逃げてもどうしようもないのはわかっているのに
『人の本質は変わらない』
ケイレブが言った言葉だ。
私は走りながら、当時のエイダン王子のことを思い出していた。彼は他の全てが優れていても、人格は底抜けに破綻していた。
あのエイダン王子が過去に戻ったとして、そこで何をしてきたかは知らないけれど、私の知る『あの』エイダン王子が劇的に変わるとは思えない。
「、、、エイダン王子。あなたがやってきたことを、私が忘れると思わないで」
汚れた血が胸に溜まっているかのような気分。
私はそれを言葉にして吐き出す。
記憶から抹消したいくらいの人物。
過去に戻って、できるだけ考えないようにしていた。
私が『聖女』であることを世間に知られないようにしていた大きな理由の1つが、エイダン王子にそのことを知られたくなかったからだ。
過去に戻ってもまた、どこかに『聖女』がいると知ったら、それが私ではなく他の誰であっても彼は興味を抱いただろう。でも聖女は100年に1人くらいにしか現れない。他に聖女が現れてはくれないのだ。
絶対に知られたくなかった。
なのに、私が聖女であるということをすでに知っているエイダン王子が、過去に戻ってきているなんて。
「ーーー最悪だわ」
私は1人屋敷を飛び出してから、人の気配のない町の端まで走り抜けてようやく足を止めた。
そういえば、城下町でも走って逃げたっけ。
「逃げてばっかりね、私」
自嘲するように小さく笑って、暗い気持ちでその場にしゃがみこむ。
過去に戻ってマリウスを助ける。マリウスが願っていた『穏やかな暮らし』をさせてあげたいという気持ちは間違いなくそこにある。
だけど、それは魔王によって被害に遭うという現実から目を塞ぐ行為であることーーーそんなの、わかってる。でも私達ではどうしようもなかった。
全滅して、パーティーの皆が命を奪われて。
「自分達の幸せを犠牲にしてあれだけ鍛練を重ねたのに、あっけなく死んで。それなのに、また同じことを繰り返すの?いいじゃない、マリウスだって少しくらい、ゆっくり自由に、自分がしたいことをして何が悪いの」
義務だとか、責任感だとか。
そんなもの。
『俺も、、、アグノラを愛している』
マリウスが最期に言った言葉。
優しく、私をしっかり見つめて。
私は知らなかった。そんなマリウスの心は。
私ばっかり好きで、本当は私のことを少し鬱陶しく思っているんじゃないかって思っていた。
でもマリウスが好きだから諦めきれなくて。
私がしつこくても、結局、マリウスは私を突き放さないから甘えてしまって。
そう思っていたのに。
いつから?
いつから私のことを好きだったの?
両思いだったなら、なぜ言ってくれなかったの?
魔王を倒す責任感から?
私がエイダン王子の婚約者になったから?
でも私がエイダン王子の婚約者になったのは、魔王に向かう旅の終わり頃だった。それまでに私は何度もマリウスに告白しては断られていた。
それは何故?
私はマリウスのことなら何でも知っていると思っていたのに、そんなことさえ知らなかった。
でもマリウスは死んでしまって。
私は過去に戻ってしまって。
あの時のマリウスの心の真実を、私はもう、知ることはできない。
だから。
だからこそ。
過去に戻って、やり直せるなら。
『違う未来』を歩けるなら。
私とマリウスがお互い素直に好きだと言い合えて、幸せに暮らせる未来があってもいいんじゃないの。
ーーーそれが例え、終わりのある短い幸せだったとしても。
そして、そこで思考はいつも止まる。
終わりのある未来。
それならばなぜ、過去に戻ってきたの。
ぐるぐると頭のなかで繰り返し繰り返し。
疑問ばかりが浮かんでは消える。
気がつけば、昼間にルトウドの町に着いたはずなのに、もう陽が暮れようとしていた。
急成長しているとしても、ルトウドの町はまだ発展途上。町の端はまだ中央よりずっと寂れていて、足元では元々の赤い渇いた地面が剥き出しになっていた。
