勇者マリウスの過去1
それは、長い長い、長い夢だった。
記憶がある時には、もう兄であるワイアットは王宮の護衛騎士として働いていた。
海辺にあるハタカンの町から少し離れたところ。高く聳える山の近隣の村は、穏やかながらも閉鎖的な村だった。
冒険家だったという両親は、俺がもっと小さい頃に死んでしまって、兄のワイアットが俺の親代わりとして働き、その稼ぎで生きていた。
騎士として働きながら、夜になると家に帰ってくる。ワイアット兄がいない間は、俺は遠い親戚であるオスカーという俺と同じ年の男と過ごした。彼は無口ながらも根は悪くない男だった。
綺麗な顔をしているのに、小さい頃に患った目は瘴気を帯びてその色を変え、青と緑のオッドアイとなっていた。
瘴気は忌み嫌われる。
オスカーの親でさえ、自分の子供だというのにオスカーを腫れ物のように扱った。その酷い態度は他人である俺でさえ耐え難く、何度かオスカーの親と揉めたこともあった。
オスカーの家は子爵という爵位持ちの貴族だったが、たいして豊かな家ではなかった。
オスカーの目が瘴気に侵されていることをいいことに、食事さえろくに与えないこともあったようだ。
ワイアット兄は、オスカーも自分の弟のように、家族として食事や寝床を与えていた。
俺はオスカーが心配だった。
無口で、親にされるまま罵られているオスカー。
オスカーからしたら俺に同情なんかされたくないだろうが、このまま俺とワイアット兄がオスカーから離れたら、もう誰もオスカーを人間として扱ってもらえないような気がして。
俺はいつの間にかオスカーが親友になったつもりだったから、ただオスカーを守りたかった。
そう言うとワイアット兄は嬉しそうに笑ってくれた。
「自分の大切な人を守ることはとても大切なことだよ。マリウスのその心を大事にして欲しい」
そう言って俺の頭を撫でてくれたワイアット兄。俺の気持ちを認めてくれたのが嬉しかったし、そもそもワイアット兄も同じ気持ちだったのだろう。
オスカーと一緒に過ごす時間が前よりも伸びた。オスカーの親に交渉してくれたようだ。
オスカーは何も言わないけれど、俺とワイアット兄といる時だけは、少しだけ目が笑うようになった。
オスカーは小さい頃から賢かった。
休日に騎士宿舎から戻ったワイアット兄に勉強を教えてもらって、俺は全然わからないことまでオスカーはスポンジのようにグングン吸収していった。
ワイアット兄に「オスカーは賢者になれそうだね」と言われて、オスカーは嬉しそうに、はにかんだ顔をしてみせた。あの頃のオスカーは可愛げがあった。
更に少し大きくなると、俺達は毎日、日が暮れるまで外で剣術の稽古やちょっとした狩りをするようになった。合間合間にオスカーは勉強を続けて、俺は殆どを剣術と狩りで過ごしたというのが正しいかもしれない。
いつか村を出て俺達もワイアット兄のように騎士になりたいと思っていた。
ようやく騎士団に入れる15歳になって、俺は期待で胸がいっぱいになっていた。
そんなある日、ワイアット兄が傷だらけで家に戻ってきた。休日ではない日だというのに。
肩から背中にかけての傷は青紫に膿み、禍々しく生き物のように蠢いている。
『瘴気』と呼ばれるものに侵された状態だった。
ワイアット兄は息も絶え絶えで、全身の傷は回復薬を使っても治らない。
まだ話だけは辛うじてできるワイアット兄は、少し悲しそうに「騎士団を辞めてきた」と言った。
辞めされられたのだと理解した。
俺達は必死でワイアットの呪いにも似た瘴気の傷を治すために努力した。
騎士団に入る夢は消え去った。
ワイアット兄がどれだけ活躍して、騎士団に貢献してきたかは知っている。沢山の大会で優勝していたし、有能な人間しかなれない騎士の中でも特に有能な人間にしかなれない『近衛騎士』までなったワイアット兄。
そんな人間を、ただ瘴気に侵されたというだけで除隊させる騎士団など、こっちから願い下げだった。
俺達がどんなに手を尽くしてもどんどん酷くなっていくワイアット兄。
