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記憶か夢か (マリウスサイド)

 夢を見ていた。


 俺は何故か勇者になっていて、魔王を倒す長い長い旅をしていた。昔からの友人であるオスカーは賢者とか言われているし、本当に変な夢だった。


 そこは、国の最北端の山だった。

 冬の寒さは城下町や自分の故郷とは桁違いで、息をするだけで口や鼻が凍ってとても厳しい。

 オスカーの火と金属を掛け合わせた『温かい装具』がなければ凍え死んでいたかもしれない。


 風は強く吹いて、雪を遠くまで運んでいた。すぐ目の前で雪崩も数回起こった。

 遭難してもおかしくない状況で、俺達は依頼された魔物を退治するために険しい山道を登っていった。


 目指した村は山の中腹にあって、冬は殆ど家の中で過ごすという場所だった。

 そこに冬眠などするはずのない魔物が出没するようになり、いつ家を壊されるか不安だという。


 家を壊されたら、厳しい冬を乗り越える場所がなくなってしまう。だから、その土地の領主が村の保護のために、魔物討伐にそれなりの金額を懸賞金として提示してきたのだ。


「ーーー寒さが尋常じゃないとは聞いていたが、知識として知っているのと実際にこうして感じるとでは大違いだな」

 呟いている言葉とは違い涼しい顔をしているように見えるオスカーを、つい苦笑して見てしまう。

 俺はあまりに寒すぎて、そんなクールな顔を貫くことはできそうになかった。オスカー作の装具を抱き締めて、少しでも動いて身体を温めることで精一杯だ。


 ふと、俺は後ろを眺めた。

 いつもチョロチョロと俺の周りを彷徨いている女の子ーーーいや、もう子供という文字をつけてはいけない年なんだろうが、あまりに天真爛漫で無邪気なものだから、つい妹のように感じてしまっている女の子の無事を確認した。


 魔王退治の旅は危険すぎる。

 光の魔法を少し使える程度では、魔王退治のパーティーに入れるには力不足で、危険すぎる上に足手まといになる可能性が高い。

 パーティーの一員になりたいと言ってくるのを何度も断っているのに、諦めないその姿がいじらしく、つい強く拒否できないでいた。


 雛のインプリンティングのように、俺が彼女を助けたばかりに俺に懐いてしまって、感謝の気持ちを恋愛と勘違いしている女の子。

 俺を好きだというが、その割に俺との関係を今以上には求めていないようにも見える。彼女の好きはライクであって、ラブではない。そう思えるから俺は軽くあしらう程度で過ごせていた。

 

 いつか諦めて俺から離れていくだろう。

 魔王退治の旅は過酷だ。

 ただの少女に、ついてこれるはずがない。

 そう高を括っていたのに、まさかこんな最北端の山の中までついてくるとは思っていなかった。


「大丈夫か?」

 俺が声をかけると、凍えて血の気のない白い顔をしているオレンジの髪の女の子が、そのまま俺に尋ねた。

「マリウス様は大丈夫ですか?」

 

 俺のことなんかどうでもいいのに、その子は俺の心配をしてくれる。

「俺は大丈夫だ。こんなところで参るようなら勇者になんかなれてない。俺のことは気にしなくていい」

 

