勇者の動揺(マリウスサイド)
今日もまた、あの夢を見ている。
夢の中の俺は、『勇者』と呼ばれていた。
数少ない仲間と共に旅する俺は、その日は古びた宿に泊まった。鏡の前に立つ俺は、随分と疲れた顔をしていた。少し痩せていて、それなのに、目付きだけはギラついている。
仲間と話す時もこびりついた笑顔。
自分をうまく表現できていない。
兄が死んだ。
魔物による瘴気に蝕まれて。
故郷が滅んだ。
大群の魔物に襲われて。
兄は偉大な人だった。
親代わりと俺を育て守り続けてくれた。
誰よりも優しく、そして強かった。
兄の笑顔は皆を幸せにしてくれた。
全てを包みこむような包容力。
素晴らしい人だった。
死んでいい人ではなかった。
俺は魔物を憎み、魔物を倒すことに全てを費やした。自分の身がどうなろうと、魔物は1匹足りとも生きてはいけないと思った。
気付くと、俺は笑えなくなっていた。
魔物の王である魔王を倒そうと思ったのは、いつだったか。魔王を倒すために、ひたすら自分を鍛えた。
国が魔王を倒す援助をしてくれるという『勇者』になろうと思った。魔物を探して移動するのにも、装備を揃えるのにもお金が必要だった。
お金を稼ぐために働いていては、多くの魔物は倒せない。国がお金を支援してくれれば、魔物を倒すことに専念できる。
だから俺は『勇者』になった。
勇者選別の大会で優勝して、王から『勇者』として任命される式の時に、顔が強張って動かない自分を知った。
笑わなければと。
国王を不快にさせてはいけない。
魔王を倒す英雄『勇者』を、期待の眼差しで見上げる子供達を幻滅させるわけにはいかない。
俺は兄を思い浮かべた。
するとあんなに笑えなかった顔が、穏やかに微笑んでいた。
兄がそこにいると思った。
本当は、兄が『勇者』になる人だったのかもしれない。彼は優しく強く、彼を知る全ての人を幸せにする崇高な人物。
俺は兄のようになろうと思った。
兄が『勇者』になればいいと思った。
あれから俺は、兄の真似をしている。
兄の真似をすれば笑える。
死んだ兄を真似して優しいふりをして、無理やり笑って気さくなふりをする。
心のどこかで、自分ではない自分に辟易している部分もあった。心から虚無感が抜けない。
人と関わっていても、全てが偽りのような気がする。
元々俺は、あまり人との関わりが得意ではなかった。
人とつきあうより、戦うほうがずっと楽だった。
魔物を倒せば周りの皆が喜ぶ。
不幸な人が少しでも減ればいいと、それだけを望んで戦っていた。自分のように不幸な人間は、これ以上増やしてはいけないと。
それだけが望みだったのに。
ーーーーー愛する人ができた。
彼女は、とにかく不器用な人間だった。
生きる術も知らず、力もなく、大した能力もなく、少し可愛いくらいで。ただ、ひたむきに、盲目的に、俺のことを慕ってくれていた。
こんな、戦うことしか能力のない俺を。
でも彼女と共に旅して生きるには、彼女の能力が足りなかった。戦う術のない彼女にいつ危険が及ぶかわからない。この先、どんどん魔物は強くなる。 魔王にたどり着くまでに、どれだけの危険が待ち受けるだろう。 絶対に受け入れてはいけない人だった。
それに俺には、他にも彼女を受け入れられない理由があった。
だから俺は彼女の告白を断り続けた。
それでも俺達の旅に無理やりついてくる彼女を、完全に突き放すことができなかったのは、俺の弱さだと思う。
あの屈託のない笑顔を見ていると、魔王とか旅の気苦労とか、そんなものが薄れて、心が軽くなる。
彼女といると、とても居心地が良い。
辛く苦しい旅の中で、彼女といる時が唯一、穏やかな気持ちでいられた。
その関係は、彼女の能力に変化があっても変わらなかった。
