穏やかな生活と、それが崩れる日のこと
チュンチュンと、軽やかな鳴き声で目を覚ます朝。
太陽はまだ顔をみせたばかりの時間。空は柔らかい青色をしていて、まばらに高いすじ雲がその空に浮かんでいる。
窓を開けると、冷たい空気が一気に部屋の中に入ってきて、夜の間に私がじわじわと温めていた室内を急速に冷やした。
まだ半分眠っていた頭が動き始め、外の空気を自分の身体全体にも入れ込むように大きく背伸びをしながら深呼吸をする。昨日溜まった不浄なモノを、朝の空気で入れ換える。
それが私の朝のルーティン。
一通り柔軟もしたら、窓を閉じて部屋を出る。 顔を洗って歯磨きをして、オレンジ色の長い髪を1つに束ねてからキッチンに向かう。
キッチンに近づくと、すでに明かりが灯っていて、私の前に誰か早起きしている人がいることを知る。
いやーーー早起きではなく、遅寝なのか。
キッチンの中央にあるテーブルについてコーヒーを飲んでいるのは、どの角度から見ても美貌を崩さないオスカー。腰まで伸ばした艶のある黒髪を肩から前に垂らして、伏し目がちになった青と緑のオッドアイを私に向けた。
朝から色気を溢れさせるのは止めてほしい。
「おそよう。また徹夜なの?」
私が先に、独特の挨拶をすると、オスカーは笑わなさそうな顔なのに、口元を少し緩める。
「今研究している魔法が、あと少しで解析できそうだからな」
未来の大賢者様は、どんな時でも魔法の研究を絶えることがない。今も昔も、そして未来も。
「でも寝ないと集中もできないでしょう」
「そこらへんの凡人と一緒にしてもらったら困る。俺はそのくらいで集中できなくなるような身体はしていない」
冗談交じりに反論してきたオスカーに、私は苦笑した。
「それはそれはごめんなさいね。私が凡人なもので、超人の理解はできそうになくて」
「凡人なりの気遣いには感謝はしている」
「ーーーどういたしまして」
私が苦虫を噛み潰したような顔をしてみせると、オスカーが可笑しそうに顔を歪めた。
過去に戻る前。
勇者パーティーの一員として、オスカーともずっと一緒にいたけれど、私がオスカーと話すことは殆どなかった。彼からは冷たい視線を向けられるだけで、オスカーは私と話をしようとしなかった。
嫌われていたんだと思う。
だから、オスカーとこんな風に話せることが不思議で仕方ないし、嬉しくもある。
いつものように、オスカーがコーヒーを飲んでいる間に私は朝御飯を作り、オスカーに差し出した。
「今日は昨日収穫したカボチャのポタージュスープよ。新鮮サラダと共にどうぞ」
まだ熱くて湯気のたつスープをオスカーは受け取り、そのスープを眺める。
オスカーはいつも、料理を提供するとそれをしばらく眺める癖がある。これは過去に戻る前からの癖だ。
はじめは提供した料理を嫌がっているのかと心配していたけれど、どうも違うらしい。
研究気質のせいか、口に含む前にその料理を、先に目で把握しようとする。提供された料理の食材や味付けなどを、味わう前に予想しているのだろう。
口に含んでから、その味を生み出す食材と味付けが何であるかの考察を再修正する。
面倒くさい男なのだ。
やけどしないようにゆっくりスープカップを口につけて、オスカーは一口飲み込む。
「、、、、何が入っていると思う?」
隠し味当てゲーム。
ここ最近、朝にいつも繰り広げられている。
はじめはオスカーから「これは◯◯が入っているのか?」と聞いてくるようになってから始まったものだ。
「これはさすがにわかる。セロリだろう」
「ピンポン!正解!あら、わかりやすかった?身体にいいらしいけど味の癖が強いから、こっそり入れたつもりだったのに」
「わずかに風味を感じる程度だ。鈍感なマリウスには気付かれないだろう」
「そうかな」
そう言いながら、私はガラス皿に入れた野菜スティックをオスカーに差し出した。
「正解のご褒美。セロリと大根と人参の野菜スティック。お手製マヨネーズにつけて食べてね」
オスカーはベジタリアンだ。
肉や魚も食べなくはないけれど、勇者パーティーでの旅の途中、野菜ばかりを食べていることで気付いたオスカーの嗜好。
セロリスティックをマヨネーズにつけて、オスカーが口に運ぶ。噛んだ瞬間、サクリと音が鳴った。
「美味しいでしょ、マリウスが育てた野菜。ここの土地の土壌の良さと、セロリが嫌いな癖に野菜好きのオスカーのために育てたマリウスの愛の結晶よ」
「気持ち悪い言い方をしないでくれ」
「ふふ」
マリウスは畑作業に更に力を入れるようになった。
冬だというのに豊かに育つ野菜達が、面白くて仕方ないらしい。
マリウスの朝は早い。
誰よりも先に起きて、朝の運動をして、そして夜明けと共に野菜を収穫する。
そして収穫した野菜を持って近隣の町に野菜を売りに行くのだ。冬に採れる新鮮な野菜は珍しい。