 俺は愛想笑いを浮かべた。

 俺は死んだ兄のようになりたかった。

 強く優しく。

 兄の苦しそうなところなんて見たことがなかった。悩んでいるところなんて弟の俺には感じさせなかった。

 いつも笑顔で、そこには暖かさがあった。

 どんなに苦しく辛くとも。

 命の尽きるその時さえも。


 兄が死んだ日。俺はそういう人に人になろうと思った。兄が死に、故郷が滅びて、血の涙を流したあの日にそう決めた。


 強く、優しくなりたかった。

 ーーー表面だけでも。


 目の前の女の子は、そんな俺を心から慕ってくれている。俺は、この子の前では、俺の知る兄のような姿でいたかった。 


 なのに、女の子はそんな俺を全て知っているかのような深い瞳を見せることがある。


「マリウス様がそうおっしゃるなら、私も大丈夫です」


 兄とは違う暖かさを、俺はこの子から感じていた。心地好い太陽の日差しのような。


 この子が本当に俺から去っていったら淋しいと思う程度には、俺はこの子を気に入っている。

 俺の周りをチョロチョロとされるのは少し面倒くさいけれど、足元にじゃれつく子犬のようでとても可愛い。


「無理せずに、きつかったら倒れる前に言うんだぞ」

 女の子は幸せそうに、はにかんだ。

「はい。お心遣い感謝します。マリウス様のお手を煩わせるようなことは致しません」

 ニコニコニコ。何がそんなに嬉しくてこの子は笑うのだろう。

 俺はもう、心から笑う方法さえも忘れてしまったというのに。


 この子はもう18歳だという。

 幼く見えるけれど年齢だけなら、結婚して穏やかに暮らすこともできるだろう。この子の家事能力はすでに平均以上だ。どこでもやっていける。


 こんなに辛い思いをしてまで旅する必要はない。

 魔王や魔物と戦って死ぬかもしれない。

 本人がそれでもいいと望むから好きにさせているけど、本当にこのままでいいのかという葛藤はずっとある。


 俺が女の子の方を向いてよそ見をしていると、少し前を歩いていたオスカーが珍しく声を上げた。

「気を緩めるな。魔物がいるぞ」


 はっとして山の坂道の上を見上げると、3メートルばかりの巨大な猪に似た魔物を見つけた。

 その猪の魔物の前には二人、大人の人間が倒れている。血の流れ方からして、すでに息はしていないだろう。


 目下には村が見えている。

 しかし猪は村をこのまま襲う気はなさそうだった。

 少しずつ食べたいのか、あるいは遊んでいるだけなのか。


「ち」と、オスカーが舌打ちした。

 オスカーも多分、俺と同じように故郷の惨劇を思い出しているに違いない。


 未熟ゆえに助ける事ができなかった多くの命。


 ここの村も、同じことが起こるかもしれないという不安が沸き上がる。だが、それを阻止するために俺達はここまでやってきたんだ。


「危ないから、下がっているんだ」

 女の子に声をかけると、女の子は素直にそれに従う。俺達の邪魔にはなりたくないと、その動きは素早い。

「はい。マリウス様もお気をつけて」

と了解してから、女の子は自分と俺とオスカーに、弱々しいながらも光魔法の結界を張ってくれた。


 オスカーは様々な属性の強力魔法が使えるけど、光魔法は使えない。

 光魔法の結界は、本当にお守り程度のものではあるが、太陽光が当たっているように身体はホカホカとしてくる。オスカーの作った装具との相乗効果で、凍えて動きにくくなっていた身体が少しだけ動きやすくなった。


「感謝する」


 俺は魔物に向かって走り出した。

 兄や故郷の人達を失った数ヶ月前とは違う。


 体力もついたし身体も鍛えた。

 苦労したけれど魔法も使えるようになった。

 そして国王から授与された国宝級の剣は、俺の力を何倍も倍増させてくれた。

 この程度の猪魔物なら、倒すことはできるだろう。


「オスカー。毒と雷魔法を掛け合わせて、ヤツの動きを止めてくれ。鈍くするだけでもいい」

「ーーーすでに処置済みだ」

 淡々と返ってきたオスカーの言葉に、俺は頷く。

 さすができる男、オスカーだ。

 兄が死んで、故郷が滅びてからというもの、オスカーもまた心を閉ざしてしまった。俺と話す時だけ少し人間らしくなるが、他の人に対して声を発するのは数日に1回程度。

 顔がなまじ綺麗なだけに、無言で過ごされると彫刻なのかと疑われてしまうほどだ。


 でもこうして動いているオスカーを見ると、やはり血の通った人間なのだと思える。


 俺は地面から飛び上がって一番に、猪の魔物の背中に剣を突き刺した。猪の身体は想像よりも硬かったが、剣の先は骨を避けて肉を裂き、内臓まで届いたようだ。

 剣を引き抜くと土砂のような血が猪の魔物の背中から溢れてきた。


「オスカー!」

 俺が何をしろと指示する前に、オスカーは俺の心を読んで炎の魔法を唱える。

 内臓まで届いた傷から、オスカーの炎は入り込み魔物の内臓を焼いた。魔物は、その味わったことのない内部からの痛みに咆哮し暴れ始める。剣の穴からどす黒い血は流れ続け、追い討ちをかけて俺が猪の魔物の顔を切りつけた。