草木も生えないと言われた辺境の地ルトウド。
荒廃しているはずのこの地がここまで栄えることができているのは、『私達よりも先に過去に戻ってきた』というあの人の力によるものなのだろう。
エイダン王子も彼なりに、良い未来に向けて我武者羅にあがいているのかもしれない。
「、、、だからと言って、エイダン王子が私達にしたことを許せる理由にはならないし」
私を得ようとするために、犠牲になった人達が沢山いる。奪われた多くの命。
人の命は、そんなに簡単に奪って良いものではなかった。例えそれを悔い改めたとしても、その事実だけは消えない。
過去に戻って、あの無駄に殺された人達は、まだ生きているだろうことが救いではあるけれど。
「ーーー見つけた。アグノラ」
男の人の声が聞こえた。
遠くからの声だというのに、その響きは私の細胞の底まで染み込んでいくのは、本当に不思議だ。
弾かれるように私は顔を上げて振り返り、まだ小さく見えるその声の主を見つめた。
かつて国一番の強者になったその男は、そもそもの身体の造りが人とは違う。
1つ1つの筋肉がしなやかで無駄がない。
野性の獣の主がそうであるように、堂々たる仕草が最上級の美に見える。
遠くからでも誰だかわかるその立派な肢体は、私の心から愛する男性のもの。
でもその人は、今日、私と一緒にはこの地に来ていなかった。一緒にきたのはワイアットとベリル。そのベリルはもう、この時間だから仕事場に向かっているはずだ。
「、、、マリウス。何故ここに、、、」
呟いた私の声が聞こえたのだろうか。
マリウスは私が言葉を発したのと同時に、笑顔になって駆け寄ってきた。
「アグノラ」
私の名を呼ぶ声が、私の身体に染みる。
名前を呼ばれる度に、胸が締め付けられることをマリウスは知らないだろう。
私の前でマリウスはその足を止め、額にじんわりとかいた汗をギュッと腕の端で拭った。
「探した。迷子になってたのか?」
に、とさわやかにマリウスは笑う。
その表情、過去に戻る前のマリウスの顔に似ていた。同一人物なんだから、似ていて当たり前なんだけど。
ちょっと感動して、私は言葉に詰まる。
「な、なんで私がここにいるってわかったの?」
私が尋ねると、マリウスは、あぁ、と少し短い髪を片手で掻きあげて、整った眉を下げた。
「アグノラの行動パターンは、段々わかるようになってきたからな。何か困ったことがあったら、とにかく気が済むまで走り抜けるだろ。だから村の端をぐるりと回れば、いつかアグノラが見つかると思ったんだ」
何かあれば気が済むまで駆け抜けるって。
「ーーーそんか言い方したら、私がなんか単細胞の脳筋みたいじゃないの。私はそんなに単純じゃないわ」
否定するように少し顔をしかめてみせたけれど、マリウスはそれを可笑しそうに笑って首を軽く傾けた。
「それで見つけられたんだから、外れてもないんだろ。脳筋とまでは言わなくても、限りなく単純だな」
はははとマリウスはからかうように笑う。
少年のようなその顔は、過去に戻ってきてからしか見ることのなかったマリウスのもの。
未来と過去が混在するマリウス。
すごく不思議で、どちらもすごく愛おしい。
マリウスを見ていると、つい魅入ってしまいそうになってしまい、私は誤魔化すようにマリウスに尋ねた。
「マリウスは、今日はオスカーと用事があったんじゃなかったの?」
「用事は終わったんだ。たいしたことじゃなかったしな」
「そうなの?オスカーと昨夜、準備に時間かけてたから、大切なことかと思ってたのに」
「オスカーが妖精の爺さんと高度魔術を研究しているだろう?それに必要な材料を手に入れたいって言うから手伝ってきたんだ。転移の魔方陣ですぐに着いたから、思っていたよりずっと早く帰ってこれてな」
高度魔術に使うとなると、希少な材料になると思うのだけど。
「どこまで行ったの?」
「ダナバナラ火山の火口」
「は?」
私はポッカリと口を開けてしまった。
聞き間違いだろうか?
