ケイレブという男
朝はとても晴れていたのに、頭上の空は灰色を広げた雲に覆われ始めていた。太陽の陽は陰り、雨が今にも降り始めそうな気配が漂っている。
雨に当たる前にどこかの店に逃げ込みたいのに、私の足は岩のような男に阻まれて動けなかった。
「、、、今、なんて、、、?」
私は自分の聞き間違えではないか確かめるために、ケイレブに尋ねた。ケイレブは僅かに顔をしかめる。
「あん?聞こえなかったのか?相変わらず聖女さんは、ぼやぁっとしてんなぁ。人が一度言ったことはちゃんと聞き取れや」
本人はそんなつもりはないのかもしれないが、ケイレブの圧を受けながら文句を言われると、脅迫されているような気分になる。
ケイレブは、私の耳に顔を近づけて「ひ、さ、し、ぶ、り、って言ったんだ。どうだ、これで聞こえたか?」
確認されて、私は小さく頷く。
「、、、ええ。今のは聞こえたわ」
どこぞのチンピラと同じ。いや、気圧されそうな圧迫感は、そこらのチンピラとは比較にならない。
多分、今、私の顔は真っ青だろう。
会いたくないケイレブに会った上、ケイレブが私の事を『聖女』と呼んだ。
信じたくないけど、ケイレブは私と同じように、未来から過去に戻った人なのだろう。
本当は相思相愛だったマリウスや、親友のベリルではなくて、なぜこの人なのだろうと神様を恨みたくなる。
ケイレブはライオンのようなモシャモシャの髪を掻きながら、きょろりと辺りを見渡した。
「他の奴らはいねぇのか?俺はベリルの姉ちゃんの店が一番近かったからここにやってきたんだけどな。まさかあんたに先に会うとは」
何が楽しいのかわからないけれどゲラゲラと笑うケイレブ。周りの人達が、ケイレブの醸し出す雰囲気に視線を向けだしていた。
悪目立ち、というやつだ。ケイレブは酔っていないはずなのに声が大きく、向かい合う私さえも、酔っ払いに絡まれた女として周りからは不憫そうな顔をされている。
「ケ、ケイレブ。こんな場所じゃ何だから、どこか店に入りましょう。あそこの食堂なんかどどう?ケイレブは肉が好きでしょう。私がランチを奢るわ」
奢る、と言われて、ぱあっとケイレブの顔が明るくなる。
「おぉ。そうか。奢ってくれるなら遠慮なく。たった2年くらいだが、若返ると腹の空き方がえげつなくてな。若いって、いいところもあるが面倒くせぇ部分も多い。わりぃな。沢山食わせてもらうぜ」
「、、、、、、えぇ」
私は顔に張り付いた笑顔の裏で、自分の財布の金額を慌てて数えていた。まだ魔物の素材を何も売っていない。手持ちは大丈夫だろうかと不安になってきた。
しかし、そのまま立ち止まっているわけにもいかず、待ち合わせた場所の近くの食堂に入った。
大きな窓から、大通りがしっかり見える席に座り、マリウス達が帰ってきたらすぐにわかるようにする。
「いらっしゃい」
声をかけてきた体格の良い中年男の店員に、ケイレブは丸々とした丸太のような腕でメニュー表の中の肉部分を指差した。
「エール1つ。あとこの中から適当にいくつか見繕ってくれ」
「あいよ」
返事をした店員はすぐにエールを持ってきた。エールが来てすぐに、水のようにケイレブはエールを飲み干す。
「エールをもう一杯くれ」
「あいよぉ」
ちょっとちょっと。私が奢るのは肉だけで、エールは自分で払ってくださいよ。
、、、なんてことを言えたらいいのに、私は笑顔を固めたまま何も言えないでいる。
2杯目のエールがケイレブに届いてから、2杯目をまた一気に半分ほど飲んだところで、ケイレブがようやく私を見た。
「それで?他の連中はどこにいる?」
単刀直入すぎるそのその質問に、私は一瞬、誤魔化そうかと思ってしまったけど、もう少ししたらマリウス達がここの近くにやってくる。
嘘とバレるのに、わざわざ嘘を言うのは愚かなことだ。だから私は素直に答えた。
「マリウスとオスカー。あと、昼だけベリルが一緒に住んでいるわ」
ケイレブの片眉がピクリと動いた。
「ほぉ?俺以外、勢揃いじゃねぇか。おやおや、俺は除け者かぃ」
そうしたかったんだけどね、とは言えない。
だって、ケイレブがマリウスを刺した犯人でしょう?