 命の危機を察した魔物は、逃げようとしたのだろうか。あるいは、自分を死に導く人間の誰かにどうにか報いたかったのかもしれない。


 急に方向を変えて、勢いよく走り出した。


 ーーー安全のために俺達から離れた位置にいた、オレンジの髪の女の子の方へ。

 まずい、と俺は女の子に叫んだ。

「っーーー!危ない!!!逃げろ!!!」

 次の瞬間、俺の右腕が鋭く痛んだ。激しい痛みに俺は右腕に手を当てる。


 理由のわからない痛みに気を取られ、駆け出すのが遅れた。猪の決死の突進には間に合わない。俺よりも数倍、運動神経が欠けている女の子では逃げれるはずもなかった。


 女の子は猪に気付き、はっとした顔をしてみせたが、身体が硬直してしまい動けなくなっていた。

 

 しまった、と、駆け出しても間に合わない俺の目の前で、天からの激しい落雷が猪の魔物を貫いた。


 猪の魔物が黄金色に光って見えるほどに威力は激しく、黒こげになって倒れた猪の魔物は、俺が近寄った時にはもう事切れていた。


 一瞬、奇跡の自然現象かと思ったが、あまりにタイミングが良すぎることで、人為的なものだと気付く。


 一体、誰が、、、と考えるまでもない。 

 こんなことができる人間は、俺達の中に1人しかいない。


「オスカー、、、お前、、、、」


 俺がオスカーを振り返ると、オスカー自身も自分の力に驚いているようだった。

 目を見開いて、無言で自分の手の平を眺めている。

 

 それもそうだろう。今のは上級魔法の中でも高位に入る魔法のはずだ。オスカーがいくら魔法の天才とはいえ、オスカーの今のレベルであれほどの魔法が使えるはずがない。


 一体、何が起きたのか、俺にもわからなかった。


 女の子を助けるために、本来以上の力を発揮したのか?


 理解がおいつかないまま、猪の前で恐怖に座り込んでしまった女の子に俺は近寄った。


「大丈夫か?」

「え、ええ。はい。大丈夫、です、、、」

 声を震わせている女の子が大丈夫であるはずがない。無理しているのはバレバレだった。


「立てるか?ほら、手を貸すんだ」

 俺がその子に手を伸ばすと、女の子は顔を赤くさせたり青くさせたりしながら、あわわと狼狽えた。

「マリウス様。オスカーさんが倒れています」

「え?」


 身長ばかり高くて身体に肉がつかないオスカーではあるが、身体は人2倍健康なはず。そんなオスカーが倒れたと聞いても、すぐには信じられなかった。


 女の子が指差す方向を見てから、ようやく事実だと知る。

 オスカーは、さっきまで立っていた場所で音もたてずに倒れていた。

「オスカー!?」

 俺は駆け寄ってオスカーの意識を確認する。

 触って揺らしてもオスカーは目を覚まさなかった。


「ーーー魔力切れかもしれませんね」

 俺の後ろから、ようやく追い付いた女の子が心配そうに声をかけてきた。


「私は魔力が少ないから、田舎ではたまに魔力切れを起こしていたんです。そうしたら意識を保てなくなってしまって。田舎では多少、地面の上で寝ていても問題にならなかったから良かったんですけど」


 女の子が地面で寝ていて問題にならないことはないと思うが、今はそこを突っ込んでいる場合ではない。

「オスカーの魔力は膨大だ。そう簡単に魔力切れを起こすとは思えないんだが」


 うぅん、と女の子は悩んでみせる。

「では、空腹によるものでしょうか。大きな魔法を使うとエネルギーを沢山使うから、おなかがすくんです」


 俺は魔法を使えるようになって、そこまで経っていない。魔力切れになったことも、魔法を使いすぎておなかがすき過ぎたこともないから、わかってやれなかった。


 女の子は少しずつ落ち着いてきた手を自分自身で握りしめて、強がるようにニコリと微笑んだ。


「オスカーさんが目を覚ましたらすぐにご飯が食べれるように、準備しておきますね」


「あぁ、そうして貰えると助かる。いつも悪いな」

 俺がそう言うと、女の子は真っ赤な顔をして大きく首を振った。

「いいえいいえ。マリウス様のお側にいれるなら、私のできることなら何でもいたします。マリウス様のお役に少しでもなりたいのです」


 まだ18歳。そしてもう18歳の女の子。はにかんだ顔は凝視してしまいそうなほどに可愛く見える。

 そんな顔をされると、複雑な気持ちになった。

 