ダナバナラ火山といえば、国内最大級の活火山で、噴火を繰り返している危険な場所だ。
数キロに渡る火口の中で、グラグラと揺れ動くマグマが見えるが、マグマから出る高熱のせいで普通の人は近寄ることもできず、もし近寄ったとしても、火口の中から発生する毒ガスで、滞在するのは数分が限界のはず。
そもそも、そんな危険な場所に転移の魔方陣が張られるはずがなく、ちょっと買い物に行ってくるというレベルの場所ではない。
厳重な装備とかなりの覚悟が必要であり、下手したら命さえ落としかねない場所だ。
私は理解が追い付かず、頭を抱える。もしかしてという期待を込めて聞いてみる。
「、、、え?ダナバナラ火山、、、って、他にあったっけ?」
「ダナバナラ火山は1つしかないだろ」
そんな当たり前なことを、という風のマリウス。
私だってちゃんとわかっている。
「だよね。じゃあ、何でそんな綺麗な身体で戻ってきてるの?火傷だらけの満身創痍になってるはずじゃないの」
見る限り、マリウスの身体には傷1つない。
マリウスは嘘をつかないから真実なのだろうけど、素直に受け入れられなかった。
「オスカーが、ものすごい防御力の魔法を装備に付与したんだよ。妖精の爺さんと研究して、それに耐えれる鎧まで開発してな。やばいぞ、あいつ。元々天才的だったオスカーが、膨大な知識を持つ爺さんに出会ったことで水を得た魚状態になってるからな」
「、、、オスカーが」
過酷な勇者の旅でもたった1人で魔法の研究を怠らなかったオスカー。
確かにあのオスカーが、のどかな妖精の村で暇をもて余しているなんて想像がつかない。
妖精のお爺さんの助言もあって、研究が進んでいるというのは聞いていたけど、まさかダナバナラ火山の火口に入れるほどの防御力を付与するなんて。
「ダナバナラ火山の頂上付近まで転移の魔方陣を繋いだのもオスカーだしな。あいつ、このまま研究続けたら、最強になって世界征服だってできそうだな」
冗談半分のマリウスは、幼馴染みをそう評する。
オスカーはいずれ『大賢者』と呼ばれるほどに、様々な魔法や魔法道具を研究で開発する。
多忙の勇者パーティーの時でさえそうだったのだから、今のフリーダムな状態でアドバイザーもいるなら鬼に金棒、大賢者どころではなくなるかもしれない。
私達は魔王に殺されて全滅したけど、全滅しない未来では、オスカーはどこまでたどり着くのだろう。
世界征服。
オスカーの求めるところではないだろうけど。
「、、、魔王に全滅させられない未来、、、」
私が呟いたら、マリウスは僅かに首を傾げた。
「ん?」
魔王を放置していたら、いつかマリウスを含めた皆は死んでしまう。でも魔王を倒しにいっても勝てないことはわかってる。
私達に、明るい未来なんてないのかもしれない。
ーーーでも。
だからといって、悲観しながら生きたくないだけで。
生きてる間は、マリウスに楽しく幸せに暮らして欲しかった。
それではダメなんだろうか。
考えているのに、ずっと答えは出ない。
そんなことを考えていると、ふと、マリウスに尋ねたくなった。
「、、、ねぇ、マリウス」
「なんだ?」
「もしーーーもし、よ。どうしても選ばないといけない道があったとして。でも、どちらの道を行っても必ず後悔するのがわかっていて、それでも選ばないといけない時、マリウスだったらどうする?」
私の急な難問に、マリウスの眉間に皺が寄る。
「それ、選ぶ必要あるのか?」
「必要ある」
「なんだそれ」
困ったようにマリウスは自分の茶色の髪をポリポリと掻いて、うーん、と唸った。
「両方後悔する道じゃあ、俺はどちらも選びたくないけどな」
そりゃそうだ。マリウスが正しい。
「じゃあヒント!片方は厄介事から逃げて幸せに暮らせるけどいつか追い詰められる道。もう1つは、その悩みの根源をなくすために必死にもがくけど決して悩みの根源はなくせなくて追い詰められる道」
「おい、かえってわからなくなったぞ。それは本当にヒントなのか?」
「ヒントなの」
「参ったな、、、わけわかんねぇ」
本気で呆れて呟いたマリウスの言い方が可笑しくて、私はつい、小さく笑ってしまう。
「、、、ふふ」
マリウスはまた更に眉間の皺を増やして、恨めしそうに私をチラ見する。
「何を笑ってるんだ。お前が出した珍問題だろ」
「ごめんなさい。それでもマリウスがちゃんと悩んでくれるのが面白くて」
