大嫌いなあの子のこと(ベリルサイド)
夢の中なのに、ここが夢の中だと理解していた。
ベリルという同じ名前の、同じ顔をした人間の夢だった。
勇者のメンバーとして旅をしている、今より少し年齢を重ねたような、知らない自分がそこにいた。
長い緑の髪はそのままに、清楚な服を着て淑女のように歩く自分の姿。
あたかも聖女か女神かといわんばかりに。
でも瞳が荒んでいた。
なぜそんなに鋭い瞳をしているのかと。
夢の中の自分自身に聞きたいくらいだった。
淑女の姿をした私には、嫌いな人間がいた。
それは、何も苦労を味わったことがないような、素直でまっすぐな人のこと。
アグノラという女の子。
それが私の大嫌いな人間だった。
娼館で働きながらも、そこから逃げて生き延びるために勇者のパーティーに入れてもらった私は、その勇者を周りを彷徨くアグノラにも、一応は丁寧に接するようにしていた。彼女は勇者のストーカーのくせに、ちゃっかり勇者に好かれているのも気に食わなかった。
ストーカーならストーカーらしく陰に隠れてればいいし、ストーカーでないなら、あれほど勇者が愛の告白を断っているのだから諦めればいいのに、その気配もない。
さらには、私のところにも毎日やってきて、長年の親友のような顔をする。
「私、ベリルのことも大好きよ」
そう言って満面の笑みで笑うアグノラは、私が彼女のことを親しく思っていると疑っていないようだ。
どんな生き方をしたら、こんなに人を信じれるのだろうかと不思議で仕方なかった。
よっぽど幸せな生活をしてきたに違いない。
彼女が言うには、自分の村を離れて、死にかけた自分を助けてくれた勇者に自分の人生全てを捧げるつもりなのだそうだが、彼女からはそんな苦労をした様子は一切見られない。きっと話半分なのだろう。
本気で苦労をした人間は、もう少し深い顔つきになるはずだから。
私は彼女と違って、人を見る目があるつもりだ。
信じていた親に売られて娼館で働くことになった私は、人の心の奥を探り覗いて、その隙間を埋めることで生き抜いてきた。人を視ることは自分の生死を左右するくらい大切なことだった。
人の心は弱ければ弱いほど歪みやすい。
強い人は人を簡単に蹴落としやすい。
安全な人間など、誰もいなかった。
常に疑い、常に気を張らなければいけなかった。
その人が何を望み、何を嫌がり、何に対して怒りを覚えるのか。喜ぶのか。
それを知り、その欲望を満たしてあげるのが仕事であるといっても過言ではない。
ミスをしたら殺される。
かつて、私の同僚だった女の子もしかり。
母のように思っていたかつての副店長もしかり。
賢く生きなければ、酷い目に遭う。
騙されないように、私は先に人を騙すのだ。
私がその人にとって価値がある人間だと思わせることが大切なのだから。
そのためにも、相手を知る必要があった。
その点では、アグノラは簡単だった。
単細胞というくらい単純で、嬉しいことがあれば喜ぶし、失敗すれば悲しむ。
感情の全てが顔に出て、喜怒哀楽が著しい。
馬鹿なのだろうと何度も思った。
彼女を見ていると呆れてものが言えなくなることが多かったし、腹も立った。
よくそれで、ここまで無事に生きてこれたものだと不思議で仕方なかった。
勇者のストーカーのくせに、気付けばいつも私の横にいて、どうでもいいような話でケラケラと楽しそうに笑う。
ーーー嫌いだった。
いつでも幸せそうな彼女が。
妬み?
