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バレたにしては穏やかな日常

 シーシェル商会で、私が『聖魔法』の遣い手だと登録されてしまった日から、もう1ヶ月が経つ。


 私は自分の部屋の窓から顔を出して、豊かな自然に溢れた景色をぼんやりと眺めていた。


 季節はあっという間に流れ、あんなに強かった太陽の日差しは緩み、秋を象徴する虫の声も増えた。

 耳を澄ますと虫の声は、オーケストラでもしているように秋の空気を鮮やかに彩っている。


「ーーー平和だわ」


 呟いて、私はコテンと窓枠に凭れ掛かった。


 愛するマリウスは、相変わらず遠くの畑を耕していて、二毛作とかいう、私にはよくわからないやり方で時期に応じた作物を育てている。


 畑には豊かな作物が溢れるように実り、生き生きとその生命を輝かせている。


 青い空には薄く小さな丸い雲がいくつも集まった、うろこ雲がどこまでも遠くまで続いている。


 柔らかい風が吹くと草木はゆらゆらと揺れて、頭上の雲は流れ、永遠に、この穏やかな世界が続いていくような錯覚に襲われる。


「ーーー平和だわぁ」


 私は同じことを繰り返しながら、ほぅ、と大きく息をついた。


 もう味わえないと思っていた、この平穏な生活。


 私が聖女と気づいたシーシェル商会は、すぐに王宮に聖女が現れたことを報告し、王は聖女を捕まえるように命令を出す。

 シーシェル商会から顔写真は世間に公開され、悪人でもないのに私の指名手配は全国に行き渡るーーーはずだった。


 なのに、あれから何日経っても、聖女が現れたという情報は世間に広まらない。

 聖女を探すために騎士が動き出すこともなく、私はこうして、シーシェル商会に行く前と同じ生活を送ることができている。


 逃げるように城下町の門をワイアットと潜った私は、今後の生活の色んな制限を覚悟していたというのに。

 前と変わらず過ごせているのは本当にありがたいことだ。私は幸せを噛み締めながら、窓から入る風に身を預けていた。


 コンコン、と私の部屋のドアがノックされる。

「はい」

 私が返事をすると、ゆっくりとドアが開いた。

 ひょこりとワイアットがドアの端から顔を出してくる。

「スコーンが焼けたよ。おやつにしないかい?」

 

 ワイアットの作るお菓子はとても美味しい。私が嬉しそうな顔をすると、ワイアットは目を細めた。

「天気もいいし、庭のテーブルで食べようか」

 景色の良い場所で食べるスイーツなんて、贅沢の極み。最高ね。

 今はまだ11時前。ランチまでには時間がある。


「紅茶は私が入れるわ」

「そう?じゃあお願いしようかな」


 私達は二人でキッチンに行き、ワイアットはスコーンを運び、私はお茶の準備をして、庭にある木製のテーブルに向かった。


 畑の遠くの方にマリウスの姿は見えるけれど、オスカーの姿はどこにも見えない。

「オスカーはまだ寝てるの?最近、少しずつ起きてくるのが遅くなってない?」


 私が紅茶ポットに茶葉を入れて、お湯で蒸らしてる間に、ワイアットが大きな皿に盛ったスコーンを小さなトングで2つずつ、取り分けていた。


「姿がないってことはそうなんだろうね。ベリルは相変わらず、朝に帰ってきてすぐに熟睡してるみたいだし。一緒に住んでいるのに、なかなか5人揃うことはないね。たまには一緒に食事でもしたいのに」

 ワイアットが少し淋しそうに言うので、私もそれに同意した。


「オスカーとベリルが、そもそも普通の人達と生活の時間が違うものね。ベリルは夜に働いているから仕方ないけど、オスカーは時間がバラバラなの、どうにかならないのかしら」


 スコーンにつける手作りジャムを、ワイアットはテーブルに並べている。色とりどりのジャムが、太陽の優しく日差しを浴びて家の中より綺麗に見える。


「オスカーは変なところにこだわりがあるし、なんかこの前、おかしな持論を唱えていたよ」


「どんな?」

 私が尋ねると、ワイアットはオスカーの真似をして声を低くしてみせる。

「『そもそも、人間の体内の時計は25時間周期になっているんだ。それが太陽の光を浴びることで24時間に調整されている。太陽の光を浴びることで体は調子を整えるのだから、朝イチではなく、一番太陽が輝く時に起きて太陽の光を浴びる方が身体への影響力はあるのではないかと考えている』ってね」


「、、、何それ」

 呆れた私の顔に、ワイアットも苦笑した。馬鹿馬鹿しいだろう?と首を傾げる。

「この前、僕もオスカーに言ったんだ。起きるのは昼ではなくて朝にできないかって。そしたら、それが奴の答えとして返ってきた」


 ワイアットは小さなスプーンとフォークをテーブルに並べる。オスカーとマリウスの分はともかく、絶対に昼には起きないベリルの分まで並べるところがワイアットらしい。


「結局は、研究しやすい静かな夜に集中していたら朝方眠たくなって昼に起きるだけのくせに、あいつはいちいち、何かを理由つけて研究したがる。多分、今頃、どの時間に寝て起きたら体調が一番いいかグラフでもつけて調査しているんだと思うよ」