ワイアット兄は、帰ってきた時こそ苦しそうだったが、村の人達から瘴気持ちとして居場所を追いやられて、山の麓にある小屋に住むようになってからは、俺達に辛い顔を一切見せないようになった。
いつも笑顔で「大丈夫だから心配しなくていい」と言ってくる。動くと激痛が襲うくせに、無理やり動いて、家事をしようとする。「もう平気だから」と言う。
そして二言目には、こう言う。
「だから、俺のことは気にせず、自分達のためになることをやりなさい」
心からそう思っていることはわかっていた。
俺達がワイアット兄のためにやっていることが、かえってワイアット兄を苦しめていることも。
だけど、俺もオスカーも、ワイアット兄がいたから生きてこれた。
俺達に優しい人間なんて、ワイアット兄だけだった。そのワイアット兄を放ってまでしたいことなどこの世にはない。
俺達はどうにかお金を稼いで、ワイアット兄のための回復薬を買った。節約のために家の横に小さな畑を作って、食べれる野菜を植えて育てた。
土が悪いのか材料が悪いのか、大して美味しくもない野菜しか育たなかったけれど、日に日に悪くなっていくワイアット兄の姿から想像できる『ワイアット兄の死』という恐怖を、唯一その畑だけが俺の心の不安を和らげてくれた。
エリクサーという薬の存在をオスカーが教えてくれた。
冒険ギルドの基地に、エリクサーの話を載せた本があったという。
それは辞書のようなもので、この世にはない作り物の話でさえ載っているというその本を鵜呑みにすることもできないが、ワイアット兄を助けることができる可能性はもうそこにしかない。
オスカーは働きながら、エリクサーを探してあちこち旅をするようになった。時々帰ってはワイアットの看病をして、そしてまた家を出ていく。
俺はワイアットを残して動くわけにもいかないから、時々単発で働きながらワイアット兄の世話をした。
いつしかもう、ワイアット兄は話せなくなっていた。ワイアット兄は顔から足先まで瘴気に侵され、手足は腐り、異臭を漂わせるようになった。
それでも生きているのは、ワイアット兄の強さであり、瘴気という存在の怖さでもあった。
瘴気に侵された部分は青紫色に染まり、凸凹に歪んで虫のように蠢く。
触れる程度では決して移ることはないと知っているけれど、それでも移されたくないと嫌悪する村の人達の気持ちはわからなくもない。
それほどに、瘴気に侵された人間の末路は酷いものだった。
「ワイアット兄。オスカーが必ずエリクサーを持って帰ってくるから、もう少しだけ頑張ってくれ」
俺は、ワイアット兄の蠢く身体を少しでも綺麗にしてやりたいと、お湯を絞って拭きあげる。
身体から溶け出して、濡れたタオルについたその青紫に蠢く皮膚は、しばらくタオルの上で動いてから消えていく。
大切な兄なのに、その動く皮膚を気持ち悪いと思ってしまう自分に腹が立ち、涙が零れた。
「ワイアット兄、、、どうか、死なないで、、、」
聞こえているかどうかもわからない兄に、俺は話しかけ続ける。
ワイアット兄にもう一度笑って欲しかった。
優しく頭を撫でて欲しかった。
誰よりも強く、誰よりも優しい尊敬する兄。
自分を置いていなくなるなんて、許されない。
「ワイアット兄、、、」
もう動かない身体。人間とは思えない姿になった兄の手を握り、祈るように俺は呟く。
家の入口の壊れかけたドアが軋んで開く音がする。
この家に入る人間など、オスカーしかいない。
俺はそれが誰かわかっていたので、振り向きもしなかった。
多分、もうワイアット兄の命は短い。
兄の残された灯火が消える瞬間は決して逃したくなかった。それを見逃したら、もう兄は救えない気がした。
「ワイアット、、、?」
オスカーの低い声が後ろから聞こえた。
オスカーは意外そうな声を出していた。
死にそうなワイアットを見たら、そういう声も出すだろう。
でも、そうではなかった。
「マリウス!!危ない!!!!」
言われて飛び退いたが、ほんの僅かだけ、俺の右腕を『それ』は擦ってえぐった。