あっという間に売れてしまうらしい。
マリウスの野菜を待っている人達のために、マリウスは今日も野菜を担いで出歩いているはずだ。
近隣といっても、山を2つは越えなければならないけれど。勇者になれるほどの身体能力の持ち主のマリウスにとっては、山2つの往復も、朝のトレーニング程度にしかならないらしい。
体力オバケと、彼の兄はマリウスのことをそう評する。
「おはよ」
その人のことを考えていると、噂をすればなんとやら、マリウスの兄であるワイアットがキッチンに入ってきた。
自分の部屋側からでなく玄関の方からの出現に、私は首を傾げる。
「おはよう、ワイアット。外に出ていたの?」
ワイアットは短めに切られた淡い茶色の柔らかそうな髪を揺らして、小さく頷いた。
両方のてのひらを広げたほどの籠を抱えていたワイアットは、それを私に差し出した。中には沢山の卵が入っていた。
「今日は朝にチーズオムレツが食べたくなって。卵をとりにいったら、いつもより沢山、卵が産まれていたんだ」
弟のマリウスは畑仕事を。
兄のワイアットは、動物好きが高じて酪農を始め、その土地と動物達がいつの間にかどんどん拡大していっている。
この妖精の村の土地は広すぎて、農業も酪農も、どんなに土地を拡大していってもまだまだ有り余っているけれど、最近、ちょっと好き勝手しすぎてはないかと思わずにもいられない。
妖精の村の村長と妖精達が、それで構わないと言うので、私も口は出さないけれど。
私はワイアットから卵を受け取ると、それを冷蔵庫に入れる。
オスカーが開発した、魔石に氷魔法を付与してそれを箱に入れたもの。
冬だから食べ物が悪くはなりにくいけれど、外に置いていたら虫や野良の動物に食べられやすいから、部屋の中で冷たく保管できるのはありがたい。
過去に戻る前もオスカーは冷蔵庫を開発していたけれど、魔石の違いか、付与する魔法の違いか、ここまで性能の良いものではなかった。
オスカーは『冷蔵庫』が、莫大な富を築いた理由の1つではあったけれど、それより更に良い商品となると、どれほどの利益を生み出すのだろう。
未来の大富豪であり、大賢者であるオスカー。
彼はそれだけの地位がありながら、魔王を倒す勇者の旅を決して止めようとはしなかった。
親友マリウスのため。
そして彼の『真の家族』なのに魔物に殺された、ワイアットの仇のために。
私は本当は亡くなっていたはずのワイアットを振り返り、一部の卵と入れ換えに取り出したチーズを持ち上げた。
「もうすぐ牛乳もチーズもなくなりそう。ワイアット、また時間がある時に追加をお願いしてもいいかしら」
オスカーの斜め横のテーブル席に座ろうとしていたワイアットは、持ち前の人好きする優しい笑顔で答えた。
「もちろん。あとで沢山持ってくるね」
ワイアットはサービス精神が旺盛だ。誰かを喜ばせようと死ぬほど持ってきそうな気がする。
「あんまりあると腐ってしまうから、ほどほどでお願いね」
「わかった。ほどほどにだね」
本当にわかってくれたか不安だけど。
私がワイアットにチーズオムレツを作って、それをワイアットの前に差し出していると、今度は花の香りが漂ってきた。
「ふぁあ、、、あぁ、眠た、、、」
細長い腕を大きくクロスさせながら、凹凸のある女性らしい身体をこれでもかとばかりに魅せるドレスを着た女性がキッチンに現れる。
カーブした緑色の長い髪は妖艶に揺れて、その女神を彷彿とさせる姿を更に美しく引き立てていた。
「ベリル。今、帰りなの?」
この家に住む人達の中で、唯一、雇われて働いているのはベリルだけだ。
緑色の宝石、夜の女王という異名さえもつ彼女は、この国一番の娼館のトップを走り続けている。
娼館といえど、トップともなれば安売りできない。
彼女と一夜をともにするには山のような金額が必要であり、それを求めて男達は一財産をなげうってようやく、彼女と『会う』をすることが許される。
一夜など、遠い夢である。
それでもたった一夜、彼女とともにできたなら、それは『女王に認められた証』として、噂は国中に広がり、表舞台でも認められる。それだけの価値がある男なのだと。
だからこそ、がむしゃらに男達はベリルにお金を落とす。
しかし正攻法でないと手に入らないと知りつつも、ベリルをどうにかして手に入れようと画策する人も少なくなく、ベリルは常に危険に曝されていた。
そのため定住せずに家を転々としていたベリルだったが、認められた人間しか入れない妖精の村のこの家だからこそ、ベリルも安心して住めるようになった。
一緒に住むのは嫌だと言っていたのが嘘のように、毎日朝方になったら帰ってきている。
でも今日はいつもより遅い帰りだった。
太陽がしっかり昇ってから帰ってくるなんて、どのくらいぶりだろう。