「ーーー俺だけの結果だけでは調査にならないからな。お前達の睡眠状況も参考にさせてもらっている」


 後ろから急に現れたオスカーに、私はびくりと身体を強張らせた。

「オスカー。起きてたの?」


「昨日は火と金属の魔法の合成の実験で力を使いすぎてな。本来比較研究は、状態を同じようにして比べないと意味がない。昨日の睡眠は研究対象から除外しようとしたら、こんな時間に起きてしまった」


 普段あまり喋らないオスカーが、やけに饒舌なのは、睡眠時間の変化によるハイテンションなんだろうか、なんて、私もオスカーにつられて無意味なアセスメントをしながら、オスカーのために椅子を引いた。


「よくわからないけど、起きたなら一緒におやつを食べましょう?ワイアットがスコーン作ってくれたの。紅茶も入れるわね」


 私が言うと、ちらりとオスカーは紅茶の茶葉を確認する。

「、、、ターヤナンの茶か」

「そうよ。この前、オスカーがターヤナンの紅茶の最適な蒸らし時間とお湯の温度を調べてたでしょ。その結果そのままに入れてるの。お湯の温度と蒸らし時間で、こんなに味が変わるなんて知らなかったわ」


 にこりと私が笑うと、オスカーは満足そうな顔をする。

「そうか。では次はナナカルトのお茶でも調べてみるか。確か、ナナカルトの香りが好きなんだろう?アグノラ」


 本人はそのつもりはないのだろうが、寝起きのせいで流し目になっているオスカーの瞳は、妙に色気があって直視しにくい。


「そ、そうね。でも私がナナカルトのお茶が好きってこと、よく覚えていたわね」

 ナナカルトという地方は、この土地から遠くてなかなか手に入らない。たまたま城下町の雑貨屋でナナカルトのお茶が出ていて、ちょうど持っていた魔石と物々交換したものだった。お茶に果実の実を乾燥させて混ぜるのが特徴で、とてもフルーティーな香りが私好みだった。


 確かにそのお茶を飲んで美味しかったと皆の前で話したような気はするけど。


「俺は一度見たものや聞いたものは忘れないんだ」

 さも当たり前のように、平然として言うオスカーの顔が何やら憎らしい。賢者様は相変わらず賢者様ということですね。


「あら。でもナナカルトのお茶は、もうなくなったはずじゃなかった?」

「この前、シーシェル商会に行った時に置いてあったから、追加して買っておいたん、、、」


 シーシェル商会、という言葉を聞いて、一気に会話が終了する。

 オスカーも、言ってしまってから僅かに「しまった」という顔をしてみせた。元々ポーカーフェイスなもので、非常にわかりにくい変化ではあったけど。


 シーシェル商会から逃げ出した私について、マリウスとオスカーは何も聞いてこなかった。

 待ち合わせ場所にいつまで経っても現れず、家に帰ったら酷く怯えた様子で震える私を見て、ただごとではないと察してくれたらしい。


 会話が筒抜けのフロアから、マリウスがオスカーに「やっぱり俺がアグノラと一緒に行けば良かったんじゃないか?登録の時に何かあったとしか思えないんだが」と言っているのが聞こえて、申し訳ない気持ちになった。


 むしろあの場面にいたら聖女とバレてしまっていたので、マリウスは一緒にいてくれなくて良かったのだけど、それを言うわけにもいかず。


 私はだんまりを決め込んでいる。


 なぜシーシェル商会が、私が聖女であることを公表しないでいてくれているのかはわからないけれど、向こうがそうしていてくれているなら、あえて私の方からマリウス達に白状する必要もない。


 いつどうなるか気は休まらないけれど、できるだけ長く、この穏やかな生活が続くことを祈って。


 私はにこりと笑ってみせた。


「シーシェル商会は、本当に良い商会なのね。魔物の素材も高く買ってくれたみたいだし。また美味しいお茶とか品物があれば、買ってきて欲しいわ。私はもう行かないけど」

 

 理由は言わず、こう意味ありげに伝えておけば、もう私をしばらくは城下町に連れていくことはなくなるだろう。


 オスカーとマリウスは、2人で目を合わせて、やはりという顔をする。


 シーシェル商会がどこまでこのことを秘密にしてくれているのかわからない。

 城下町に行ったら早々に捕まるということも考えられる以上、しばらくは城下町にも足を踏み入れない方が無難だろう。むしろ、隠された場所であるこの妖精の村から離れない方がいい。