自分の腕から流れ出る赤い血を自分の手で覆いながら、俺は目を剥いて『その姿』を眺める。
「、、、ワイアット、、、兄、、、?」
もう動かないはずだったワイアット兄は、腐った姿で起き上がり、俺に向かってニタリと笑った。
その手には、俺の腕から千切った皮膚がついている。
【惜しいことをした】
ワイアット兄の声ではない声が、兄の口から出てきた。低いオスカーの声よりもっと低い、地響きのような声だった。
【この身体よりお前の方が強い。ーーー強くなる、と言った方がいいか】
ワイアット兄だったものは、歪んで形を変え、動物になったと思えば知らない人の形に変え、また異形の姿になり、ワイアット兄の姿に戻った。
【お前に『瘴気』を与えた。いずれお前も瘴気に侵されて死ぬだろう。死にたくなければーーー我を殺しにくるがいい。我を殺せなければ、お前の身体を我がいただくこととしよう】
ワイアット兄の姿をした『何か』は、またワイアット兄らしくない汚い笑みを浮かべて、目を細めた。
【この者を救おうとするのはもう止めた方がいい。この者はもう死を迎えた。最後までお前達のことばかり心配しておったよ?】
ふふふとワイアット兄の姿は笑う。
【最期まで兄を心配させて。兄不幸だったのぉ】
そう言って。
ワイアット兄の姿は消えた。
兄の死と、自分が侵されたという瘴気と。
信じられず、信じたくなくて、頭が混乱してしまい思考が停止してしまっている。
さっきまでいたはずのワイアット兄の体はベッドになく、せめて死体だけでもあれば感情だけでも整理できそうなのに痕跡さえ残っていない。
腕から流れる血だけが止まることなく、さっきのは現実だったのだと思い知らされる。
「ーーーマリウス」
オスカーの声が耳には聞こえるが頭に届かない。
何度か呼ばれて、その音が強く、苛立ちを含み出して初めて、俺の意識に届いた。
「マリウス!しっかりしろ!!ワイアットのことは俺も辛い。だが、今はそれどころじゃなさそうだ」
オスカーに腕を引っ張られて、窓の外を無理やり見せられた。
「、、、なんだあれは」
山の中腹。
木々の中に隠れているようで全く隠れられていない。まるでワイアットの身体を蝕んでいた瘴気のように。いや、青紫だけでなく、鮮やかな花が舞うように、色とりどりのものが凝縮され、怪しく蠢く。
「魔物の群れだ」
スタンピートという現象があることは知っていた。
予兆もなく魔物が集まり、大群となって街や村を襲う。
大抵の町はそれによって滅び、廃墟となる。
聞いてはいたが、まさか目の前にそれが有るとは。
「すぐに戦わなければあの魔物の数では村が滅ぶ。マリウス、剣を持て。間に合わなくなるぞ」
動けない俺を引き摺り、オスカーは出入口の壁に掛けられた俺のの剣を手に取ると俺に押し付けた。
「俺は剣よりも魔法の方が強い。だがお前は魔法はからきしだろう。剣を持て!早く!」
普段無口で声を荒げることのない男が、真剣な顔で俺に声を上げる。
オスカーの気持ちもわかる。
自分の村が故郷が魔物に襲われる。その結果を考えると、自分が今できることをしなければと思うのは。
オスカーは賢い。きっと今、様々な可能性に対しての対策が頭の中で組み立てられているだろう。
だが俺は。頭がショートしてしまっている俺は、こんな時なのに「こいつはワイアット兄が死んだというのに、悲しくないのか」なんてことを考えてしまっていた。
ショックにも似たその感情は、自分の身体を重くした。
そんな場合ではないことはわかるし、剣を持つけれど普段の半分も早く走れない。
使い慣れた剣は上手に動いてくれず、外に出て一番に襲ってきた下級の魔物を伐ることさえ難しかった。
「しっかりしろ、マリウス」
鼓舞してくるオスカーの声に苛立ちを覚える。
「わかっている!お前も集中して前を向け!」
怒鳴ってから、俺は剣を持ち直した。
だがやはり力が全然でてこない。
それでも俺は出せるだけの力を使って戦った。
まだ、ワイアット兄からえぐられた腕からの血は止まらない。
眩暈がして膝が折れる。