 でも、俺は恋愛をすることができない。

 魔王を倒し、この世から魔物を殲滅すると決めたあの日から、俺は誓いを立てた。


 目の前の女の子が俺をどう思っていようと、魔王を倒すというその目的が達成できない限り、俺は恋愛などすることはできない。


 俺は、頭の中に、亡くなった兄を思い浮かべた。

 兄だったら、こんな時にどう返事をするだろうかと、常に考える癖がついた。 

 そして俺は女の子の頭を軽く撫でる。


「そうか。ありがとう。その気持ちだけで嬉しいよ。今日は何の食事にするんだ?」

「寒いので、温かいスープなどいかがですか。クリームベースの、オスカーさんの好きな野菜を煮込んで食べやすくして」

「クリーム?ここらへんに乳を出せそうな動物はいないだろう。どうやってクリームを持ってくるんだ」

 俺がそういうと、女の子は少し得意気に口元を緩めた。

「白い液体を出すのは、何も動物の乳だけではないんですよ。向こうの方に、樹液が白い特殊な木が生えているのを見ました。あの木の樹液は、味もクリームに似ていて美味しいんです。マリウス様もきっと気に入りますよ」

 さっきまで震えていた子とは思えない顔で笑う。この女の子は美味しいものが好きだといって、美味しいものの話をするととても幸せそうな顔をしてみせる。


 一見、普通の女の子。でもこの子が努力家であることは、この一緒にいる数ヶ月でよくわかった。

 

 付き人になれば付き人の。料理をすれば料理を知ろうとする努力を欠かさない。元々料理をする人ではあったのだろうけれど、各地に生えている樹液の料理など、普通の若い女の子が知るはずがない。

 地域の人に聞いたりと努力したはずなのに、それを見せようとしない。そういうところも好ましく思えた。


「そうか。じゃあ、楽しみにしておく」

「そうして下さい」

 笑って、女の子は立ち上がった。

「マリウス様は、オスカーさんのそばにいて下さいね。この猪の魔物がいなくなったら、ここはもう安全なんですよね?」

 俺は女の子を見上げる形で頷いた。

「あぁ。魔物の気配はなくなっているから、大丈夫なはずだ」

「じゃあ、私は料理の準備に取りかかります。少し離れますが、心配しないて下さいね」

「あまり遠くには行くなよ?魔物がいないと言っても、この辺りの話だからな。魔物はいなくても、他の凶暴な動物がいないわけでもないし」

「はい。気を付けます。ーーーマリウス様は心配性ですね」

 女の子は、イタズラっぽく笑ってオレンジの髪を揺らした。

 女の子が離れると、一気に空気が静かになった気がした。寂しさを伴う何かの感情が押し寄せる。

 それが何かとは、深く考えないようにした。


 寒い地域の夕暮れは短く、すでに陽は沈みかけていた。

 女の子が夕食の準備をすると離れてからしばらくして、オスカーが目を覚ました。

 オスカーは自分が倒れたことが気にくわないらしく、不機嫌そうに顔を歪めている。

「その顔を見ると、やっぱり魔力切れか」

「、、、、、」

 オスカーは黙っている。別に魔力切れを起こすことは恥ずかしいことではないだろうに、オスカーは妙なプライドを持っているようで、認めたくなさそうだった。


「魔力回復の薬を飲むか?」

 俺が薬を差し出すと、オスカーはそれを押し退ける形で拒否した。

「時間が立てば戻る。それはいざという時のために常備しているものだろう。お前は上級回復薬といい、簡単に薬を使いすぎだ」


 オスカーはまだ、俺が、行き倒れそうになっていた女の子を助けるために、高価な上級回復薬を2本も使ったことを根に持っているようだ。


「それで、あれはどうした」

 無表情でオスカーは俺に聞いてきた。オスカーの()()、という言い方に俺はまだ慣れない。

「あれって何だ。ちゃんと名前で呼んでやれ」

 オスカーは冷たい瞳のまま口を開けた。

「名前を覚えていないんだ」

 俺はつい鼻で笑ってしまう。

「よく言う。見たこと聞いたことは、嫌でも一回で覚えてしまうくせに」

 オスカーは女の子をかたくなに名前で呼ぼうとしない。オスカーの変なこだわりだろうが。

 