 そう考えて家に籠っていたけれど。


 マリウスは鍛練と畑仕事。

 ワイアットは牧場とお菓子作り。

 オスカーは魔法の研究。

 ベリルは夜の仕事。店主がいなくなってからは、副店主の下について経営も学んでいるらしい。


 それぞれ熱意をもって楽しそうにしている人達を見ていると、私も何かをしたいと思うようになった。


 ご飯を作って掃除、洗濯をしながらマリウスを眺める日々も悪くないけど、私だけ何も成長していないような気がする。


「代わりに、私がここでできる事は何かないかしら?皆がしていることの助手とかでもいいんだけど」

 これを機に、私に何か仕事をくれと伝えてみる。


 ワイアットが自分お手製のスコーンを口に入れようとして、手を止めた。意外そうな顔をしている。

「アグノラには家事全般やって貰っているんだから、充分だよ。アグノラはもっと自分の好きなことをしたっていいと思うよ」


 私の好きなこと。

 ちらりとマリウスを私が見ると、視線の先のマリウスと目が合った。つい慌てて私はマリウスから目を反らしてしまう。


 過去に戻る前は、私はタイミングをみてはずっとマリウスに告白してきた。それに応えられないというマリウスは、こういう話題の時は決まって私と目を合わさないようにしていたものだ。


 告白されて断っても、その後、普通に私と接してくれるマリウスの態度をベリルは嫌がっていたけど、私はすごく有り難かった。

 マリウスと離れる気にはならなかったし、だからといって、自分の中で好きな気持ちを抑えることもできなかったから。

 

 告白はするけど、無理強いしないし、過度な接触を私からすることはなかったから、マリウスも妙な余所余所しさを出さずに側に置いてくれているのだと思っていた。


 まさか、あのマリウスが本当に私の事を好きだったなんて、考えもしなかったのに。


 今のマリウスはどうなのだろう。


 前のマリウスは、いつから私の事を好きになってくれたのだろう。

 私が聖女だったから?

 それなら、今の私の事は好きにならないかしら。


 マリウスは、魔王を倒したら貴族の称号を貰う予定だった。地位に執着するタイプに思えなかったから、その王様の申し出を否定しなかった事に仲間の皆が驚いていたのを覚えている。


 実はマリウスは、そういう『権威』に弱かったりするのかしら。


 ちらりと私がまたマリウスをこっそり見ると、やっぱり私の方を向いているマリウスと目が合った。今度はギョッとしてしまう。


 何?

 私の事を見ているの?

 何故?


 おずおずと私はマリウスに尋ねた。

「、、、私の顔に何かついている?」


 ぱちくりとマリウスは、瞬きをして、いや、と破顔した。過去を思い出すように、目を細める。

「アグノラが好きなものは何か考えていたんだ。でも確か、アグノラは自然が好きだったよな。雪の積もった山の中の月の光が綺麗だってーーーいや、何だ?雪、、、?」


 そこでマリウスは口を閉じた。自分の口を手で覆い、自分自身で自らの発言の違和感に気付く。


 オスカーが眉を寄せてマリウスの違和を指摘した。

「お前とアグノラが出会ってからの数ヶ月で、まだ雪は降っていないだろ」 


「ーーーそう、、、そうだよな。あれは夢だったのか?それにしては随分と鮮明な、、、」

 

 マリウスは口から頭に手を置き換えて、記憶の方に意識を集中させている。


 私は、そのマリウスの様子に、とある可能性を考えてしまった。その瞬間、ぞっとして鳥肌が立つ。


 未来の記憶を持っていたケイレブ。

 過去にはなかった魔道具の出現や、未来とは変わっている様々なこと。


 もし過去に戻った後から、時間を経て『未来の記憶を思い出した』としたら、、、?

 

 マリウスは、オスカー、ベリルは。

 また魔王を倒しにいくだろうか。


 そこに思い至って、私は手が震えそうになるのを堪えながら、マリウスがこれ以上記憶を思い出さないように話を反らした。


「誰かと勘違いしてるんじゃないの?雪に月明かりなんて、どこでもある景色じゃないの」

 私はマリウスに笑いながら言ってみる。無理して笑って顔がひきつりそうになる。


 まだダメだ。

 魔王退治のために国王がマリウス以外の誰かを勇者に選ぶまでは、絶対に思い出しちゃダメ。


 まだマリウスは頭を抱えている。

「ーーーそう、か?でも、月明かりの下で雪とともに光る赤い髪はーーー」


 パッと私は顔を上げた。

「ほら!やっぱり気のせいよ。私の髪は赤くないもの。私の髪はオレンジよ?他の誰かと間違ってるのよ」


 良かった。マリウスは勘違いをしていただけみたいだ。マリウスの記憶に、他の誰かがいることは嫉妬してしまうけど、未来を思い出すよりはずっといい。


「違う人?」

 マリウスはまだ混乱しているようだ。

「そうよ。私の髪は赤くないでしょ」

 私は自分のオレンジの髪を1房掴んで、マリウスの前に差し出した。マリウスはその髪を目の前でまじまじと見つめる。

「、、、確かにオレンジだな」

「でしょ?」

 マリウスは納得できたみたい。

 私はこっそりとため息を1つついた。テーブルの下に隠した震えていた手が、ようやく止まる。


 拳を握りしめて、心から、マリウスの記憶が戻っていないことを喜んだ。

 

 国王が勇者を選ぶまであと少し。

 あと少しだから、このまま何もありませんように。


 私はそう、神に祈った。



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