことを言われると、一気に全身から悲鳴が上がりそうになった。直接言われると恥ずかしすぎる。
「そそそそ、そうだけど、そうじゃなくて」
私が聞きたいのは、もっと深刻な方のことだ。
私にとってはとても大切なこと。
あの日、魔王を前にしてマリウスは。
仲間の誰かに、後ろから刺されたのだから。
「私は覚えているわ。マリウス様ーーーマリウスが倒れていたこと。その背中には短剣が。あれは誰がしたのかはっきりさせないと、また同じことを繰り返してしまうんじゃないかって、私ーーー」
「アグノラ」
優しく呼ばれて、私は身体が何かに包まれたのを感じた。
マリウスに、抱き締められていた。
「ーーーふぇっ」
いきなり過ぎて、わけのわからない声が出てしまった。
な、な、な、なんで私は今、マリウスに抱き締められているのだろう?
「あれは気にしなくていい。あれこそ、悪い夢だと思えばいい。アグノラだって、誰がやったとか疑いたくないだろう?」
「それはそうだけど、、、って、マリウス、まさか、あのことをなかったことにする気?」
ぎょっとして私は目を見開く。
マリウスに抱き締められているからマリウスの表情はわからないけれど、刺されたのはマリウスだ。
そのマリウスがそんなことを言うとは想像もしていなかった。
「誰がやったのか、検討がついているって事?」
私が尋ねてもその質問に返事はない。
「、、、なぁ、アグノラ。どうして俺達は今、こうして記憶を残して過去にいると思う?」
すぐ近く。私の背中から、マリウスの声が直接響いてくる。
「それは、神様が、、、」
「では俺にとってはアグノラが神というわけだ」
「ーーーえ?」
わけのわからない言葉を言われて、私は固まる。
私が神?
私は何もしていない。
ナゾナゾか何かだろうか。
「断片的でもはっきり覚えていることがある。俺は一度死んで、魔王として甦った」
はっとした。
エイダン王子の話が頭に浮かぶ。
エイダン王子に呪いをかけたのはマリウスの顔をした魔王だったと。
「ーーー本当に、マリウスが魔王に、、、?」
「魔王になって覚えているのは、心の底からエイダン王子が憎いということだけだった。アグノラを自分のものにしようとしていた。アグノラと婚約なんて、許せなかった。だからーーー」
マリウスはそういって、困ったように眉を下げた。
「、、、ただ、魔王になってからのことはあまり記憶にない。エイダン王子への恨みに囚われて、俺自身が自我を保てなかったんだろう。覚えていないで済まされる問題ではないだろうが」
ただ、と呟いて、マリウスはそっと私の手を握った。
「俺は間違っていたと思う。魔王を倒さなければアグノラに気持ちを伝えてはいけないと思い込んでいた。自分の死と直面してはじめて、自分の愚かさに気付いたんだ」
マリウスに握られた手から、マリウスの体温を感じる。発熱しているのかと思うくらい、マリウスの手は熱かった。
「アグノラ。もう一度、言わせてくれないか」
「え、、、?」
私が返事をする前に、マリウスの唇が私の手の甲に優しく触れた。
そのまま上目遣いで見つめられて、くらりと眩暈がした。
「アグノラ。愛している。これからはできる限り俺はアグノラの傍にいる。だから、アグノラも俺とともにいてくれないか」
それはまるでプロポーズのようで。
信じられない気持ちと、嬉しさと。
全てではないけれど記憶を取り戻したマリウスが目の前にいる幸せが一気に私に押し寄せてきて。我慢していたはずなのに、涙が溢れて止まらなくなった。
「、、、っ!!!」
しゃくりあげてしまい、声が出てこなかった。
「アグノラ」
「、、、っ」
「アグノラ」
「ーーーっ!」
「アグノラ?」
少しずつ、私の名を呼ぶ度にマリウスの声が優しくなっていく。泣きじゃくる私を宥めるように。
マリウスの手が私の髪に触れて、ゆっくりと撫でてくれた。
また私の感情が溢れて止まらなくなる。
「マリウス。マリウス様ーーー。好きです。好きです。ーーー心から」
私はひどい顔をしていると思う。手で自分の顔を覆い、気が済むまで泣いた。
過去に戻ってからだけじゃない。
過去に戻る前の自分のためにも泣いた。
がむしゃらにマリウスだけを追いかけた自分。
断られても断られても諦めずに告白した。
マリウスが私の全てだったから。
そのマリウスが、私の愛を受け入れてくれた。
マリウスはもう、勇者である頃のようには笑わないけれど。
さわやかでも、紳士でもないけれど。
マリウスがマリウスであることが嬉しい。そのマリウスが私の傍にいると言ってくれただけで、私は世界で一番幸せな人間になれた気がした。
私達のこの幸せが長く続かないのは知っている。
それでも、私は幸せだった。
だからこそ。探すしかない。
蜘蛛の糸を辿るような道を。
魔王復活までーーーあと数ヶ月。
まだ、解決策は見つかっていないのだけど。