彼女は力を得たのだ。
それも、100年に1人しか現れないという唯一無二の『聖女』という能力を。
それが判明してから、彼女の周りの世界が一変した。彼女を欲する人間が想像以上に増えた。
彼女に媚びへつらい、どうにか彼女に取り入ろうとする。
幸いなことに、彼女はそれでも俺しか目に入っていなかった。どんな誘惑にも揺らぐことなく、バッサバッサと彼女に媚びる人間を切り捨てる姿は爽快でもあった。
俺は彼女に何も与えることができていない。
でも、それで良かった。
このままでいいと思った。
どうせこの関係は、この先もずっと続くのだろうと。
彼女は俺の後ろをついてきて、俺はがむしゃらに魔物を倒すことだけを考えればいい。
そう思っていた。
ーーーーそう、思っていたのに。
ーーーーーこの国の第2王位継承者、エイダン王子が彼女に求婚した。それによって、彼女はエイダン王子の婚約者ということになった。
彼女の意思は関係なかった。
第二王子と聖女が婚約したという噂は、あっという間に国中に広まった。
魔物の数が増えて暗い話題ばかりだっただけに、その噂は明るい話題として世間に好ましく受け入れられていた。
深く物事を考えない彼女は、それがどれだけ大きなことなのか、わかっていないようだった。
エイダン王子を毛嫌いしているけれど、その強制力については実際の1/10程度にしか理解していなかっただろう。
のほほんとした顔の彼女が憎らしく思ったのは確かだ。人の気も知らないで。
ーーー彼女への想いを伝えない俺が一番悪いのだが。
そしてある日、彼女の親友のベリルが、川原の低い岩に座っている時に俺に話しかけてきた。
「落ち着かないみたいですね」
俺はこの女から嫌われていた。
ただ旅に支障はきたさないし、どうでもいい人から好かれようが嫌われようが俺にはどうでもよかった。
だからだろうか。
彼女の婚約者騒動で頭が混乱していた俺は、この時、ベリルに対して『勇者』を演じることができなかった。
ベリルの言葉を無視すると、極上の美女は、持ち前の緩やかにカーブする緑の髪を肩に流しながら俺の横に座った。
「私と話もできないくらい落ち着かないのですか?」
俺はベリルを睨み付ける。
「別に」
俺に睨まれたベリルは全く動じることなく、むしろ可笑しそうに目を細めた。
「あらそのお顔。紳士なふりをするのは止めたのですか?勇者様」
俺は知っている。この女は淑女のふりをしているだけの腹黒女であることを。
「俺はあんたのような腹黒タヌキじゃないからな」
「女性に対して『タヌキ』などと例えるのは下品ですよ。勇者様」
「育ちが悪いからな。どうしようもない」
ぶすりとした俺に、ベリルは楽しそうに口の端を上に上げた。薔薇のように赤く形の良い唇は、他の男どもなら一瞬にして魅了されるだろうが、俺はベリルがこの国一番の美女だからといって惹かれたりはしない。
「そうでしたね。自分の品の悪さを育ちのせいにする辺り、根性までひねくれているのだから勇者様はどうしようもないですわね」
ふふ、と笑うベリルの顔は本当に憎らしい。
こんな女を親友と評して心から慕っている彼女。この女の内面までちゃんと理解しているとは思えない。
人を見る目がないのだ、彼女は。
だから俺のことも、盲目的に『好き』だなどと言えるのだろう。それによって救われている俺もいるのだけど。
「人を侮辱しにきただけなら、もう放っておいてくれないか。疲れているんだ」
「まぁ、勇者様でも疲れるということがあるんですのね」
わざとらしく驚いてみせるベリル。
「当たり前だろう。疲れないなんて、俺は化物か」
「あらあら。それは失礼」
口元を伸ばした指で隠すようにして、ベリルは小さく笑う。
「化物かと思っていましたわ」