くすくすと笑う私に、マリウスは口を歪めながら、私の顔の前に、吸い込まれてしまいそうなくらい深みのあるマリウスの茶色の瞳が近づいた。
「だって、これがお前の悩む問題なんだろ?」
真っ直ぐに私を見るマリウス。
一瞬にして、苦しいくらい胸が締め付けられて息が止まりそうになる。
「、、、そう、だよね。でも、答えなんかでない問題でしょ。こんなこと相談されても困るよね」
私が言うとマリウスは、なんだ、と呟いた。
「これは相談だったのか。それならそうと早く言えばいいのに」
急にはにかんだマリウスの姿で、私は呆気に取られてしまう。
「相談だったら、何か違うの?」
「当たり前だろ」
「なんで?」
「なんでって」
マリウスは何かを言おうとして、少し口を閉じる。
考えを頭で纏める時のマリウスの癖は、目だけ少し上を向くこと。
「質問と相談の違いだろ?質問なら、すぐに答えを出さなきゃいけないような気がするだろうが。でも相談なら話は違う」
マリウスは私に右手を差し出した。
曲線を帯びたマリウスの目尻は優しく下がる。
「お前の答えがでるまで俺が一緒に考えてやれる」
マリウスの耳に心地好い声に私の体が動けずにいると、マリウスは私の左腕を掴んで引っ張った。
「っわっ」
勢い付いてマリウスの身体にぶつかった私の背中を、マリウスはポンポンと叩いた。
「難問であれば難問であるほど、ちゃんと考えた方がいいに決まってる。焦らず答えを見つけていけばいい」
マリウスに抱き締められるような形になっていることで、私の顔が熱くなっているのが自分でもわかる。
過去に戻ってからマリウスは、やや少年のような幼さが目立っていたのに、今日はいつもと違って女性への扱いが慣れているかのような態度をしてみせる。
勇者マリウスは女性から囲まれることもあったけど、今のマリウスは私とベリルしか周りにいないのだから、女性への対応レベルが急激にあがるはずはないのに。
「答えは二通りだけじゃないだろう?もっと違う答えも存在するはずだ」
私の頭の上から声が降りてくる。
「ーーー俺が一緒に答えを探してやる。だから悲しい顔はするなよ、アグノラ。お前が悲しい顔をしていると、何だか俺が苦しいんだ」
普通に考えると悲鳴をあげたくなるほど恥ずかしい言葉を受けて、私は真っ赤な顔でマリウスを見上げたけれど、マリウスは自分が何を口走ったか理解していないかのように平然として私を見つめていた。
私は動揺を隠せず、あわあわとマリウスから離れようとする。
「な、なんでマリウスが苦しくなるの。そんなこと言われたら、、、」
勘違いしてしまう。
そう言おうとした私は、真剣な表情をしたマリウスと目があった。
「ーーー最近、夢を見るんだ」
「え?」
「俺の記憶にないから、夢のはずなのに、すごくリアルな夢なんだ。アグノラに似た人と俺は長い長い旅をしていて、その人を守らないといけないと俺は強く思っているんだが」
「ーーーーーー!?」
私の思考が止まる。
それって。
「だからだろうか。俺はーーー」
そこまで言って、マリウスは自分の口を手で塞いだ。
自分が何を言おうとしているのか、ようやく気付いて耳が赤く染まっている。
マリウスの視線が私の周囲を彷徨ったかと思うと、また私のところに戻ってきて、ふ、とその視線が緩む。
「どうやら俺も、頭の整理が必要そうだ。だがまずは」
マリウスの大きな手のひらが、私の頭の上に乗る。
「ーーー帰ろうか」
やんわりと目を細めただけの、ただ穏やかなだけのマリウスの笑顔。
それだけで、私は一瞬、自分の脳全体がマリウスという存在に埋め尽くされて、他に何も考えられなくなった。それはわずかな時間であっても、身体に残る余韻は震えるほど恍惚としていて、至上ではないかというほどの幸福感を味わった。
エイダン王子に会った事とか、この先待ち受ける未来の事とか、全てが些末なことのように頭から弾けとんでしまって。
「、、、はい」
こんな簡単な返事しかできない私は、マリウスの穏やかな笑顔だけで悩殺されてしまう小さな人間だ。
そうだ。
こんな私が世界だの未来だのをごちゃごちゃ考えたって、良いアイデアが浮かぶはずもない。
マリウスの言う通りだ。
もっと違う未来があるかもしれないのだから。
家には未来の賢者のオスカーもいるし、切れ者のベリルもいる。私とは血の繋がりもないのに家族のように優しくしてくれるワイアットも。
そうだ。
私は1人じゃない。
だからーーー帰ろう。
信頼できる皆のところに。