まるで自分が被害者みたいな言い方に、怒りも込み上げながら、私は大切なことを言うためにケイレブにちゃんと向き合った。
「あなたは今、本当なら戦場にいるはずでしょう。そんなことよりケイレブ。先に話しておかなければならないことがあるの」
「あん?」
ケイレブはぐい、とエールを口に入れて飲み込む。
「私だけでなく、ケイレブにも未来の記憶がある理由はわからないけど、マリウスやオスカー。ベリルには未来の記憶がないの」
私がそう言うと、ケイレブは太い眉を寄せた。
「、、、なんだって?」
「だから、私が聖女であることも、あの人達は知らないわ。それにね、私はもう、魔王と戦う気は一切ないのよ。マリウス達にも、魔王にはもう関わらせたくないの」
それを聞いた瞬間、ケイレブは勢いよくエールの入ったコップをテーブルに打ち付けた。
ダン!という音がして、コップからエールが勢いで溢れる。
「それはどういうこった」
ケイレブは明らかに怒っていた。分厚い腕は力が入って筋肉がものすごく盛り上がっている。
こんな腕で殴られたら、私は一瞬であの世に行きそうだ。
でも負けない。
大切なことだから。
唇をぎゅっと噛み締めて、私はケイレブを見据えた。
「ケイレブも、あの魔王の強さを理解しているでしょう?もう私達は負けたのよ。負けるとわかっていて、わざわざ繰り返すことはないわ。だからマリウスは勇者にはしない。魔王と戦うこともないの。穏やかに生きていくって決めたのよ」
私の言葉でケイレブは私の真剣な目をじっと見ていた。そして少しして、「はっ」と鼻で笑った。
「ーーー聖女さんの言い分はわかった。まぁそうだな。俺達は負けた。これ以上ないくらい、あっさりとな」
意外と冷静にケイレブが聞き入れてくれたのかと思った。だけど、ケイレブは瞬間、表情をかなり険しくして私に顔を近付けた。ケイレブからの圧がものすごい。
毛穴から蒸気が湧くほどに熱気を感じた。
「だが、それは本当にマリウスの意志なのか?マリウスの気持ちも考えずに、てめぇの身勝手な感情でマリウスの人生を操作しているんじゃないのかよ?」
ケイレブのその言葉に、私はすべての言葉を飲み込んだ。
全くその通りだった。
わかっている。何も知らないマリウスの未来を、私が勝手に操作していることは。
ケイレブの言葉は正しい。私もそのことに対しての罪悪感は感じていた。でも過去に戻った私にそれを叱咤してくる人もいない。だからそれでいいと、私自身で思い込ませていたんだ。
マリウスには死んでほしくない。
それが私の全てだから。
ボロりと私の片目から涙が零れた。
堪えようとしたけれど、耐えられなかった。私は零れた涙を必死に拭って、またケイレブを見据えた。
ケイレブは憎々しそうな顔で口を歪める。
「俺は女の涙が嫌いでな」
「泣いてなんかないわ。これはーーー睫毛が目に入ったのよ」
私の苦しい言い訳に、ケイレブは「そうでございますか」と呆れた声で肩を竦めた。
ケイレブは、色んな気持ちを落ち着かせるように大きなため息を1つ吐いて、エールのグラスを握りしめた。
「道理でな。それでようやく理解できた。本来なら、戦場に行く前にはもう、マリウスとオスカーの噂はあちこちに広がっていた。戦に向かいながら俺より強いやつがいるって気になっていた記憶があるんだよ。それなのに、今回はその噂が一向に聞こえやしない。それがかえって気になってな。戦に行かずに、こっちに来てしまった」
「ーーーえ?」
今、何て言った?