村に向かって勢いよく下り降りる魔物達全てを止めることは不可能で、その群れから離れて俺に襲いかかってきた中級魔物の爪に、俺を庇ったオスカーが食らった。左肩を負傷して、太い木の幹に激しく全身を打ち付けた。
「オスカー!」
不甲斐ない俺にオスカーは文句も言わず、なんとか身体を起こそうとする。
「余所見をするな、またくるぞ」
「っ!!」
頭を打ち付けたのだろう。オスカーの後頭部をつたって血が首の後ろから流れてくる。
頭は他のところよりも血が多くでやすい。
首から流れる血の量を見て、どっと不安が襲ってきた。
ワイアットのように、オスカーにも死なれたら。
もう自分の血縁者は誰もいない。
親しい人も誰もいなくなってしまう。
たった1人。自分だけ。
「ダメだ、、、オスカー死ぬな」
黒い感情が自分の中を駆け回るのがわかる。
それが血液に混ざりこんで細胞に染み渡る。
身体が燃えるようだった。
ワイアットにつけられた傷がーーー熱い。
傷を出口に、俺の中で膨らんだ何かが突き抜けた気がした。
「ーーーマリウス?」
驚くオスカーの声だけが耳に聞こえる。
気付けば、そこら一帯が炎に包まれていた。
魔物が燃え、山の木々にも広がるその炎は、みるみるうちに大きくなっていく。
「な、、、」
オスカーを見ると、オスカーは俺達2人を守るための火炎耐性魔法を発動していた。わずかに熱さは感じるが、これだけの炎の中にあって皮膚が燃えていないのが奇跡のようだ。
「この炎もお前が、、、?」
オスカーの眉が寄る。
「寝言を言う状況じゃない。お前だ、マリウス。俺はこんな火炎魔法は知らない」
「俺が?」
信じられなかった。
なぜ魔法を使えない俺が、これだけの炎を作り出せたのか。
そしてオスカーが、何かに気づいた。
「マリウス。お前ーーーその傷、、、」
「傷?」
見るように視線で促された先は、俺の右腕。
ワイアット兄にえぐられ、全く血の止まる気配がなかった傷が、跡形もなくなくなっていた。
火傷するように痛かったのに、もう熱くも痛くもない。傷がなくなって喜ぶはずなのに、俺は全く喜べなかった。
まるで、身体が『異物』を受け入れたかのようだ。血を流して、異物を除去するように身体が必死に抵抗していたのにそれを許してしまった。
そんな気がして。
激しく燃え上がった炎は、一通り燃えた後、燃やすものがなくなって鎮火した。
おびただしいほどの魔物の半分は炎で燃えたが、残る半分は俺達の住んでいた村を襲ってどこかへ消えていった。
それきり俺は元のように魔法も使えず、物理的な力さえ使い果たしたようで剣を持つのも難しかった。
満身創痍であるオスカーに背負われるという屈辱を味わいながら村の入口に辿り着いた時には、村はもう壊滅していた。
形の残った家屋は1つもなく、村の田畑も魔物に踏み散らかされている。
人の気配は全く残っておらず、あるのは魔物によって食い千切られ、傷つけられた村人の死骸のみ。
嫌いな人達だった。
瘴気に侵されたワイアット兄を排斥して、村八分にした人達。親のくせに子供であるオスカーに酷い扱いをするオスカーの両親も。
でも、死んで欲しいと思っていたわけじゃない。
ワイアット兄が瘴気に侵される前までは優しくしてくれた人達がいる。子供の頃に一緒に遊ぶこともあった人がいる。
その人達もみんな死んでしまった。
「許さない、、、、」
ポタリと地面に水滴が落ちる。
自分の目から流れ落ちる涙を自分でも気付かぬほど、心の底から沸き上がる怒りと悲しみに埋もれて狂ってしまいそうだった。
兄の死。
魔物による故郷の滅亡。
俺は何もすることができなかった。
それが悔しくて情けなくて。
全て『あいつ』が悪い。
あれが誰だか、言われなくてもわかる。
【我を殺しにくるがいい】
あいつは言った。
余裕のある表情で。
決して負ける気はないのだろう。
だが。
「望み通り殺してやる」
俺は神に誓い、それを口にした。
どんなことをしても。
例えそれが茨の道のりだとしても。
必ずあいつを殺してやる。
そうして俺は『魔王退治』の旅に出たのだった。