「、、、アグノラ。ミックスフルーツジュース貰える?柑橘類メインで」
ベリルは、私の「今帰りなの」という質問には答えずに、ストンとテーブルの席についた。
見たらわかるでしょといわんばかりに。
態度は悪いけれど、いつものことなので気にしない。
過去に戻る前は淑女の鏡のようだったけれど、この飾らない姿はそれはそれでベリルらしくて良いと思う。
私はこの妖精の森に多数自生していた果物を散歩がてら回収していて、それをベリルの要望に答えてジュースを作っている。
「糖分はお肌に良くないんじゃなかったの?」
ワイアットがからかうようにベリルに言った。それをベリルは気だるそうに答える。
「アグノラの作るジュースだけは別だから」
「私の作るジュースが美味しいってことね」
「あぁ、そういうこと。確かにアグノラの手料理はとても美味しい」
ワイアットは納得して頷いた。
ベリルが言うには、糖分は肌に悪いけど、私の作るジュースは肌が異様に綺麗になるらしく、仕事終わりか仕事前に手作りミックスジュースを希望されるようになった。
肌が綺麗になるのは、多分、私から漏れた聖魔法によるものだとは思う。
自分でも気付かなかったけれど、私が手を掛けることで聖魔法を付与する形になっているんだろう。
つまり、ミックスジュースだけでなく、他のスープやオムレツなども、同じ効果が現れているんじゃないかなと思う。
皆が健康でいることは良いことだから、私は思う存分作り続けますけどね。
私がベリルに絞ったミックスジュースを渡すと、ベリルはそれを一気に飲み干した。
「ご馳走さま。じゃあ、私はもう寝るわ。起こさないでね」
「うん。お休みなさい。起きたら簡単にとれる軽食を準備しておくから」
にこりと私が笑うと、ベリルはエメラルドのような緑色の大きな瞳で私を凝視した。
「、、、ねぇ。あんまり言うつもりなかったけど、あんたのあいつ、まだうちの店に通ってるわよ。私には全く興味なさそうだけどね。でも毎日私のところに来れるなんて、どれだけの大金を支払ってるんだか。よっぽど誰かにあんたを会わせたいんでしょ」
あいつ、と言われて、私はすぐに理解する。
ケイレブのことだ。
ケイレブに会ったあの日から半月経つ。
あれから私は、妖精の村を離れていない。
ここにはこの家に住む人以外は入れないから。
ケイレブが会わせたいという人はエイダン王子であるというのはわかっている。でもエイダン王子のことを考えるだけで、身体が痙攣しそうな気がする。
真っ青になった私の顔を見て、ワイアットが険しい表情になって立ち上がった。
「ベリル」
なぜその話を、と言いたげな様子に、ベリルはワイアットに視線を移して口を開いた。
「事実よ。余計なことは言うつもりないけど、気をつけておいた方が良さそうだから話しただけよ。ワイアットお兄ちゃんが凄んでも全く怖くないんだから、そんな顔はしないでちょうだい」
確かにワイアットが怒っても、全く怖さを感じない。私に兄弟はいないけれど、もしお兄ちゃんがいたら、こんな風に怒ってくれるのかなという怒り方をする。
ワイアットは優しすぎるのだ。
世の中に揉まれすぎたベリルが優しいワイアットに怒られたところで、微塵にも動じることはないだろう。
ベリルに怖くないことを指摘されて、複雑そうなワイアットの顔が可笑しくて、私は不安になっていた感情が薄れ、つい吹き出して笑ってしまった。
「アグノラ?」
「ふ。あはは。ごめんなさい。でも、その様子じゃワイアットがベリルに勝てる日はなかなか来なさそう」
「ベリルに勝てる人なんていないよ」
ワイアットは困った顔で頭を掻いた。そして話をはぐらかすように、ワイアットは話題を変える。
「、、、マリウスは?野菜が置いてあるってことは、もう起きてはいるんだろう。また野菜売りに行っているのかな」
「私はそう思っていたけど」
私がそう答えると、部屋に戻ろうとしていたベリルが振り返りながら私達に言った。
「マリウスなら、城下町で会ったわよ?」
「「城下町?」」
私とワイアットの声が重なる。
「なんでマリウスが城下町に?」
「野菜売りにそんなところまで行ったのか?」
城下町ほどの大きさなら、野菜売りの人間は溢れるほどいる。わざわざマリウスが城下町に野菜を売りに行く必要はないはずなのに。
私達の疑問に対して、ベリルは眠くなってきた目を細めながら、記憶をたどって口を開く。
「何かの大会に出るって言ってたわよ。あぁ、ほら、少し前から張り出されているあれよ、王様主催の、国中の戦士を集めた大会」
ーーー嫌な、予感がした。
そしてベリルは、ようやく思い当たって、今日一番の笑顔を作ってみせた。
「魔王を倒す勇者を決めるっていう、あの大会よ。国中の強い人間がくるから、楽しみにしていたみたい。あの戦いバカも、ここまでくると才能ね」