「戦にーーー行かなかったの?」
当たり前だ、とケイレブは言う。
「そうでなけりゃ、俺がここにいるはずねぇだろ」
ケイレブの態度は、あまりに飄々としていた。
「で、でも、ケイレブが行くはずだった戦って、確か、南に集まった反乱軍との大きな戦いで、それに圧勝させたからケイレブって国でも英雄扱いされて、国王様から勲章を貰ったって聞いたわよ?」
「そんなん、別にどうでもいい」
「どうでもいいって」
その戦いに敗れたら大変なことになる。
勇者になる人を勇者にしないという選択もどうかと思うが、それ以上に、戦場の英雄が戦場に行かないという選択肢は、未来にどう影響するのか、考えるだけでも恐ろしい。
おろおろと私は慌ててしまい、ケイレブの太腕をペチペチと叩いた。
「ケイレブがいないと、負けてしまうかもしれないじゃない」
「おいおい。落ち着け。何も、考えなしに飛び出したわけじゃねぇよ。今回は俺がいなくても大丈夫と判断したから出てきたんだ」
「どういうこと?」
私の質問に、ケイレブは首をぐいっと傾けて、うーんと考える。ケイレブは説明が苦手だ。
それでも私に説明してくれようとする姿は、本当は悪い人でもないのかもしれないと思わせる。
「お前も勘づいているとは思うが、俺達がいた前の世界と、この世界は少し違っているだろう?転移の魔道具なんてものはあるし、国全体が整備されていて、前よりもずっと国が豊かになっている。ーーーそう思わないか」
「、、、それは、私も思っていたわ」
この城下町だけでも、人の賑わい方が違う。
以前は城下町というだけあって、賑やかではあったものの、どこか寂れた雰囲気があった。
人は不安を抱え、もっと多くの人が重い足取りでこの城下町を歩いていた気がする。
なのに、今の城下町は、笑顔が溢れている。
皆、それなりに悩みを抱えているとは思うが、前を向いて生きようとしている風に見える。
「戦争のために集まった連中の中に、あの頃にはいなかった精鋭達が数多くいたんだ。当時は、別の戦でもう死んでしまっていた奴らがだ。そいつらがいたから、俺は気兼ねなくこっちに来れた」
「、、、本来死んでいるはずの人達が、生きているってこと?」
「そうだ。おかしいだろ。聖女さんと同じように、過去に戻って未来を変えようとしている人間が他にいるとしか思えない」
「私はそんなこと」
「わかってるさ。あんたはマリウスのことしか頭にねぇからな」
私はむっとしてみせる。
「ーーーいくらなんでも、そこまではないわよ」
「マリウスを勇者にしないという選択肢が、そういうことだろうがよ?」
「ぐっ」
息が詰まりそうだ。私って、そんなに酷い女だったのか。
ケイレブは固まる私を目で笑う。
「まぁ、そういうわけで、聖女さんでない誰かが、過去に戻って未来を変えたのなら、探せばどこかにいるはずだな。ーーーまさか、マリウスもオスカーもベリルも、未来の記憶がないとは思わなかったが」
ケイレブの話は理解できるが、驚きが隠せない。
「で、でも、それなら一体、誰が」
「知らねぇよ。でも俺と聖女さんが未来を覚えてるってことは、ただ単に俺の夢の中の話だというわけでもないわけだ。それなら、俺達がいた勇者様パーティー以外にも、過去に戻った人間がいないと断言もできねぇだろ」
「それは、、、そうだけど」
「俺が過去に戻った時にはもう、すでに国の設備が整っていた。ということは、過去に戻るタイミングが全員同じというわけではないということじゃねぇか?」
「、、、、そういうことになる、のかしら。私達よりも前に、、、?」
すっきりしない言い方の私に、ち、とケイレブは舌打ちをする。
「歯切れ悪ぃなぁ、聖女さんよ。認めた方が楽だぜ?この世界には、俺達のために戻ったわけじゃねぇってこと」
「ーーーー!!!」
言われて、はっとした。
なぜ私が疑問から抜け出せないか、ようやく理解できた。図星をつかれて、ようやくストンと空いた場所にピースが埋まる。
そうか。
私はどこかで『マリウスを助けるために過去に戻った』のだと思い込んでいたのか。
神がそうしろと、私の祈りを叶えてくれたのだと、勘違いをしていた。
「ーーーそう、よね。私達のためじゃないということーーー当たり前だわ。そんな当たり前のこと、何で私、、、」
「まぁ仕方ねぇよ。100年に1人の聖女様なら、神が手助けしてくれそうな気がしそうだものな。だが実際は何もしてくれなかった。魔王を倒しに行って返り討ちを食らっただけだ。あんたもろとも、な」