 俺は困った顔をしてみせて、オスカーに水を差し出した。オスカーはそれを魔法で温めながら口に含む。

「あの子は食事の準備に行った。オスカーを心配して、俺に側にいてやってくれだと。お前ももう少し優しくしてやってもいいんじゃないか」

「マリウスが優しくしてやってるんだ、あれには充分だろ」

 その言い方はとても冷たい。

「一緒に行動している仲間じゃないか」

「仲間?俺にはお前につきまとう犬にしか見えないが」

 ふん、と横を向いたオスカーの顔は、小さい頃に見たことある顔だった。俺と喧嘩した後のそれ。


「、、、なんだ?オスカー、お前、拗ねてるのか?」

 俺が言うと、オスカーは心外とばかりに眉を寄せた。

「何故俺が拗ねる必要がある」

「、、、まぁ、そうだよな」

 そんな気がしたが、オスカーが拗ねるわけがない。


 オスカーは水を飲み終わると「俺はもう大丈夫だ」と呟いた。 

「もう暗い。いつまた雪崩がくるかもわからないんだ。あれのところに行ってやれ」

 そのぶっきらぼうな言い方がオスカーらしかった。

「ふはっ」 

 俺が急におかしくなって笑うと、オスカーはまた不機嫌そうに顔をしかめる。

 俺は慌ててオスカーに説明した。

「向こうはオスカーの側にいてやってと言われ、こっちからはあれのところに行ってやれと言われて。おかしくならないはずがないだろ」

 俺が笑った理由がわかって、オスカーはつまらなさそうに息を吐いた。

「その程度で笑えるお前は幸せだ。いいから、さっさと行け」

「はいはい。わかったよ」


 追い払われるようにして、俺は彼女が向かった方に足を進めた。


 気付くととっくに陽は沈んで辺りは暗くなっていた。

 頭上にあるまん丸の月明かりと、それに照らされてぼんやりと光る雪のためにまだ視界は閉ざされていないが、確かに女の子が1人で歩くには危険な状態だった。


 

 向かう先に、大きな木があった。

 寒い地域の木だというのに、雪の降り積もる中で緑色の葉を大きく広げている。

 その下に、1人の女性が佇んでいる。オレンジのはずの髪は、夕陽のように、炎のように赤く染まって見えた。雪の白と緑と赤と。鮮やかな色彩が、胸を締め付けられるほど美しく感じた。


 彼女は大きな木に左手を置いて、まるで木と対話をしているかのように木を見上げている。


 強く、風が吹いた。

 地面に積もった雪が高く舞い上がり、月の光を浴びてキラキラと宝石のように輝いていた。


 輝く雪の結晶。

 夜空の星を全部落としたかのような、あまりの輝きとその光景の美しさで、俺は息をするのも忘れてしまっていたようだ。

 綺麗な雪の結晶さえも美しいのに、その中心にいる人が神々しくも煌めいて見えたのだ。


 女の子ーーーいや、女の子ではない。

 木と並ぶのは、もう大人びた顔をした女性だった。

 少女と思っていたのは、俺がそう思いたかっただけなのかもしれない。


 彼女は俺に気付くと、輝く中で優しく微笑んで何かを呟いた。

「      」


 彼女の声は聞こえなかった。

 口の動きから、多分、俺の名を呼んだのだろうとは思う。

 また右の腕が強く痛んだ。しかしその痛みも忘れるほどに、俺は彼女を含めたその景色に見とれてしまっていた。むしろ心臓が締め付けられて痛かった。


 俺はこの景色を、一生、忘れることはないだろうと思った。

 この景色ごと四角い箱に閉じ込めて、大切に仕舞いこみたい。

 そう思ってしまった。


 不本意にも生まれてしまった新しい自分の感情に、戸惑いを隠せない。

 子供ではなかった。

 妹ではなかった。


 でも、だからどうしろというのか。


 俺には何もできないのに。

 勇者パーティーの紋章をつけた右腕がキリリと痛む。


「マリウス様」

 

 動揺する俺の気持ちなど知らず、俺を見て嬉しそうに駆け寄ってくる彼女。

 何がそんなに嬉しいのか。


「あの木、うちの故郷にある木と同じ種類なんですよ。こんな寒い場所でも元気に育つんですね」


「寒さに強い木なんだろうな」


「故郷では、私、いつもこの木の下で昼寝をしていたんです。またあの木の下で昼寝ができたらいいのに。なんか他のところよりもゆっくり眠れるんですよ。この木もそうなのかしら」