いいえ、そんな感情を彼女に抱くはずがない。
身体も未熟で知識も乏しい。呆れるほど愚かで、そして不器用。使える魔法も低レベル。体術などとても見れたものではない。
誰かの助けがなければ生きていけない人。
そう思っていたのに。
軽んじていた彼女を、私が『大嫌い』と思ったのは、いつだっただろう。
そう、多分、あの頃だ。
とある春の暖かい日のこと。
「ベリル、ベリル!見て!!一角ネズミを捕まえたのよ」
魔物の討伐に向かった森の奥。
清らかな泉がある傍で休憩することになった。
ストーカーである彼女は、勇者パーティーの一員でもないくせに堂々と勇者のテントの横に自分の小型のテントを張って、清らかな泉で釣りをしていた。
その釣竿に、魚ではなく小さな魔物のネズミが掛かったと、彼女は満面の笑みで私に見せてきた。
一角ネズミなんて、城下町に住む子供だって簡単に捕ることができる。こんなに喜ぶことではない。私の魔法だったら、見つけた瞬間、その姿は火に焼かれて簡単に消滅するだろう。
冷たく罵りたい感情を抑えて、私はニコリと彼女に微笑んでみせる。
「あら。それはすごいわね。釣竿でネズミを捕るなんて、なかなかできないことよ。こんな奇跡的な偶然があるなんて、更に良いことが起こる前兆かもしれないわね」
「ベリルもそう思う!?」
ぱぁと目を輝かせる彼女の瞳は、心の底からそう思っていいるようだった。
私は小さく頷いてみせる。ほんのり微笑んで。
「ええ。勿論」
勿論ーーーそんなこと思うはずがない。
そんなことで幸運が訪れるなら、世界中の皆が幸せに生きているだろう。
「良いことがあるといいなぁ」
彼女は1つに括ったオレンジの髪を、馬の尻尾のように揺らして、私に顔を傾けた。
「私にもマリウス様にも、ーーーベリルにもね」
パンと手を打ち合わせて、彼女は天に祈る。
祈るしかできない女。
馬鹿馬鹿しい。
神などいるものか。
本当にいるのなら、こんな世の中にはしないだろう。
多くの人が貧しく苦しみ、ろくな人間がいない。
人を裏切り、騙し、見捨てていく。
欲深く、自分のために人を突き落とす。
弱い人間は、強者に何もかも奪われ、食い尽くされる。本当の地獄を見るのは、いつも弱者ばかりだ。
私は、そんな弱い人間には絶対にならない。
もう誰からも、自分からは奪わせない。
人はーーーー信じない。
決して。
「ベリル、ベリル!ねぇみて。あそこ。ほら、木の下に小さいものが動けずにもがいてる。一角ネズミかしら」
「どうでしょうね」
優しい声を出しながら、私はその『何か』に近寄るアグノラの背中を冷ややかな目で見ていた。
一角ネズミのように小さなものでも魔物には変わらない。さっきのは水の中で体力を奪われて弱っていたからアグノラでも捕まれられただけで、地上に生息している魔物に手をだそうものなら、噛みつかれるか爪で掻かれてもおかしくない。
別に彼女がどうなろうと私には関係ないけれど、一緒にいたのに何もしなければ、せっかく築いた『優しい女性』のイメージが崩れるかしら。
私がそんなことを考えている間に、その何かに安易に近寄ったアグノラは、短く悲鳴をあげて私を振り返った。
「ベリル!ネズミじゃないわ。雛よ。木の上の鳥の巣から落ちたんだわ」
アグノラは落ちた雛を両手に乗せて、どうしたものかと私のことろに持ってきた。
木から落ちた衝撃か、雛は瀕死の状態だった。
さっきもがいていたのは最後の足掻きだったのだろう、もう体は殆ど動けていない。
ピクピクと痙攣して、もう呼吸もろくにできていない。あと僅かな命であることは明白だった。
「アグノラ、、、残念だけど、この子はもう、、、」
私が言った瞬間、ポロリとアグノラの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「可哀想に。ーーーごめんね。何もしてあげられなくてゴメンなさい」
アグノラは泣きわめくでもなく、ただただ静かに涙を落としながら、優しく、ゆっくりとその死にかけた雛を撫でて続けた。
そんなことをしても雛はどうにもならない。
それでも、アグノラは少しでも雛を癒してやりたい気持ちで、優しく、優しく撫で続けていた。
もうすぐの命。
ーーーだというのに、なかなか雛は息を引き取ることなく、むしろ少しずつ呼吸が整っているようにも見えた。
後になって気付いたことだが、アグノラは、この時すでに聖女の能力が開花しだしていたのかもしれない。
聖女の力。
治癒能力と癒し。
「、、、少し楽になった、、、?」
落ちた時のようにモゾモゾと動き出した雛に少し安堵して、アグノラは木の上を見上げた。
「あそこから落ちたのかしら」
そこまで高い木ではないけれど、木は普通に5メートルはある。その頂上付近に鳥の巣らしきものがあった。
「そうでしょうね」
私が頷くとアグノラはその雛を、殆どないような胸の谷間に入れて、巣のある木に登り始めた。