口を押さえた手の反対の指で、ベリルはトン、と俺の右胸を指で軽く突いた。
「ーーー!!!」
突かれたのは、俺の右腕に彫った印章。
勇者パーティー皆がそれぞれ同じ印を、身体のどこかに刻んだもの。本当に納得したのかわからないが、ベリルだって自らの意思で自分の身体のどこかに同じ印を彫っているはず。
だが、そもそも俺が自分の身体に印章をつけようと思ったのは、そんな『勇者の証』のようなものではなくて。
「隠したがっているようですけど、もう隠せていませんよ。ある程度以上の魔力がある人には判るんじゃないですか?まだ『あの子』には判られていないみたいですけれど」
「ーーーっ」
あの子、と言われて脳裏に浮かび上がるのはただ1人。日に透けると赤く見える、オレンジ色の髪をした彼女だけ。
俺に何度も愛の告白をしてきたーーー今や、この国の第二王子の婚約者となった、あの彼女の。
「そんなもののせいであの子を受け入れられないでいるのなら、それこそ愚かなことですよ。あの子にとってそんなこと、どうでもいいことでしょうから」
そんなことどうでもいい。
俺は、ベリルにつつかれた自分の右腕を見つめた。
そんなこと、というには重すぎるもの。
「あんまり放っておいたら、本当に横取りされてしまいますよ。ーーーあの王子、気に入ったものは自分のものにしないと気が済まないタイプでしょう?」
この国の第二王子。
飛び抜けて整った容姿に、勉学も身体能力も優れたという人物。それだけ恵まれた人間なのに、王位を国民からあまり望まれていないのは、彼の我の強さからだった。欲しいものはどんなことをしても手に入れる。その方法は、人の道を通らないことが多いと聞く。
「私、あの王子は嫌いなんです」
はっきりと、ベリルはそう言い放った。
王宮の人が聞けば、王族を侮辱したと重い刑罰を受けるだろうに。
「勇者様も、ひねくれるのはいい加減にして、そろそろ少しは自分に素直になってみてはいかが?」
いかが、と言われても、そんな簡単にできる問題ではない。
「ーーーーー」
俺が黙ると、ベリルは失望したようにため息を1つついて、ゆるりと立ち上がった。
「私の言いたいことはそれだけです。疲れているところお邪魔しましたわね。では失礼いたします、勇者様」
俺ははっと顔を上げて、立ち上がったベリルを見上げた。
「、、、何でそんなことを俺に。俺のことが嫌いだったんじゃないのか」
ベリルは宝石のような大きな瞳を俺に向けた。
「心外ですね。嫌いというわけでもないのですよ。ただ好ましく思っていないだけです」
「ーーー同じじゃないか」
俺が呆れて言うと、ベリルは眉をわざとらしく下げた。
「あの王子よりはマシ、という程度ですわね。せいぜい精進してくださいませ。別に私には関係のないことですけど、落ち込んでいるあなたが私の目に鬱陶しかっただけですから」
ベリルはそう言うと、女性らしい凹凸のある身体を美しく捻らせて、高貴な人間であるかのように姿勢正しく歩き始めた。
彼女は娼館で働いていた。彼女の本来の生まれも高貴な場所ではないだろうに、彼女の心意気がその仕草をそうさせるのだろう。
「ベリル」
俺は声を大きくして、ベリルの名を呼んだ。
「俺はあんたのこと嫌いじゃない。むしろ好ましく思ってるよ」
俺がそういうと、ベリルは珍しく困った顔になる。
「そういうところはーーー『あの子』によく似てて、嫌いですわ。勇者様」
あの子というのは、彼女のことだろう?
「嫌い?」
「ええ」
とベリルは頷く。
「私、あの子のこと、嫌いなんです。勇者様よりも。ーーーあの、第二王子よりも、ずっと」
ベリルを親友と称する彼女。
俺はーーーーそれを聞いて、何を思ったんだろう。
そこで、俺はまた、夢から覚めたのだった。