ケイレブらしくない、悔しさで自嘲気味の、そして少し悲しそうな言い方に違和感を覚える。
ケイレブがマリウスにナイフを刺した人なのではないのか。マリウスの隙をみて刺した人は、マリウスが死んだら魔王の前に全滅するのはわかりきっている。なのになぜ、ケイレブはこんなにも悔しそうなのだろう。
「ケイレブ、、、貴方、、、、」
私が問いかけようとした時、注文していた料理が次々に運ばれてきた。
ケイレブはすぐに気を取り直して、料理の方に身体を向けた。
鳥の丸焼きや、ポークソテーなど、見ているだけで胃もたれしそうな料理がテーブルいっぱいに広がる。ケイレブは驚くほどのスピードで、その料理を片っ端から食べていった。すごい胃袋だ。
あっという間に食べ終わって、ケイレブは汚れた口元を自分の腕でぐいっと拭うと立ち上がった。
ケイレブの少し掠れた低い声が、私の頭の上から落ちてくる。
「マリウス達の記憶がねぇんなら、会ったところでどうしようもねぇわな。魔王が本領発揮するのももう少し先だし、まぁ、あいつが本当に勇者の素質があるなら、どこのどいつが止めようとも、魔王を倒しに向かうだろうよ」
テーブルに、ジャラリと小銭が置かれる。ケイレブはどや顔をしてそれを私の方に押しやった。
「奢ってくれるって話だったが、ここは俺が奢ってやるよ。まだ子供の嬢ちゃんに出してもらうほど、俺は腐ってないからな」
そして私に背を向けると、別れる合図として、ひらりと左手を上げた。
「もし俺に何か用があったら、転移の魔方陣で国境の町『ルトウド』まで来るといい。じゃあな」
颯爽とした姿で帰っていくケイレブ。
私はその背を見送った後、ケイレブの残した小銭を冷たい瞳で見つめた。
私はチラリとケイレブの食べたあとの皿を見る。よくもまぁこんなに食べたものだ。彼の胃袋は異空間に繋がっているのかもしれない。
私は何も食べていない。つまり自分が奢るといいながら、殆ど自分の食べたものの分を自分で支払っただけだ。
「しかもお金足りないし」
そういうところだ。
私がケイレブが苦手な理由の1つは、その大雑把すぎる性格だった。彼のトラブルの後片付けは、まだパーティーの一員ではなかった私がしていた。ケイレブにどれだけ多くの迷惑をかけられたか、言えばきりがないほどに。
結局、ケイレブの食事代の半分以上は私が出すことになった。まぁ、私の奢りということで店に来たのだから、半分払って貰っただけでも良かったと考えるべきか。
1つため息をつきながら、私は支払いを済ませる。
食堂の窓から見える大通りには雨が降り始めていた。雨粒は大きい。食堂の前を通る人達は、急な雨に戸惑い、足早に駆け抜けていく姿が多く見られた。
そこに、飛び抜けてスタイルの良い男がやってきた。
誰かを探しているようで、一定の場所で立ち止まり、心配そうな表情で辺りを見渡していた。
ブラウンの髪が雨に濡れるのも気にせず、しなやかで長い足は、1ヶ所に留まらずに落ち着かないでいる。
私の愛しい人。
勇者になるだけの身体能力を持つこの人は、元々の身体から恵まれている。他の人と比べると見た目も動きもあまりに綺麗で、眺めるだけでそれを痛感させられる。
胸が苦しくなるほどに。
「マリウス」
呟いて、私はすぐに店を出た。
マリウスが私を探してくれている姿がとても嬉しい。
勇者になってしまえば、死んでしまえば、こんな姿ももう見れなくなってしまう。
マリウスには死んでもらいたくない。
だから勇者にはさせない。
名誉の死なんて、マリウスには必要ない。
それは間違いではないはずなのに。
ーーーー今になって、不安になる。
それは、マリウスの意志ではないということが。
もしマリウスが事実を知ったら怒るだろうか。それともーーー。
もっと怖いのは、死んだとしても勇者になると言われた時だ。ワイアットを救い、故郷が滅びることがなくても、マリウスの性格ならば勇者になると言い出しかねない。自分が死ぬとわかっていたとしても。
足元はすでに雨の水を含んで地面が緩くなっていた。
ぱしゃぱしゃと音を立ててマリウスと、その後ろにいるオスカーに向かって走っていくと、私を視界に捉えたマリウスが輝くように笑った。
「アグノラ」
マリウスの前で立ち止まり、頭を下げた。
「ごめんなさい。知り合いとばったり会ってしまって。そこのお店で少し話していたの」
マリウスは自分だって濡れているのに、私の頭に雨がかからないようにその腕を私の頭上で浮かせて雨から守ってくれる。