「今、ここでそれをしたら、昼寝どころか永遠の眠りにつくな」

 呆れた顔をした俺に、くすくすと彼女は笑う。

「それは困りますね。マリウス様のお側にいれなくなってしまうのはいけません」


 本気の気持ちが伝わってきて、俺は凍える空気とともに、できるだけ冷たい口調で言った。

「、、、何度も言っているが、俺といると危険だから、本当に、早いうちに離れた方がいい」


 彼女の目が、俺を見据える。

 何度も繰り返したこの会話。

 

 彼女は、一時、間を置いてから、緑の大木に視線を移し、その木を見上げる。


「私の故郷のこの木が、私にとってふるさとであり出発でした。大きくて優しくて、私の大切な場所です」


 木に手を伸ばし、その木に触れる。

 風が吹いて、その木が揺れた。

「でも帰る場所はあそこではありません。もっと大きくて、優しい場所を見つけてしまったから」

 

 彼女は、おもむろにしゃがみこみ、木の根元に設置された袋を確認した。

「ーーーそろそろ溜まったかしら。面白いでしょう、この寒さでも、この木の樹液は凍らないんですよ。それどころか、ほんのり温かくて」


 不思議ですよね、と彼女は呟く。

「きっと何かの理由があるんでしょうけど、理屈はいらないんです」

 袋に溜まった樹液を彼女が持ち上げると、袋の中からタポンと重みのある音がした。


「危険なんて承知の上です。マリウス様が心の底から私が邪魔になるまで、お側にいさせて下さい。私の帰る場所は、マリウス様のいる場所ですから」


 決意、というのだろうか。

 こんなに寒い中で、この女性の瞳の中はとても熱く、暖かく。

 俺の心の氷も溶かしてしまう熱を帯びて。


 そして俺は、何も言えなくなった。


 彼女の気持ちは受け取れない。

 でもーーーーーこんなに幸せな気持ちになったのは、生まれて初めてかもしれなかった。


 もし。

 もしこんな魔王や魔物の蔓延る世界ではなく、穏やかで平和な世界だったら、俺は彼女を素直に受け入れることができたのだろうか。


 そんなことを考えてしまって、急に泣きたくなった。


 なぜ、こんな世界に生まれたのだろう。

 命ほどに大切な兄はいなくなり、故郷は滅した。

 この先も多くの命が魔王と魔物によって殺されていく。

 魔王が死ねば魔物はいなくなる。

 魔物だけは倒さないといけない。それが俺の使命なのだから。

 

 でも、泣きたくなる。泣いたらダメなのに。

 兄は、ワイアットはこんなことで泣かないだろう。

 強く。

 強くならなければ。

 身体もーーーー心も。




 そして、俺は目が覚めた。

 

 凍える雪の中から急に暖かい部屋の中の景色に変わって、一瞬、俺は混乱してしまう。


 さわやかな小鳥のさえずり。

 窓から覗く温かい陽の光は、天国がそうなのではと思うほど眩しくとても澄んで清らかだ。

 

 部屋は木造の古い素材で作られているが、温かみを感じる。この部屋は知っている。

 妖精の村の中の、俺達の家だ。

「ーーーあれは夢か」


 ようやく思考がたどり着いて大きく息を吐いた。

 現実か夢かわからなくなる。

 そんな夢を、最近、よく見るようになった。

 目が覚めると夢の内容の大半は忘れてしまうのだけど。


 まだ夢の中の感覚が抜けずに心を落ち着かせていると、俺の頬を伝って一粒の水滴がポトリと顎から落ちた。


 涙だと、すぐにわかった。


 俺は泣いていた。

 何も悲しくないのに。

 夢の中の、もう殆ど忘れてしまった記憶の中の、妙に残った感覚だけが、身体中の皮膚から溢れて堪えられないようだった。


 オレンジのーーーいや、あの紅の髪の女性の名前は、何だっただろう。

 覚えていない。

 

 夢の中の人だというのに、苦しいほど胸がざわめく。

 

 

 俺は銀世界など、実際に行ったことはない。

 

 でも、あの紅の髪の女性は、だんだんと誰かと重ねてしまう自分がいる。


 この妖精の村の家に一緒に住んでいる、オレンジの髪の女の子。

 まだ16歳。

 

 アグノラ。

 


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