「この子を巣に返してくる」
「は?何を言っているの?」
驚きすぎて、素の自分がでそうになってしまった。
バカじゃないの?と大声で罵りたかった。
そもそも巣から落ちた雛は、戻しても助からない。
親か兄弟が落とした可能性があるし、人間の臭いがついた雛は嫌われるからだ。
下手したら、親が人間の臭いのせいで巣にさえ戻らなくて、他の兄弟さえ死んでしまう可能性もある。
そんなことしても無駄よ。
そう私がアグノラに言う前に、アグノラはもう、木登りをはじめていた。
普段、不器用な上に運動神経が通っているかもわからないような子のくせに、木登りだけは上手なようで、あっという間に木のてっぺんまで辿り着いていた。
他の雛からピーピーと激しく鳴かれながら、アグノラはそっと、その傷付いた雛を巣の中に戻す。
人差し指と中指の二本で雛の頭を撫でて、もう一度祈るように呟いた。
「どうか死なないでね。貴方達もこの子の命が助かるように優しくしてあげてね」
偶然かもしれない。でも、他の雛にアグノラの気持ちが伝わったのかも。
あれだけ騒いでいた他の雛達が、急に鳴くのを止めた。静かになった巣の中に、アグノラはニッコリと微笑んで「ありがと」と声を落とす。
木の上から地上に戻ってきたアグノラは、私の傍に戻ってきて悲しそうな顔で呟いた。
「私に、もっと力があればいいのに。死にそうな雛も助けられるような」
本気でそう言っているアグノラに呆れるしかない。
そんなことできるはずがない。
回復薬にも限界があるというのに、たった一人の力で死にそうな生命体を回復させる力など、ないに等しい。
それこそ100年に1人現れるという存在か、幻の薬エリクサーくらいだ。
そんな夢物語を口にするなんて、本当にこの子は頭の中がお花畑なんだわ、と心から思う。
私は俯き気味のアグノラの頭を眺めながら、冷ややかな目をして、優しく声をかけた。
「、、、そうね。本当に私も自分の無力さを感じるわね。でも、運命というものは必ずあるものだから。アグノラの祈りが届かなくてあの雛が死んでしまっても、それはあの雛の運命だったと思うわ。仕方ないことよ」
「運命、、、」
私の言葉を繰り返して、アグノラは呟く。
「私達もいつ死ぬかわからない。でもきっと、それは運命でしょう。私が勇者のパーティーに入れてもらえたのも、それによってアグノラ、貴女に出会えたのも」
アグノラが私を見上げてきたので表情を優しいものに変えて、アグノラを慰めるように、アグノラの肩にふんわりと手を置いた。
「自分にできることなんて限られているのだから、できることを精一杯すればいいと思うの。貴女はちゃんとやっているわ、アグノラ」
「ベリル」
アグノラの瞳にまた涙が滲む。
本当に単純な子。
ただの小娘にできることなんてたかがしれているのだから、余計なことらするなと暗に言っていることにも気付かない、お馬鹿な子。
アグノラは、ぐいと自分の目を腕で拭って、私の袖を強く握り締めた。
「大好きなベリルが死ぬなんて絶対に嫌。もしベリルが死ぬようなことがあっても、私は絶対に絶対にベリルを助けるからね!だから、絶対に死んではダメよ」
堪えきれず、ボロボロとアグノラは涙を流し始めた。
私が「私達もいつ死ぬかわからない」と言ったことがアグノラの頭の中にはこびりついてしまっていたようだった。
それが可笑しくて。
「、、、、バカね」
つい、笑ってしまった。
見知らぬ雛が死にそうになっていても泣く子なのだから、知り合いの誰が死んでも泣くのだろうけれど。
私の死を想像して本気で涙を流すのは、この子くらいだろう。
雛と同じ扱いを受けているというのに、私のために泣いているアグノラを見て、少し嬉しく思ってしまっている自分にも可笑しくて仕方がなかった。
少しの光魔法が使えるだけの、平凡な少女。
命の恩人である勇者に纏わりついているだけのストーカー。
だけど。
明るくて優しくて、何に対しても一生懸命。
人を裏切ることも、裏切られるということも知らないような純粋さを持った単純なーーー。
幸せな子。
私は可笑しくなって笑ってしまった口元を引き締めて、アグノラに微笑んでみせた。
「私はそう簡単には死なないわ。意外としぶといのよ、私」
「しぶといって。あはは。ベリルには似合わない言葉ね」
「そうかしら。ふふふ」
私達はそうして、また並んで一緒に歩いていく。
ーーーー。
アグノラは知らないでしょうね。
考えもしないでしょう。
私が貴女を嫌いなこと。
平和そうな頭の中も。
努力をすれば何でも叶うと思っているところも。
その諦めの悪さも。
そんな姿を見ていると、人を信じられなくなった私が、つい貴女のことだけは信じてしまいそうで。
だから。
私を変えそうな貴女には、絶対に心は開かないと決めた。
彼女のことが『大嫌い』だから。