「ーーーそうか。何か問題はなかったか?」
私が詳しく言いたくなさそうにしているのを感じたのだろう。
誰に会ったのだとか、そういうことは聞かずに、ただ私が無事だったことだけがわかれば良いというマリウスの気遣いに、心が温まる。
触れられているわけでもないのに、すぐ近くにいるマリウスの体温を感じて、速く打ち鳴らされる鼓動を隠すようにして私は笑った。
「大丈夫。それより気になる魔剣はあったの?」
うぅん、とマリウスは、何か言いにくそうにして口を歪める。
「、、、良い品物は沢山あったんだがな。手に持ってしっくりくるものがなくて。今から行く商会で、良いのがあるといいけどな」
びしょ濡れのマリウスの横で、全く雨に濡れていないオスカーが私に向かって手を伸ばした。
オスカーの手のひらが私の額に触れると、雨が当たらなくなる。
「?」
「物理防御魔法だ。このくらいの雨なら殆ど防げるだろう」
雨が当たらなくなるなんて、すごく便利。
私も防御魔法は使えるけど、こんな使い方があるなんて考えもしなかった。さすが未来の賢者だわ。
オスカーを誉めようとしたところで、まだ雨に濡れたままのマリウスに気付く。少しマリウスが不機嫌そうなのは、間違いなくこの魔法を自分にはかけられていないせいだろう。
私はこっそりとオスカーに尋ねる。
「マリウスにはこの魔法かけてあげないの?」
すると、オスカーも少し不機嫌そうな顔をしてみせた。
「武器屋を教えてくれって言ったのは自分なのに、集中できずにソワソワして、たいして剣をみることもなく自分勝手に出ていった奴には、このくらいの雨で頭を冷やした方がいいだろう」
「剣を見るのが大好きなマリウスが集中できなかったですって?もしかしてトイレにでも行きたくなったのかしら」
珍しいこともあるものだ。
私の言葉にオスカーからの返事はない。
オスカーは自分の後ろで結んだ長い黒髪を撫で下ろすように触って、マリウスを横目に見た。
「、、、まぁ、商会には個人で作っている武器屋と違って、世界中から集めた武器が揃っているはずだ。マリウスには、そっちの方がいいだろうな」
そう言うオスカーの言葉で、私は過去に戻る前のマリウスの剣を思い出した。
マリウスの力は強すぎて、よほどの耐久性のある剣でないとその姿を保てない。
過去に戻る前のマリウスは、私が会った時にはすでに、勇者として選定された時に国王から貰った国宝のミスリル性の長剣を持っていた。
勇者にならなければ、あれほどの剣は手に入らない。
私はマリウスの腰に刺さった、中級程度の長剣を眺めて思った。
マリウスに相応しい剣を、私も探してみよう。
少しでも、マリウスへの罪滅ぼしとして。
歩きだしたオスカーの後についていき、ふと疑問に思う。城下町の商会といえば、コリスエード伯爵が持つトフイ商会だが、オスカーの向かう方角にその商会はない。
「どこに行くの?トフイ商会でなくて?」
オスカーの足が長いせいで、追い付くのも大変だ。そんな私に、オスカーはすました顔で「違う」と言った。
「城下町の大商会といえば、今やトフイ商会ではなく、シーシェル商会だ。トフイ商会は悪い噂が絶えない上に、品質が著しく落ちてきている」
「トフイ商会が?」
コリスエード伯爵は、その貴族としての立場を使って一部市場を独占していた。勢いつき始めた商会は、飛び出た釘を叩くように悪質な嫌がらせで妨害していたが、証拠もないために取り締まりもできなかった。
明らかにトフイ商会の仕業だとわかるのにだ。
上層部の騎士団員と癒着があっているのではないかという噂もあった。
絶対に落ちない大鳥と言われたトフイ商会。
それが、落ち目ですって?
あり得ない。
「そのシーシェル商会も、どこかの貴族が経営をしているの?」
「詳しくは隠されているからわからないが、トフイ商会に潰されていないってことは、そういうことかもしれないな」
それを聞いて、私はケイレブの仮説を思い出していた。
私達以外にも、過去に戻って未来を変えている人がいるのではないかという話。
また、ここでも未来が変えられている。
過去に戻っただけではダメなのだ。
それだけの力がないと。
転移の魔道具を国中に設置し広めることができる力。
亡くなるはずの力ある男達を、生かせる力。
悪名高いトフイ商会にも対抗できる力。
それは権力と財力が伴わないと成し得ないこと。
それだけの人物が過去に戻った?
しかも私達が過去に戻るもっと前の過去に。
ーーーー一体、何が起こったというのだろう。




